2012年11月9日金曜日

ステレオタイプ

先ほど講義を聞いて帰ってきた。最寄のバス停でバスを待つ間の気持いいこと。秋真っ盛り。このまま遊びに行けばいいのだけれど、咄嗟には無理。

バスを降りてJRに乗ると先ほど図書館で借りた本を読む。今日借りた本はご当地広島の『とっておきのカフェ』。本を読むというよりも雑誌を読む感じ。

それを見ると何と住んでいる町(区)には1件のカフェの掲載もない。道理でカフェが少ないはず、と納得する。

以前と比べてカフェは少なくなっている。街中を見ても、「青山」を筆頭に「ドトール」、「スターバックス」などの全国チェーン店が多い。そのためか、市内で人と会うときはホテルのカフェやラウンジの利用が多くなる。

カフェではないけれど、今日の講義で南米で一番食べ物が美味しいのはペルーだと先生からの話で知る。中でもCeviche(セビチェ)が美味しいらしい。

16,7年前にペルーへ行った。そのときの料理が美味しかったことは覚えている。だがセビチェがどんな料理か全くわからない。

外国へ行くと、特に辺境へ行くと、その国のすべてに偏見をもって話す人がいる。それにはその国の料理もある。辺境だから、貧しい国だから料理も不味いとは限らない。もちろん、その国を旅行する人はそんな考えを持たずに出かける。「〇〇へ行く」と話すと、特に辺境の地に行くと言うと変な顔をされることがある。

食べ物も一つの文化で、辺境の国、発展途上国だから料理が不味いという発想はおかしい。とはいっても南米はペルーしか行ってないので南米の他の国のことはわからない。

南米でなくても、アジアでも同じこと。かなり辺境の地へ出かけると、食べ物云々を言う人がいる。食べ物の好き嫌いは仕方がない。そうではなくて辺境=貧しい国=不味い国とステレオタイプの発想がいけない。そしてそれは、その国へ出かける人までも変に見ることである。

変といえば自分にも当てはまるかもしれないけれど・・・。

とはいっても、食べ物ではいくら辺境趣味でも耐えられそうにない国もある。それゆえ隣国もまだ行ったことがない。これもステレオタイプ!?それならば反省の余地あり。

ステレオタイプといえば語学もそんな感じを受ける。30年前中国語を習い始めた頃にそんな気持を感じた。中国語=劣っている国=何故そんな国の言葉を習う?と思われた気がする。それが例えばフランス語ならばそうではなかったかもしれない。

今習っているスペイン語はヨーロッパの言語だからかあまりそういう風には言われないけれども・・・。

話は変わって、昨日社会人で卒業した学部から、同窓会だよりが送られて来た。中を開けると、同窓会費の欄に「未納です」となっている。何と恥ずかしい!

多分その頃、親の介護などで忙しくしていて後で収めればいいと思ったのだろう。それがそのままになっている。すぐに郵便局へ行って送金する。

便りを読んでいると、未納ならば年末に送付される同窓会名簿を送ってもらえないとある。名簿といっても年齢も異なる人たちが大半。それでも、何人かは消息を知りたい。むしろ、何十年前の中学の同窓生よりも、今の時代の人の方が知りたい。

社会人大学生の人たちとは苦労しながらも若者と一緒に学んで楽しい時代を共有した。それだけでも懐かしい。入学して以来、いつも大きな松の下で昼食を食べた人たち。その人たちと再会できれば、と思ったりする。皆どうしているんだろう。

あれから、5年。講義を受けに行っても誰とも出会わない。当然といえば当然だけど・・・。

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