今朝は雨が降っている。一日降るのだろうか、外が暗い。
昨日プールへ出かけた。最寄駅でJRに乗ると、隣町に住むフルートの仲間が乗っている。話を聞くとフルートの先生の演奏を聞きに本郷まで行くという。一緒に行こうと誘われる。
だがプールに行こうと思ってナップサックに水着など用意しての乗車。隣駅で下車し、プールに向かう。
真昼のプール。人は少ない。歩いている2人と泳ぐモノ1人。何と淋しい!しばらくすると泳ぐ人が1人増える。それにしても日曜日の昼間なのに係りの人の方が多い。何と贅沢と思いながら昨日もクロールと背泳ぎで1キロ泳ぐ。ひたすら泳ぎ終えて更衣室の時計を見ると1時間経っている。
泳ぎ終えた瞬間は疲れを感じない。だが、かなりの運動になるのだろう。泳いだ日はよく眠られる。昨夜は鼻水も出ずよく眠った。
今朝起きると姪に電話する、先日ドコモでもらったディズニーのカレンダーを2部あげるというと嬉しそうだった。
アクシデントから買い替えた携帯電話。そのさまざまな機能に驚く。当分いい遊び相手になりそう。
今日は一日すっきりしないお天気。そんな日は家でおとなしくしていよう。そして来週に迫ったスペイン語の試験を頑張ろう。今日も一日さあ、元気を出して!
以下は図書館で借りて読んだもの。私的メモとしてここに記そう。
著者の澤地久枝は以前『道連れは好奇心』を読んで以来ファンになった。『地図のない旅』(澤地久枝 主婦の友社、2005年)はその後に読んだ本である。
「さまざまなことに出会い、問題をかかえながら、いまもなお、前向きで楽天的な日を送っていられるのは、誰かから贈られた恩沢のような気がする。・・・秋がくれば七十三歳になる長い旅をいまもつづけているのは事実なのだ。地図のない旅。ここでの同行者はわたし。いっしょに旅へ出てみませんか。」(9-10p)
「旅の楽しみは未知の人と生活、自然との出会いにある。異なった生活習慣や文化にふれて、我が身、わが国のあり方がはっきり見えてくるということもある。こころがリフレッシュされ、年齢をいつか超えられる。そういう旅をぜひどうぞ!」(35p)
「人生という旅には、こういう道連れもあるのだ。」(86p)
「生きるとは地図のない旅に似ている。時が過ぎると、ひとつの縁から枝が広がってゆき、わたしの旅は豊かな内容をもつ。ささやかな存在と承知しているが、わたしは人と人、人と歴史のつながりの小さな結び目のひとつではある。生きるとはそういうことなのだ。」(278p)
「たがいの国籍も問わず、新しい出会いがあり、これからどんな旅をするのか、誰も知らない。だから、どこまでも歩いてみようと思っている。」(282p)
「日々に書いた文章を、久しぶりのエッセイ集として、ここにまとめる。文字通りの『地図のない旅』であった。・・・わたしは依然としてわたし。ヤンチャ(?)な性格は変わらない。来年は船旅をしてパナマ運河を通過したい。今ならできると思っている。そういう自分に『ガンバレ』とエールを送るわたしがいる」(285-286p)。
この最後の文章はいい!「そういう自分に『ガンバレ』とエールを送るわたしがいる」。この言葉にあやかって今日も一日頑張ろう!
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