2012年11月16日金曜日

人生後半の楽しみ

今日も清清しい朝を迎える。これから講義を聞きに行くというのに朝からパソコンと戯れる。

昨夜はフルートの人たちとの楽しい定例会。それを終えて帰宅後、いつも読む人のブログを読むと以下のことが書いてある。

その内容の一部を勝手に引用させていただくと、「広島のお友達Uさんは日常の生活リズムの中に水泳が入っているようで、色々と楽しそうにプールでの出来事を書いてくださっていて、あ~あ、こういうライフスタイルもいいなあと思うだけで、無理やな~とすぐに目が覚める。そして結論として、僕は浮きません。間違いありません。」とある。

すぐに、投稿してくださった人にメールで「そういうことは決してございません!間違いなく浮きます!運動神経が小学校時代5段階の1でした。それが人生の後半に差し掛かったとき泳ぎたい一心から一念発起して、プールに通っていると泳げるようになりました。息継ぎはお風呂の中に顔をつけて『プアー』と声を出して練習しました。」と書いて送信する。

昨夜の、飲み会で送信したメールに書いた内容を2人の男性に話したばかり。その人のブログを読むと、それを聞いていたかのような水泳の話。もうそれを読んでビックリ!

今朝もその人のブログを読むと、送信したメールの内容がブログに投稿されている。

運動についてはもの心つかないころ、強い体でなかったと親から聞いている。かなり金銭的にも負担を与えていた子供のようだった。

それもあって、小学校時代、運動はほとんどしなかった。当然体育の成績は悪い。とはいっても一度も学校を休む生徒ではなかった。元気な子どもだった。

中学に入り、体育の授業は普通に参加。そのため体育の成績も普通だった。だが、こうして育つと、どうしても運動ができない劣等感の子供になる。

大人になるにつれ、人ができる自転車に乗ること、泳ぐことができることをまるで夢のように感じ始める。それが頂点に達する頃、恩人と慕う人から泳ぐことを誘われる。これが昂じて、水泳教室へ入る。

その結果、人生後半になって泳ぐことができるようになった。それは半端でなく嬉しかった。

回りの人に会うとそのことばかり話をした。その泳ぎも次第に長く泳げるようになり、クロールで休まず1キロ泳ぐようになる。だが最近は無理することもない、と思ってクロールと背泳ぎを交互に一キロ泳いでいる。

何の取り柄もなく、ましてや運動に関しては人並み以下の運動音痴が、水泳で人に刺激を与えていた・・・。

一番苦手な運動。その一つである水泳ができるようになると、他のことでも自信がついてくる。何でもできるのでは・・・欲が沸く。

人生の前半でできなかったこと、しなかったことを、まるで後半になって取り戻すかのように動きまわっている。それでも、まだまだやりたいことはたくさんある。それも人生後半の楽しみとなればいい。そして人より遅れて育ったことも今となってはいいことかもしれない。

さあ今日も元気を出して若者に混じって講義を受けに行こう!頑張って!

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