2012年10月31日水曜日

岩国へ行く

楽しい一日も暮れようとしている。今朝は、お寺のお世話をしている人から電話がある。先日、県北の比婆山に行くことを誘われる。だが講義を休めず、いつかどこかへつれて行って、とお願いする。今朝はどこへ行くかの電話だった。

ところが今日は岩国の友人と会う約束をしている。その旨告げると、来週近郊の山へ行こうとなった。

しばらくすると、宅急便を配達するとの電話が入る。すぐに来てもらって届いた荷物をあける。先日デパートの通販で注文したものだった。すぐに着てみると、なかなかいい感じ。それを着て岩国へ行く。

最寄のJR駅に向かう途中、友人へのお土産を持っていないことに気づく。すぐに家に戻り、また駅へと出直す。それでもどうにか予定の列車に間に合った。

和木駅で友人の車に乗り、そのまま宇野千代生家へ行く。いつも岩国へ行くたび、一度は行きたいと思っていた。思いがけず連れて行ってもらって大感激。

生家に展示してある書籍を見ると即売もある。友人は『行動することが生きることである』の宇野の著作をみて、それは私のことだという。「そう?」と思ってその本を手にする。

宇野の本は『生きていく私』と『天風先生座談』を読んだことがある。もう随分前のこと。生家で友人の言葉に誘われて手にした『行動することが生きることである』を早速購入する。

最近はもっぱら本は図書館で借りたものを読んでいる。久々の購入となった。

友人から言われてみて我ながらよく動き回っていると思う。今日もよく動き回った。とはいっても、今日は友人の車に乗っての移動だけれど・・・。

生家を後にすると友人の自宅を訪問する。お昼を用意してくださっていたようであり難くいただく。何とお盆にはビールもある。友人は運転があるので飲めない。一人申し訳なくいただく。

いつもブログを読んでもらっているようで私からビールが欠かせない?食事もビールも美味しかった!

その後は、車に乗って小瀬川湖畔へドライブ。ところどころは紅葉も見られ、絶好の秋日和。春に連れて行ってもらった山奥にある感じのいいカフェでケーキとコーヒーのティータイム。

カフェを出ると山道をドライブしながら、いろいろと話をする。友人と会うといつも話が弾む。今日もそうだった。友人の誘導尋問(?)というか言葉の魔術で話が弾む、弾む。

今日もいい言葉を聞いた。友人から「ここまで言い当てる?」と思えるほどずばりと言われる。それを聞いて改めて自分で気づくこともある。
友人からいただいたネックレスと購入した本
友人はスペイン語を習い始めた私に刺激され、英語を学んでいるという。以前は岩国基地の米軍の奥様に習っていたとか。少しは人にもいい影響を与えていると思えばブログ投稿も由としよう。ただ投稿でビールの話が多すぎる!?マアそれも由とさせてもらおう!

〇〇様
今日はお昼をご馳走になりました。また宇野千代生家にも行きました。そしてカフェでは手作りのネックレスも頂きました。さてこのネックレス、いつ、どこへ着けて行きましょう?そして小瀬川湖畔のドライブも気持ちよかったですね。他にもいろいろと楽しい話をしていただきありがとうございました。忘れていました。先日投稿した昇地三郎の『小さきは小さきまゝに』(梓書院、2001年)もいただきました。ほんとうに今日はありがとうございました!

2012年10月30日火曜日

どんよりした日はコツコツと・・・

冷え冷えとした朝を迎える。明日からグッと気温も下がり、最低気温は10度を切るらしい。朝食後、洗濯を済ませるとエアコンをつけて先ずはパソコンと遊ぶ。

先日次に行く予定の場所に旅仲間を誘うと昨日その返事が届く。その人は3年前に出かけたという。誘った人はチベットで知りあった人。1人参加の人で知り合って20年くらいになる。

いろんなところへ旅するうち、いろんな人と知り合う。年賀状だけの付き合いの人もいる。だが、それだけの人も便りを出すとすぐに昨日まで会っていたかのように返事が届く。葉書には行く先のお土産も書いてある。季節はアーモンドの花の咲くころ出かけたとか。次に出かけるときは誘ってくださいと書いてある。行く先々で知り合った人は国内・国外を問わず、どの人も皆いい人たちだ。

ラオスに一緒に行った人もアーモンドの花の咲くころ出かけている。その人もいいところだと話していた。すべては催行されるかどうか。まだかなり先の話なのでただ楽しみにして待つことにしよう。

今朝のNHK・FMからはその国を誘うかのようにエキゾチックなイスラームの音楽が流れる。

昨日は少しずつ作っているスペイン語の単語帳の続きをする。今は動詞を中心にやっている。「主な動詞」をノートにまとめる。これはかなり時間を要する。まだまだ終わりそうにない。スペイン語を日本語に書くだけならばすぐに出来る。同じするなら現在形、過去形、再帰動詞など一目でわかるようにしよう。

昨日は他にもフルートの練習をする。最近買ったICレコーダでレッスン時に録音している。家で聞くといい練習になる。吹けないところは決まってくる。そこを練習すると何とか吹けそう。頑張ろう!

頑張ろうといえば今朝、人のツイッターを見ると、冷え冷えとした太陽のあまり出ない日は「コツコツと仕事するに限る」と書いている。

今日は昼前から講義を聞きに行く。私にとっては「コツコツと仕事するに限る」ならぬ「コツコツと勉強するに限る」!?今日も一日元気よく!

2012年10月29日月曜日

泳いだ翌日は・・・

今日も気持いい朝を迎える。昨夜は泳いだ後にしては鼻水も出ずによく眠られた。

JR最寄り駅で下車してプールへ歩いていく途中、今風の若い女性から挨拶される。雑誌のグラビアから抜け出たようなメイクで、服装もメイドカフェもどきの恰好だ。カメラを持参していたならば写真に収めたかったほど。

「こんにちは!」と挨拶されて「ええっ!」と驚く。だが、とっさに返答の声にならず会釈だけで通り過ぎる。その女性の一番の印象は右目あたりを黒い点や線でまるで絵を描いているようにメイクしているところ。とはいっても「ねえちゃん」ではなく、AKB48風のかわいい女性だった。もしかしたらハローインへ行く!?

プールに着くと、女性の下駄箱に靴はない。更衣室に入ると誰もいない。プールへ入っても女性はいなくて男性が2,3人いた。

秋分の日を境に、プール利用者はぐっと減る。暇人といえどもプールに出かける曜日をある程度決めていた。だが、日曜日でもプール利用者は少ないので、その必要もなさそう。

1時間プールにいると最後には2人だけになった。1人で泳ぐのも何となく体裁が悪い。1キロ泳ぐとすぐに泳ぐのを終える。少ない日は歩く人もほとんどいない。そのためプール内は静まり返っている。

昨日もクロールと背泳ぎで1キロ泳ぐ。その大半は背泳ぎで泳ぐ。クロールは顔を水につけるので息継ぎだけでも運動になる。その点背泳ぎは息継ぎは関係ないので楽。

人が少ない日は、ビート板を持って泳ぐ練習もする。それで泳ぐと進まない。25メートルのなんと遠いこと。いかに足を使ってないことか。1往復でうんざりする。

家に帰ると、先日友人宅で来客と話していたチューリップに刺激され、翌日買ったものを庭に植える。狭い庭なので花同士がケンカしそう。10個のうち1個は鉢植えにする。

2人の話を聞いているとチューリップは花が大きくない方がきれいらしい。そのため花が咲いた翌年からは植え替えをせずにそのままにしておくと花も小さくなるとか。

陶芸家の家に来ていた人はフラワーアレンジメントの先生をしているとかで花について詳しい。「ほととぎす」もそのとき初めて知った。帰りにはその花と秋名菊をもらって帰る。

秋名菊はGWに出かけた中国で自生して生えているのを教えてもらって初めて知った。今辞書で調べると中国原産とある。季語は秋。どうりで中国で見た時は花が咲いていないはず。

その花を活けると、お店で買う花とはまた違った趣がある。豪勢な花ではないけれど、可憐さが漂う。それがまたいい。

明日からまた動き回る日々が続く。今日は自転車でフラット出かけた後は家でおとなしくフルートの練習と勉強(?)をしよう!

2012年10月28日日曜日

パソコンと遊ぶ!?

今朝は明け方雨が降っていたのだろうか、新聞はナイロン袋で覆われている。この雨も、次第に晴れると天気予報で知る。

天気の良くないときは家の中でパソコンと遊ぶ。昨夜ふと年賀状の季節が来ると思い、年賀状のソフトを起動させる。ところが何度それを試みても起動しない。

結局そのソフトを削除してしまった。した後で住所録を保存していないと気づく。

1年前に来た年賀状は保存している。とりあえず、それだけの住所はわかる。それ以外はもうアウト。それも仕方ない、と諦めモードに・・・。

パソコンの年賀状ソフトを見ると他にも2つある。それで遊んでいると時間はあっという間に過ぎる。それに飽きると、携帯料金が余っていると思い、東京の姪に携帯で電話する。

元気そうだった。次に予定している海外の行き先を話すと行きたいと言う。連れて行ってあげるというと、勤めているので長期は休めないらしい。働いていたので平日、休めないことはよくわかる。

いつか一緒に行こうと言って電話を切る。話すたび、若い姪から教えられることも多い。

教えられることといえば、投稿したブログの過去のものを閲覧する人がいる。それをトラフィックで逆に検索してみると何の検索キーワードで自分のブログにヒットしたのかがわかる。

それを先ほどすると自分のブログの上段にある人のブログが目についた。もちろんその人を知らない。興味本位で見ていると早稲田の社会学の先生だった。

同じキーワードでブログに投稿してもいろんな人が異なるブログを投稿する。当然といえば当然なこと。人のブログを読んでいると教えられることがある。そういう意味ではパソコンで遊んで、何かを知ろうと思えば知ることができる。また、逆にどうでもいい情報も多い。

今日は雨もあがったようなので、早めに泳ぎに行こう。今日も一日元気よく!

2012年10月27日土曜日

昨日の話

今朝はいつもより遅い起床となった。午前5時前頃、地震で目が覚める。それに続いて、電話がなる。真っ暗な部屋で鳴り響く電話の音。ナンバーディスプレイを見ると知らない番号。いつまでも鳴り響く。仕方なく、無言で受話器をとると応答なし。おかげで(?)遅い起床となる。

遅い起床は地震と電話だけが原因でなく、昨日、一日よく動いたことにもある。

昨日といえば、スペイン語の講義も大変だった。一番前の席に陣取って先生の話を聞く。「再帰動詞」の講義。ところがそれにも「直接再帰」と「間接再帰」の2通りあり、頭がこんがらがってしまう。

あるところで先生は学生に念を押す。ところがいわれることがわからなくなり、咄嗟に「じゃ、それはどういう時に使うのですか」と質問する。主語が変化して、その動詞をすべて黒板に書いて説明される。だが、黒板に書いてある原形についての説明がない。それを聞く。

講義中、先生から「質問がありますか」と聞かれてもシーンとしている。その静かさの中での咄嗟の質問。思ったときには口から声を発していた。

講義後、先生から「わかりましたか」と聞かれる。日本語のその動詞の意味がわからない旨話すと、先生から「スペイン語で考えましょう。その方がわかりやすいです」と言われる。

確かに先生の言われることがあたっている。日本語に置き換えているとわからなくなる。外国語のニュースを聞いてもそのまま聞いて理解するように。

講義後は疲れた頭を冷すかのように陶芸家が迎えに来てくれる場所まで歩いて移動。広いキャンパス内を歩いていると、まるで山道を歩いているようで気持いい。

陶芸家と合流して、ランチを食べて自宅の工房に伺う。いろんなコトを話す。話していると、来客がある。市内で有名なウッドハウス・レストランの女性経営者だとか。前日も広島市内から男性のレストラン経営者が訪れたらしい。

聞いているとその人の人との付き合いは広い。昨日の来客者に立花隆の講演会で知り合ったと紹介される。

人といえば、話しの中で2人の人の話が出る。昨夜、すぐに図書館へその人たちの本を予約する。

茨木のり子と山野井泰史の2人である。

帰り際、工房横の広い庭に出て、「ほととぎす」などの花をもらう。チューリップの球根を植えたと聞く。その花が咲く4月、広島市内のデパートで個展があるという。

今日は遅い起床でもうお昼。今から自転車で今日の行動開始。さあ頑張って・・・。 

2012年10月26日金曜日

「心豊かな老いとは」

今日も寒い朝を迎える。一日ごとに寒さも増してくるのだろう。起床後すぐにエアコンの暖房を入れる。しかしまだ加湿器を用意していない。

身支度を整え、朝食をとりながら朝刊を読む。新聞の目に付く箇所は決まってくる。今朝の地元紙を見ると「くらし」欄に「心豊かな老いとは」と大見出しがあり、「楽しめば周りも明るく」と小見出しがある。

それによると今年100歳以上の高齢者が5万人を突破し、長い老年期を心豊かに過ごすことが問われている。この5万人の内、男性はその1割強で大半は女性の高齢者である。

100歳まで生きられるかどうかわからない。また先のことまで考えたこともない。だが、同じ生きるなら、元気で心豊かに生きたい。その秘訣を放送大学准教授の星薫が応えている。

星は「アンチエイジング」ならぬ「サクセスフルエンジング」に関心を持つことをすすめる。

それをアメリカの大学の研究報告から4つのポイントをあげる。
1 創造的な活動をする
2 学ぼうとする向上心を持ち続ける
3 遊ぶ時間を作る 
4 できるだけ多くの人と付き合う

大体当てはまるように思う。しかし1の「創造的な活動をする」は当てはまらない。この活動とは何かを作り出すことらしく俳句やそば打ちなどがあるという。この点については何かを始めるように考えよう。

とはいっても、この4点を義務感からするのではなく、心から楽しいと思ってすることが心豊かに老いるこつだと星は述べる。

今日は午前中、講義を受け、その後大学近くに住む陶芸家に大学まで迎えに来てもらう。合流後、車でイタリアンレストランへ行き、ランチを食べる。初めてのお店だった。大学近くにあるためかお客は女子学生が多い。美味だった。

食事を終えると陶芸家の工房に行く。大きな雑種犬の「又三郎」の出迎えを受け、夕方まで話す。

その人が陶芸家になった謂れなど聞く。陶芸を職業とすることは農家の人が大根を作ることと同じだという。芸術のためでなく、生きるための職業。死ぬまで続けるとその決意を語る。

そんな話を聞くと、甘い考えで生きていると気づかされる。

そう話すと、何十年も会社に勤めていたのだから立派だと褒めてくれる。

会社勤めの頃は確かに大変だった。それほど強気の人間でもないモノが長く会社勤めを続けた。母に何度か会社を辞めたいと愚痴るといつも「次のボーナスまで頑張って勤めんさい」といってその場を励ましてくれた。この繰り返しで何十年も働いてきた。とはいっても、仕事の終わりはリストラだけど・・・。

今、こうしておられるのもそのおかげと思えば母の言葉もありがたい!

何はともあれ、今日の新聞に書いてあるようにどんな状態にあっても、心豊かに暮らすように心掛けよう!

2012年10月25日木曜日

タンゴを聴きに・・・

ただ今の部屋の気温17.9度、湿度59%で電波時計は快適を示す。少し肌寒いけど気持いい朝を迎える。昨夜もよく眠る。

昨日は楽しい夜であった。「ピアソラタンゴナイト~ピアソラ没後20年~」と題されたモダンタンゴ五重奏団を聞きに行く。演奏場所は平和公園傍の百米道路に面した通称「青いビル」19階のライブハウス。

飲食を伴うところなのでひとりで行く勇気がなく、スペインで相部屋だった人を誘って行く。その人は昨夜改めて聞くと、何と3箇所の合唱団に所属している音楽好きの人。一人だけ楽しんでは悪いと思った。だが、楽しんでもらえたようだった。

会場への道は思い出の道。10年前、会社をリストラされて後、そのビル6階で行われていたアジアを学ぶ勉強会に8年間、参加していた。リストラ後、2週間目のある日、道の途中にある交流プラザにフラッと立ち寄ると、いろんな催しモノ案内や大学案内のパンフが置いてあった。

「大学?」と思って見ていると母の話していた放送大学のパンフがある。それを手にし、横を見ると地元の大学のパンフもあった。1部を手にすると、社会人大学生を募集している。しばし立ち読みし、家にもって帰ってゆっくり読んだ。

その年の終わり頃、入学試験が行われた。その日を境に勉強の日々がはじまる。昨夜はそれを思い出す。

ライブは始まった。100余人が入れるほどの狭い会場。チケットにはワンドリンクがついている。ビールを飲みながら演奏を聴く。テーブルがないので演奏後、ビールを手にしては拍手も出来ない。

席は前から2列目。演奏者は2メートルくらい前で演奏する。演奏が始まるとまるで「眠れる獅子」を起こすかのように、いつもとは違う自分が目を覚ます。そう、心のマグマが噴出して・・・。

モダンタンゴ五重奏団の奏でるピアソラのタンゴ。激しい曲なのにどこか哀愁を帯びている。これがまたいい。

ベースの人は広島交響楽団員。その人の話によると、「ベース」はスペイン語で「bajo(バホ)」といい、先日の定演のブラジル人の指揮者に教えてもらったポルトガル語では「baxio(バキソ)」というらしい。それは「バカ」とののしられるようで、その返事が「バキソ」。これはきれいでない言葉になるのでこれ以上は省略。それを笑って話している。

ヴァイオリン奏者の奏でるタンゴのリズム。これも素晴らしい。バンドネオン奏者は東京からの若い演奏者。ピアノ奏者は女性。ギターもいい。

16年前に結成されたとかで、うち3人は50代に突入。そのためタンゴ五重奏団ならず、カイゴ五重奏団だと言って会場を沸かす。その言葉は全く当てはまらず演奏は若々しい。

あっという間の2時間だった。演奏終了後、聴衆よりも先にエレベータ前に立って深々とお礼をいって客を見送る。これにはビックリ!こちらの方こそ頭が下がる。次回も行こうと思う。

演奏会へ行く前、早めに家を出て県立美術館で開催中の「ヴェネツイア展」に行く。20年位前に出かけたヴェネツイア。その光景は今でもはっきりと覚えている。それくらい他の場所とは趣を異にする。

美術館は平日午後のため、人出は少ない。ゆっくり見て廻ることができた。

その後は、デパートを見て歩く。どこも人は少ない。6時に一緒に聞きに行く人と軽くスペイン料理を食べて演奏会場へ行く。会場で飲んだグラスビールは美味しかった。

そういえば一緒に行った人から、スペインで外尾悦郎氏と写った写真をもらう。一緒に行った他の人からもらったというCDに外尾氏と大きく写った写真があるのは知っていた。だがそれはもらっていなかった。それをもらって嬉しかった!

楽しい夜はあっという間に暮れる。タンゴの本場アルゼンチンへも行きたい!そのためにもスペイン語、頑張ろう!

2012年10月24日水曜日

凝り固まらずに

今朝はこの秋一番の寒さだとか。天気予報によると最低気温摂氏10度。寒い!今朝初めてエアコンの暖房を入れる。寒いとよく眠られる。また、前日動くとさらによく眠る。

昨日も一日中よく動いた。昼前から講義を聞きに大学へ行く。行く前、大学から後期の授業料振込みの請求書が届く。後で振込みに銀行へ行こう。

講義では「点過去」が終わり、次回の講義から「再帰動詞」に入る。このキーワードは日本語の文法にはない。スペイン語の文法も大事だけど、それに伴う語彙も増える。新たなことを習うのは大変。だが、こうしてそれに夢中になる自分が好き。「下手の横好き」はまさに私のためにある言葉?

一つのことに一生を夢中で過ごす人と、いろいろと手を広げて過ごすモノがいる。

たけしは本で書いている。何か転んだときの防御策として手を広げてやっている、と。それは漫才師、タレント、映画監督、俳優、ピアノ演奏、著作など。そんなニュアンスを本に書いていた。

短大を卒業して会社に勤めた頃から、一つ決めていた。決して会社人間にだけはなるまい、と。その間、いろんな「稽古事」に手を出した。

その気持は今になっても変わらない。何かできるようになると、他にもまだ楽しみがあるのではないかと思う。その度、たけしの気持が伝わってくる。

だが今はそれも飽和状態。やりかけたことを頑張って続ける、それしかない。スペイン語もそう。

授業が終わると市内へ移動してフルートのレッスンを受ける。

家でフルートの練習をする度、楽にきれいな音が出せたらなあ、と思う。そう思って吹いていい音が出ると、次のレッスンでそのことを先生に話す。毎回、毎回いろんなコトを話す。それでもなかなか思うようには吹けない。昨日もその話をすると、先生は聞いてくださる。そしてさらによいアイデアをいただく。

吹いている途中、息継ぎを鼻からするようにとのアドバイス。口で息を吸うので吹いていると楽器が動く。レッスンでそれを習っていると、息が出来ない。家でゆっくり練習しよう。

今さらっている曲は1小節に3連譜の16分音符が8つもある。指使いが大変。だが先生からさらってもらうと難しい曲でも吹けるようになる。これは不思議。これが「習う」ということだろう。

レッスン後、少し雑談。昨夜は、先生からちょっと褒めてもらう。年齢を重ねていても「おばさん、おばさん」してないらしい。何歳になっても人から褒めてもらうと嬉しい。ありがとうございます!

「おばさん、おばさん」になっていなくても、以前ブログに投稿した「女でおじさん」になっているかもしれない(笑)。いずれにしても、一つのコトに懲り固まらず、いつまでも柔軟に対処できるヒトでいよう!

今日は、夕方近くから県立美術館で開催されている「ヴェネツイア展」に行き、その後、スペイン旅行で同室だった人とピアソラのタンゴを聞きに行く。

今日も一日元気よく、楽しんで!!

2012年10月23日火曜日

『異国を楽しむ』

いつものように図書館で借りてきた本、『異国を楽しむ』(池内紀 中央公論新社、2007年)を読んだ。著者のエッセイを読むといつも「そうそう、これよこれよ」と気づかされ、また上手く言い当てている。

10数年前、市内西区にある泉美術館で開催された筆者の講演を聞き、そのあとで本にサインをしてもらう。名前と挿絵入りのサインだった。筆者はそれよりも前、NHK・FM「日曜喫茶室」のコメンテータとして出演されていたころに知る。

ドイツ文学者である筆者は「カタコトの外国語…」をと書いているが、本人に限ってはそれは違う。

またいつものように気に入った箇所をメモしよう!

「やがてハタと気がつく。海外旅行は異国へ旅するのではなくて、自分が一人の異人になることらしいのだ。自分にまつわるもろもろ、いっさいが無効になる。いまや地位や肩書きはおろか存在すらも怪しい人間であって、外務大臣に保証のハンコを押してもらわなくては、どこであれ通用しない。存在すら認めてもらえない。…ともあれ、ときおり異人になってみるのも悪いことではないかもしれない。異国を知る以上に、もっと別のことに気がつく。たとえばの話が、そもそもカタコトの外国語が通じただけで、どうしてこうも相手とわかりあった気持がするのだろう。…異国を楽しむと同時に、異人としての自分を楽しむ。これまで夢にも思わなかった特性が眠っていたかもしれないのだ。まごついたり、ハラハラ、ドキドキのときに、もっとも正直に人柄がでるものだ。」(ⅷ)

「足が軽い。全身が宙に浮いたぐあいだ。ライトを浴びたように、まわりが眩しい。それもそのはず、期せずしてハレの舞台に立っている。異国という背景と、異国語という音楽つきのドラマの主役になった。海外旅行を夢見ていた理由が少しわかった。日常や暮らしのなかではワキ役がせいぜいだが、国を出ると、一人舞台の主役になれる。」(45-46p)

「言葉の壁につきあたる。これこそ海外旅行のダイゴ味であって、とても大切な体験なのだ。言葉の壁の前で往きくれてこそ異国は楽しい。」(149p)

「外国語は赤ん坊スタイルが最高だ。カタコトにかぎる。全身表現がやっと単語のつらなりになった。だからこそ相手に伝わっていく力がある。誤解の入りこむ余地がない。・・・カタコトは、こちらの土俵に招き入れることなのだ。…それにカタコトは穴ボコだらけで、それを相手が埋めてくれる。実質以上の力を見てとり、実態以上を感じ取ってくれる。」(151p)

「どこに行くにせよ、私は葉書の形の白い紙片に『おはよう』『こんにちは』『ありがとう』『さようなら』といった相手先の日常語を書いて、透明なファイルに入れている。いわば言葉のパスポートというものだ。」(159p)

「カメラ一つをとっても、ちょっとした役目をさずけると、思いがけない発見がある。異国がガイドブックにはない姿をのぞかせる。少し用向きのあるほうが、旅が何倍もおもしろくなる。ずっとヒマだと人間は何もしないものだ。」(164p)

「『ホワット・アム・アイ・ドゥーイング・ヒアー?』旅の途中、広場のベンチで休んでいるとき、ふと思い出す言葉がある。旅行好きのイギリスの作家が旅のエッセイ集のタイトルにしていた。いま自分はここで何をしているー旅先だと、日本語よりも英語のほうが気持にあっているらしく、英語のホワット・アム・アイ・ドゥーイング・ヒアーが泡つぶのように浮かんでくる。…帰る日が近づいてくる。ほんの一週間か十日だというのに、いろんなことがあった。奇妙な出会い、見たもの、出くわした人、切れぎれな印象があらわれては消え、廻り舞台のシーンのようにつながっていく。このような旅中の心ばかりは、どんなレンズでも写し取れない。」(167-168p)

「旅の終わりに、ぜひともやっておきたいことがある。メモ帳に特別の頁をつくって、旅行中に思ったり、気がついたりしたことを書いておく。印象なり、感慨めいたことではなく、もっと具体的、かつ切実なこと。靴下や下着の数といったことだ。持参してきた小道具や薬や食べ物のこと。時間の使い方、その他なんでもいい。」(173p)

「出発には勇気が要る。旅立ちのときの勇気は誰にも覚えがあるのだろうが,実をいうと、旅を終えるときの勇気のほうが大切な体験なのだ。そこにはこころなしか、人生に必要な人生の兄弟分といったところがある。」(181p)

「おもえば箱の人生である。生まれたときの幼児ベッドから、学校にあがってのちの教室、勤め先のオフィス、はては死のあかつきの棺まで、一生は箱で始まり、箱で終わる。…旅行はどうやら、つかのまの箱からの解放らしい。家庭や職場といった箱からの解放。母国や言葉や風習という箱から解き放たれた。とはいえしばらく別の地の別種の箱の生活をしただけであって、俗に『パック旅行』といわれるように、とりわけ異国旅行は入念にパッキングされている。解放という幻想がきれいに箱詰めされている。」(191-192p)

「『人生はこの世の旅』などというから、命の終わりも旅の終わりと似ているのだろうか。…旅と違い命の場合は、終わったと判断できる自分がいない。しかし、終わりである限り、旅の終わりと同じように、半ばがた明るい何かが混じっているのではあるまいか。」(194p)

まだまだ、異国を旅する気持は衰えていない。この本のようにこれを読んで異国を旅する参考としよう。

今日は朝から雨。外は薄暗い。夜半は一段と寒くなるとか。

今日はお昼前から講義を受け、その後市内へ移動してフルートのレッスンを受ける。さあ、今日も一日元気を出して!

2012年10月22日月曜日

墓参りをして・・・

情報で昨夜はオリオン座流星群が夜10時頃から見えると知る。2階のベランダから空を見上げても、まわりが明るすぎて何も見えない。関東辺りではそれも見ることができたと人のツイッターで知る。

先日の月命日に母の墓参りに来なかった姉夫婦は、今朝我が家にやってくる。来るたびいろんなものをもらう。今日は新米、ピーマンとホテルのディナー券(ペア)をもらう。姉夫婦からいつももらうばかり。だが、このお返しは姪たちにいく。

先日一人で墓参りを済ませた。だが、今朝も一緒に車で墓参り。姉は墓碑銘を見て父が亡くなった年齢を確認する。墓碑には数え年で記入されるため、年齢的にはほぼ日本人の平均寿命まで生きている。しかし、今の医学ならばもっと生きられた病気。当時は七十歳を超えると父の病気の手術は出来なかった。医師からそれを告げられた父は坂道を転がるように衰えていった。

専門医から手術を断られ、病気とは関係ない近くの医師から毎日往診してもらった。だが日々衰えていく父を母は限界と感じながらも介護した。今朝そのことを姉から聴く。

当時は仕事をしていた。そのため、父のことはすべて母と姉に任せていた。父は専門医の予想通り半年の間に家で亡くなった。その母も父の死後、22年経って亡くなる。それでも母は父と比べれば随分と長生きだ。

墓参りの度にいろんなことが頭を過る。

姉夫妻と別れた後、定期健診で歯科に行く。「病院へは近づくな」と言われる。しかし、「歯」は大事。行きたくないけど元気に過ごすためにはそれも仕方ない。

元気といえば、昨日も泳いできた。いつもは背泳ぎとクロールを半々に泳ぐ。しかし、昨日はプールにいる人も3,4人で空いている。話す人もおらず、黙々と泳ぐ。15往復したあたりからクロールで泳ぐと足がだるくなる。最後の4往復の200メートルは背泳ぎで泳いだ。

泳ぐ人が少ないのでゆったり泳ぐことができる。そういう時は背泳ぎで泳ぐ。昨日も全部で1キロ泳いだ。泳ぎ終えてシャワーを浴び、終わった時刻を見ると泳ぎ始めてから1時間経っている。

31度の水温でも1時間プールにいると体が冷えるのだろう。その後はいつも鼻水との格闘が続く。

その鼻水も出なくなると体に良くない。なんであれ、楽しみながら泳げばそれでいい。そして健康を維持して・・・。

午後からからは、フルートの練習をしよう!今日も一日頑張って!

2012年10月21日日曜日

「一度きりを生きる」

今日も朝から清清しい!だが、家の外では朝早くからにぎやか、にぎやか。祭りの神輿に大勢の子どもたちが繰り出し、太鼓を叩く音もけたたましい。

一昨日と昨日の2日ほど、就寝時刻が遅くなる。遅い目覚めは太鼓の音での起床となった。

その昨日夕方、NHKで再放送された高倉健の番組を見る。どうしても見たかった番組。いい番組で感動する。その人の本を何冊か読んでいる。その内容とダブっているところもある。しかし、ゆっくりとかみ締めながら語る言葉は見るものの心を打つ。

書物は『男としての人生』、音楽は「希望という名の光」とか。この曲を先ほどYOU TUBEで検索する。私にとってはこの曲は何の感慨もない。人それぞれ、好みが違って当然。しかし話す言葉は深みがある。

「実在でも架空でも人の生き方から力をもらっていますよ」、「身を捨ててもいい人に出会ったかどうか僕はそう思ってやってます」と話し、「一度きりを生きる」人の力強さが伝わってくる。

「一度きりを生きる」とは何度もやり直さず最高の気持が高ぶった瞬間に演技が生まれるということらしい。それを凡人に当てはめると瞬間瞬間を大切にして生きるということになるのだろう。

いずれにせよ、高倉のように一生情熱を燃やして仕事をする人は素晴らしい!

10年前から仕事を離れ、毎日自由気ままにやりたいことをしているモノと「一度きりを生きる」人とではかなり生き方が異なる。

とはいっても仕事をせず、自分のしたいことをして生きることもこれはこれで楽しい!

昨夜も幼馴染と夕飯を食べながら話していると、いろんな面で自由があるからできるといってくれる。そうかもしれない。だが、誰でもしたいことはできる。できないことを金銭面からいう人もいるけれど・・・。

それについては今朝、人のツイッターを見て面白いツイッターにヒットした。それは「金がないから何もできないという人は、金があっても何もできない。阪急グループ創始者/小林一三 」(名言太郎のツイッターより引用)。

確かにそう思う。お金といえば昨日読んだ人のブログにも「大きくて大切なものを得るためには、目先の小さな欲望を捨て去ることがとても重要だということを、当り前のことなのですが、強く感じました。そしてお金を回すということの重要性も。回すほど帰ってきます。そしてまた回します。回転数が早いほど笑顔も増えます。」と書かれている。

このように、いろんなことをすることは金銭とはあまり関係ない!?

今日は今から祭りの喧騒を逃れて泳ぎに行こう!今日も一日元気で!

2012年10月20日土曜日

広響&情報etc.

日一日と朝晩は寒くなる。

昨夜は広響を聞きに行く。昨夜の演奏題目は「死は最良の友であるーモーツアルトの言葉ー」。座席は前から4列目の中央辺り。いい席なのだが前過ぎて首が疲れる。でも一つ知ったことがある。それは演奏後、指揮者が会場を去って控えで何をするのかということ。

舞台の袖の人はタオルを手にして待っている。すると演奏を終えた指揮者がそこへ入るとすかさずタオルを手にし顔を拭う。こういう場面も前の席中央にいたから見られたこと。拍手が鳴り止まず何度も舞台と袖を往復する。その度にそうだった。

それとも昨夜は外は寒いのに会場が暑かったから特別そうだったのだろうか。

それにしても精力的な指揮ぶりで全身を使っての指揮だった。太鼓を叩く音が入ると自分の右足をトントン打ち鳴らし、かなりの運動量になる。演奏後、顔を拭う意味もわかってくる。

前の席に座るときは昨日のように誰かに焦点を絞って演奏を聴くのも楽しいかもしれない。

演奏会のある日は寝るのが遅くなる。それに加えて昨夜は、大学で知りあった学生に美術館の情報を知らせるショートメールをする。真夜中の就寝となった。

昨日、若い学生に人からもらった、ひろしま美術館の招待券をあげた。彼女は小学校の教員になる勉強をしている。教員のサブとして美術の教員資格も取ると話していた。当然美術館へ出かけることも多いだろう。

寝ようとするとき、ひろしま美術館へは学生証を提示すれば入場できたことを思い出す。すぐにパソコンで検索するとひろしま美術館と大学はキャンパス協定を結んでいた。そのため、学生証を提示すれば美術館へ無料で入場できる。それをショートメールで知らせる。

今年になってからそのことを忘れていた。そのため、特別展に行くと必ずチケットを買った。これからは学生証で入場しよう。

情報を知ることは大事なこと。情報といえば先日友人に立花隆の講演会開催をFAXで知らせた。先ほどメールでその日はいつか知らせて欲しいと入る。その人は送ったFAXがわからなくなり、また11月と勘違いしていたらしい。それは終了した旨、電話で話すと遊びに来るようにと言われる。

その人は大学近くで陶芸の工房をもつ陶芸家。昨年スペインヘいく前、久しぶりに会っている。会うのはそれ以来。来週の講義後会うことになった。

芸術、特に美術に疎い。その人に会って刺激を受けよう!

今日と明日はわが町のお祭り。家の前の集会所には子どもたちの鬼を追っかける声がする。今年もまたにぎやかなお祭りとなりそう。

こういうときは家に居たくない。幼馴染にそう話すと逆に我が家に来るという。今夜は2人で女だけの宴が始まる。これからその食料調達にスーパーへ出かける。

食料といえば一昨日の定例会ではテーブルに柚子塩などの柚子の調味料がおいてあった。出てくる料理に柚子の調味料をかけると美味だった。

スーパーへ行って柚子塩を買って帰ろう。そしてそれをわかちゃんと2人だけの宴に出そう。

その前に今日は他にも午後4時から楽しみが待っている。今朝の新聞を見ると先日見られなかった高倉健の再放送がある。まさかまさかの再放送。TVを楽しみに待つ・・・。めったにないこと。

今日も楽しい一日に!!

2012年10月19日金曜日

頭の中はフル回転!?

今朝は今季一番の寒さだった。これから一雨ごとに寒くなっていくのだろう。

寒いといえばフルート定例会の昨夜もそうだった。いつもの時間にいつもの人といつもの場所に集合する。毎月開催場所は異なる。昨夜もはじめていくお店だった。

入店すれば先ずはビールで乾杯。先日のフルート発表会や忘年会の話も出る。働いていないので、どのくらいまでが忘年会かわからない。改めて忘年会を辞書で調べると「その年の苦労をわすれるために、年末に催す宴会」とある。それならば、12月中旬辺りから年末までの食事会はすべて忘年会になる?何でもいいけど、こういったことは外国でもあるのだろうか。改めて知りたくなる。

昨夜も少し酔ってしまった。アルコールを飲むのだから酔うのは当然。途中、尾道の人からドリンクをもらって飲んだけど、家に帰っても酔っている。ドリンクありがとうございました!他にも知人から「島」と「山」の写真をもらう。ありがとうございました!楽しかったですね!

来月も定例会の日付を忘れずに・・・。

ぐっすり眠って今朝も2コマ目の講義を受けに大学へ行く。大学近くのJR駅の今朝の乗客は13人。この線はこれまで乗車したなかで最多の人数。何があるのだろうと驚いてしまう。

今日の講義で先生から皆、何かの質問を受ける。ある文を訳し、現在から点過去にするところでつまずく。ponerの点過去、「私」はpuse(eにアクセント記号がつく)になるが、「彼、彼女、あなた」はpuso(oにアクセント記号がつく)になる。文脈を見て主語は何かを探すが、その点過去は予想もつかない変化の不規則変化となるため頭が変になりそう。だが、このponerは今日のことがあるので多分これから大丈夫。

先生曰く「僕も悩みながら覚えました!」。スペイン語の動詞は何百、何千にも変化する?

前期でやっと覚えた現在形。それも一瞬忘れそうになる。かなりの頭の運動になる。

頭の運動といえば、講義前廊下で所属する研究会の先生とすれ違う。「どうしてここに?」と聞かれ「スペイン語・・・」と言ったけど、「老化防止に来ています」と言えばよかった。残念!

講義後バスの時間まで図書館に寄る。大学の情報誌を手にすると椎名誠の学生とのインタヴューが掲載されている。それを持って帰り、さらに『観光旅行の心理学』(佐々木土師ニ 北大路書房、2011年)を借りる。

昨日、まだ先のことだけど福岡のJTBに海外旅行を申し込む。行き先は日本からかなり遠くの地。一緒に行く人も見つかりそうにない。でも一人で参加予定で申し込む。なんと、講義後、家に着くと航空便で旅行資料一式が届いている。申し込むのも早いが旅行社もすることが早い。

ラオスで3度も申込金を振り込んだ経緯がある。今回はしばらくそれはそのままにして置く予定。

それにしても観光旅行をするにも心理学者がそれを論じているとは驚く。自分自身、なぜ海外に行くのか、なぜ国内旅行をするのかと問われて、そこにどんな心理が働くのか考えて行動したことはない。

しかし、海外旅行をし始めてから積極的に行動するようになったのは間違いない。

それを知るためにもこの本に関心がある。読み終えたならそれもブログにアップしよう!

今日は夕方から広島交響楽団第323回定期演奏会に出かける。指揮者にクラウディオ・クルスを迎え、演奏曲目は下記の通り。

♪ シューベルト(マーラー編曲):弦楽四重奏曲14番ニ短調D.810「死と乙女」(弦楽合奏版)
♪ モーツアルト:交響曲第39番 変ホ長調K543

聞きに行く楽団は地元にある。地方のオケは財政的にも苦しいらしい。今日届いた楽団からの郵便物には一口千円以上の寄付を募る振込用紙が入っている。

個人で千円以上ならば企業は桁が違うだろう。貧乏人はそれほど多くの寄付はできそうにもない。

いろんなことで頭の中はフル回転状態。だが、とりあえず今夜はゆっくり音楽を聴こう!

2012年10月18日木曜日

元気を出して

今日は母の月命日。母がいなくなって早くも1年8ヶ月になる。姉は昨夜の電話で今日の墓参りはできないという。姉との墓参りの都合が合わず、今朝は一人で墓参り。一人のときは供える花などの用意がいる。

朝食を済ませて墓参りをする花を買いに行く。その時刻はスーパーが開店していない。最寄駅に出かけて花を買い、自転車を家に置いて歩いて墓地に行く。今朝はいつもの道でなく違う道を散歩しながら行く。

前日の雨のためか墓参りの人は少ない。墓の後に立てている数本の塔婆。半分くらいはひっくり返っている。それを元通りに立ててから墓参り。少し淋しさが過るが、それは以前ほどでもない。

それでも時々思う。母はかなりの年齢まで一人で墓参りをしていた。その気持は今の自分と同じ気持なのだろうかと・・・。

家に帰るとすぐに自転車に乗ってスーパーへ行く。スーパーへ行く途中、寒い頃、いつも線路脇に座って果物を売っていた人を見かける。今朝はみかん箱を4つ台車に置いて引いている。通り過ぎると「みかんはどう?」と小さい声で言う。1年ぶりくらいでその人を見る。しかし、この人には声をかけることができない。余りにも気の毒すぎて話しかけられない。

買い物を済ませて帰ると郵便物が届いている。役所関係の書類だった。すぐに済ませなくてもいい書類。昼食を済ませるとその用事のために再度自転車で出かける。出かける前、水道料金の検針の人が来る。2ヶ月前、水漏れがあった。その際、すぐに水道の元栓を締めた。今朝、検針後、その人と話をすると通常よりも千円多いとか。これだけでよかった。

その帰り道、銀行の前でお寺の世話をする人に出会う。自転車を降りてしばし立ち話。話をしていると3泊4日で県北に位置する比婆山へ行くという。「行きたい!」と言うと明日からだった。明日は講義がある。今のところ講義を休んでまで出かけようとは思わない。「いつか連れて行ってください」といってその場を離れた。

家を一歩出るといろんな人に出会う。気候がよいため皆、家に居ずに外に出るのだろうか。

今日は朝から元気よく自転車で動いている。動くのは昨日の運動指針を気にしているからではない。それよりも昨日の雨であまり動かなかった反動?

今日は夕方からフルート定例会に出かける。さらに元気を出して今夜も遊ぼう!

2012年10月17日水曜日

運動指針(エクササイズガイド)を読んで

今日は朝から雨が降っている。こういう日は、家の中でじっとするようにとの合図?

毎日よく動いている。昨日は、昼前講義を受けに大学へ行く。火曜日の教室は狭くて変更となる。だが、狭い。聞くところによると再履修の学生もいるとか。そのため受講者数も増えたのだろう。

風邪で休んでいた隣の彼女も元気な顔で出席。昨日は一箇所どうしても納得できないことがあった。帰りのJRでその疑問を解く。スペイン語は主語を省く。そのため一瞬、主語に戸惑う。かなり逡巡してやっと疑問も解ける。

広島駅に着くと、しばしティータイム。一休みしてフルートのレッスンに行く。先週からレッスン時にICレコーダで録音している。その録音は聞けたものではない。だが復習になる。

レッスンでは先ず、チューニングメータでラの音を合わせる。吹き方がいいとチューニングに近い音になる。一つずつの音がいい音で吹ければ、曲になってもいい音になる。それには口の中を広く・・・して吹く。理屈ではわかっていても思うように吹けない。

昨日レッスン時、先生の言葉から中国語の「bu」の発音の要領で吹くことを思い出す。1年以上も前、その発音をするように吹くとチューニングメータに近い音となる。

何度も先生から聞いても自分のものとして理解できていない。フルートは頭で覚えるものでなく、体で覚えることの意味がわかる。たとえその時いい音が出せても次に出るとは限らない。それには練習をするしかない?

レッスンを終え、ビルの下で知人に出くわす。昨日は早めのレッスンになったとか。立ち話をして別れ際、明日のフルート定例会を「覚えている?」と聞かれる。

いつも知人と話をして「覚えている?」と聞くとその返事は「覚えていない」。

昨夜はそれが逆襲に転じて、思わず噴出してしまった。

この「覚えている」「覚えていない」がわからなくなると老人性痴呆症になる。今朝の地元紙のトップに「70代以上も運動のすすめ」と大見出しがある。小見出しには「『健康寿命』を延ばす」ことを厚労省の運動指針(エクササイズ)の改定方針と決めている。

それを見ると水泳7,8分で1エクササイズ。それを1週間で23エクササイズ以上を推奨する。水泳7,8分がどれくらいの泳ぐ距離なのか計ったことがない。だがこれを時間になおすと180分で3時間となる。

泳ぎに行ってもせいぜい1時間くらいのもの。3時間ならば週3日となる。それはきつい。だが他にも自転車に乗ったり、遊びに出かけたり、買い物などで動いている。

政府の薦めるその年齢にはまだ達していない。だが新聞を見ても、積極的に体を動かすことが健康維持につながるらしい。

今の日常の動きをこのまま続けていく、できることはこれしかない。

しかし、今日は雨。いつものように自転車で活動できそうもない。歩いてスーパーへ行こう!

2012年10月16日火曜日

「楽しい刹那の集積が人の人生だ。」

今日も清清しい朝を迎える。こんな気持いい日はいつまで続くのやら・・・。

ブログを投稿しているとドアホンがなる。わかちゃんだった。昨日と一昨日小豆島へ行ったという。手にはオリーブの植木鉢を持っている。小豆島はオリーブの島で有名。そのオリーブを買って持ってきてくれた。今年の冬、大きく育っていたオリーブの木を枯らしてしまった。その代わりが届いて嬉しい!

話は変わって、昨日のブログで「時持ち」を投稿した。その際「時持ち」を勝手に楽しい時を過ごす、持つと投稿。嫌な時を過ごすより楽しい時を過ごす方がいい。そう思ってそう書いた。

昨日いつものように図書館で借りてきた『ぼんやりの時間』(辰濃和男 岩波書店、2010年)を読むと、著者は深沢七郎の本から「楽しい瞬間を楽しみながら生きてゆく、というのが深沢の一番いいたいことの一つだと思う。」(76p)と書いている。

それは「苦しいとき、痛いとき、もあるはずだが、嫌なことは忘れればいいのだ。・・・・とにかく、嫌なことは忘れて、楽しい瞬間をなるべく多く作ることだ。そのために稼いだり、乗り物に乗ったりするのだ。稼ぐのは面倒くさいことだが、楽しい瞬間を作るためにはそんな仕度が必要なのだ。私はボーっとした瞬間が、とても楽しい。人はそのヒトだけしか知らない楽しいことだってあるのだ。」(75-76p)で深沢の『生きているのは暇つぶし』から引用している。

著者によると「楽しいことが少なく、苦しいことの多い暮らし方を深沢は嫌った。重い荷を背負って遠い道を行くのが人の一生だといっていいのか。そうではないはずだ。人の一生は『刻』であり、『瞬間』であり、『刹那』である。そのときそのときが『その人の人生』なのだ。そのとき、そのときというのは、うまいものを食べたり、美しいものを見たり、恋をしたり、喜んだり、楽しんだりするその刹那刹那である。楽しい刹那の集積が人の人生だ。」(76p)と述べている。

これを読んで、深沢七郎に興味を覚えた。早速図書館で本を予約。

生きている瞬間瞬間を楽しく生きる、これが出来れば幸せな人生間違いなし。

もう少しすると講義を受けに大学へ行く。その後はそのまま市内へ移動してフルートのレッスンを受ける。自分のしたいことをする、これも自分にとって楽しいこと。

もらったオリーブの木は家に帰ってから大きな鉢に植え替えよう!

今日も一日楽しく!

2012年10月15日月曜日

「研修ですから・・・」

今日も朝から気持いい!ずっとこのままの気候だったら・・・と思えるほど気持ちいい。ラジオのFMからも秋らしい音楽が流れる。

パソコンを起動するとBGM代わりにYOU TUBEのフルートレッスン曲を流す。それも止めてしばしFMを聞く。

朝食を終え、その間にしていた洗濯も終わって洗濯物をベランダに干す。こうして今日も一日が始まる。特別用のない月曜日はプールに出かける。しかし今日は毎日遊び歩いているので行くかどうか考え中。

考えながら昨日の遊び三昧の一日をブログに投稿する。

昨日の女子会でも新しいことを知る。食べて、飲んで、しゃべりながらメモしたり・・・。集合場所は新幹線口のホテルロビー。午前11時集合から夜まで話は止まらない。

それぞれ決めていたドレスコードで登場。先ずはロビーで記念撮影。各自趣向を凝らしている。

その後ホテル最上階で4人で食事。だが、開店までちょっと時間がある。それなのにホテルの人から歓待を受ける。わざわざ別の場所で飲み物を出してもらう。この親切にびっくり!目の前にはビールが・・・。

4人ともアルコール類OK。誰彼となく「ビールは水ですから・・・」。しばらくして開店時刻になる。飲んでいる途中のビール。場所をかえての食事にビールを持っていこうとすると「もって行きますから・・・」とホテル側。各自の顔とグラスのビールの量を覚えて、ビールはテーブルに。

通常のランチでなく「クレーム・ブリュレ」を食べたい、という人の言葉からセレクトランチにする。このカタカナの名前のデザート。初めて知る。美味しかった!

4人とも今年は海外に出かけている。フランス、イタリア、ドイツそして中国、ラオス。先ずは海外の話から始まる。

海外の話はいつしか「大人の遠足」「大人の修学旅行」をしようと話はどんどんエスカレート。この「大人の遠足」が面白い!

先ずは日帰りバスツアーで「大人の遠足」?

究極は女子会は「研修ですから・・・」。「遊び」でなくすべては「研修」!?。これもいいアイデア。

それにしても場所を替えながらホテルに長居をしてしまった。それなのにホテル側から歓待されて・・・。ホテルを出ると新幹線口で皆で夕飯を食べて一日は終わる。

そのホテルではいつも義兄や友だちからもらった株主優待券を使用する。それだけでも10%の割引になる。それなのに昨夜はホテルズカードを作るようすすめられる。それがあれば優待券よりもさらにJR系のホテルで各種割引が受けられる。以前も持っていた。しかし、カード類のほとんどは仕事をやめて以降持たないことにした。

それが今年になって旅カードやホテルカードなど言われるままに持つようになった。これももっともっと遊べとの天の声!?

遊ぶといえば楽しい時を過ごすこと。楽しい時を過ごすことは楽しい時を持つ。これは「時持ち」だとか。話のなかでこの「時持ち」というキーワードが出る。初めて聞く言葉。

人の一生、時間に限りがある。同じ生きるなら笑って楽しく過ごしたい。

「金持ち」より「時持ち」。両方が一番いいけど金持ちは到底無理。しかし、楽しく時をすごす「時持ち」にはなれそう。毎日を楽しく・・・。

今年の女子会のフィナーレは忘年会。さてさてそれも楽しみ!昨日の耐久レースも無事終了。食べては笑い、飲んでは笑い、しゃべっては笑いと楽しかったね。次は忘年会で会いましょう!これも「研修ですか!?・・・」。

2012年10月14日日曜日

女子会へ

人のブログを読んでいると「お味噌汁の中のもわもわ」としたような雲は巻積雲というらしい。新たなことを知るたび、何もわかってないと改めて知る。

昨日幼馴染と家で話している「御朱印帳」を知らなかったというと笑われてしまった。

さて今日も気持いい朝を迎える。こんな気持いい日は一年のうちでも多くない。

そんな気持いい日に、半年振りの女子会をする。ドレスコードを決めての出陣だ。

女子会の人たちは働き始めた20代の頃からの友だち。その中には当時まだ学生の人もいた。皆、それぞれ立派なお母さん、奥さんになっている。ただ一人、あまり代わり映えもせずに何十年も生きているモノもいる。その人たちと時を経ても同じ気持で会って話ができる。それは幸せなこと。

今日は前回のときもそうだけど、長~い、長~い耐久レースの日。年齢、職業全く関係なし。ただ以前習っていた楽器を通じての友達。その楽器とも今は離れて愉しく会えることもまた幸せ。

今日は一日、遊び三昧!さあ、出陣!

2012年10月13日土曜日

女の旅は「自己都合」!?

いつもの如く図書館で借りた『観光人類学の挑戦「新しい地球の生き方」』(山下晋司 講談社、2009年)を読んだ。このなかの第二章「越境する日本人女性ー女たちのグローバル化」は当てはまるところがある。

中でも「国境を越える女性たち」の海外旅行については、かつてのような男性上位の領分ではないらしい(28p)。

男性の場合の40代が男性全体の22.8%。女性は20代が女性全体の23%を占め、30代の20.8%とあわせると女性旅行客の44%が2,30代の年齢階層に集中。しかし近年晩婚化・未婚化が原因で若い女性が旅行する比率は減少している。逆に50代以上の女性の占める比率は33.3%と上昇している。(28p)

更に2004年の”韓流”ブームで日本女性の越境範囲が拡大したという。(29-30p)

この点について著者は「男性優位のワーカホリックな職場社会で周縁化され、もしくは自らそうした場から『おりた』、主にノンキャリアの女性によって拡大を広げた」という(30p)。

「女性は転職にせよ(趣縁)にせよ、主に自力・自腹で越境する。より魅力的な場所を求めてその都度多方面を行き来したり、滞在したりする傾向はこの先『ライフスタイル移民』というかたちで境界線(国境)にとらわれない女性の移動を促す可能性がある」。女の旅は『自己都合』ー」(30p)として、著者はこの点が興味深いとする。

海外旅行をする女性を「ノンキャリアの女性によって拡大を広げた」は当てはまる。自力・自腹で旅をした。それは日本の会社を辞めて語学留学に来ている女性、すなわち「OL留学」と呼ばれる現象にもあるという(31p)

その底辺には日本女性の越境の文化景観を描いている。それは今日のグローバル化の意味を解く重要な鍵となるという(31p)。

例えばバリ島観光を繰り返すうち日本人女性がバリ島の人と結婚する。そこには現代の日本が失った「なつかしい」世界があるらしい。(34p)

そのことを著者は「彼女たちは日本からの『逃亡者』なのかもしれない」という(35p)。日本社会に愛想をつかし、事実上逃げ出してきた人たち。その1割の人々は日本を降りた「社会難民」として位置づけている。(36p)

それはカリフォルニアのOL留学にも当てはまるという。彼女たちは決してエリート留学ではない。脱OLを含め、日本からのドロップアウト組が多いという(37p)。

そしてそういう女性たちはアメリカ人と結婚するケースもある。海外旅行、海外留学から国際結婚にいたる若い日本人女性の「性の国際化」の現象に著者は注目する。(40p)

国際結婚は「弱者の輪」とか。女性は国際結婚をするといってもハイパーガミー(上昇婚)で、より高い地位の男性と結婚するらしい。(41p)

だからバリの日本人妻たちの多くは、移住後、日本国籍を捨て、インドネシア国籍を取得する意思を持たない。(43p)「本当の自分」を求めて旅する旅行者だという。

これは近代国家の目的であった均質的な国民国家空間の創出という物語を脱構築していくもう一つの物語となる。これこそが女たちのグローバル化の重要な意味を持ってくると著者はいう。(48p)

これを読むと日本女性の海外旅行の要因に”韓流”があったとは・・・。

”韓流”といえば韓国。その韓国のKONが昨日読んだ人のブログに登場している。初めて聞く名前。ソウル大学を卒業した天才ヴァイオリニスト。TVの「赤い糸の女」の主題歌を演奏しているという。

”韓流”も韓国も全く関心がない。それでも情報を知ったからにはTVを見る!?

それにしても読んだ本に書いてある「女の旅は『自己都合』」とは。またノンキャリアの女性によって海外旅行が拡大していったとは・・・。女性の誰でもが自らの意思で海外旅行に出かける時代になったということだろう。

2012年10月12日金曜日

「真珠の首飾りの少女」を見に行く

昨日は「九州発フェルメール『真珠の首飾りの少女』inベルリン国立美術館展 学べるヨーロッパ美術の400年」と題された美術展にバスツアーで出かける。美術展の開催場所は九州国立博物館。

ツアー申し込みが一番だったらしくバスは最前列の席。申し込み順の席順だった。隣席は一人参加の女性。初対面のその人と意気投合して楽しいバスの旅となった。

申し込む前はバスツアーにいい印象を抱いてなかった。それでもフェルメールを見たい、という目的のために手段を選ばず、バスツアーに参加。結果としては上々の出来。
龍を模した九州国立博物館概観。左に見えるは「龍」
太宰府天満宮
博物館の見学を終えると、1階上の4階の「海の道、アジアの道」がテーマの文化交流展示室を見学する。そのなかに入ると土のにおいか、何か特別な臭いがする。その臭いを我慢して見て回る。ところが展示室が暗い。フェルメールで元気を吸い取られたようで、あまり興味をそそられない。

見学を素早く済ませ、知り合った人と隣接する大宰府へ参拝する。あまり暑くもなく天気にも恵まれ、広い境内を写真を撮りながら見学する。道中、いたるところに外国人の姿がある。見たところアジア系の人たちが多い。
投稿しながら更に昨日のことを思い出す。知り合った人からもう一つパーキングエリアについて話を聞く。ほとんど車で遠出をしたことがない。そのためパーキングエリアのこともよく知らない。その人はそのこともよく知っていた。またお土産の買い方もよく知っている。

昨日はその人に釣られていろいろとお土産を買う。これもまた楽しい!

来月は神戸のフェルメールを見に行く。これもツアーに一人で参加する。バスツアーは嫌だと思っていた。だが、病み付きになる!?

多分そうはならない。しかし、何か目的がある時は目的地まで連れて行ってくれるバスツアー。モノによって毛嫌いせず使い分けて利用してよいかもしれない。

知り合った人はあまり外国へは行っていないとか。今は元気なので当分は海外を目指し、その合間に国内へも出かけよう。

昨日は朝5時に起き、午前6時36分発のJRに乗って広島駅新幹線口のバスの集合場所へ行く。早い時刻にもかかわらず列車は大混雑。皆朝が早い。我が家に着いたのは午後9時前。一日よく遊んだ。

今日は午前中、大学へ行く。いつものかわいい女性が席にいなくて、ちょっと淋しい授業になる。講義後、すぐにショートメールをすると風邪を引いて熱があると返事がある。

今日の講義の簡単な内容をメールで知らせると来週は元気に出席すると書いてある。

季節の変わり目。風邪を引かないようにしよう!

2012年10月11日木曜日

『常識にとらわれない100の講義』

常識にとらわれない100の講義』(森博嗣 大和書房、2012年)を読んだ。著者の森は『つぶやきのクリーム』を書いている。その第二弾がこの本である。森は「小説は読まないけれど・・・」と読者からメールをいただくことが多いとか。御多分にもれず著者の小説を読んだことがない。

以前にも書いたように、甥がわが子につけた名前が著者の小説の主人公からの拝借による。それ以来、著者を知り、関心を抱いて読んでいる。

この本はいつもの如く図書館で借りてきたもの。またいつものように気になるところを記そう。

「『こういうことがしたい』と語るより、まずそれをすべきでは?」では「夢はあまり語らない方が僕は良いと思っている。実現できる目処が立ってから、ほんの少し予告する程度にした方がよろしいかと。」(032-033p)と書いている。

これに関しては反省の余地がありそう。ブログで何でもかんでも書いている。でも夢は書いてないかもしれない。ちょっと戒めよう。心に秘める!?

「好き勝手なことをしていると、知らないうちに恵まれている。」では「好きなことをしようと思ったら、時間と資金と場所が必要である。・・・今やらないとできないかもしれない、と思って好きなことを始たのである。時間も金も場所も、作ろうと思ったら作れるものだ。・・・まだまだ時間も金も,そして場所も足りないと感じている。欲張っているわけではなく、そういう気持が大事だと思うのだ。不満を持っているほうが、満足しているよりも幸せだ。幸せは、満足へ向かう加速度のことだからである。」(040-041p)

「未来の大部分は,どうなるか大体決まっていると思う。」では「人間というのは、自分の思うようになるからだ。自分が望まなければ、絶対にそうはならない。望んでいるとおりにならないときもあるけれど。その多くは途中で望むのを諦めたことによる。」、「予定を次々に実行していくことは、自分に対しても他者に対しても『信頼』を築く基本的な『人間性』の一つである。そう、人間は未来を予測できる動物なのだから、それをしないと、人間としてもったいない。」(046-047p)。

「予定を次々に実行していく」は意識してやっているつもり。しかしこれも深く考えてのことではない。

「『道を見つける』とは、もっと簡単な言葉でいえば、『学ぶ』である。」では「学ぶというのは、実に楽しいもので、道を探しているときが最も心が躍る。・・・たとえうまくいかなくても、楽しさが無になるわけではない。楽しさを味わった時間はあったのだし、結果が失敗であっても、そこまで楽しめたのだから、なんだか無から有を得たような気分になる。自分はできると勝手に夢を見た、それはそれで楽しい夢であったわけで、思い出すだけでも笑みがこぼれるという体験になるだろう。」、「道を探すには、どうしても自分の思考に頼るしかない。じっくりと考えて、考え抜いて、閃きを待つしかない。結局は、そういうものが『道』らしい。」(078-079p)。

「仕事というのは、自分の趣味では成り立たない。」では「仕事よりも趣味はずっと高尚なものである。何しろ金には無関係に行うのだから純粋だ。『趣味』という日本語が、暇潰し的であり、また人それぞれ多様、という意味合いがあって、誤解されている。趣味という言葉は、『研究』に限りなく近い、という意味で、最初の一文字を読み直して欲しい。」(094-095p)。

何かわかったようでわからない。これについては今日は寝不足のため、これ以上頭が働かない。ここまでにしよう。

今日は以前から予定していたフェルメールの「真珠の首飾りの少女」を見に、大宰府に隣接する九州国立博物館へ出かけた。バスツアーに参加しての見学。何しろ朝の出発時刻が早い。今朝は5時起床。先ほど我が家に到着。

今回のフェルメールは神戸で開催の「真珠の耳飾の少女」ほど有名ではない。しかし、フェルメールの作品を見たい!という希望が適えられ、満足している。平日の昼間とあってそれほどの混雑もなくゆっくり見ることができた。

明日も朝からの講義を受けるため、早い起床。今日はここまでにして日を改めてブログに投稿しよう!

2012年10月10日水曜日

刺激満載の日!

今日も朝から清清しい。気分よくして昨日初めてフルートのレッスンで使用したICレコーダを聞いてみる。ところが、聞けたものではない。

とはいっても気を取り直して聞いてみると先生の音とかなりの違いがある。「ひっぱるように吹く」、これが昨日のレッスンで先生が話されたハイライトの言葉。

「吹く」を辞書で引くと「ものの内部から勢いが生ずる意」とある。ところが自分にとってのフルートを「吹く」は「吸う」がぴったりあてはまる。それもかなり吸って、そう「ひっぱる」ように。

折角のICレコーダ。今のところIT機器にどうにかついていっている。いつまで着いていけるかわからないけど新しいことに挑戦、はこういった機器類にも当てはまりそう。

着いていくといえば昨日のスペイン語もそう。いまのところ若者に混じって何とか学んでいる。昨日は「点過去」を学ぶ。日本語にはないと思われるキーワード。日本語でいうところの「過去形」とか。ところがスペイン語には過去形が二通あり、日本語で「~した」が「点過去」、「~していた」が「線過去」。その区別があるという。

昨日は前者について学ぶ。前期で現在形の動詞の変化を学んだ。しかし、「点過去」は現在形が規則変化してもそうとは限らない。この辺りがややこしい。それに加えてアクセントの有無が問われる。こうなると慣れるしかないらしい。

講義後は気分を変えて近いうちに予定している「女子会」の連絡メールを取り合う。女子会は4人。以前教えてもらった一斉メールをそれぞれの携帯に送信する。夜までメールが飛び交う。

今回は集合する際、ドレスコードを決めることになっている。どうやってドレスコードを決めればいいのかわからない。しばらくして、これを教えてくれた人のアイデア・メールが送信されてきた。それを読むと面白い!

勝手に引用させてもらうと「ドレスコードは…『秋を盛り込んだ装いー小さい秋見~つけた』はいかがでしょうか?いがぐり頭で登場!もいいかも」とある。

これを利用して、すぐに女子会催行決定メールを一斉送信。女子会耐久レースで秋をしっかり楽しみましょう!

一見落着とゆっくりしていると携帯がなる。岩国の人からだった。

先日昇地三郎氏のことをブログに投稿。それを読んでくださっていた。なんとその人のお姑さんは女学校時代、昇地氏から学ばれている。最近、昇地氏の側近から氏の書かれた本を購入されたとか。他にも電話で氏の話を聞く。聞けば聞くほど半端でなく元気だ。

その人から、95歳で青春が始まり、現在106歳の氏に負けないように、と発破をかけられる。もしかしてもう負けているかも・・・。

この話の続きは岩国ですることになった。昨夜はありがとうございました!106歳を見習って頑張ります。

それにしてもその齢まではかなりある。何でもやろうと思えば可能。とはいってもその年齢まで生きているかどうかが問題。

刺激満載の一日はあっという間に暮れていった。

2012年10月9日火曜日

本格的な後半スタート

今日も気持いい朝。しかし目覚めが段々と遅くなりそう。せめてセブン・イレブンの逆位に寝起きするようにして・・・。

フルートの発表会も終わり、後期の講義も今日から本格化する。今年度の後半部分のスタートとなり、生活リズムもそれに合わせて・・・。

ラオスから帰って一ヶ月が過ぎた。お土産と言うほどのものは買ってきていない。それでもいつもお世話になる人に送ったり、手渡したりする。

昨日は、夕方図書館からの帰り、お寺の世話をしている近所の人とばったり出会う。自転車を降りてしばし立ち話。昨年母の初盆に「花カード」をいただく。しかし、何も受取らないといわれ、気になりながら1年が過ぎた。

その人は、一回りも上の人だけど、海外によく出かけられる。海外のお土産がいいと思い、2枚ほど手元に残っていたラオスの民芸品を1枚あげる。その人は昨年トルコへ2週間旅行された。そのためか、なるべく機会を見て海外へ出かけるようにと励まされる。

その人は見た目はスリムで元気そう。だが内臓がよくないらしい。

もう一人へは郵送する。その人は初めて中国語を習ったときの友人。何かあると郵便で知らせてくれる。いただくばかりで何もしていない。この人も気になっていた。本当にわずかばかりのものを送る。

以前は海外に出るといろいろと買っていた。ところが昨年久しぶりに出かけ、余り買い物をしなくなった。それまでのものが家に残っていることもあり、あまり買わないようにしていた。

しかし、これから少しは土産物にも気を配るようにしよう。

今日はこの後大学へ行き、講義を受けた後、そのまま市内へ移動してフルートのレッスンンを受ける。

昨日発表会前にさらっていた曲を吹いてみる。だがなかなか難しい。でも吹けるようになると嬉しいので頑張ろう。

さあ今日も一日元気を出して!!

2012年10月8日月曜日

「町田せせらぎフラワー通り」のコスモス

昨日は呉市広にある「町田せせらぎフラワー通り」へコスモスを見に行く。前日地元紙に「黒瀬川沿い コスモス満開」と写真入りの記事が掲載された。「コスモス」はなんといっても秋の花。すぐに出かける。

コスモスの咲いている場所は地理的にはよくわからない。とりあえずJRで広駅まで乗る。到着後駅員に聞くとバスが出ているという。ところがバスの便は一日に数えるほどしかない。50分後に出るバスに乗ることにして早いお昼を軽く済ませる。

バス発車時刻になり、バスに乗る。最寄のバス停を降りてもどこへ行けばよいかわからない。バス道路は呉から西条に向かう道。ずっと行けば大学へも行かれそう。しかし地理が全くわからない。最寄のガソリンスタンドで行き先を聞く。その後、向かい側の道を通っていた自転車の女性から声をかけられる。コスモスを見に行くとわかったのか、自転車を降りて行きかたを教えてくれる。

まっすぐ道を進むとコスモスが咲いている川に突き当たるという。歩いていると早めにコスモスを見に行った人とすれ違う。地元の人でないことが何となくわかるもので声を掛け合う。

空は雲が出ているが気持いい。風も適当に吹いてくる。

しばらくすると「二級河川黒瀬川広島県呉市広町田フラワー通り」と川岸に表示がある。二級河川のためか、川は大きい。我が家から時間的にも料金的も広島市内へ行く倍くらいの距離。ちょっと足を踏み出せばまだまだいろんないいところがある。ただ知らないだけ。
広町田せせらぎフラワー通り。左は一面穂田。
まっすぐいけば「酒祭り」で賑わっている西条へつく?
手前の橋から次の橋まで450メートルの距離があるとか。コスモスは橋と橋の間の土手道に450メートルほど咲き誇る。向こうの橋まで土手道を歩いていると日差しが強くなる。秋風が吹いていても暑い。首や顔に持っているものを巻きつけて日焼け止めをしようとするが暑い、暑い!

土手道を次の橋まで歩く途中、バッタがついて飛んでくる。道から下を見下ろすと右側は川が流れ、左は穂田。黄色く実った稲穂。機械で稲を刈っている。こういう光景を見ることもなくなった。

土手の下から空を見上げる
コスモスを満喫した後、土手の下を通って帰りのバス停に向かう。ところがますます日差しがきつくなる。暑い。日陰を探すがどこにもない。来た道を帰っていくとコンビニがあった。そこに入ってジュースを飲んでバス停を目指す。

来たバスは呉行き。呉までとりあえず出ることにしてバスに乗る。呉駅でバスを下車する。だがまだ日は高く午後2時半。駅前でしばしティータイム。そこで4時頃まで休憩し、JRに乗って帰宅。

今日は気持を遊びモードから切り替えて、フルートの練習と明日の大学の用意をしよう!特にフルートはこの1週間全く触っていない。これじゃ、来年もまた思いやられそう・・・。頑張って!!

2012年10月7日日曜日

コスモスを見に行く

昨日から世間一般には3連休とか。毎日が日曜日なので余り休みは関係がない。そうはいっても新聞などの報道を見ると、あちらこちらの行楽記事の掲載がある。

昨日の朝刊にもあった。

今週は週の中ごろにフェルメールの「真珠の首飾りの少女」の絵画展を九州国立博物館へ見に行く。それもあって少しは家でじっとしていようと思った。ところが、昨日の朝刊の「コスモス街道」の記事はどうしても行きたい気持にそそられる。

幼馴染に電話すると行くという。

やっぱり秋はコスモス。最近花屋さんで買った鉢植えもいいけど、道沿いに咲くコスモスはその比ではない。

少しは落ち着いて家の中ですることがあるはず。それなのに、家に居たくない。

昨日は、他にも心配していたスペイン語の教室変更の連絡メールが入る。メールが届いたということは履修登録もされたということ。これで大学関係は一安心!後は勉強を頑張るのみ。

頑張るといえば本も読みたい!大学から早速借りて帰った3冊と、市の図書館で借りた加藤徹の『西太后』がある。早く読みたいと思うけど、気候がいいときは気持が外へ向く。これも元気な証拠?

今日はこれからコスモスを見に出かける。ネットで検索したけど、はっきりとした所在地はわからない。最寄のJR駅に着いたなら、駅員に聞こう。最高の行楽日和!楽しみだ!

2012年10月6日土曜日

「人生生きている限り何が起きるか未定です」

予報に反して今日は一日曇り空。今にも雨が降りそうな天気である。

午前中、自転車に乗ってスーパーへ買い物に行く。その帰り、食欲がないといっていた同級生の家に寄り、しばし話をする。

今も食欲がないらしく、買ってきたアナゴの握り1パックをあげようとしたが食べられないと言う。彼女は暇つぶしに親の代からのクリーニングの取次店をしている。

ただ楽しみは夕食時と就寝時にアルコールを嗜むことだと笑っていう。

一人家にいるときはアルコール類を口にしない。そのため、その気持はよくわからない。その人は体の不調をアルコールに任せているのだろうか。

周りにいる身近な友達は同級生で環境がよく似ている。その人も独身。そして一人暮らし。

若いときは99.99・・・%の確率で同級生は結婚したと思っていた。ところがどっこい、見渡すと結構独身がいる。どの人も私の知る限り幸せそう。昨日のブログではないが、それはそれで人それぞれ。いい人生かもしれない。

人生といえば先日のNHK午後5時からの全国放送に出ていた106歳の元気老人の言葉を思い出す。「人生 長生きすれば良いことがある」。昇地三郎氏の言葉でサインにそう書いている。

途中から見たので106歳まで順風満帆の人生だと思っていた。ところが、ウイキペディアで検索すると何と大変な人生を送っておられる。それによると、以下のように書いてある。

「歳月が過ぎ、70歳のとき、やけどのため寝たきりだった長男が、39歳で死去。1996年(平成8年)には20年間看病をしていたパーキンソン病の妻が86歳で死去。麻痺が進んで45歳から寝たきりだったに次男が2002年(平成14年)に55歳で死去、2003年(平成15年)春には長女も58歳で他界。長女は広島大学教育学部を出て、しいのみ学園で言語治療に従事していた。

妻と3人の子ども全てを見送り、95歳で初めて自分の自由な時間を得た。三郎の人生は、正に95歳からが青春とばかりに、2004年(平成16年)から中国の障害児教育支援と新しい幼児教育法の普及に乗り出した。」
(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9B%BB%E5%9C%B0%E4%B8%89%E9%83%8Eより引用)

95歳からが青春だったとは・・・。

父が亡くなった時、母は75歳だった。そのため母は75歳からが青春だった。その母も95歳で亡くなる。

ところが昇地氏はなんと95歳から青春が始まり、それから10年以上も青春を謳歌していらっしゃる。

その人のブログを見ると「ギネス世界記録TM・公式認定証受賞『公共交通機関を利用して世界一周をした最高齢者』106歳誕生祝(8月16日)」とある。

今でも現役で海外旅行に出かけている。本当に素晴らしい。その人から見ればまだまだひよこ。元気が沸いてくる。

元気といえば「さっちゃん」がいる。昨日の「さっちゃん」のブログを見ると、ブログ投稿が本になっている。そしてその広告が新聞に出る。昨日のブログの一部には以下のように書いてある。

「一年前にはこんなことがあるとは
考えてみたこともありません
夢みたいなことがおきるんですね
人生生きている限り何が起きるか未定です
だから楽しいんです
なんでもかわりばんこです
いつかは良いことがあると思って
がんばりましょう」

これは昇地氏の言葉に通じる。この2人にあやかって長生きしよう!

「人生生きている限り何が起きるか未定です」、このさっちゃんの言葉は最高にいい!私も頑張ろう!

2012年10月5日金曜日

人それぞれ

気候がいいからだろうか毎日よく眠る。昨夜午後9時から今朝午前7時まで寝ていた。久々に午前の講義を受けに行く。すぐに身支度を整え、出かける前までゆっくりする。

今日から本格的な授業に入ると思っていた。ところが前期の授業の総まとめだった。

来週から日本語として初めて聞くキーワードの「点過去」の講義が始まる。外国語を学ぶ際、その国の言い回しというか日本語にない文法用語が頻繁に出てくる。まずは日本語の理解が大事となりそう。

外国語をいろいろと習った。だが、入門をスペイン語ほどしっかりと習ったことはない。前期の期末テスト後、昨年バルセロナでガイドをしてもらった人とキャンパスで遭遇する。そのことを日本人の先生にメールで報告すると来年はそのスペイン人の先生にスペイン語コミュニケーションを習うようにとの返信メールをいただく。ありがたい。そのためにもスペイン語、頑張らねば・・・。

講義後、JRに乗っていると以前、属していたスイミング・クラブの若い女性が前に座る。話をすると相変わらず何もしていない。若いといっても40歳過ぎの独身女性。親から小遣いをもらって過ごしているとか。

若さも体力もあるはず。アルバイトでも・・・と話すと経験がないという。これを聞いて、それ以上話すのを止めた。泳ぎもしていないといっていた。

人それぞれである。その人のことをとやかく言える立場にない。とはいっても何もしていないことが不思議でならない。それで人生、何が楽しいんだろう。

人それぞれといえば今朝も「浮浪者風」の人と出会う。会う度、柿が色づいたらあげるという。その人はしょっちゅう酒を飲んでいる。だが誰から言われるわけでもなく、道をきれいにしている。

♪運がいいとか悪いとか 人は時々口にするけど~♪の詩ではないけれど、人それぞれ「運」もあるだろう。しかし、何はどうであれ、元気なうちは何か打ち込めるモノ・コトをするほうがきっと楽しいはず・・・。

まだまだやりたいモノ・コトがいっぱい残っている。ヒトのことは気にせず、元気で楽しく過ごそう!   

2012年10月4日木曜日

「西太后“国も美貌もアンチエイジング”」を見て

今日も清清しい朝である。特別に出かける予定のない日は朝食を終えると、しばしパソコンで遊ぶ。

今朝から新たな人のブログを見る。その人の名は加藤徹氏。以前社会人大学生の頃、この先生のファンだった。だが、6年前、先生は東京の大学へ転任される。

昨夜、偶然にも久しぶりTV画面でご対面。NHK・BS「追跡者プロファイラー」にコメンテータとして出演されている。岡田准一の司会で10月から毎週放映されるとか。この番組のファンになりそう。

昨夜の番組タイトルは「西太后“国も美貌もアンチエイジング”」。

加藤先生の専門は中国の京劇研究。というよりも中国文学・文化にかけては第一人者。10年前『京劇』でサントリー学芸賞を受賞されている。その翌年から大学の講義を受ける。

大学入学前、新聞でその人を知る。その頃、受賞作の本を購入していたので、講義後、すぐに駆けつけてサインをしてもらった。

なんといっても講義の仕方は半端でなく面白い!受講希望者が多く、大講義室での数百人の講義は抽選で選考されるほど。試験も型破り。この件に関してはここには書くまい。今、明治大学の教授をされている。私が思うに、多分今の大学でも人気者と想像する。

広島を去られてもNHK・Eテレなどに頻繁に出演されている。

先ほど、先生のHPをみるとブログを開始されていた。そして相変わらずアコーディオン(コンサーティーナ)を弾かれ、ご自身で弾かれたものをYOU TUBEに投稿されている。

型破りな授業は、いきなりアコーディオンを持って大講義室の教壇で弾かれていたことにもある。

先生の担当される教養、専門科目は全部受講した。教養科目の「中国文学」では漢詩を習った。それも身振り手振りの講義で始まる。講義の最中の歩き方は京劇風の歩き。昨夜のテレビではそれは見られなかった。しゃきっとした姿勢で大物で写っておられる。

最近の先生のブログを見ると下記のように書いてある。 

 「さる9月19日の毎日新聞の第一面「余録」欄でも、中国の反日デモで見られた暴力行為と、それを対日圧力に利用する中国政府の姿勢を批判する文章の中で、拙著『西太后』の義和団の説明が引用されていた。
 著者としてはうれしいが、拙著『西太后』の中で指摘した中国社会の暗黒面が、今日でもそのまま通用してしまう点については、複雑な気持ちを抱かざるを得ない。」
(http://blogs.yahoo.co.jp/yonakanoaccordion/MYBLOG/yblog.htmlより引用)

早速『西太后』を読もう!

昨夜は、加藤先生以外でも素晴らしい人をTVで見た。その人についてはまた後日ブログに投稿しよう!さあ今日も頑張って!!

2012年10月3日水曜日

てんやわんやでホッとして

今朝も空が高く晴れ渡り清清しい!ところが今朝の地元紙を見てびっくり仰天する。

昨日は2ヶ月ぶり大学へ出かけた。キャンバスで先ず目にしたのはパトカー2台。それも気に留めず、後期から始まる教室へ直行する。部屋に入るとどこか空気が違う。変とは思ったが先にトイレを済ませる。


戻った後、どうも前期までの雰囲気と違うので近くにいる学生に「スペイン語の教室?」と聞くと「フランス語」だった。


家を出るときから教室が気になっていた。ところが科目等履修生は自分で履修登録ができない。すべては事務方がする。家を出る際、パソコンで調べると登録されていない。されないと当然どの教室かも表示されない。


そんな不安を抱えての登校だった。すぐに事務方に行って教室を教えてもらう。全く違った講義棟であった。急いで教室に着くと目にする姿があった。ホッとする。仲良くしている若い彼女の横に座る。座っても教室自体が狭すぎる。窮屈この上ない。

しばらくすると先生が来られた。先生の開口一番、「教室が狭い!」。事務と相談して変更する旨、話される。

昨日は後期最初の授業。前期の期末テストの問題用紙と答案用紙を返してもらう。2ヶ月のブランクがあるのでその解答をしながら頭をスペイン語モードにしようというのだろう。返却された答案用紙を見ると何と82点。ちょっと嬉しかった。

そして点数が書いてある横には「¡ Bien!」(よくできた!) とある。授業が終わって家では閲覧できない成績表を見に情報メディアセンターへ行く。ところが3年半ぶりに出かけてみると様子が全く違う。

点数を見ているから成績表を知らなくてもいい。そこはやっぱり何歳になっても子ども。見て見たい。

隣に座っている女子学生に教えてもらいながらパソコンを立ち上げる。一番違っていたことは以前は自分の学生番号とパスワードの入力ですぐに立ち上げることができた。それが、今は学生証をリーダーにかざし、そのうえ先ほどのことをする。それが終わってもなかなか成績表までたどり着かない。

教えてくれた人はこれ以上わからないらしくメディアセンターの事務に行くようにと言う。以前は同じところに事務方もいた。ところが今は1階下にいる。そこで事情を説明するとパソコンで見てくれるがわからない。仕方なく、学生支援センターに出向く。

支援センターは好く知った人がいる。その人に話しても埒が明かない。若い人がやってきて、パソコン上でなく紙で印刷された大学側の単位取得証明書をくれる。単位をもらいたくて大学に通っているわけではない。すぐに見ると「優」とある。事務方もそれを見て褒めてくれる。

とはいっても後期の授業登録もされていない。それも気になり尋ねるとかなり時間が経って教えてくれる。これから登録してくれるらしい。

少しホッとして大学を後にする。
愛車(?)に止まった赤トンボ
暗いけど時刻は午前10時過ぎで空は快晴だった
それにしても初日早々あちこちへ行き、てんやわんやの一日だった。とはいってもあの張り詰めた教室の空気は自分でも信じられないくらいに没頭する。それがまた気持いい。

家に一人いても、これほど「無心」になれることはない。それだけでも大学に通ってよかった!

さて今朝の新聞。なんとあの2台のパトカーの意味がわかる。昨日、キャンパスに入る2時間前に「自殺」か「他殺」かわからないけど、研究棟の8階から50代の教員が飛び降りたとの記事が掲載されている。その所属先は何と今学んでいる科だ。

昨日は大学側も私的にもてんやわんやの日となった。ただ大学に出かける前、自転車に止まっている赤トンボは、その慌しさを予想さえもせず・・・。

最寄駅に到着すると駅前の花屋に並べてあるコスモスの鉢植えが目に付く。それを買って気分よくして家路に帰った。

2012年10月2日火曜日

若者と一緒に

今朝は秋らしくすがすがすがしい。とはいっても昨夜は午後からプールに出かけたので、鼻水と格闘しながら眠る。それでもどうにか熟睡していた。

昨日のプール、急遽泳ぎに行こうと決めたのでプール到着時刻は午後3時頃。この時間帯に出かけることは余りない。更衣室からプールに入る途中にあるシャワーのところでサーッと通り過ぎると名前を呼ばれる。以前所属していたスイミングクラブの人だった。

しばし、そこで立ち話。その女性とは昨年暮れ、先生宅で鍋を囲んで以来。この時間に泳ぎに行っていると思われなかったようで驚かれる。

先生からは夜、泳ぎに来るように誘われることがある。そうはいってもJRで行くのでなかなか夜は行く気にならない。その人にその話をすると、納得してもらえたようだった。先生や皆に話しておく、といってもらったけど・・・。クラブの人たちは先生はじめ皆感じがいい。そのため夜、泳ぎに行きたい気持はあるけどなかなか・・・。

昨日プールに入るとどのコースも先客がいる。手前のコースで泳ごうとすると若者が泳ごうとせず隅に立っている。その人の前に行き、「泳いでください」と言うと、先に泳ぐようにと言われる。「泳ぐのは遅いけど・・・」とビート板を使わず、いきなりクロールで泳ぎ始める。

2往復した辺りで若者が声をかけてくる。水飛沫を上げずに泳ぐといって褒めてくれる。そのまま立っているので「若者は早く泳いで・・・」とせかせると、「若くないですよ」という。「半分くらいの年齢?」というと「もう42歳ですよ」という。「まだまだ若い!」とけしかけてまた泳がせる。

コースを独り占めには出来ない。その人が泳いでくれないと自由に泳げない。そのため、25メートル毎、若者に「早く泳いで!」とせかせては泳ぐ。こうなるとなかなか思うように泳ぎきれない。

若者は「もう1時間いるんですよ」「隣の町の子どもに空手を教えている」「本職は建築士」「家は〇〇町」と自分のことを話す。究極は「3キロ泳ぐことは10キロ走るよりきついんですよ」といい、「6、70歳の女性の人よりも泳ぎでは負けます。息が苦しんですよ」と言う。

見ていても25メートル泳ぐのに息が苦しそう。どうも泳ぎ方が変則的に見えるので「さっきの泳ぎはバタフライ?」と聞くと平泳ぎだとか。

若者はいつもしているという空手とランニングの筋肉の使い方と水泳は違うという。話をしていると泳ぎに対する一生懸命さが伝わるので所属していたクラブの練習日を教えてあげる。

しばらくすると近くの大学のクラブが泳ぎ始める。「僕はその人たちの泳ぎを見ます」と言って若者は引き上げた。

昨日も1キロをクロールと背泳ぎで泳ぐ。しかし、若者がなかなか泳がないので長くプールに入っていた。鼻水はそのせい?

今日は11時過ぎから後期はじめてのスペイン語を受けに大学へ行く。今朝はそのためもあって早くからブログに投稿。これからまた半年間、昨日の若者よりもっと若い18、9歳と一緒にスペイン語を学ぶ。

さあ今日も一日頑張って!!

2012年10月1日月曜日

2012年『図書』10月号から

今朝も郵便物が届く。郵便といえば新「日本郵政グループ」が本日付けで誕生した。各戸には「サービス向上のためのアンケート」も配られ、新たな意気込みが感じられる。

今朝届いた郵便物には旅行社のトラベルポイントを知らせる葉書と岩波から毎月届く『図書』がある。『図書』10月号を見るとアフガニスタンに井戸を掘っている日本人医師の中村哲氏の記事が掲載されている。

「温故知新ーアフガニスタンで考える」(2p)と題され、自然と人間の関係を述べている。この人の話は随分前、広島で行われた講演会で聞いたことがある。ゆっくりながらもしっかりとアフガンニスタンでの活動について話されていた。

『図書』に書いてあるアフガニスタン。その山肌が保水力に乏しいため、かつての肥沃な穀倉地帯は洪水のたびに河の数位が下がり荒れ果てる。こうして故郷を捨てた農民は「アフガン難民」と呼ばれる。だがその難民の大半は「環境難民」だとか。

だから中村は適切な取水さえ確保すれば膨大な荒廃した農地も回復しうるという。それには取水方法が問題となるらしい。

その解決のためには自然の地形に巧みに合わせ、人力だけで作られた筑後川の山田堰に驚くべき知恵があるという。

この九州の知恵を中村はアフガンに結びつけ、井戸を掘っているのかもしれない。

近代的なコンクリートの技術のほころびが世界のいたるところで現れ始めている。その問題の解決として「自然と人間の共存」が課題となる。それについて中村は「自然とは、恵みと同時に、人の生殺与奪をも握る摂理であり、人の意識が定義できない一線を画して厳存する」という。

そして「自然を無限大に搾取できる対象とし、謙虚さを失っていなかっただろうか。自然はそれ自身の理によって動き、人間同士の合意と無関係である。」と。だから「われわれが葬り去った『自然と向き合う知恵』もまた見直されるだろう。」という。

さらに「変わらずに輝き続けるのは、命への愛惜と自然に対する謙虚さである。その思いを留める限り、怖れるものは何もないと考えている。」と締めくくっている。

『図書』には他にも「自然」について今枝由郎氏が「『仏性』と『成仏』」と題して書いている(20p)。今枝は梅原猛の言葉を引用して「日本には縄文時代以来、自然を神と見る思想があります。それが仏教のなかに入り、日本独自の仏教を作ったのです。」と述べている。

この本を読んでいて母がよく使っていた言葉を思い出す。「自然に、自然に」。母はこれを「しぜんに、しぜんに」でなく「じねんに、じねんに」と濁って発音していた。今、辞書を引くと「おのずからそうであること、本来そうであること」とある。これは多分に仏教と関わることばだろう。

また今枝は「近代文明は、驚異的に進歩した科学技術を駆使して自然を制御・支配することにより、人間の快適さ・利便さを築きあげてきた。」としながらも、「その人間中心的な文明のあり方にはマイナス面も多く、ありとあらゆる形の公害、人口爆発、地球温暖化、環境破壊、絶滅危惧種といった、数多くの深刻な問題を生み出している。」と述べる。

これは先に書いたように中村も問題としてあげている。

中村は仏教徒でなくキリスト教信者。しかし、「自然」を畏怖する気持は今枝も中村も同じである。

今思うと、母は何かコトが起きると「じねんに、じねんに」と言っていた。それは「成り行きにまかせよ」と3人の娘たちに教えていた言葉かもしれない。

昨日の発表会では舞い上がってしまった。それこそ「じねんに、じねんに」と自らに言い聞かせればよかった。今気づいてももう遅い!?

「遅い」といえば、遅いついでに今から泳ぎに行こう!