2012年10月1日月曜日

2012年『図書』10月号から

今朝も郵便物が届く。郵便といえば新「日本郵政グループ」が本日付けで誕生した。各戸には「サービス向上のためのアンケート」も配られ、新たな意気込みが感じられる。

今朝届いた郵便物には旅行社のトラベルポイントを知らせる葉書と岩波から毎月届く『図書』がある。『図書』10月号を見るとアフガニスタンに井戸を掘っている日本人医師の中村哲氏の記事が掲載されている。

「温故知新ーアフガニスタンで考える」(2p)と題され、自然と人間の関係を述べている。この人の話は随分前、広島で行われた講演会で聞いたことがある。ゆっくりながらもしっかりとアフガンニスタンでの活動について話されていた。

『図書』に書いてあるアフガニスタン。その山肌が保水力に乏しいため、かつての肥沃な穀倉地帯は洪水のたびに河の数位が下がり荒れ果てる。こうして故郷を捨てた農民は「アフガン難民」と呼ばれる。だがその難民の大半は「環境難民」だとか。

だから中村は適切な取水さえ確保すれば膨大な荒廃した農地も回復しうるという。それには取水方法が問題となるらしい。

その解決のためには自然の地形に巧みに合わせ、人力だけで作られた筑後川の山田堰に驚くべき知恵があるという。

この九州の知恵を中村はアフガンに結びつけ、井戸を掘っているのかもしれない。

近代的なコンクリートの技術のほころびが世界のいたるところで現れ始めている。その問題の解決として「自然と人間の共存」が課題となる。それについて中村は「自然とは、恵みと同時に、人の生殺与奪をも握る摂理であり、人の意識が定義できない一線を画して厳存する」という。

そして「自然を無限大に搾取できる対象とし、謙虚さを失っていなかっただろうか。自然はそれ自身の理によって動き、人間同士の合意と無関係である。」と。だから「われわれが葬り去った『自然と向き合う知恵』もまた見直されるだろう。」という。

さらに「変わらずに輝き続けるのは、命への愛惜と自然に対する謙虚さである。その思いを留める限り、怖れるものは何もないと考えている。」と締めくくっている。

『図書』には他にも「自然」について今枝由郎氏が「『仏性』と『成仏』」と題して書いている(20p)。今枝は梅原猛の言葉を引用して「日本には縄文時代以来、自然を神と見る思想があります。それが仏教のなかに入り、日本独自の仏教を作ったのです。」と述べている。

この本を読んでいて母がよく使っていた言葉を思い出す。「自然に、自然に」。母はこれを「しぜんに、しぜんに」でなく「じねんに、じねんに」と濁って発音していた。今、辞書を引くと「おのずからそうであること、本来そうであること」とある。これは多分に仏教と関わることばだろう。

また今枝は「近代文明は、驚異的に進歩した科学技術を駆使して自然を制御・支配することにより、人間の快適さ・利便さを築きあげてきた。」としながらも、「その人間中心的な文明のあり方にはマイナス面も多く、ありとあらゆる形の公害、人口爆発、地球温暖化、環境破壊、絶滅危惧種といった、数多くの深刻な問題を生み出している。」と述べる。

これは先に書いたように中村も問題としてあげている。

中村は仏教徒でなくキリスト教信者。しかし、「自然」を畏怖する気持は今枝も中村も同じである。

今思うと、母は何かコトが起きると「じねんに、じねんに」と言っていた。それは「成り行きにまかせよ」と3人の娘たちに教えていた言葉かもしれない。

昨日の発表会では舞い上がってしまった。それこそ「じねんに、じねんに」と自らに言い聞かせればよかった。今気づいてももう遅い!?

「遅い」といえば、遅いついでに今から泳ぎに行こう!

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