いつものように図書館で借りてきた本、『異国を楽しむ』(池内紀 中央公論新社、2007年)を読んだ。著者のエッセイを読むといつも「そうそう、これよこれよ」と気づかされ、また上手く言い当てている。
10数年前、市内西区にある泉美術館で開催された筆者の講演を聞き、そのあとで本にサインをしてもらう。名前と挿絵入りのサインだった。筆者はそれよりも前、NHK・FM「日曜喫茶室」のコメンテータとして出演されていたころに知る。
ドイツ文学者である筆者は「カタコトの外国語…」をと書いているが、本人に限ってはそれは違う。
またいつものように気に入った箇所をメモしよう!
「やがてハタと気がつく。海外旅行は異国へ旅するのではなくて、自分が一人の異人になることらしいのだ。自分にまつわるもろもろ、いっさいが無効になる。いまや地位や肩書きはおろか存在すらも怪しい人間であって、外務大臣に保証のハンコを押してもらわなくては、どこであれ通用しない。存在すら認めてもらえない。…ともあれ、ときおり異人になってみるのも悪いことではないかもしれない。異国を知る以上に、もっと別のことに気がつく。たとえばの話が、そもそもカタコトの外国語が通じただけで、どうしてこうも相手とわかりあった気持がするのだろう。…異国を楽しむと同時に、異人としての自分を楽しむ。これまで夢にも思わなかった特性が眠っていたかもしれないのだ。まごついたり、ハラハラ、ドキドキのときに、もっとも正直に人柄がでるものだ。」(ⅷ)
「足が軽い。全身が宙に浮いたぐあいだ。ライトを浴びたように、まわりが眩しい。それもそのはず、期せずしてハレの舞台に立っている。異国という背景と、異国語という音楽つきのドラマの主役になった。海外旅行を夢見ていた理由が少しわかった。日常や暮らしのなかではワキ役がせいぜいだが、国を出ると、一人舞台の主役になれる。」(45-46p)
「言葉の壁につきあたる。これこそ海外旅行のダイゴ味であって、とても大切な体験なのだ。言葉の壁の前で往きくれてこそ異国は楽しい。」(149p)
「外国語は赤ん坊スタイルが最高だ。カタコトにかぎる。全身表現がやっと単語のつらなりになった。だからこそ相手に伝わっていく力がある。誤解の入りこむ余地がない。・・・カタコトは、こちらの土俵に招き入れることなのだ。…それにカタコトは穴ボコだらけで、それを相手が埋めてくれる。実質以上の力を見てとり、実態以上を感じ取ってくれる。」(151p)
「どこに行くにせよ、私は葉書の形の白い紙片に『おはよう』『こんにちは』『ありがとう』『さようなら』といった相手先の日常語を書いて、透明なファイルに入れている。いわば言葉のパスポートというものだ。」(159p)
「カメラ一つをとっても、ちょっとした役目をさずけると、思いがけない発見がある。異国がガイドブックにはない姿をのぞかせる。少し用向きのあるほうが、旅が何倍もおもしろくなる。ずっとヒマだと人間は何もしないものだ。」(164p)
「『ホワット・アム・アイ・ドゥーイング・ヒアー?』旅の途中、広場のベンチで休んでいるとき、ふと思い出す言葉がある。旅行好きのイギリスの作家が旅のエッセイ集のタイトルにしていた。いま自分はここで何をしているー旅先だと、日本語よりも英語のほうが気持にあっているらしく、英語のホワット・アム・アイ・ドゥーイング・ヒアーが泡つぶのように浮かんでくる。…帰る日が近づいてくる。ほんの一週間か十日だというのに、いろんなことがあった。奇妙な出会い、見たもの、出くわした人、切れぎれな印象があらわれては消え、廻り舞台のシーンのようにつながっていく。このような旅中の心ばかりは、どんなレンズでも写し取れない。」(167-168p)
「旅の終わりに、ぜひともやっておきたいことがある。メモ帳に特別の頁をつくって、旅行中に思ったり、気がついたりしたことを書いておく。印象なり、感慨めいたことではなく、もっと具体的、かつ切実なこと。靴下や下着の数といったことだ。持参してきた小道具や薬や食べ物のこと。時間の使い方、その他なんでもいい。」(173p)
「出発には勇気が要る。旅立ちのときの勇気は誰にも覚えがあるのだろうが,実をいうと、旅を終えるときの勇気のほうが大切な体験なのだ。そこにはこころなしか、人生に必要な人生の兄弟分といったところがある。」(181p)
「おもえば箱の人生である。生まれたときの幼児ベッドから、学校にあがってのちの教室、勤め先のオフィス、はては死のあかつきの棺まで、一生は箱で始まり、箱で終わる。…旅行はどうやら、つかのまの箱からの解放らしい。家庭や職場といった箱からの解放。母国や言葉や風習という箱から解き放たれた。とはいえしばらく別の地の別種の箱の生活をしただけであって、俗に『パック旅行』といわれるように、とりわけ異国旅行は入念にパッキングされている。解放という幻想がきれいに箱詰めされている。」(191-192p)
「『人生はこの世の旅』などというから、命の終わりも旅の終わりと似ているのだろうか。…旅と違い命の場合は、終わったと判断できる自分がいない。しかし、終わりである限り、旅の終わりと同じように、半ばがた明るい何かが混じっているのではあるまいか。」(194p)
まだまだ、異国を旅する気持は衰えていない。この本のようにこれを読んで異国を旅する参考としよう。
今日は朝から雨。外は薄暗い。夜半は一段と寒くなるとか。
今日はお昼前から講義を受け、その後市内へ移動してフルートのレッスンを受ける。さあ、今日も一日元気を出して!
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