2012年10月11日木曜日

『常識にとらわれない100の講義』

常識にとらわれない100の講義』(森博嗣 大和書房、2012年)を読んだ。著者の森は『つぶやきのクリーム』を書いている。その第二弾がこの本である。森は「小説は読まないけれど・・・」と読者からメールをいただくことが多いとか。御多分にもれず著者の小説を読んだことがない。

以前にも書いたように、甥がわが子につけた名前が著者の小説の主人公からの拝借による。それ以来、著者を知り、関心を抱いて読んでいる。

この本はいつもの如く図書館で借りてきたもの。またいつものように気になるところを記そう。

「『こういうことがしたい』と語るより、まずそれをすべきでは?」では「夢はあまり語らない方が僕は良いと思っている。実現できる目処が立ってから、ほんの少し予告する程度にした方がよろしいかと。」(032-033p)と書いている。

これに関しては反省の余地がありそう。ブログで何でもかんでも書いている。でも夢は書いてないかもしれない。ちょっと戒めよう。心に秘める!?

「好き勝手なことをしていると、知らないうちに恵まれている。」では「好きなことをしようと思ったら、時間と資金と場所が必要である。・・・今やらないとできないかもしれない、と思って好きなことを始たのである。時間も金も場所も、作ろうと思ったら作れるものだ。・・・まだまだ時間も金も,そして場所も足りないと感じている。欲張っているわけではなく、そういう気持が大事だと思うのだ。不満を持っているほうが、満足しているよりも幸せだ。幸せは、満足へ向かう加速度のことだからである。」(040-041p)

「未来の大部分は,どうなるか大体決まっていると思う。」では「人間というのは、自分の思うようになるからだ。自分が望まなければ、絶対にそうはならない。望んでいるとおりにならないときもあるけれど。その多くは途中で望むのを諦めたことによる。」、「予定を次々に実行していくことは、自分に対しても他者に対しても『信頼』を築く基本的な『人間性』の一つである。そう、人間は未来を予測できる動物なのだから、それをしないと、人間としてもったいない。」(046-047p)。

「予定を次々に実行していく」は意識してやっているつもり。しかしこれも深く考えてのことではない。

「『道を見つける』とは、もっと簡単な言葉でいえば、『学ぶ』である。」では「学ぶというのは、実に楽しいもので、道を探しているときが最も心が躍る。・・・たとえうまくいかなくても、楽しさが無になるわけではない。楽しさを味わった時間はあったのだし、結果が失敗であっても、そこまで楽しめたのだから、なんだか無から有を得たような気分になる。自分はできると勝手に夢を見た、それはそれで楽しい夢であったわけで、思い出すだけでも笑みがこぼれるという体験になるだろう。」、「道を探すには、どうしても自分の思考に頼るしかない。じっくりと考えて、考え抜いて、閃きを待つしかない。結局は、そういうものが『道』らしい。」(078-079p)。

「仕事というのは、自分の趣味では成り立たない。」では「仕事よりも趣味はずっと高尚なものである。何しろ金には無関係に行うのだから純粋だ。『趣味』という日本語が、暇潰し的であり、また人それぞれ多様、という意味合いがあって、誤解されている。趣味という言葉は、『研究』に限りなく近い、という意味で、最初の一文字を読み直して欲しい。」(094-095p)。

何かわかったようでわからない。これについては今日は寝不足のため、これ以上頭が働かない。ここまでにしよう。

今日は以前から予定していたフェルメールの「真珠の首飾りの少女」を見に、大宰府に隣接する九州国立博物館へ出かけた。バスツアーに参加しての見学。何しろ朝の出発時刻が早い。今朝は5時起床。先ほど我が家に到着。

今回のフェルメールは神戸で開催の「真珠の耳飾の少女」ほど有名ではない。しかし、フェルメールの作品を見たい!という希望が適えられ、満足している。平日の昼間とあってそれほどの混雑もなくゆっくり見ることができた。

明日も朝からの講義を受けるため、早い起床。今日はここまでにして日を改めてブログに投稿しよう!

0 件のコメント:

コメントを投稿