2012年6月30日土曜日

『あんぽん 孫正義伝』

『あんぽん 孫正義伝』(佐野真一 小学館、2012年)を読んだ。昨日、講義を終えてバスを待つ間、図書館に行く。入ってすぐのところに新刊が置いてある。最初に手にしたのが本書である。

「あんぽん」は小さい頃、頭が変な人のことを「あんぽんたん」と言っていた。その侮辱的な所以からこのキーワードがあるのでなく、孫の通名「安本」の音読みだった(16p)。その底辺には「あんぽん」という韓国風の発音が自分の出自を隠して生きてきた孫の自尊心を深く傷つけるからという。(16p)

著者の佐野真一はこの本を書くに当たり詳細な裏づけを取り、「いかがわしい男」孫正義について書いている。

この「いかがわしさ」を佐野はプロローグで、孫にまつわりつくそのいかがわしさの根源を探る。それは成り上がり者だからか、それとも在日朝鮮人だからか、その2つはノーとしながらも、その源泉につて本書で検証している(12-13p)。

本の構成は7章からなる。だが、4章までが本書の言いたいところだろう。本の後半は孫の母方のルーツを探し歩く。そして関わりのある人と会って本の裏づけとしている。

だが何といっても、いくら貧しく育ったという日本人といえどもその育ちにおいては雲泥の差があるだろう。それは日本人と在日の差といえばよいかもしれない。どこの地域にも在日の人はいる。そして在日=養豚、密造酒作り,、パチンコ屋はステレオタイプなのだろうか。この本でもこの3つがいたるところに登場する。

小さい頃、線路を隔てたところに住むそのような人たちを知っている。中学までのクラスにも何人か在日の人はいた。当時は日本名だった。だが何となく子供心にもわかる。

そんな状況を見ていたので、この本を読んでその場面は想像できる。それにしても読めば読むほど泥沼から這い上がった人のエネルギーのすごさを感じる。と同時に、それを取り巻く人々のすさまじさも感じる。まるでドラマを見ているようだ。それともこの著者の書き方がそうさせるのだろうか。本に出てくる人たちの大半は現在でも活躍している。よくもここまで書いたというのが実感。

そして主役の孫正義自身もこのように感じている。「『しかし、佐野先生の取材力はすごいですね。僕も随分勉強になりました』私には、その言葉が本書に対する最大のエールのように聞こえた。」(392p)

借りてきた昨日夜から今まで一気に読む。

「孫正義は朝鮮部落のウンコ臭い水があふれる掘っ立て小屋の中で、膝まで水に浸かりながら,必死で勉強していたという。・・・この根性が、叩かれても叩かれてもへこたれない孫正義の強さの秘密である。と同時に、その根性は、人を辟易させる理由ともなっている」(33p)。

この中から、驚くべきスピードでビジネスを成功させる過程こそが孫の胡散臭さの源泉であると著者はいう(32-34p)。

さらに著者は、ジョブズが亡くなった時、涙した孫について「日本版スティーブ・ジョブズ」の物語を書こうとした(42p)。そういえば、ビル・ゲイツもジョブスも孫も同学年だとか。だが孫は大学を飛び級しているから2人より2歳年下。

1980年代初めパチンコブームのとき孫一族6人が持っていたパチンコ屋は56件。それで儲けて建てた御殿のような豪邸は今でも一族の語り草だとか(46p)。

2010年6月「新30年ビジョン発表会」の際、孫は大スクリーンに映した祖母の李元照の写真を見せ、声を詰まらせながら述べたという。「-家で飼っていた豚の餌の残飯集めをするとき、いつも私をリヤカーに乗せて連れて行ってくれたおばあちゃんが、私は大好きでした。でも、あるときからおばあちゃんが大嫌いになりました。おばあちゃんイコールキムチ、キムチイコール韓国と思うようになったからです・・・」(60p)。

孫は今でもハングルは読めない。だがそのおばあちゃんと1973年、孫は一度だけ韓国大邸市に行く。そこで目にしたものは電気もなく、舗装されない道、橋のない川(61-62p)。

12歳のとき孫は詩を書いている。それは担任の先生が持っていた。


君は涙を流したことがあるかい。
「あなたは。」
「おまえは。」
涙とはどんなに、たいせつまものかわかるかい。
それは、人間としての感情を、あらわすたいせつなものだ。
「涙。」
涙なんて、流したらはづかしいかい。
でも、みんなは、涙をながしたくてながしては、いないよ。
「じゅん白の、しんじゅ。」
それは、人間として、とうといものなのだ。
「とうとい物なんだよ」
それでも君ははづかしいのかい。
「苦しい時」
「悲しい時」
そして
「くやしいし時」
君の涙は、自然と、あふれでるものだろ。
それでも、君は、はづかしいのかい。
中には、とてもざんこくな、涙もあるのだよ。
それは、
「原ばくにひげきの苦しみを、あびせられた時の涙」
「ソンミ村の、大ぎゃくさつ」
世界中の、人々は、今も、そして、未らいも、泣きつづけるだろう。
こんなひげきをうったえるためにも、涙はぜったいに欠かせないものだ。
それでも君は、はづかしいのかい。
「涙とはとうといものだぞ。」)(69-71p)

中学になると朝鮮部落を離れ、母親と福岡のマンションに移り住む。その転向手続きは一人でしたという。中学3年になった孫は教師になろうとするが韓国籍に悩む。そのことを担任の先生に手紙を出している。

その後久留米大付設高校進学。そのとき先に手紙を書いた先生に塾経営の相談をする。そのころ「森田塾」にはいれば成績が上がると知る。だがそこは優秀なものしか入れない。その頃の成績は塾に入れるほどでなかったらしい。そのとき塾長にコネがある人を頼って入塾する。自らの塾経営も諭される。このころ父が吐血する。その費用を塾経営で捻出しようとする。そしてアメリカ行きを決意。そこにはたとえ東大に入ったとしても韓国籍という難題があった。

「たとえ韓国籍であっても、アメリカの大学を出れば、日本人はもっと僕を評価してくれるかもしれません」と付設高校1年の担任に話している。それは祖母との韓国旅行から2ヵ月後のことだった。

アメリカにわたった孫はカリフォルニア大学バークレー校編入。そこで不眠不休で発明した「自動翻訳機」で1億円を手にする。(60p)その話にはシャープの佐々木という人の保証がある。彼は自身の財産と退職金を担保に入れて孫の融資の保証人になる(107p)。孫にそれだけの魅力があったと佐々木は述べている。

孫の愛読書は『竜馬がゆく』とか(109p)。

孫の父三憲について「親父が、際限のないレベルで僕を褒めたからでしょうね。『お前は俺より頭がいい』って。・・・」(113p)。親の言葉に自信を持ちトヨタ、松下さえも抜いてやるという自信を持つ。

ソフトバンクを始める前に韓国名で会社を起こす(162p)。

孫は紙の本は消滅し,電子書籍がそれに取って代わって定着すると言う。そう聞くたび、著者は「皆頭が悪いからです。」と発展しないそのことを関係者の頭の悪さにする、このことこそが孫のいかがわしさの根源だとする(178p)。

著者が「あなたはいつも株価を煽ってITバブルをつくってきた。だからいつまで経っても尊敬される経営者になれないのではないか。」「それも情報革命のためです」何を聞いてもそういう。そして孫の目指す情報革命には大賛成としながらも著者は「孫が社会的にあまり恵まれなていない階層や、さまざまな差別に苦しむ若者たちの間で絶大な人気があるのもうなづけるとする。(181p)

この辺りで佐野は安本正義が孫正義に生まれ変わる軌跡に関心を抱き、この評伝を書こうとしたと改めて書いている。(216p)

そのことを著者の佐野は「絶対に埋められないタイムラグこそ、おそらく私たち日本人に孫をいかがわしいやつ、うさんくさいやつと思わせる集合的無意識となっている。高齢化の一途をたどる私たち日本人は、年寄りが未来のある若者をうらやむように、底辺から何としても這い上がろうとして実際にそれを実現してきた孫の逞しいエネルギーに、要は嫉妬している」(219-220p)という。

そういいつつも著者は「孫正義よ,頼むから在日でいつづけてくれ。そして物議を醸しつづけてくれ。あなたがいない日本は、閉塞感が漂う退屈なだけの三等国になってしまうからである。それは『日本が大好き』というあなたも望まないだろうし、『三・一一』後大きく変わる新生ニッポンの誕生を期待する多くの日本人も望んでいない」(393p)。

そこには今でもネット上に溢れる差別があるという。「在日は早く朝鮮に帰れ」や子どものころ白眼視された「あんぽん」が・・・。

ブログを書き終わって孫が帰化する際のエピソードを忘れている。帰化する際、「安本」でなく「孫」で申請するとその名は日本には一人もいないから駄目だと却下される。そのとき奥さんとなる人が「孫」で戸籍を登録。これで一人「孫」と言う戸籍名が日本にできる。次に出向いて一人いるではないかといって「孫」になる。このいきさつもすごいが結婚のいきさつもすごい。

最後に著者は書いている。「私が本書で書こうと思ったのは、孫正義という特異な経営者はなぜ生まれたのか。それを朝鮮半島につながる血のルーツまで遡って探ることだった。言葉をかえれば、これは私なりの在日朝鮮人論であり、孫一族の『血と骨』の物語である。・・・孫正義をテーマにしてこれまで書かれたどんな本より、本書は百倍は面白いと確信している」(395-396p)。

ここまで投稿して草臥れた。もうこれで終わります。

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