2012年6月16日土曜日

『「仮面の大国」中国の真実 おそるべき経済成長の光と影』

本格的に梅雨に入ったのか、しとしとと雨が降り続く。自転車にも乗れず、今朝は歩いてスーパーへ出かける。踏切を渡ろうとすると、消防車、救急車のならすサイレンの音がけたたましい。

スーパーの帰りは行きと違う道を通る。するとパトカー、救急車2台、消防車3台が線路に沿ってとまっている。何事かと思い、歩いている人に声をかけると「ガスの臭い」がするという。係りの人は道にある排水溝などに何か器具を当てて検査している。異臭騒ぎということだろう。

家に着くと「異常なし」と放送している。これで安心!

安心といえば、数日前からコンタクトレンズを外すとき、スポイドを使用しなくても外せるようになる。いくらスポイドを使っても、どうも右目を外すとき手こずっていた。1ヶ月くらい前、スポイドでも外せないので眼科に行く。これではいけないと思い、何とかして自分の手で・・・と思ってその都度試みる。ところが最近、やっと以前の勘を取り戻したのか手で外せるようになった。これで気軽にコンタクトを使用できる。ホッとする。

スーパーから帰ると、先日読んだ『「仮面の大国」中国の真実 おそるべき経済成長の光と影』(王文亮 PHP研究所、2011年)をブログに投稿する。

先日四川省に行った際、中国の友人に日本への中国人観光客が多いが、どんな人たちが来ているのかと尋ねた。すると、燃料資源の権利を持っている人だという。共産主義の中国で「権利を持っている人」の意味が今一歩わからなかった。ところがこの本を読んでそれも理解できる。そして、最近の中国事情もわかってくる。

いつものように、関心あるところを記したい。

筆者の王文亮は日本で論文博士号を取得し、現在、金城学院大学大学院文学研究科教授。世界の超大国へと上り詰めている中国。だが本書ではそれに伴い次々と発生する上海地下鉄衝突事故や事件に対して警鐘をならす。特に中国式発展モデルのあり方が問われるという(まえがき)。

中国共産党機関紙「人民日報」傘下のウェブサイト「人民網(ネット)」で陳家興は「安全性のない発展はなくてよい」という論評を掲載した(まえがき)。

中国は「大国」といわれるが果たしてそうだろうか、と筆者は問う。「『大国』というのは決してワンパターンではない。むしろいろいろな分野で世界に冠たるもの、世界に誇れるものさえあれば、その分野の『大国』になる、または『大国』と呼ばれるものだ。」(まえがき)。そのうえで国民生活の向上が「大国」にふさわしいかどうかの最重要の判断基準となるという(まえがき)。

1992年、故・鄧小平は”南巡講和”のなかで「発展才是硬道理」(発展こそは絶対的な道理だ)と言い切った(まえがき)。この後、20年間、中国政府は「『動かぬ鉄則』を遵守し、経済面の発展を追い求め、多大な成果を収め、すさまじい変貌を遂げてきた」(まえがき)。

その発展の影には毎日の事故の犠牲者が約320人。このことこそが中国式発展モデルの最大の問題だとする。それよりもむしろ「規模や速度において世界一を求めるのではなくて、品質や安全性も世界一を目指さなければならない」(まえがき)という。

そのうえで筆者は本書から「経済成長主義が横行している中国の矛盾、あらゆる面で大きな変革を迫られている中国の社会構造および国民の生活保障について、多角的視点から、最新のデータと鋭い問題意識をもってその全貌と真相をリアルに描き出す」。(まえがき)

本の構成は下記のようである。

まえがき
第一章中国は本当に世界第二位なのか?

第二章経済大国らしからぬ脆弱な社会保障基盤

第三章人口政策で狂いだした国民の家庭環境

第四章歪んだ教育像で将来が見えない若者たち

第五章官僚、公務員の恐るべき腐敗・汚職

あとがき
参考文献

第一章では世界第二位となるGDPに疑問を投げる。「世界の工場」といわれる中国。メイド・イン・チャイナ製品が世界を切諌している。だが、それは果たして中国製といえるか。ただ製造国、産地が中国であり、主役は外資系企業ではないのか。GDPの4割はその外資系企業が作り出したものである(30p)。

高水準を続けるGDPの伸び率の維持は共産党政権の至上命題である。命題の一つは「地方の共産党と政府の官僚が自分の”政績”(政治上の業績)をより早く、より多く作り出すためである」という(34p)。

”政績”(政治上の業績)には「資本・産業誘致、都市開発、対外貿易など、経済成長に直接寄与するような成果が最も重視され、高く評価される」(34p)。

そして毎年発表されるGDPは国家統計局の発表よりも、国家発展・改革委員会発表の全国合計が上回っている。これは奇妙な結果であり、そこには「元凶」とされる官僚の業績を測る主な物差しにGDPがなっているからだとする(35p)。

これはネットユーザーにもみられ、中国のGDP世界第二位は中国が勝ち取った成果としてさらなる努力をして第一位になろう、と書き込まれる(42p)。

とはいってもその実態は2009年の国際通貨基金のデータによると中国一人当たりのGDPは3、566ドルで、世界99位。日本の一人当たりの39、573ドルの10分の1以下。それゆえ、一般庶民にとっては国民一人当たりGDPが国全体のGDPより重要であると専門家は指摘する(44p)。

経済発展によりもたらされた恵や利益は都市部のみならず農村部にも等しく及ぼす。これが新しい理念の下で中国のこれからの進路を決める上で重要だとする。これにより「世界の大国」へ雄飛となる(55p)。

中国の車について、純国産車を買ったものは「貧乏人」とみなされる。「中国人は誰よりもメンツと見栄を重んじ、周囲との対抗意識、競争意識が非常に強い。」(63p)。

そういえば先日四川省で会った友人夫妻も日本のT社の車だった。

さらに「不動産投資の代表として中国メディアに登場するのは、・・・”温州炒房団(不動産を吊り上げるグループ)”や山西省の中小炭田オーナーのグループ”山西煤老板(炭鉱主)”である」(82p)。

やはり成都で会った夫妻の言った意味がこれで理解できる。石炭のオーナー、すなわち権利者たちの金持ちが日本で観光し、買い捲っているのである。このグループは石炭価格の高騰で巨財を成した投機集団。そのグループはドバイに乗り出し不動産やマンションを買いあさる(82p)。

だが買いあさったマンションは所有者がそこに住んでおらず「睡眠状態」にあり、聳え立つマンションはゴーストタウンと化す(92p)。

第三章では「金さえあれば何でもできる。そして金さえあれば、子供もたくさん作れる。」とか。現在の中国は子供を2,3人持つことが富のステータスになっている(154p)。

国の勧める一人っ子政策も金次第とは。これでは不正が横行するはずである。

農村では子供は働き手となる。そのため「中国では現在でも男尊女卑志向が根強い」(161p)。

不正と言えば中国は「上に政策あれば、下に対策あり」で賄賂さえ渡せば戸籍登録可能になる。(166p)

中国も日本と同じく高齢者の孤独死が多い。それは”空巣(くうそう)家庭”の急増にあるという。「空巣」とは高齢者のみの世帯を指す(182p)。その高齢者が住む専用の住宅を”老人屋”という(199p)。

日本の「パラサイトシングル」を中国で「哨老族(スネかじり族)」(202p)でスネをかじるのはいずこも同じか。

いずこも同じといえば第四章では大卒者の就職難。中国では”村官”に人気があるらしい。農村部の住民の学歴は低い。その隙を狙って大卒者を選抜して村組織のスタッフにする(236p)。

「村官」になれば付加価値も付与される。これは公務員受験に匹敵する人気がある(239p)という。大卒者でありながら給料のよい職に就けない若年者層は「蟻族」と称され、失業が問題とされる(243p)。

村官や公務員人気の背景には「腐敗・汚職官僚は国民の憧れの的」がある。職権乱用がその底辺にある(263p)。

そのような官僚のグレーな行動は官僚たちの”灰色収入”となる(270p)。食事を見ても官僚たちは毎日会食をする(278p)。この会食も多くを注文しても食べきれないほど。そこにはミエがはびこる。国内には、食べるものさえない貧困層も多くいる(278p)というのに。

それゆえ「レッドカラー」といわれる公務員全盛時代の到来となる。その背景には中国の共産党政権ということでとかく「赤」がシンボルとなり”紅色政権”となり、その政権に仕える公務員がレッドカラーとなる(281p)。

その公務員試験でさえも不祥事は絶えない(286p)。こうして不正をしたものが公務員となり、腐敗・汚職の終わりなき戦いが続く(294p)。こういった腐敗・汚職は共産党幹部の仕業と言うイメージを国民に植え付ける(294p)。だがこの汚職・腐敗は厳しく取り締まっても一向に減らない(312p)。

この現象の原因や背景を探る論文が出始める。中国の行政は中央政府・省・自治区・直轄市・市・県・郷・鎮から成り立つ。筆者は中国の行政の中でも地方政府、それも県レベルでの腐敗が最も危険だとする(313p)。

筆者はこの本の締めくくりとして共産党一党独裁政治体制が続く限り、官僚の腐敗・汚職は根絶するどころか、ますます蔓延し深刻化していく可能性が極めて高いという(316p)。

あとがきとして、「中国における経済発展のあり方、土地収用と農民の権利、一人っ子政策の矛盾、大学教育の歪み、官僚の腐敗・汚職など5つの課題を扱っている。」としながら、この課題を中国の重要な領域であるため調整や改善を急ぐべきだとする(318p)。

そのためには中国の「調和社会」から「格差社会」への狂奔が幕を切って落とされたという。それが遺憾なことであり事実だと筆者は述べる(319p)。

久しぶり、本格的な中国論を読む。先ほどまでパソコンの調子が悪く、入力に手こずる。筆者は日本在住。だから中国は一党独裁云々といった批判が言えるのだろう。またそれが続く限り負のスパイラルとなってゆく。それには打倒一党独裁しかない!?そのためには・・・。知りたくなる。

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