今日はどんよりとした一日。先日来からの喉の痛みは和らいだものの、毎日じっとしていない。そのため今一歩治りきっていない感がある。今日は一日家にいることに決めた。
昨夜は古澤巌の名文が寝るときも頭から離れない。眠りにつくまで自分だったら…と考える。だが、考えてみると置かれている状況が真反対。「一人になりたいとき」を求めなくてもいつも一人。願って一人になっているわけではない。そう思いつつ、いつの間にか寝ていた…。
休みになるとメールを交換する人がいる。知人と同じ合唱団でスペインへ一緒に行った女性。
その人とスペイン滞在中、特別に親しかったわけではない。それなのに、そのときの写真を知人を通して交換するうち、いつしかメールも交換するようになった。メールによるとスペインへ行く前から体調を崩していたらしく、現在も合唱に復帰されていない。今夜の練習もこっそり出かけようかなと思ったが、風邪で休養するという。
その女性は合唱団のことなら何でも私が知っていると思われているようだ。知人がお世話をしていても外部の人間にはその中のことはほとんど知らない。メールのやり取りの中で自然とわからないことが出てくる。
今日もわからないことを教えてもらう。
仕事をしていない。それも不思議なことに思えるらしい。秋になると「遊び人」になって丸10年になる。この間、忙しく日々を過ごしていた。しかし、暇になったら仕事を…とは全く考えたこともない。
メールを交換する人は「遊び人ならば合唱団に…」と誘ってくれる。いわれてもその返答に窮する。「〇〇〇に〇〇さんなくしては回らないでしょう!」とその合唱団をお世話する知人を褒める。お世話をしている知人はフルートの仲間。何もかも一緒でないほうがいい…!?
そこで「〇〇〇の合唱団の聴く側に徹します」と返信メールをする。
その人からスペイン語のことも聞かれる。応援してもらう。暇人としてはあれこれやり始めるのは当然。でも人から見れば不思議に思えることも・・・。だからといって何も習わずに、働こうとは思わない。
「働かない」ことを納得してもらうにはいつも最後は「もう年ですから…」。
全く心にもないこの言葉。働こうとは思わない。働かなくてもどうにか生きていけるし、やりたいこともやる気になりさえすればある程度可能。
今日もほぼそういった感じでメールする。だがその人は心優しい人。いつもメール交換のたび励まされる。早く元気になって合唱団に復帰して欲しい!
ブログに投稿している今もまたメールが入る。「自由になれることが一番の望みです・・・」と。自由をもてあます暇人はそのメールを読んで「ハッ」とする。暇人は贅沢なんだ。幸せなんだ…。
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