昨夜は、久しぶり寝つきが悪かった。中国の人のことが眠るまで頭を掠める。思ってもどうにもならない。それなのに・・・。
もらった1枚の紙にはワープロでその人自身が日本に来たいきさつなどが書かれていた。他にもこれからの日本での希望が書いてあった。それは立派な決意である。
その感想を返事として認めたいと思った。その文章が頭から離れず、すぐに眠れなかった。こういうことはめったにない。
そういう時は起きるのも遅い。
中国の政治にはあまり関心がない。しかし、「中国」に対する関心は人一倍ある。昨夜の中国の女性は中国語を習っていたと話したことから私に気を許したのだろう。そして自身のことを知ってほしかったのだろう。
数年前までシニア海外ボランティアに憧れたことがあった。それも母の介護でムリと知った。だが今はしようと思えばかなりのことは可能である。
中国の女性とはひとりの友人として付き合えばいい。そして、今、私にできることでその人を勇気付けてあげよう。それは海外ボランティアとは程遠いこと。それでもいい。
戦後日本を代表する知識人の一人である加藤周一は『ひとりでいいんです 加藤周一の遺した言葉』(講談社、2011年)の中で、国境を越えた人々と仲良くする方法として「具体的な友人が海外にひとりいればいい。・・・よく知った中国人がいれば、中国に対して無差別に爆撃することに賛成できないですね。・・・そういう友人がいれば、その中国人を殺してもよいが、私を殺してはいけない,という論理は成り立たなくなる。成り立たないから友情なんでしょう。だからまず、ひとりの友人をもつこと。それが出発点です。」という。(73-74p)
この内容と昨夜の中国の女性との付き合いは異なるかもしれない。それでも海外ボランティアといわなくとも、日本にいる海外の人を友人としてもてばその国に対する接し方も変わってくるかもしれない。
彼女の異国での生活は大変だろう。しかし、彼女はまだ若い!どんな可能性も秘めている。
私はといえば日本の国によほどの天変地異が起こらず、元気であれば、ある程度の将来の見通しはつく。これをなんとか生かせないものだろうか・・・。では何を・・・。
気を取り直して今日は幼馴染とランチを共にする。食事後、我が家に移動。相変わらず他愛ないことを話す。時間はあっという間に過ぎてゆく。
これでいいのだと思いながら・・・。まずは私自身が楽しむこと。もう考えまい!
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