『いねむり先生』(伊集院静 集英社、2011年)を読んだ。この本は著者である伊集院静が小説家となっていく過程を色川武大との関わりを通して描かれている。
最近、本の中で小説のジャンルはほとんど読まない。この本は小説という手法をとっている。だが、その内容は本の帯にあるように著者自らが絶望の淵に立たされたとき手を差しのべてくれた色川と過ごした温かな日々を自伝的小説として書いている。
伊集院についてこの本を通して少しはわかってきた。
タイトルにある「いねむり先生」とは色川のことであり、いねむりの原因は「ナルコレプシー」といういねむりする病気にあるらしい。病気は著者自身も精神的な持病を抱えている。それと同時に色川も著者も父親との確執という共通項があった。
2人の共通項の一つである病気は色川は「気動車」、著者の伊集院は「馬車」の幻覚が現れる。(315p)
小説に入る前に、次のような文を書いている。尊敬してやまない色川に対する著者の気持が述べられている。
「その人が
眠っているところを見かけたら
どうか やさしくしてほしい
その人は 僕らの大切な先生だから」
著者と色川との出会いは、伊集院の先輩Kに紹介されたことにはじまる。
“ぜひ一度、遭わせたき人がいます”(7p)
著者が色川と交わした重要と思われるところは「」でなく『』の形式を取っている(注:せりふなどの「」でなく始から『』にしているという意)。読み終えてそれを知った。その『』部分を拾い集めるとこの小説のストーリーも見えてくる。「」と『』を使いわける手法は著者自らが意図的にしたものだろう。
先生と慕う色川と会ったとき『いや、彼は私のともだちです』旅館の老婆にボクのことを話したときの声だった。(84p)
この「ともだち」という色川の言葉に動揺する。衝撃を受けたと同時に嬉しかったようだ。この後、2人はギャンブルを通して行動を共にする。
その中で、色川の「恐怖でおかしくなる」先生をたびたび目の当たりにする。その都度、先輩のKにTELして確かめると尖ったものをみるとその発作が出るとわかる。病気のその発作が出るたび眠らせてあげるといねむり先生になる。
あるとき眠りから覚めた先生は『ここはどこだ?』『どうして君がいるんだ?』という。(147p)
『君が書いた小説です。チヌのことを書いた作品。とてもよかったですよ』まさか先生がボクの小説を読んでいるとは思いもしなかった。(174p)
先生の編集のNからも『今でもい書いているの?』と聞かれ『ボクには小説は書けません。すみません』謝るしかできなかった。(176p)
色川に著者が自らの病気を告げたとき自身が普通ではないと知る。“自分のどこかがこわれている、・・・自分は普通ではない。”(346p)
色川は『狂人日記』を完成させる。著者は「作品の中で、己を狂人と自覚している主人公が、唐突に吐露した一言だった。『自分は誰かとつながりたい。人間に対するやさしい感情を失いたくない』その一節を読んだ時、この一年半、先生とさまざまな場所を旅し、そこで見た先生の姿が浮かんだ。」(390p)
この辺りがこの本のハイライトだろう。
そして色川は文学賞を受賞する。その授賞式で居合わせた編集者のIさんから、著者に対してこつこつやっていればこういうこともあるんだといわれる。
その後、色川は亡くなる。著者も弟、親友、妻と近い人々を失うという経験をしている。だが先生の死はそれとも違う感慨に浸る。そして『知らん振り、知らん振り』(406p)を決め込んで過ごす。
そのころ編集者のN君から「小説をもう一度書いてみませんか」と誘われる。(407p)聞いたときはそっけなくしていた。それがいつしか小説家に・・・。そうなる前に物語は終わる。
伊集院が小説家になるきっかけは色川と過ごしたことにあった。色川とその編集者たちによって小説家へとなっていく。それは著者である伊集院にとって本の帯に書いてあるとおり「絶望からの再生」であった。
一つ忘れていた。色川はマージャンなどのギャンブルで「朝だ。徹夜だ。」の言葉から「阿佐田哲也」のペンネームもある。ほかにも2、3あるらしい。それにしても面白いネーミング。
人はいつの時代でも人とのかかわりで生きている。本の帯にそのことが書いてある。
「あなたが求めれば、優しく手を差しのべてくれる人が必ずいる」と。
ブログに投稿していると時間があっという間に過ぎていく。これから急いでドイツ・リートを聴きに行こう!
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