2012年2月29日水曜日

懐かしい人からのメール

曇り空の一日。お昼前、図書館へ予約の本を取りに行く。藤堂志津子の本。読んでいて暗い。1ヶ月の順番待ちだった・・・。こういうときは何だか時間がもったいない。もう読むのは止めよう。

先日卒寿の人のブログを投稿。今日改めてその新聞記事を読む。90歳のさっちゃんが描いた絵は他の誰かの手助けでスキャナに取り込むと思った。ところが自身で取り込んでいる。やっぱり素晴らしい!

有名な作家よりも「さッちゃん」の方が読むものを元気にする。

図書館を出るとスーパーに行く。今年は柑橘類が豊作なのかいろいろと並べられている。そのなかで「はるみ」をみつけた。「はるみ」は出始めた頃、1個500円くらいした。ところが今日見ると8個入って298円。この安さはなぜ!びっくりする。そろそろみかんは峠を越えたのか伊予柑も多い。これも安い。

みかんといえば「はるみ」や「きよみ」など女性のようなネーミング。先ほどネットで調べるとネーミングもそれなりの根拠があるらしい。「きよみ」は清見潟(きよみがた)・清見寺(せいけんじ)に由来するとか。. はるみ」の子供が「デコポン」。

作った人が勝手に自分の名前をつけるのかと思った。そうではない。それにしても何がどうなのか種類が多すぎてわからない。

ブログ投稿前、メールをチェックする。なんと1996年夏ペルーへ行った人からメールが入る。嬉しかった!今日メールをもらったのは奥さんから。といってもこの夫妻はペルー旅行で知り合い結婚した2人。どちらもよく知っている。ずっと年賀状は交換している。しかし今年は母がいないことを前のブログで知っておられた。

懐かしかった。ありがとうございます!

勝手にメールの一部を引用させてもらう。

「川崎市は朝から大雪です。(といっても数センチの雪なのに大騒ぎです)・・・
ブログからお母様がお亡くなりになった事を知りました。

我が家は息子が3月に3才になります。そして4月から幼稚園です。
まだまだ子供中心の生活ですが、そろそろ私も何かを始めたいなあと思っています。

辺境の地への旅はもう少しお預けになりそうです。
何かの機会にお会いできたらと思っています。・・・」

彼女とは互いに1人参加で相部屋。そしてリュックサックの大きさは違うが同じメーカー品。かわいい人だった。旅行中、男性3人で参加していたうちの1人と、もしかして・・・と感じた。帰りの飛行機で旦那さんになる人がみんなの連絡先を聞いたのである。

帰国後、何度かその人たちは東京近郊で会ってたよう。私も誘われた。しかしなかなか行かれない。その報告は今日メールをもらった彼女から知らせてもらっていた。みんないい人たちだった。懐かしい!皆どうしているんだろう!そういえば海外旅行でペルーが初めての人もいた・・・。

ロス経由で帰国した。ロスのユニバーサルスタジオで遊んだこともあった。今日はほんとうに懐かしい!

返信メールでこのブログを知らせる。いつかお会いしましょう!

2012年2月28日火曜日

ファドに魅せられて

相変わらず起床時間が遅い。特に泳いだ翌日は遅い。今朝もそうであった。

身支度を終えると郵便受けの新聞を取る。遅い起床なのでその頃には郵便も配達されている。

1通は「広響」の会員継続の会費納入案内。もう1つは知人からオペラ「カルメン」のリーフとチケットが送られてきた。ありがとうございます!そして楽しく見させていただきます!

会費といえば4月に始まる習い事などがどーんと待ち受けている。これも元気であればこそ。惜しまずに出そう。

夕方からフルートのレッスンに出かける。先日来から外に出るときはコンタクトをするようにした。外すとき手こずることもある。あの痛さはがまんできない。涙ポロポロ・・・。先ほどフルートを終えて帰宅。1度で外せた。少し安心。

「コンタクトが外れない」をネットで検索した。そういう人はいるいる。驚く。何でも自分ひとりだけと思うほうがおかしいのかも知れない。

コンタクトのおかげでフルートも上手く吹ける気がする。先週からのレッスン曲は「ダブルタンギング」で吹く。その曲は今日どうにか吹けた。しかし、先生からするとダブルではなくシングルで吹いてるらしい。折角ダブルで吹く曲だからそれで吹く練習をすることにした。

レッスンでその仕方を習う。先生の吹かれるようにどうしても出来ない。指と舌がバランスよく動かない。習っていてふと思った。フルートを習うのと外国語を習うのは似ていると・・・。舌を使うところである。この舌による良し悪しがその上達にあらわれる。中国語のそり舌音(以前は巻舌音といっていた)の発音などである。

今日からダブルの練習を頑張ってしよう。だが今日はもう止める。今、BSでファドをやっている。ファドはTVで見ると「運命」という意味とか。ファドは大好き。月田秀子のファドを聞きに行ったことがある。今ではもう広島では聞けそうにない。

スペインのフラメンコに匹敵するポルトガルのファド。そういえばポルトガルでも聞いた・・・。とりあえずファドのTVを見よう!久しぶりTVのファドに魅せられて・・・。

2012年2月27日月曜日

ヒヤシンスを買って・・・

昨日の『いねむり先生』についての補足。これを読むきっかけは昨年、この本を図書館に予約した昨年7月のある日、NHKのヒューマン・ドキュメンタリー番組に伊集院が出演。その話の中で、愛する妻を亡くした伊集院がギャンブルと酒に溺れる日々から色川と知り合い行動を共にする。その後、作家へと傾倒し『いねむり先生』を書き上げる。その作品のサイン会の模様をTVで映し出す。

ちょうどその頃、母を亡くして数ヶ月。その番組を見て伊集院が立ち直っていく状況をこの本から知りたいと思った。

昨日はそれをブログに投稿し、ドイツ・リートを聴きに行く。会場は街中にある。名前からして他の合唱とは違っているかと思った。ところが普通の合唱。小さい頃からなじんだ曲も多い。ドイツ語一辺倒かと思いきやそれも違う。

指揮者の団員の紹介でなんと男女とも最高齢は85歳前後の人。これを聞いてまたびっくり。高齢化社会を実感する。何を聞いても何を見ても高齢者ばかり。その点、それに比べるとまだまだ若い、と思ってしまう。

合唱を聞いていて思ったことは指揮者が一番元気!だということ。肝っ玉母さんのよう。貫禄も十分ある。元気なことは見ていて気持いい!だが男性陣が少ない。どこも女性が元気!?

最後に会場の皆も一緒になって「ローレライ」を3番まで合唱。これはよかった!

♪ なじかは知らねど心わびて
昔のつたえはそぞろ身にしむ
さびしく暮れゆくラインのながれ
いりひに山々あかくはゆる ♪

2000年8月のライン川を思い出す。「ローレライ」の流れる船の中で飲んだアイスワインの美味しかったこと・・・。1本なんと10万円とか。もうびっくり。

ライン川の近くの宿に泊まる。その付近を散策中、古物商のお店に入った。店主はパソコンを駆使している。それに見とれているとうすいグリーンがかったワイングラスをくれた。2つもらって1つはその旅で知り合った人にあげた。今でもその1個は我が家に鎮座している。

その古物商兼物流関係の仕事の店主とアドレスを交換。日本に帰国して、ドイツ語を習っている知人に訳してもらって何度かメールを交換した。久しぶりドイツのことを思い出す。その節は翻訳してもらってありがとう!

閑話休題。日付は変わって今日。お天気がいいのか悪いのかわからない。晴れたと思ったら曇ったりする。

月曜日はプールに行く。更衣室で隣町の福祉センターのプールについて見知らぬ人から話を聞く。

隣町は単独町制を敷いている。市内に在住するものでもそのプールを利用できると聞く。隣町ならばJRを利用しなくても自転車で行ける。市内の人も利用可能ならそこで泳ぎたい。しかし、プールは1コースのみとか。泳ぐには窮屈かもしれない。

今日も1キロ泳ぐ。歩く人は少なく、泳ぐ人は10人くらい。それも結構泳げる人がいた。上手く泳ぐ人を見るとしばし見とれてしまう。もっと早く泳ぎたくなる。

背泳ぎはだいぶ早く泳げる。しかし、足をあまり使ってないようで手ばかりで泳いでいる。おかげかどうか肩のまわりにばかり肉がつく。もっとビート板で足の練習しよう!

水泳を終えて最寄の駅で降りる。花屋の前を通るとヒヤシンスの鉢植えがあった。球根3個が植えられ、つぼみも出ている。あまりにもかわいいので買って帰る。その花言葉は「悲しみをのり越えた愛」とか。昨年買えばよかった・・・。

2012年2月26日日曜日

『いねむり先生』

『いねむり先生』(伊集院静 集英社、2011年)を読んだ。この本は著者である伊集院静が小説家となっていく過程を色川武大との関わりを通して描かれている。

最近、本の中で小説のジャンルはほとんど読まない。この本は小説という手法をとっている。だが、その内容は本の帯にあるように著者自らが絶望の淵に立たされたとき手を差しのべてくれた色川と過ごした温かな日々を自伝的小説として書いている。

伊集院についてこの本を通して少しはわかってきた。

タイトルにある「いねむり先生」とは色川のことであり、いねむりの原因は「ナルコレプシー」といういねむりする病気にあるらしい。病気は著者自身も精神的な持病を抱えている。それと同時に色川も著者も父親との確執という共通項があった。

2人の共通項の一つである病気は色川は「気動車」、著者の伊集院は「馬車」の幻覚が現れる。(315p)

小説に入る前に、次のような文を書いている。尊敬してやまない色川に対する著者の気持が述べられている。

「その人が
眠っているところを見かけたら
どうか やさしくしてほしい
その人は 僕らの大切な先生だから」

著者と色川との出会いは、伊集院の先輩Kに紹介されたことにはじまる。

“ぜひ一度、遭わせたき人がいます”(7p)

著者が色川と交わした重要と思われるところは「」でなく『』の形式を取っている(注:せりふなどの「」でなく始から『』にしているという意)。読み終えてそれを知った。その『』部分を拾い集めるとこの小説のストーリーも見えてくる。「」と『』を使いわける手法は著者自らが意図的にしたものだろう。

先生と慕う色川と会ったとき『いや、彼は私のともだちです』旅館の老婆にボクのことを話したときの声だった。(84p)

この「ともだち」という色川の言葉に動揺する。衝撃を受けたと同時に嬉しかったようだ。この後、2人はギャンブルを通して行動を共にする。

その中で、色川の「恐怖でおかしくなる」先生をたびたび目の当たりにする。その都度、先輩のKにTELして確かめると尖ったものをみるとその発作が出るとわかる。病気のその発作が出るたび眠らせてあげるといねむり先生になる。

あるとき眠りから覚めた先生は『ここはどこだ?』『どうして君がいるんだ?』という。(147p)

『君が書いた小説です。チヌのことを書いた作品。とてもよかったですよ』まさか先生がボクの小説を読んでいるとは思いもしなかった。(174p)

先生の編集のNからも『今でもい書いているの?』と聞かれ『ボクには小説は書けません。すみません』謝るしかできなかった。(176p)

色川に著者が自らの病気を告げたとき自身が普通ではないと知る。“自分のどこかがこわれている、・・・自分は普通ではない。”(346p)

色川は『狂人日記』を完成させる。著者は「作品の中で、己を狂人と自覚している主人公が、唐突に吐露した一言だった。『自分は誰かとつながりたい。人間に対するやさしい感情を失いたくない』その一節を読んだ時、この一年半、先生とさまざまな場所を旅し、そこで見た先生の姿が浮かんだ。」(390p)

この辺りがこの本のハイライトだろう。

そして色川は文学賞を受賞する。その授賞式で居合わせた編集者のIさんから、著者に対してこつこつやっていればこういうこともあるんだといわれる。

その後、色川は亡くなる。著者も弟、親友、妻と近い人々を失うという経験をしている。だが先生の死はそれとも違う感慨に浸る。そして『知らん振り、知らん振り』(406p)を決め込んで過ごす。

そのころ編集者のN君から「小説をもう一度書いてみませんか」と誘われる。(407p)聞いたときはそっけなくしていた。それがいつしか小説家に・・・。そうなる前に物語は終わる。

伊集院が小説家になるきっかけは色川と過ごしたことにあった。色川とその編集者たちによって小説家へとなっていく。それは著者である伊集院にとって本の帯に書いてあるとおり「絶望からの再生」であった。

一つ忘れていた。色川はマージャンなどのギャンブルで「朝だ。徹夜だ。」の言葉から「阿佐田哲也」のペンネームもある。ほかにも2、3あるらしい。それにしても面白いネーミング。

人はいつの時代でも人とのかかわりで生きている。本の帯にそのことが書いてある。

「あなたが求めれば、優しく手を差しのべてくれる人が必ずいる」と。

ブログに投稿していると時間があっという間に過ぎていく。これから急いでドイツ・リートを聴きに行こう!


2012年2月25日土曜日

演奏会へ

昨夜は広響の定演を聴きに行く。演奏曲目はワーグナーの歌劇「タンホイザー」から

序曲
タンホイザーとヴェーヌス―ヴェーヌスの誘惑
「歌の殿堂」
エリーザベトとタンホイザーの再会
合唱「歌の殿堂をたたえよう」
「この高貴な集いを見渡せば」
ヴェーヌス賛歌
エリーザべトの嘆願
「エリーザベトの祈り」
「夕星の歌」
「ローマ語り」と終曲

であった。

指揮者は沼尻竜典。オペラのダイジェスト版だけあってテノール、ソプラノ、メゾソプラノ、バリトンはソリスト。各ソリストの声はさすがに素晴らしい。その歌声は会場に響き渡る。

昨夜はコンタクトをしていったのでよく見えた。また隣席も若い男子学生で、前回、前々回のアルコールの匂いもなく、ゆっくりと聴けた。しかし、新聞などの前評判ほどではないらしく空席が目立つ。

プログラムにはびわ湖ホールで来月開催される歌劇「タンホイザー」のチラシがはせてあった。その指揮者、ソリストとも昨日の演奏者と同じ人である。

びわ湖ホールは京都のコンサートホールと並んで立派なホールで有名。以前、大津のプリンスホテルに母たちと泊まったとき、びわ湖ホールを通り過ぎたことがある。外から見ても立派な建物。

また京都コンサートホールも演奏は聴いてないものの、レストランで食事をしたことがある。その施設も素晴らしかった。いつか2つのホールで演奏を聴いてみたい。

休憩時間にエレクトーンの友だちからメールが入る。明日、市内のホールで開催されるドイツ・リートの合唱団の演奏会の案内である。その人とは先日15年ぶりで会った。そのときもその話は出ていた。チケットを受付に預けるとのこと。明日はその合唱を聴きにいく。

「リート」とは電子辞書でみるとドイツの芸術歌曲、シューベルトやシューマンの作品が有名とある。その人に聴くとドイツ語で歌うらしい。5月にはドイツ演奏旅行をするとか。

今日は昨日と違ってお天気はよくない。先ほどまで元気をなくしていた近所の女性とランチをともにする。話していると、昨日検査をしたとか。結果は現状維持のよう。見たところ元気そうなのでホッとする。その人も節分草を見に行きたいといっていたが・・・。

どこへでもいい。出かけさえすれば・・・。そうすれば皆元気を取り戻せる・・・。

2012年2月24日金曜日

春間近!

今日は昨日に続いて春を思わせる陽気。余りにも気持ちよい朝なので急遽、幼馴染を誘い出して隣町まで出かける。

行き先は大型電器店内にある回転寿司店。自転車で幼馴染宅に行き、自転車をおいて目的地まで歩く。

いつもどおりの服装で出かけた。途中で暑くなりコートは脱いで歩く。もう少しするとその界隈は桜の花が咲くところ。特に寿司店横にある陸上自衛隊の桜は開花時期になると見事に咲き誇る。

歩きながら母を連れて行ったその途中の河川敷の桜と自衛隊の桜を思い出す。どちらも我が家からかなり離れている。今ではどこに行くのも自転車。母が健在の頃はよく車椅子を押して出かけた。母は決して行きたくないとは言わなかった。外に出たかったのだろう。

食べおえると今度は来た道とは違う道を歩いて帰る。久しぶりに歩く道。どこを歩いても話をすれば懐かしいことばかり。幼馴染も同じような経験をしていた。

幼馴染と別れて家に入る。外の方が気持ちがいいくらい。このまま暖かくなるのだろうか。

今日は夕方から広島交響楽団の第316回定期演奏会を聴きに出かける。

今日のプログラムは「広響プロ改組40周年記念プレ事業」として「タンホイザー~愛と救済」と銘打った、ワーグナー:歌劇「タンホイザー」(ステージ形式/ダイジェスト版/字幕付)の演奏会である。

本来なら4時間くらいある。それを1時間半に短縮したオペラ。

オペラは昨年3月以来1年ぶり。オペラといえば1週間余り後、知人は「カルメン」に出演する。カルメンといえばスペイン。スペインを思い出しながら「カルメン」を見に行こう。チケットは知人にもらって・・・。楽しみにしています!

2012年2月23日木曜日

「人生楽しまなくっちゃ!」

昨夜から降り続いた雨も午後にはあがる。午後から予約している歯科に行く。行く前にメールが入る。先日電話で話した「ふーちゃん」からだ。

メールのタイトルは「ふーちゃん登場」。本文を見るとあちこちに豚の絵文字が・・・。読みながら吹きだす。

究極の可笑しさはポテポテお腹の豚君(頭にリボンがあるから豚姫?)がケーキ、クッキー、ハンバーガー、飴など甘いものに囲まれて体重計を前にドキ、ドキしている姿。

よくもこの絵文字を集めたものと感心しながら笑い転げて読む。ブログにそのまま載せたいけど出来そうにない。

あまりにも可笑しいのでまたまたTELする。相変わらず10回くらい呼び出してやっと電話口にふーちゃん登場。

話していると今日も面白い話をする。子供さんが風邪をひいたので病院に連れて行った。先生から「体重は?」と聞かれ、ふーちゃんの体重を告げたという。先生はそれを聞いてびっくり。ふーちゃんもびっくり。聞かれたのは子供さんの体重だった。

面白さはふーちゃんのみならず,その娘さんも面白い。

子供さんが2歳くらいの頃のこと。病院に連れて行ったそう。子供さんに「尿」を取るようにいうと、「コップにしてはいけないよ」といわれたとか。何度言ってもムリ。とうとうそれをやめて帰りかけたところ尿意をもよおす。ここだとばかりすぐにトイレに連れて行く。すかさずコップを用意。やっと採尿できたそう。

これも考えてみれば子供のいうことは間違っていない。だが可笑しい!

話をしているとふーちゃんは絵本作家のターシャ・テューダーが好きだという。市内で開催されたターシャの催しにも出かけたという。ふーちゃんにいわせるとその人の生き方は「人生は楽しまなくっちゃ・・・」だとか。

今、ウィキぺディアでその人の本を検索するとあった。少し例に挙げてもそういった類の本である。

・ 『楽しみは創り出せるものよ ターシャ・テューダーの言葉 (2))』
・ 『生きていることを楽しんで ターシャ・テューダーの言葉 特別編』 
・ 『喜びは創りだすものターシャ・テューダー四季の庭 』

これらはまだ読んだことがない。いつか読もう。

電話を終えて自転車で歯科に向かう。今日はあまりにも暖かい。そのせいか、道を歩く人も多い。帰るまでに3人に会った。

一人暮らしだと声を発しない日があると聞く。我が家はそういうことはほとんどない。家を一歩出ると、まるで関所をとおるかのように人が声をかける。

こうして今日も楽しい一日が過ぎてゆく・・・。

2012年2月22日水曜日

セロリを食べよう!

今日の午前中は曇り、午後は雨が降り続く。それでもいつものように自転車に乗って外に出る。最低気温はやっと氷点下とならず、寒さも一段落。自転車に乗っていても指先は冷たく感じない。

予約してある本を図書館へ取りに行く。昨年7月に予約した伊集院静の『いねむり先生』をやっと手にする。もう一冊は予約したばかりの本。本は予約待ちによって作家の人気のバロメーターがわかる。その点、伊集院は人気作家なのだろう。最近予約した『大人の流儀(正)』も150人待ち。これも読むのは秋ごろになりそう。

人気作家といえるかどうか、長谷部誠の『心を整える。』は昨年6月に予約した。それはまだまだ先になりそう。

ブームが去った後、読むことになるのだろう。それも仕方ない。借りて読むのだから・・・。

今日借りた『いねむり先生』は本の帯に「絶望からの再生 あなたが求めれば、優しく手を差しのべてくれる人が必ずいる 作家にしてギャンブルの神様、色川武大と過ごした温かな日々― 伊集院静 著者自伝的長編小説の最高傑作」と書いてある。

本の奥付をみると2011年4月第1刷が2ヵ月後の6月には第5刷になっている。その人気振りがそこでもわかる。

借りてきてすぐに読もうと思った。ところが、お昼から幼馴染と談笑。しゃべっているといつの間にか時間が経ってしまって・・・。

図書館を出るとスーパーへ行く。この数年、セロリに凝っている。母のいた頃、繊維質の野菜を食べさせてあげようと思ってよく買っていた。そのせいか、あのせんじ薬のような独特の香りに魅かれていった。セロリには海老との相性がいい。

海老に塩コショウをして片栗粉をまぶす。それとセロリを刻んだものを炒める。その中に、しいたけ、にんじんを入れても美味。最後に卵をかき混ぜるともっと美味。ついでに生姜のみじん切りも入れて・・・。

昨日、セロリを炒めようとすると海老がない。今日、早速、海老を買う。

海老といえば、マングローブを伐採して養殖する。それが結果的に環境破壊に繋がると習ったことがある。それからというもの、インドネシア、タイなどから輸入された養殖海老は絶対に買わないようにしていた。ところがそれもいつの間にかセロリと海老が合うと知ると買ってしまう。

海老でなく豚肉に替えて料理する。やはりセロリは海老がいい。そう思って今日も海老を買う。

スーパーを出ると2ヶ月ぶりに近所の人に出会った。昨年、一番気分が落ち込んでいたときその人に慰めてもらった。私が元気になるにしたがって、今日会ったその女性は段々と元気をなくしていった。病気が出てきたのである。

ところが今日見た限り元気そう。来週ゆっくり会う予定にして今日はわかれた。

ともあれ、何をするにも元気が一番。それにはまずセロリを食べよう!その後で『いねむり先生』を読もう!

2012年2月21日火曜日

卒寿のブログetc.

今日は朝からすっきりしないお天気。夕方、フルートのレッスンに出かけようとしたら雨が降り出す。ちょうどその頃、昨日のブログで話題にした人からメールが入る。電話でブログのタイトルを知らせた。それを今日読んだとか。

メールを読むとその人自身だけでなく、書いてあることまで面白い。またいつものように勝手に引用させてもらう。

「次回の登場は、ふーちゃんがいいなあー」

この「ふーちゃん」についてはその人の旧姓の頭文字は「ふ」がつく。レッスンに行くJRの中でしばし考える。頭文字なのかそれとも失礼ながら「太っている」の「ふ」なのか。

今、ブログに投稿するため改めてメールを読むと「ふーちゃん」の前に「豚」の絵文字が載っている。ということは後者の方らしい。あまりにもおかしいので笑いながら投稿。

ふーちゃん、ちゃんと「ふーちゃん」とブログに書きましたよ。もう何もかも面白いね。暖かくなったら是非とも会おうね!楽しみにしてます!

フルートの教室に着くと、受付の人に知人からもらったフリーペーパーと書いてきた手紙を渡す。やはり何事かと驚いた様子。手紙は日本語で書いた。読んでわかってもらえたようだった。気になることがあったので尋ねると心配することもない。暖かくなったらフリーペーパーに載っている先生と連絡を取ると話していた。渡すとき、その先生のメールアドレスと研究室の部屋番号も書いておいた。少しホッとする。

レッスン前に、まだ少し時間があった。ロビーで地元の夕刊を読む。なんと卒寿の人のブログが1日のアクセス数2万回だとか。今そのブログを見ると文字だけでなくきれいな絵も掲載されている。とても90歳の人のブログではない。驚いてしまった。そのブログのタイトルは「さっちゃんのお気軽ブログ2」という。毎日の更新だとか。

世の中、元気な人はいくらでもいるんだ、と改めて気づく。もう生き方のお手本。いつまでも元気な人はやってることが違う。私もその人を励みに頑張らねば・・・。まだまだその人から見たら「ひよこ」。親ほども年齢が違う。俄然勇気が沸いてくる。

その勢いでフルートのレッスンをする。今日は先日来から初めの音だしに注意をしているので少しはいい音が出た。今の曲は1小節に音符が12 も連続してある。一般のタンギング(管楽器の奏法で、舌を用いる技法の総称)でなくダブルタンギングで練習。ダブルは久しぶり。頑張って練習しよう!

練習といえば楽譜どおりにすることが多い。ところが、譜面で難しい場面では逆に後から前に振り返って吹く練習をする。このやり方、今日の教訓。何事も出来ない箇所を集中すればいいとはわかっている。今日改めてそれを知る。

90歳まではまだ遠い!頑張って!

2012年2月20日月曜日

体重談義

今日も冷たい朝。日中は晴れ渡り空一面真っ青。まさにスカイブルー。

3週間ぶりプールに出かける。中に入ると先ずは体重計に乗って体重測定。冬の季節は夏に比べて家にいる時間が長い。毎日自転車に乗っていても運動不足になりそう。しかし体重はほとんど変化無し。

更衣室に入るとちょうど教室が終わった時間のようで人は少ない。プールに入るとやはり泳いでいる人はいない。歩く人が2人いた。ビート板を持って泳ぎ始める。普通に泳ぐほうが楽だけど、とりあえずビート板で1往復する。その後、クロールと背泳ぎを交互にして19往復。今日も1キロ泳いだ。

泳ぎ終えてJRの駅に向かう。風は結構吹いている。空も真っ青。周りの景色も透き通るほどで気持いい。

家に着くと昼食。その後、部屋にいてエアコンなしでも暖かい。足元に電気ストーブをつけてバイト時代の人と電話で話す。

一昨日、その人からメールをもらった。母の法要を覚えていてくれ励ましてもらった。その人のお母さんは4年前に亡くなられている。そのためもあってか、話していて慰められる。それと同時にその人の話しは面白い。今日もしゃべりながら大笑いする。

その人には大学を卒業した娘さんがいる。娘さん曰く。「78キロのお母さんを生まれて初めて見た!」。娘さんが生まれて以来、初めて78キロの体重になったという。それまでは78キロまで下がったことがないらしい。

モノもいいようである。面白い一家だ。本人曰く。靴は紐が結べず紐の靴は履けない、と。またズボンを穿くにも手すりか、座ってしか穿けない、とか。それでも最高の体重のときと比べてなんと32キロ痩せたという。もう話の中で電卓が欲しくなる。

人間もここまでになると、いつものことながら笑いしか起きない。今日も出る出る。「人生楽しまなくっちゃ・・・」。他にもいろいろ聞いたけどブログに書ける話題でない。あまりにも可笑し過ぎて・・・。

この続きは是非会って聞くことにしよう。その日までお願いだから痩せないで・・・。痩せるどころか太っている?

2012年2月19日日曜日

手紙を書く

今日は今季一番の寒さと思えるほど冷たい朝だった。それでも日中は日差しもあり暖かく感じる。

午前中は特別の用もない。ふと手紙を書こうと思いつく。そう思っても文字を書くことがあまりない。とりあえず便箋と封筒を用意。筆記用具はカートリッジを購入したウオーターマンの万年筆。

仕事をしていた10年近く前までは文字を書くことも多かった。それなのに最近は「書く」習慣がない。

1通目は福岡へ出す手紙。電話するたびちゃんと母の法要をするようにと気にかけてくださる。その報告と晩白柚子が美味だったこと、そして先日のシルクロードのテレビを見ての感想を書いた。

書くのはいいのだが、柚子、撮影などの文字が書けない。傍らに電子辞書を置いて書く始末。これではいけない。そう思いながらも2通目を書く。2通目は先日メモをもらった中国の女性を励ます手紙。これは手紙といってもポストに入れなくて会ったとき手渡す予定。

これも文字が書けない。パソコンで打ち出せばいいと思った。しかし、手書きにした。

最近読んだ『朝採りの思考』(外山滋比古 講談社、2010年)の中で、著者の外山は「足の散歩、手の散歩、頭の散歩。これが三つの三歩である。」(171p)としてその効用を述べている。

パソコン入力も「手の散歩」かもしれない。しかし、時に文字を忘れないようにする「頭の散歩」も大事。それには手書きがいい。そう思って久しぶりに文字を書く。

それを終え昼食後、図書館へ行く。『新潮45』2月号を見ると養老孟司が人生後半の生き方について「そういう時代に、自分ひとりで放り出されたら、なにができるか。せいぜい山に登るくらいがオチであろう。それなら、他人の邪魔にならないからである。私がラオスやブータンに行くのも、似たようなことである。日本の世間でウロウロしていたら、雑踏で若者に踏み殺される。人生後半は、身体の問題だと思えば、気楽なものであろう。」と述べる。「意識」から「身体」へ返れ、と語りかける。

人生の後半を生きている。外山も養老も人生の後半戦は身体の良し悪しが問われるというのだろう。たかが文字、されど文字。それならば横着をせず、少しでも手を動かすことからモノ・コトを始めよう。文字を書くことから・・・。

2012年2月18日土曜日

新たな気持で!


今週は毎日外に出かけている。今日は特に予定もない。遅い起床となってしまった。朝食後、いつものようにメールをチェックする。

今のブログを開設して今月で早くも1年が来る。ブログ開設後2日目に長年、自分のモットーにしていたことを投稿した。そのことを書かれたご本人から昨夜メールが送信されていた。その一部を勝手に引用させていただこう。 

「昨年ブログに出会ったことに感謝して、お母様に感謝の言葉を念じさせていただきます。又一年、幸せな時間が沢山ありますように。」

と書いてある。

本来なら、そのモットーを励みとしてきた私のほうが感謝しなければいけない。それなのに・・・。

〇〇様

本当にありがとうございます。おかげで母の法要も無事済ませることが出来ました。これを一区切りとして今日からまた新たな気持で毎日を過ごします。

昨年のブログ開設時、我が家のにおい桜は満開に咲き誇っていた。ところが、今年は一輪の花もつけていない。いつも遊びに来る幼馴染はそれをみて大きくなったと言ってくれる。何度買っても幼馴染はすぐに枯らしてしまうとか。もう少し暖かくなったら大きな鉢に植え替えよう。

幼馴染といえば今月末一緒に県北へ節分草を見に行く予定にしていた。ところが、昨日、バス会社から催行不可能の電話がかかった。見に行く人が少ないと知って残念! 

今日は午前中予約していた歯科へ行く。それを終え、自転車で外に出ると猛吹雪。それでもそのまま自転車でスーパーに行く。 

昨年の今日も寒かった。寒い寒いといって引っ込まず、毎日元気を出して外に出よう。そして2年目に入ろうとしているブログに今日から新たな気持で投稿しよう!

2012年2月17日金曜日

フルート定例会etc.

昨夜は、フルートの仲間と「フルート定例会」をした。この命名者は知人。参加者は前回と同じく、知人と尾道の人と私。

少し早い集合でまだ開店前。しばらくぶらぶらしてお店に入る。初めて入るお店。知人はここに来たことがあるとか。他の2人は初めて。何もかも他のお店と違って驚くことばかり。注文の仕方も違う。次回は私がするようにと知人。大丈夫?

席に着くなり、尾道の人に愛の詰まった2日遅れのバレンタインを渡す。知人には14日、同じく一杯愛を詰めて渡している。それぞれ大きな愛で大変だった!?

話していて知人は先日書いたブログで意味不明な箇所があるという。そこはブログの投稿途中で削除した箇所があるところ。自分が読んでも何だか変。

「誰が読んでもわかるように文を書く」が文章を書く上での基本。それを知人は言い当てた。その場で説明する。

その意味不明の箇所を手直しする。だが、いい具合に書けない。後でまた考えよう。

昨夜は前回酔ってしまったので、少し食べてビールを飲む。中ジョッキ2杯飲んだ。皆、結構飲んだよう。よく飲み、よく食べ、よくしゃべった。楽しかった!次回の「フルート定例会」も決まった。

帰り道、先日のブログに書いたことで、なぜ福山まで行ってフェスティバルに出たのだろうと話すと、尾道の人はそのいきさつを覚えておられた。

13年前のその年、フェスティバルは福山で開催された。尾道在住のその人が出演するというので、知人と私も出演することにしたとか。

尾道の人は、いつか「しまなみ街道」を案内するといわれた。ずいぶん前にも車で案内してもらっている。この予定は来月の例会で決めようということにして皆と別れた。遊ぶことはなんでもOK。また楽しみが増えた!

今日は母の一周忌法要の日。朝から日は射しているのだが雪がちらつく。妹夫妻は朝早く大阪を発って10時過ぎには我が家に到着。皆が揃ったところで法要前に墓参り。

それを終えるとお寺へ出かける。お寺の中は暖房も入り暖かい。お上人の奥さんは「位牌」を持参するようにと言う。すっかり位牌のことは忘れていた。それを取りに家に帰る。しばらくして法要が始まった。

無事法要を終えると、広島駅新幹線口に隣接するホテルの日本料理店で食事。個室を用意してもらった。一人分の席が空いている。誰彼となく母が皆で会う機会をつくってくれたと・・・。そして一緒に食べたかっただろうと話して・・・。

幸い皆元気。特に妹の夫は昨年会ったときと違って見違えるほど元気そう。本当に元気になってよかった。毎日歩いているとかで、顔色もいい。

あの1年前の淋しさはどこへ・・・。楽しく過ごす。また1年すると3回忌がくる。

ホテルのロビーで皆で写真におさまる。次回に会うまで皆元気で!忙しい一日は無事終わった。

1人になってメールを見ると埼玉の従兄から送信されていた。ほとんどメールを交換しない。それなのに母の一周忌法要のことを覚えていてくれて・・・。嬉しかった!

その従兄は日本の外大を出て定年まで長年シンガポールで勤務していた。メールの最後には、

「お陰さまで今のところ元気にしています。ただ仕事はしていませんので、自由時間はたっぷりとあります。でも、其の時間も有効には活用できていないようです。忸怩たる思いもあります。まあ、折角のいのち。有りがたく生きさせてもらうことにします。なにか、専門分野に熱中していますか。」

とある。

専門分野は所属する研究会から定期的に送られてくる『史学研究』を読むのみ。4月からスペイン語を習う予定と書いて送信。

従兄はボランティアで得意の英語を生かした「寺子屋」のようなことをしたいとか。もしかしてもう始めているかもしれない。

今日の法要でお上人は亡くなった人の成仏は残されたものの供養にあるという。気持も落ち着いてきた。何か自分のために、人のために熱中するものを探さなくては・・・。とはいっても自分が幸せだと思うことが一番の供養かも・・・。

ブログ投稿後、一番大事なことを忘れていた。一昨日、中国の女性と広島で華僑の世話をしている先生のことを投稿した。すると、昨夜知人は席に着くなり、私に渡したいものがあるといってフリーペーパーを見せてくれた。そこにはその先生の顔写真があった。もうそれを見てびっくり!

知人はブログを読んですぐにその記事の人だとわかったという。まさか、時期同じくして記事になっているとは・・・。よく知人も気づいたと感心する。

知人の習っているドイツ語の先生はその記事に出た先生をよくご存知とか。もらった記事を来週のフルートのレッスンに行くとき受付の中国の女性に見せてあげよう。その人は喜んでくれるはず。そして、びっくりするはず。きっと・・・。

2012年2月16日木曜日

一周忌法要を前にして

お天気がいいのか悪いのかわからない日。午前中、自転車に乗って外に出ると春を思わせる陽気。ところがそれもつかの間。場所を移動するときは霧雨も降ったり・・・。

明日、お寺で母の一周忌法要をする。今朝はその準備のため、自転車であちこち出かける。まずお寺にTELしてその確認をする。次に供花、果物、お供えを用意。他にも小さい団子を用意する。しかしそれは省いてもらう。

先ほど、花屋さんへ行って供花を準備してすぐにお寺に持参した。果物とお供えは当日でもいいとか。スーパー内にある果物専門店に出かけるとお店がない。そこから撤退したようだ。昨年の法要のときはそこで果物籠にしてもらった。残念!

仕方なく他のスーパーに行く。果物専門店はない。普段より高めの果物を買って用意する。お供えは先日デパートで買って帰った。

お寺に渡すお布施は母が遺している。姉妹からお供えはもらわないようにしようと思う。しかし姉も妹もその子供たちも用意するらしい。とりあえず受け取ってそれは後で他の形に変えよう。

おおまかなことは用意できた。今年は母の1周忌と父の23回忌が重なる。年月の経つのは早い。あっという間に時は過ぎてゆく。

さすがに、父のいない淋しさはあまりない。いつの日か母のことも忘れてしまうのだろうか。時がすべてを解決してくれるとはよく言ったもの。一周忌を前にしてそう思う。

今まで自分自身のことだけを考える毎日だった。人のことどころではなかった。それが、最近は先日の中国の女性などの話を聞いて人の辛い状況もよく理解できるようになった。少しは心にゆとりができたのかもしれない。

ともあれ、元気なうちはせいぜい親の供養をしよう。

今日は夕方から飲み会。気分を変えて遊びましょう!

投稿後、思い出した。最近、ヴァイオリニストの古澤巌のブログにはまっている。また、勝手に一部を引用させてもらう。


「いゃ~食べた食べた食べました。ゼストなメニュー。

会場に着くなり、ロビーでゼスト。

アフターパーティで、またまたゼスト。」


この「ゼスト」がわからない。すべてを読んで気づく。メキシコ料理かも。アメリカでのことらしい。

この人のブログは面白い!わからないことが多すぎる。私にとってのいまどきのバイブルなのかもしれない・・・。

2012年2月15日水曜日

考える!

今日も一日パッとしない天気。

昨夜は、久しぶり寝つきが悪かった。中国の人のことが眠るまで頭を掠める。思ってもどうにもならない。それなのに・・・。

もらった1枚の紙にはワープロでその人自身が日本に来たいきさつなどが書かれていた。他にもこれからの日本での希望が書いてあった。それは立派な決意である。

その感想を返事として認めたいと思った。その文章が頭から離れず、すぐに眠れなかった。こういうことはめったにない。

そういう時は起きるのも遅い。

中国の政治にはあまり関心がない。しかし、「中国」に対する関心は人一倍ある。昨夜の中国の女性は中国語を習っていたと話したことから私に気を許したのだろう。そして自身のことを知ってほしかったのだろう。

数年前までシニア海外ボランティアに憧れたことがあった。それも母の介護でムリと知った。だが今はしようと思えばかなりのことは可能である。

中国の女性とはひとりの友人として付き合えばいい。そして、今、私にできることでその人を勇気付けてあげよう。それは海外ボランティアとは程遠いこと。それでもいい。

戦後日本を代表する知識人の一人である加藤周一は『ひとりでいいんです 加藤周一の遺した言葉』(講談社、2011年)の中で、国境を越えた人々と仲良くする方法として「具体的な友人が海外にひとりいればいい。・・・よく知った中国人がいれば、中国に対して無差別に爆撃することに賛成できないですね。・・・そういう友人がいれば、その中国人を殺してもよいが、私を殺してはいけない,という論理は成り立たなくなる。成り立たないから友情なんでしょう。だからまず、ひとりの友人をもつこと。それが出発点です。」という。(73-74p)

この内容と昨夜の中国の女性との付き合いは異なるかもしれない。それでも海外ボランティアといわなくとも、日本にいる海外の人を友人としてもてばその国に対する接し方も変わってくるかもしれない。

彼女の異国での生活は大変だろう。しかし、彼女はまだ若い!どんな可能性も秘めている。

私はといえば日本の国によほどの天変地異が起こらず、元気であれば、ある程度の将来の見通しはつく。これをなんとか生かせないものだろうか・・・。では何を・・・。

気を取り直して今日は幼馴染とランチを共にする。食事後、我が家に移動。相変わらず他愛ないことを話す。時間はあっという間に過ぎてゆく。

これでいいのだと思いながら・・・。まずは私自身が楽しむこと。もう考えまい!



2012年2月14日火曜日

びっくり!

夕方までしとしとと雨が降り続く。

お昼前、急遽、眼科に行く。昨年春頃、久しぶりコンタクトレンズを入れた。ところが勘が鈍ったのか年のせいなのか外れなくなってしまった。それ以来、コンタクトをしていない。

視力は良くない。そのため、メガネでは矯正できず、長年、コンタクトに頼っていた。

楽譜を見ても初見で吹けるところも思うようにならない。4月から外国語も新たに習う。やはり視力は必要。眼科に行く前、コンタクトを入れた。世の中が明るく見える。

眼科でコンタクトをはずす練習をする。こんなことは考えても見なかったこと。2人の看護師さんに教えられてはずせるようになった。それもそれようのスポイドを目にあてて取り外す。

ここまで書いて不思議に思われるかもしれない。フルートの先生に話すともっと若い人も眼科医からもう入れないほうがいいと言われたとか。それを聴いて少しは納得。

フルートのレッスン前に、バレンタインデーのチョコなど買いにデパートに寄る。入り口で高校の同級生に出会う。もういいものはないという。

バレンタインデーといってもこの10年間、全くそういうことに関心はなかった。それどころではない生活だった。

久々、デパートでその雰囲気を味わう。中に入ってみると同級生の話したとおり、売り場のショーケースに並んだチョコは「売り切れました」の張り紙が・・・。もうびっくり!

お目当てがない。仕方なく酒売り場に行く。そこもバレンタインにふさわしい売り場にしてある。そこでバレンタイン向けにしてもらってワインを購入。それにチョコも一緒に買って・・・。

それを持ってフルートのレッスンに行く。今日はソノリテからいい音が出ない。いい音が出ないと吹いても苦しいだけ。先生もいろいろ試してくださる。結局フルートを下唇に当てる、そのことが左右するみたい。どういう風に当ててもいい音が出るようにしないといけない。レッスンが終わりになる頃、やっと調子も戻ってきた。

教室を出て、受付の人と話す。周りに人はいない。しかし、長く話していると係りの人に注意されそう。だが、なんとなく話し込む。相手は中国の女性。最近中国の人と話すことがない。まるで日本人のようなその人と話していると楽しい!だが今日はそうではなかった。びっくりした。悲しかった。

帰りの市電の中で、渡された1枚の紙を取り出して読んだ。もう少しで涙が・・・。

その人は今の職場の人にも今日聞いたことは話していないという。ここに書きたいけど書けない。

そのためか先週から、その人は私に社会人大学生として学んだ中国人の先生について聞いてくる。その先生は、中国の人。日本の大学で博士号をとり、大学教授の傍ら、華僑の世話もしている。

学部時代、「地域文化プログラム」を専攻していた。だが、その先生から3年生から「言語文化プログラム」に変わってゼミに入るよう説得された。考えた末、先生のゼミ生にはならなかった。そこまで熱心にゼミに誘ってくださる先生もいなかった。言われたとおりの道を進んでいたら今頃はどうなっていただろうか・・・。

その先生と今日話した受付の中国人女性は話がしたいという。

その意味が今日やっと分かった。

今日の話から、最近まで母と生活できたことの幸せを感じた。異郷での生活に羨ましさもあった。話を聞いてみないとわからないことは多い。あまり変化のない生活をしている。これでいいのか悪いのかわからない・・・。由としなければいけないのかも・・・。

びっくり!した一日となった。そしてバレンタイは終わった!

2012年2月13日月曜日

シルクロードのテレビを見て

今日は一日中雨が降る。自転車に乗って外に出られない。仕方なく歩くことにする。

月曜日はプールに行くようにしている。喉も治った。2週間ぶりに行こうとした。ところが、午後、歯科に予約を入れている。雨も降っている。ムリすることもないと思い、泳ぐのを断念。来週は必ず行こう!

歯科に行く前、TVを見る。五木寛之が出ていた。今年80歳になるとか。元気そう。まだまだ若い!

TVといえば昨夜は久しぶりゆっくり見てしまった。番組には速水もこみちが出ていた。この人もこのTVで初めて知った。名前は聞いたことがある。だが顔は知らなかった。

その番組はBSの「日中国交正常化40周年特別番組はるかなるシルクロード鉄道~中国横断2600キロの旅」。西安から新疆ウイグル自治区ウルムチまでの列車の旅である。

先ほど、これまで出かけた外国旅行のメモを探し出した。出かけた時期は1987年8月。外国旅行3回目だった。

昨夜のTVで敦煌は1987年に世界遺産に登録されたと知った。その年に行っていた。記念すべき年なのか、日本映画「敦煌」もそこで撮影されていた。

その頃は日本の景気もよかったのだろう。翌年、会社の社員旅行でハワイに行ったこともメモしている。それ以降もサイパン、オーストラリアと・・・。だがオーストラリアは気分が乗らず不参加。費用は全額会社持ち。現地での小遣いももらった。


余談は差し置いて、昨夜の番組は、シルクロード旅行を思い出させてくれた。番組があると知るとすぐに福岡にTELした。息子さんに見られるようにしてもらっていると話された。

番組ではすべて鉄道の旅だった。蘭州から飛行機でウルムチまで行った我々のときとは違っている。それでも映像で見る限り、25年前に出かけたときとほとんど変わっていない。

変わっていたのは月牙泉に柵が張り巡らされていたこと、敦煌莫高窟のなかにカメラクルーを入れなかったこと、高昌古城に改札ゲートが出来ていたことなど。

特に莫高窟は見せてもらえないところも福岡のお母さんが勉強されていて、ごり押しして見せてもらった。また高昌古城もゲートなどなくバスでどんどん入っていった。観光客は我々だけであり、TVで見るよりもずいぶん広々としたところである。

敦煌の鳴沙山では砂山が熱くて歩けない。「半べそ」になって山に登っていたら、駱駝に乗て行くという。添乗員は我々一行を驚かしたようだった。

久々に吸い込まれるようにしてテレビを見た。旅する人も番組に合っていた。

最後に「天池」が写っていた。ここへは行っていない。添乗員に是非連れて行って・・・と皆でお願いしたけど日程には入っておらずOKしてもらえなかった。残念!

いろいろ思い出した。今のようにブログに投稿していたらもっと思い出すかもしれない・・・。

さて明日はバレンタインデー。さてさて・・・。

2012年2月12日日曜日

変わる歯磨き

今日は春の訪れを感じる。自転車に乗って外に出ても気持いい!

いつものように予約の本を取りに図書館に出かける。予約の本を受け取ると、新聞を読む。長方形の大きな机と円形の机が新聞閲覧場所。誰も座っていない円形のテーブルに座る。しばらくすると男の人が座った。

新聞を読み始めると、その人は書いてあることを口にし始める。それに飽きると、ため息。次は咳やくしゃみ。それにも飽きるとカウンターに行き、職員と話はじめる。なんと落ち着きのない人だろう。

その横からは、子供たちの泣く声。大きな図書館でなく区民図書館。そこに図書館の落ち着く場所を求めるのはムリなコトかもしれない。それにしても・・・。

静粛な場所の図書館も今や老人と子供の遊び場所と化す。

気を取り直して新聞を読む。昨日の日経新聞に「歯」に関する記事が掲載されていた。

昨年10月頃から、歯科に通っている。何年もゆっくりと歯科に行く時間がなかった。「歯」を診てもらおうと通い始めた。3ヶ月かかって歯石を除去してもらった。それはよかった。気になることがあって先週から歯医者を変えた。今は女性の歯科医。

歯科医が変わると歯科診療も変わる。今や我が家には2箇所の歯科医院で買わされたというか買った歯間ブラシ、プラウト、歯ブラシなどが何本もある。歯科医によって言うことが違うのでそれも仕方ない。

今日読んだ日経新聞によると、時代によって「歯」に関することも異なると言う。

新聞大見出しには「変わる歯磨きの常識」、小見出しは「食後30分間空けて一日一回しっかり」と書いてある。酸性食品は歯のエナメル質を溶かす。唾液でそれを中和するのですぐに磨かないほうがいいらしい。

この見出しを見ただけでもこれまでのやり方とは違う。ましてや歯科医も新たな医学を学んだものとそうでないものとでは治療に対しても異なるはず。新聞を読んで納得。

幸い欠けている歯は1本。近いうちその歯も入れてもらう。しばらくは仕事と思って歯科に通うことにしよう!   


2012年2月11日土曜日

やっと問題が解決した!

最近、パソコンに振り回されていた。そろそろ買い替え時期?とも考えた。ところが、さっきやっとその問題が解決した。ホンと嬉しい!

パソコンを起動するたび、マカフィーセキュリティセンターのアイコンが危険を知らせるマークになる。それをそのたびごと、そのアイコンをクリックして「更新の状態」を確認する。その間、パソコンは喘ぎ喘ぎ作動する。もう見ていてイライラしてくる。

きっとウイルスにやられていると思い、スキャンしたりデフラグしてパソコンをクリックする。

いつもそのことが頭から離れなかった。図書館でたまたま手にした『PCビギナーズ』今月号の雑誌にGoogleの起動が遅いとき、「タスクバーを・・・」と書いてあった。それを読んでもすぐわかることではない。先ほど、パソコンを立ち上げ、Googleの「ヘルプ」を見ると、その対策が書いてあった。

Google Chromeのインストール後、特に起動が遅い。ところが「Google Chromeの設定」のマークをクリックしてヘルプに書いてある通りにすると、やっとセキュリティの危険を知らせるマークがつかなくなった。

そして、ブログ投稿も時間がかかっていたのが、まるでウソのように早くできる。当然、気持も落ち着いて投稿できる。かなり賢くなったと自画自賛。ともあれ「嬉しい!」の一言に尽きる。

パソコンといって思い出す。95が出始めた頃、全くパソコンについてわからなかった。学校を卒業して会社に勤め、事務機器に関してはその進歩とともに生きてきた。

FAXの前の、ちょっと忘れてしまったが、入力したものがテープに打ち出されそれを電話で伝送していた時代。もしかして今思い出した。テレックスかも。その後FAX。コピー機も青焼きの時代から知っている。

FAX の前の時代は、全く覚える気はなかった。それがワープロ、パソコンになるにつれ関心を抱く。そのパソコンも始めはなかなかなれず頭を抱えたこともあった。仕事が終わって会社の経費で国の訓練校にたった5日通ってエクセルを習った。だがもともと鈍い!

家に戻って「出来ない!」と愚痴をこぼすと、母はいつも「人ができることは誰でもできる!」と励ましてくれた。確かにそのとおりだった。

初めてのパソコンも2代目の今のパソコンも、ダンボールに入ったものを購入してきて自分で設定できた。さすがに初めてのときはかなりの時間を要したが・・・。おかげでどうにか何かあってもその問題を解決できるようになった。

特に今日は嬉しい!

これも賢い人は「何をいってる?」と思うかもしれない。ところが私にとっては嬉しい!本当に良かった!

2012年2月10日金曜日

新聞を読んで

今日も寒い朝。お昼前、予約の本を取りに図書館に行く。暖房が効いた図書館。中に入るとムッとする。図書館が出来てそれほどの年数は経っていない。それなのに・・・。

以前は、図書館は落ち着く場所だった。最近は、まるで浮浪者のたまり場?図書館内に漂う空気は何とかならないのだろうか。

とはいっても、私も仕事に溢れた浮浪者のようなもの、偉そうにはいえない。

予約の本を受け取ると、家にはない新聞を読む。ところが新聞閲覧場所は2箇所と限定されている。大きな机であっても、1人、そういう人がいるともうその匂いに耐えられない。

ところが、そうでもない人もいた。区民文化センター内に図書館はある。珍しく着物を着た女性はなんと平然とその人の前に座って本を読み始めた。それをみてびっくり!そうとう離れた距離でも匂いが漂う。それなのに・・・と思ってその2人をじっと見ていた。見ている間、その女性も平然と本を読んでいる。

こうなっては、「おかしい?」のは私の方かも知れない。しかし、どうあっても私には耐えられない。

気を取り直して、少し離れて新聞を読む。読売新聞を読んでいると「亡き人と」と題して作家の眉村卓氏の記事が掲載されていた。

来週は母がいなくなってちょうど1年。そのタイトルが目に入る。読んでいると「年を取るということは、若いころに想像していた通りのことと、想像しなかったこと、の二つに遭遇することですね。想像していなかったものの一つが、つまらない日常会話の大切さ。・・・」を述べる。例えば「今日、暑いな」というような会話。

さらに「世の中への関心は薄れたけれど、一方で自分が感じる面白さは拾っているといいますか・・・」と述べている。

この2つのことに妙に納得。

「亡き人」に対しては「自分は幸せだと思うことが死んだ人への責任」と見出しにある。

この人の言うように図書館がどうであれ、毎日を面白く過ごすことの方が私にとって幸せなことかも知れない。明日からそう思って図書館に行こう!

2012年2月9日木曜日

花のプレゼント

幼馴染からプレゼントされて・・・

今日も冷たい朝だった。いつものようにお昼前、自転車に乗って外に出る。帰宅すると短大時代の同級生からTELが入っていた。

電話をすると、同級生の知り合いが地元の音楽大学でカンツオーネを習っているという。その発表会を聴きに行くらしい。その時、持参する花束をどこで買ったらよいかと言う相談だった。

日曜日に開店している花店は近くにないとか。駅に隣接するホテル内の花店を教えてあげた。その話の後は遊びの話になった。昨年出来たホテル内にいいお店があるという。4月に行こうといって電話をきった。

花束といえば今日幼馴染の和佳(わか)ちゃんから薔薇の花束をもらった。嬉しかった!

幼馴染と近くのお店で夕食を一緒に食べる。会うと手に花束をもっている。それを見てもうびっくり!お店に入るとまずはビールで乾杯!お客はまだいない。5時開店だからかお店の中はひんやりとしている。次第に客も入ってくる。それでも寒い!お店の人に温度をあげてもらってやっと落ち着く。和佳ちゃんとはいつも会っている。今夜も遅くまで食べて飲んでしゃべってしまった!楽しかった!和佳ちゃん、今日はありがとう!また行こうね。

ほかに電話といえば、108歳の母を持つ人からもかかって来た。そのときも家にいなかった。かけなおすと我が家の近くまで来たと言う。次回は是非我が家で会おうということにした。お母さんが元気なようで話す声も弾んでいる。何といっても今年は109歳!お元気の秘訣を見習いたい!暖かくなったらぜひとも会いに行こう!そのときはどんな花束を持って・・・。

2012年2月8日水曜日

中国語スペイン語辞典

中国で購入した中国語で書かれたスペイン語辞典
(この飛天の木彫りの円形テーブルも中国で購入。椅子4脚
付き。神戸の税関手続きまで半年、関税6万円。25年前の話)

今日は風が強い一日。だいぶ喉も治った、と思った。しかし、今一歩。大人しく家にいる。

今日も朝からパソコンと格闘。この2代目のパソコンももう6年使用している。もうそろそろ買い替え?

Google  Chromeをインストールする前は簡単に画像を挿入できていた。それなのに今日は簡単ではない。以前と全くやり方が異なる。

ずいぶん前、中国に行ったとき中国語とスペイン語の辞書である『現代西漢漢西詞典』と『西班牙語三百句』というスペイン語の会話の本を買って帰った。その2冊を探し出すと出てきた。この「西班牙語」は中国語でいうスペイン語。「西」はスペインの略。
これをブログにアップしようと先ほどから何度も試みる。出来ない!残念!

辞書の奥付見ると1995年。ということは、その当時からスペイン語に興味を持っていたと改めて知る。

かなりの年月、スペイン語に思いを寄せていたからには本気で頑張らねば・・・。

辞書といえば英語と中国語の辞書も買ってきていた。買ってきても収めておくだけでは駄目。今ではもう電子辞書の時代。スペイン語の辞書も多分電子辞書になるだろう。

どんどん進化している辞書。進化しないのは・・・。

再度ブログを手直ししてやっと画像が挿入できた。嬉しい!



2012年2月7日火曜日

人生を楽しもう!

すっきりしない毎日。それでもお昼に一度は自転車に乗って外に出る。

夕方からはフルートのレッスンに出かける。それまでパソコンと向き合う。まるでパソコン依存症のよう。パソコンの前にいるといつのまにか夢中になっている自分に気づく。

レッスンも、もう少しで遅れそうになってしまいそうだった。

今日は前回までの「シシリエンヌ」もし上がり、来週からはモーツアルトの「メヌエット『ディヴェルティメント』より」をレッスンする。

先生がお手本に吹かれたこの曲を聴くと私にはちょっと大変そう。でも吹けるようになったら、きっと嬉しい。頑張って練習しよう。

レッスンを終えると次の人が待っている。3人でしばし雑談。

家族の話になって一人で住んでいるというと話が盛り上がってしまった。「淋しい人でしょ?」と自分で言ったために・・・。どうも淋しいイメージがないらしい。それもそうかもしれない。自分で言ってるのだから。

話すうち、話はどんどんエスカレートしていく。ブログに書けないというとその人は新たに秘密のブログを作って書けばいいという。

まあ何でも話はおもしろければいい。いい話題提供となってしまった。

人生、皆、いいことばかりではないらしい。

教室を出てフルートの人に出くわす。ビルの下は寒い。目の前にある大型電気店に入って立ち話。その人は次の次のレッスンなのでゆっくりできない。

お母さんが大変な状態にあるという。ちょうど1年前、我が家も同じ状況だった。幸いと言うか母は「いろう」をせずに亡くなった。救急で運ばれるとき、それはやめようと姉と決めていた。しかし、その選択がいいのかどうか考えていた。そこまでの決心をする前に、母は入院後3週間で院内感染で亡くなった。

悔しかった!今となってはそれでよかった・・・。母自身に体力がなかった。仕方ないことだった。

その時2人の担当医から感染症の原因究明のため解剖を、と懇願された。それは丁重に断った。母をそっとしてあげたかった。

話を聞いているとその人も同じコトで悩んでいる。その人の息子さんは医師。整形外科医だという。近くに住んでおられない。ただ聞いてあげることしか私にはできない。

ヒトは動けなくなるとどんなヒトもモノとして扱われる。これが親を介護してみて一番感じたコト。

幸い救急病院は人間扱いしてもらえた。母はそれだけでもよかった・・・。

いろんなことをフルートのレッスン後で感じた日となった。

「淋しい!」とは言ってはおれない。人生、やっぱり楽しみましょう!

2012年2月6日月曜日

お犬様

最近、ブログ投稿で手こずる。パソコンがいい具合に作動してくれない。朝からパソコンと格闘する。今やっとGoogle chromeをインストールして投稿できるまでになった。 それでも、これまでなじんだやり方と違うので少々不安。ここまでの間、かなりの時間スキャンしたり・・・。

パソコンも生き物かどうか人間様の思うように動いてくれない。 人間様といえば、それよりもっとすごいお犬様にあう。

今一歩喉の調子が悪い。今週も大事をとってプールに行くのを断念。お昼すぎ、自転車に乗って外に出ると、犬を散歩している人に出会う。よく知ってる人だ。

 家の前のとおりは区役所に通じているためか、歩道も整備され、犬を散歩する人がたえない。

今朝は雨。お昼頃から雨も止む。今日会った人が犬を飼っていることは知っている。しかし、これまで散歩しているところを見たことがなかった。家の中で飼っていたとか。

自転車から降りて話をすると、最近は犬の体調を考えて1日に3回散歩させるという。 その犬の体調の話で、なんと犬なのにレントゲン、CT、血液検査、注射・・・をするという。

なぜ?と聞くと腎臓が悪いとか獣医師にいわれるとそうせざるをえないらしい。

 ずっと昔、我が家も犬を飼っていた。そのころ動物病院などなかった。今の動物病院はその辺にある人間様の医院よりもずっと立派な建物だ。まして人間様は医療保険がきくけど、犬様はそれもない。

さらに、食べ物も不味いものは食べないらしい。飼い主の人は「お犬様」だと笑って話す。

 人間様は家を追われるとホームレス。犬様は飼い主様によって人間様以上の待遇を蒙る。もうこうなったら「恐れ入ります。お犬様」と言うようになるのだろうか。

それにしてもパソコンに振り回されて大変な一日だった。それでも試行錯誤しながら時代についていってると自画自賛して・・・。

2012年2月5日日曜日

メール交換から

今日はどんよりとした一日。先日来からの喉の痛みは和らいだものの、毎日じっとしていない。そのため今一歩治りきっていない感がある。今日は一日家にいることに決めた。

昨夜は古澤巌の名文が寝るときも頭から離れない。眠りにつくまで自分だったら…と考える。だが、考えてみると置かれている状況が真反対。「一人になりたいとき」を求めなくてもいつも一人。願って一人になっているわけではない。そう思いつつ、いつの間にか寝ていた…。

休みになるとメールを交換する人がいる。知人と同じ合唱団でスペインへ一緒に行った女性。

その人とスペイン滞在中、特別に親しかったわけではない。それなのに、そのときの写真を知人を通して交換するうち、いつしかメールも交換するようになった。メールによるとスペインへ行く前から体調を崩していたらしく、現在も合唱に復帰されていない。今夜の練習もこっそり出かけようかなと思ったが、風邪で休養するという。

その女性は合唱団のことなら何でも私が知っていると思われているようだ。知人がお世話をしていても外部の人間にはその中のことはほとんど知らない。メールのやり取りの中で自然とわからないことが出てくる。

今日もわからないことを教えてもらう。

仕事をしていない。それも不思議なことに思えるらしい。秋になると「遊び人」になって丸10年になる。この間、忙しく日々を過ごしていた。しかし、暇になったら仕事を…とは全く考えたこともない。

メールを交換する人は「遊び人ならば合唱団に…」と誘ってくれる。いわれてもその返答に窮する。「〇〇〇に〇〇さんなくしては回らないでしょう!」とその合唱団をお世話する知人を褒める。お世話をしている知人はフルートの仲間。何もかも一緒でないほうがいい…!?

そこで「〇〇〇の合唱団の聴く側に徹します」と返信メールをする。

その人からスペイン語のことも聞かれる。応援してもらう。暇人としてはあれこれやり始めるのは当然。でも人から見れば不思議に思えることも・・・。だからといって何も習わずに、働こうとは思わない。

「働かない」ことを納得してもらうにはいつも最後は「もう年ですから…」。

全く心にもないこの言葉。働こうとは思わない。働かなくてもどうにか生きていけるし、やりたいこともやる気になりさえすればある程度可能。

今日もほぼそういった感じでメールする。だがその人は心優しい人。いつもメール交換のたび励まされる。早く元気になって合唱団に復帰して欲しい!

ブログに投稿している今もまたメールが入る。「自由になれることが一番の望みです・・・」と。自由をもてあます暇人はそのメールを読んで「ハッ」とする。暇人は贅沢なんだ。幸せなんだ…。

2012年2月4日土曜日

ブログを読んで…

今朝も寒い。

昨夜は節分。いわしは買ったけど節分の豆を買うのをすっかり忘れていた。今年一年、邪鬼が来なければよいが…。そう思いながら久しぶりヴァイオリニストの古澤巌のブログを見る。その一部を勝手に引用する。

「節分。なので Mc 詣でに。」と書いてある。節分とMcは関係ある!?しばし、読んでもわからない。ブログの最後に「人生を嘆くとき、一人になりたいとき、そこには Mc がいてくれる。」と締めくくっている。

これを読んで吹き出してしまった!こんなジョークは笑いを誘う。私の場合はこういうときどうなんだろう。

一人でいると年間行事などの儀礼が特別なことのように思える。しかし、このブログのようにモノ・コトを割り切ればそれはそれでまた楽しい。

ブログといえば、時々他の人のも眺める。個人でないのはHPで見る。HPといえば昨日会った先生が東京外大のHPを見るよう教えてくださった。昨夜それを見ると「言語モジュール」が掲載されていた。これも話を聞いてわかったこと。有難かった!

続けて先生のHPを見ると、スペイン、メキシコなどの旅行記も投稿されている。会う前に見ていたならばもっと話も伺えたのに…。残念!昨日、お礼のメールをすると先生から「来年度から、どうぞがんばってスペイン語の勉強をお続けください。こちらこそ、よろしくお願いいたします。」と返信がある。先生はまだ若い!これからもっと偉くなられるだろう。スペイン語、頑張ろう!

今日はお昼前、自転車で外に出る。帰ると着信があり、幼馴染にTELする。午後、買い物に行こうという。行き先はJRで2つ目の駅付近。出かけたことがないところ。遊びを兼ねて行くことにする。

幼馴染は目的のものが見つからず、残念そう。その辺りを歩いてJRに乗り家の近くの駅で降りる。そこでティータイム。ところが出来たばかりのホテル内の喫茶は閉店。バスどおりの喫茶も閉店。最後は区民文化センターの喫茶に入る。

幼馴染とはしょっちゅう会っている。それなのに会えば話は尽きない。当然遊ぶ話ばかり。他愛ない話が出来るのも幸せなこと。遊びも頑張ろう!

それにしてもMcの話は可笑しい!名文だ!マクドナルドに行けばホッとするというのだろう。

「人生を嘆くとき、一人になりたいとき、そこには Mc がいてくれる。」

2012年2月3日金曜日

大学へ

雪景色の朝。

お昼前、3年ぶり大学に出向く。大学は我が家とは一段と寒い地域に位置する。着ていく服に注意を払い厚めのダウンジャケットを着る。履く靴も考えて出かける。

運賃節約のため、一つ手前のJRの駅に降り、そこからの巡回バスに乗る。だがこのバスは一日あたりの便数が少ない。帰りは通常のコースで帰る。おかげで久しぶり旅気分を味わえた。ちなみに大学に通う往復の運賃1520円。

約束の時刻より早めに研究室に到着。当然、先生は不在。それまで図書館に行く。さすが大学の図書館。日ごろ見る区の図書館と本の種類が違う。久々に頭が働く。

時間になったので図書館を出て再度研究室に伺う。在室だった。一呼吸してノックする。返事はない。しばらくして「はい!」と聴こえた。

入室すると「事務のほうから話は伺いました。名前を聞いてすぐに顔が浮かびました」と話される。もうこれを聞いて一安心。春になると学部を出て丸5年になる。それなのに覚えていてくださる。

「スペイン語をネイティブの先生で習いたいと聞いてますが…」といわれる。それを聞くと、すぐにこの先生で…と思い、「習うにはどういうやり方がいいのでしょうか」と聞いてしまった。話を聞いていると、ネイティブの先生に習うのならベーシックだけでなくインテンシブも習う必要がある。「学部時代、中国語でインテンシブもベーシックも受けました」というと、「大丈夫でしたか」と聞かれる。「中国語はもともと習っていましたので…」と返事。

話していてインテンシブを含めて受講すると週4日大学に通うようになる。それくらいのことならそう問題はない。しかし、インテンシブは1コマ目と4コマ目に授業がある。この1コマ…を聞いたとき、無理だと思った。1コマ目は朝8時45分に始まる。家から大学まで1時間以上も要する。それを思うと、無理せず、気長に習おうという気になった。とはいっても学部時代はこれをやり遂げた…。

「先生にお願いできますか」と打診すると「大歓迎です!」といわれる。有難かった!ベーシックを週2日習うことにした。

先生を決めると雑談になった。学部時代どこに属していたかと聞かれ「地域科学です」と返答。すると現在、学部の「地域科学プログラム」に属する社会人は誰も学んでいないとか。そしてそのプログラムも2、3年するとなくなるという。これを聞いて「淋しくなりますね」と話すと地域科学の教師全員が怒っているといわれる。これも国の政策方針らしい。

「地域を科学する」が地域科学。これまで辺境の旅に出かけていた。学んでいたときよりも前に出かけていた。専門課程に入るとき自然と「地域科学プログラム」に属した感がある。

さらに、スペインへ行ったことも聞かれる。「〇〇〇〇〇音楽大学の先生たちとマドリッド~サンチャゴ~バルセロナをバスで移動して…。合唱団の人は歌を…」と話すと「サンチャゴ・デ・コンボステーラへ行かれたんですね。スペインはいい国ですよね」と先生。先生の専門は「メキシコ」。「メキシコも行きたいです」と告げると「南米もいいですよ」と。南米のペルーは行ったことがある。しかし、ここでは何もいえない。「そうでしょうね」と話をにごす。

先生は東京外国語大学を出られ、東大か一橋の大学院を修了されている。研究総覧を見ると東京外大出身の人はほとんど東京大学の大学院を修了。定年前の先生ではないので思わず言ってしまった。「まだ大学に長く在籍されるので気長によろしくお願いします」と。すると「まだしばらくはいますね」と先生。

話を終えると、事務方に行く。もう何度もメールでやり取りしている人を指名する。若い男性だった。

書類をチェックするとき、昨日の銀行印を手で押さえて見ている。気になったらしい。書類の提出を終えると審査が降り次第、入学手続きに入るとか。

今日の仕事は終わった!ホッとして学食に向かう。大学の規模が全国2位だけあって、広い!学食の横には通称「スペイン広場」もある。いつもなら学生たちで一番賑わうところ。今日は試験中で学生はほとんどいない。だが、学食は午後2時にもかかわらず、学生で一杯。久しぶりそこで食べる。価格を見ると味噌汁31円に驚く。先日の大学は120円だった。安い!春になったら学食もしっかりお世話になろう。

家に着くと3時半。講義も受けないのに計4時間近くかかっていた。

ヒトは時にこういった緊張感も必要。新鮮な気持になる。そういう面では大学に行くことはいいこと。前に通っていた頃と比べると10歳年を重ねてしまった!ということは若い学生たちとさらに年の差が増えたことになる。

だが今日の先生は「大歓迎です!」といってくださった。嬉しかった!

そういえば東京外大のHPを見るように教えてもらった。さすがそこの出身だけある。後でゆっくり見てみよう!さらに「英語は?」といわれ、「大学で一通り授業は受けました」と返答。どうもスペイン語を教えるには英語との比較があるらしい。聞くほうは大丈夫だが…。女朋友から中国語で「听力很好!」といわれたこともあった。自信を持って…。

2012年2月2日木曜日

『「いつ死んでもいい」老い方』

今朝は最低気温マイナス2度、最高気温3度とか。外に出ても寒い、というより空気が冷たい。しかし、部屋の中にいると日差しは温かそう。

午前中、自転車に乗って地元銀行の窓口に行く。入学検定料を支払うのにATMでなく窓口で、となっている。窓口まで行く用はこのごろではほとんどない。久しぶり窓口で支払う。しばし、番号札を持って待つ。

名前を呼ばれ、領収書を受け取る。帰ろうとするともう一度声をかけられる。再度窓口に行くと、遠くのほうに係りは行き、待つようにという。

待っていると受付は日付印をいらない紙に試し印する、何度も何度もする。どういうこと?と見ていると、再度渡した領収書の日付印の上から2箇所訂正印と新たな日付印を押す。

なんと日付が23年になっていたのである。これにはびっくり!今年になってもう1ヶ月以上も経っている。それなのに窓口6番は今日、24年に日付印を直すとは…。もしもそこで気がつかず、明日大学に持参して日付が違っていたならどうなっていただろう。

長く会社勤めをしていた。仕事でよく銀行に出かけていた。受け取りの日付印を眺めたこともない。信用しきっていた。間違いはなんでもあること。それにしても…。朝から驚いてしまう。

気を取り直して、昨日読んだ『「いつ死んでもいい」老い方』(外山滋比古 講談社、2011年)の気になる部分を書き留めよう。

筆者がこの本を書こうとした目的は「自分をはげますために、ピンピンコロリの生き方について書いてみよう、老人にとって残されている唯一の社会貢献は、まわりの人になるべく負担をかけず、医療費も少なくすむことだと思う。世のため人のために元気で生きる。その心意気を言い聞かせる本を書こうと考えた」と書いている(あとがきより)。

筆者に関心を抱いたきっかけは以前、「歩くこと」のために6ヶ月の地下鉄定期を買って毎朝目的地まで通っていた…というような文章を読んだことにある。

仕事に溢れた当時、私も筆者と同じようなことをしたことがあった。自宅の最寄り駅から広島駅まで通勤定期を買って市内の中央図書館まで通った。後になってその人の本を読み、偉い人でも同じコトをする人がいるんだと知ったとき、筆者に親近感を持った。

現在88歳になるという。その誕生日にこの本を書き上げている。元はお茶の水女子大学の先生。どこを読んでも偉ぶるところがなく、老人らしさもない。今では体の不自由になった奥さんにかわって家事もされるという。素晴らしい生き方の人だと感心する。

定期のことはこの本にも書いてある。「最高の散歩道は皇居のまわりの周回道路であるという結論に達した。うちから五キロはなれている。そこで一周約五キロを歩くと、往復十五キロになってとても毎日歩くわけにはいかない。しかし、そこを歩きたいという考えは捨てなかった。…大手町まで地下鉄で往復すれば、なんでもない。六ヶ月の地下鉄定期を買った。これが思わぬ効果を発揮する。なんとなくけだるく、起きるのがおっくうな朝でも、定期がもったいないと、思うと、体がしゃんとする。…」(84-85p)。

いつか必ず人はなくなる。しかし、自分が「死ぬ」と思ったことはない。そのためか先々のことは考えない。

「なりゆきではいけない。自力で、志をもって老いる。いつまでも死ぬことは考えず、明日ありと思って存分に生きる。…新しい仲間をつくり、定期的に会食し、談論風発、天下国家をあげつらい、ライフワークを語り合う。…人のことなど気にしないで、わが道をただ走りに走り、力つきたところが、終焉となる。傍如無人の加齢を志す。この志のおかげか、八十八歳にして、なお、壮年のごとし、とひとりうそぶくことがある」(13-14p)と筆者は述べる。

「仲間をつくり、定期的に会食」云々は私も似たようなことをしている。モノ・コトを習うと仲間ができる。これまで習った楽器、水泳、語学などの人たちや旅行の仲間。筆者はこの仲間たちのうち「ピンピンコロリ」と亡くなった幾人かを取り上げ、それに触れて本を進めている。それは筆者の本望のように…。

さらに「これからの老人は、新しいモラルによって、われの先に人なく、われのあとに人なし、ひとりわが道を行く。一代限り、前世のことはわからないし、死後のこともわからない。それでよいのである」(18p)という。

「行き当たりばったりでいい。誠実な行き当たりばったりは、よからぬ思惑にまみれた仕事の筋を通すのよりもすくなくとも人間的である。物欲から自由になることなどできるわけがない。夢中になることを見つけて、それに向かってひたすら走る。最後まで、そうであれば、すばらしい人生であったことにする。独立独尊、自助の精神で生きれば、まわりはおのずと道をあけて、通してくれるだろう。そういう楽天主義でいけば、老後もおそるるに足りない」(19p)とか。

「ピンピンコロリとなるには、虫も殺さぬ聖人のような生き方は話にならない。あれこれ、思ったことはやってみる。食べてみる。悪かったらやめればいい。改めればいい」(27p)。

仲間をつくるにあたっての条件として3つ述べている。「あるとき決心した。仲間はだれだっていい。ただし条件が三つだけある。仕事がまったく違っていること。あまり能力が高すぎないこと。ケチをつけるのをえらいことと勘違いしていないこと。これだけの条件に叶えば、だれでもと心に決めたら、仲間ができた」(52p)。

この仲間との会食を「気のおけない席でのおしゃべりは、頭をよくし、われを忘れ、心を豊かにしてくれる効果がある。これにあやからぬのは賢くない、だろう」(53p)。

水泳について「週に三、四回、公園の朝のラジオ体操をする。考えてみると、体操はかなり多く手や腕の運動をするようになっている。…同じことなら水泳のほうがずっといい運動になる。体にもいいし、むやみに競争したりしないで、ゆったり泳いでいれば健康効果はきわめて大きいと想像されるが、年寄りの冷や水、いざとなると尻ごみする」(92-93p)。やっぱり水泳はいいんだ、勝手に納得する。

「勤めのない生活は実にいい、のんびりしているというのではない。しっかりしないと駄目になってしまう緊張感をもって日々を送ることができるようになったのである」(133p)。

この言葉の「しっかりしないと駄目になってしまう」の件は全くその通り。いつも自分に言い聞かせている。気が緩むと病気になりそう。今回喉がいたかったのも気の緩み?「ウイルス様が喉に忍び込んで…」。

「喜びの日はご馳走を食べたりするだけでなく、ホメてくれる人がほしい。…然るべき人にホメられると、大変な活力、元気が出る。長い間その効果は持続する」(190p)。

これほどの人になってもそう感じている。凡人はもっとそう。「ホメる」は高倉健の「あなたに褒められたくて」だけではなく誰でもそうかもしれない。「豚もおだてりゃ木に登る」ように…。

ブログを手直ししているとFMからジンギスカンの「めざせモスクワ」がかかる。なんとノリのいい曲、と思って聴いていると1979年の作品とか。思わず聴き入る…。

今夜は広響のファン感謝デーコンサートがある。先ほど外に出てみると雪が舞っている。それもかなりの勢いだ。このまま降れば明朝は雪も積もりそう。演奏会に行くのを断念!出かけても帰りには雪だるまになりそうで…。

2012年2月1日水曜日

「人、死を憎まば、生を愛すべし。存命の喜び、日々に楽しまざらんや」

今朝降っていた雨も午後には止む。だが、外気は冷たい。

遅い朝食を終える頃、宅急便が届く。昨日長電話をした福岡から送られて来た。電話でその飴を聞けば送ってくださるだろうと予測した。それなのに電話してしまった。いつかこのお礼を…と思いながら、届いたことのお礼を先にする。

中を見ると「チベットの貌」(シルクロード情断回遊の旅・ラサからレイ)の写真集。それに「伏見の酒飴」、酒飴の製造会社の「奈良漬」が箱入りで入っていた。

写真集は送り主の弟さんが勤務されていた銀行の人が撮られたもの。弟さんは元同僚という関係からかその写真家と辺境の地の旅をされたという。写した人の肩書きを見ると全国の銀行協会の会長もしていた人らしい。他にも勲二等…など学歴、職歴などの経歴が本の裏表紙にずらっと書いてある。そこまで書く?と見ただけで呆れてしまう。

この人の経歴には全く関心はない。だが、その中身は興味津々。レイがどのあたりか見るとラダックに近い。その辺りまでは行ったことがない。いつか行きたい!

いつも送ってくる宅急便のダンボールは酒飴の製造会社のもの。よく注文されるのだろう。近いうちお礼をしよう!

午後は、バイト時代の人と電話で話す。3日間続けて電話をかけるのにいつも留守。おかしいと思ってメールをしても返事が来ない。やっと今日通じた。その人は相当太った人。去年6月に会ったとき3桁の体重が2桁になったというくらいの女性。聞くところによるとかかってきた電話にすぐに出られないらしい。笑ってしまう。

その女性を知っている。だからこの話もうなずける。知らない人だったらどう思うだろう。その人はブログを読んでいない。だからこうして書けるけど…。これくらい太っている人だからどんなことを話しても面白い!まさに「人生こうでなくっちゃ!」を生きている人。出来るものなら真似したい!

電話を切って図書館へ予約の本を取りに行く。夕方なのに図書館はいつもより人出が多い。

何気なく雑誌を取って読む。その中でエッセイストの清川妙がお気に入りという兼行の言葉があった。

「人、死を憎まば、生を愛すべし。存命の喜び、日々に楽しまざらんや」(人間が死を嫌うくらいなら、生命を愛さなくてはならない。生きながらえている喜びは、毎日楽しまないでいいものか)(『徒然草』第93段)。

この言葉どおりをその女性は生きている。もちろん誰でもそう思って生きているのかも知れない…。