2011年11月20日日曜日

「国際交流・協力の日」に思う

今日は「『国際交流・協力の日』一緒に世界へ踏み出そう!」という事業に参加した。会場は平和公園内にある国際会議場。多種多彩な催しの中から、広島市立大学国際学部の公開講座「多様な中東・イスラム世界を学び・感じ・つなぐ」を聞いた。

イスラムに関しては中国を除いたどの国よりもその世界に興味がある。その底辺にはものめずらしさがあると思う。この言い方は問題があるかもしれないが…。

3人の先生が講演された。そのうちの2人の話を聞いた。はじめの先生オマール・ファルーク氏は使用言語が99%英語で日本語はほとんど話されない。テーマは「イスラム世界を横断する:ナイジェリアからマレーシアへ」。英語はネイティブでなく速度は遅い。おりおりイスラムの国名が出る。聞いている人は年齢的には高く、学生など若い人もいた。男女比は断然男性が多い。

イスラムの中心はアラブに限らず世界中にムスリムはいる。その教えは生き方のことであり、さまざまな民族的・文化的背景を持つという。ムスリム世界のさまざまな国や地域に見られる多様性を非ムスリムの人たちとの共生について話す。宗教や習慣が違っても同じ人間として交流し協力する可能性を考えよう、と。

レジュメは英文のみ。そのもらったレジュメを見ていると次々出る国名から内容すべてはわからなくても少しは何を言ってるか理解できた。

次の話は日本人の女性の湯浅正恵国際学部教授。テーマは「私にとってのパレスチナ」。

パレスチナとイスラエルの問題は難しい。今日の話は先生自ら経験された話でよくわかった。この話の中心人物はミトリ・ラヘブというドイツ人の牧師さん。現在パレスチナのベツレヘムでクリスチャンとして活動されている。この牧師さんは2005年、日本全国を行脚していた。その年の8月6日の前日、広島で宿泊場所がなかった。原爆の日を前に全国から人が集まる広島で当然ホテルは満杯。そのとき同じキリスト教徒の今日の講師が自宅に宿泊させた。これがきっかけで講師はパレスチナに関心を抱くようになる。

講師は9歳のとき親に連れて行かれた原爆資料館での記憶に、夾竹桃、アウシュビッツ、原爆というキーワードが頭にあるという。それが成長するまで拭い去れなかった、と。

牧師と出会った翌年の2006年以降毎年パレスチナに出かけている。そのベツレヘムにベツレヘム国際センターが建っている。それはその牧師の活動でミレニアムにできたという。

そこには“Salaam”“Shalom”があった。前者は英語の“Peace”で日本語で「こんにちは」。そこには正義があり弱者を救済し、その秩序から平和になるという。その底辺は「広島の平和」だというのである。

後者は憎しみに屈しないこととか。ジオサイドの反対語でスペーシオサイド(社会的空間の抹殺)で先の牧師は「死ぬ前までを生きる天国を作る」ことをパレスチナの人に教えているという。パレスチナの現状からいつ死ぬかもしれない若者を案じての策らしい。

講師は自身の希望は中国電力の上関の祝島の原発反対と戦っていくことだという。それは福島の原発にも通じるという。平和と“Salaam”の戦いだと。弱者の立場から考える平和(サラーム)を求めるという。それには広島の平和を世界へ発進できると…。

パレスチナについて少しは理解できた。それでも平和問題に深く頭を突っ込む気持ちは持っていない。ただ単にイスラムに関心があるだけ。今日の話で少しはそういうことに関心をもてばいいのかもしれない。あまりにも難し過ぎて…。

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