2011年11月28日月曜日

米子へ

3日間、米子へ行ってきた。宿泊場所は21年前旅行で知りあった友人女性宅。彼女は妹さんと2人で生活している。すべての日程は友人に任せた。

土曜日、広島バスセンター10時5分発、米子行きの高速バスに乗る。乗客は10数人くらい。バスは途中、庄原の七塚原のサービスエリアで10分間の休憩。13時35分定刻どおり米子駅着。そこまでの道のりは見渡す限り山、山、山。田舎に来た感じがする。

米子駅到着寸前、バスの車窓からは雪をいただいた伯耆富士大山(ほうきふじだいせん)が見えた。



米子駅で友人と合流。その際、大山が見えたと話すと2度目の冠雪だという。空は真っ青。はっきりと大山が見えた。ちょっと感激!

昼食は「蕎麦」。蕎麦は広島ではほとんど食べない。ところが米子は出雲に近いためか蕎麦どころだという。温かい蕎麦と、ミニ・アナゴどんぶりを食べた。友人は冷たい蕎麦で。このメニューもすべて友人任せ。

昼食を終えると、車で「米子水鳥公園」へ移動。そこで珍しい鳥を見た。鳥の名は「クロツラヘラサギ」。案内板によると「極東に生息し、世界で2000羽しかいないといわれている。米子水鳥公園には毎年数羽が飛来する」と書いてあった。

米子水鳥公園
公園内には水鳥を観察する建物があった。そこに入るとずらっと望遠鏡が並べてある。その真ん中に陣取って鳥を観察する。そこには大きな倍率の望遠鏡が置かれている。遠くにいる鳥もはっきり見えた。久しぶり童心に返って、鳥を見る。

わいわい言いながら見ていると、職員らしき人が2人、そばに来る。そして先ほどの「クロツラヘラサギ」がいると教えてくれた。望遠鏡もその位置に設定してくれて…。

だが、名前どおりの「黒いヘラ」が見えない。見えるのは真っ白い鳥の姿のみ。じっと観察していると瞬時に向きを変える。そのとき真っ黒い「ヘラ」状のくちばしがみえた。よくもこういう名前をつけたものである。

係りの1人は大きな望遠レンズのついたカメラを持っていた。そして仕事用に写真を撮っているという。話をしていると持参したデジカメでも設置してある望遠レンズにデジカメを据付けると「アップ」の写真が撮れるという。「じゃあ、やってみて!」というとすぐにデジカメを望遠鏡のレンズ付近に据付け、その鳥の「アップ」の写真を撮ってくれた。
黒いヘラは隠れて見えないけどクロツラヘラサギ
職員に話しかける人は余りいないようで、係りの2人はいろいろ鳥について教えてくれる。季節的にも今の時期がいいらしい。望遠鏡で見ている前には、雪山をいただいた大山が真正面に見える。冠雪した大山もいつも見えるとは限らないとか。観察した日はクロツラヘラサギも冠雪した大山も見ることができラッキーだった。
 水鳥公園から見る冠雪した大山
その後は荒島神社、八百姫宮、米子城跡を歩く。すっかり太陽も沈み、友人宅へ車で帰宅。

友人宅に帰ると、すぐに夕食かと思った。ところが、ところが…。所変われば…。郷に入っては郷に従えのことわざがある。そのとおりにした。

なんと友人は夕飯前にお茶をするという。抹茶茶碗を用意し、抹茶を立てる。そばには饅頭も。これでは夕飯が…と思いながらも友人の立ててくれたお茶を飲み、お菓子を食べる。

その後、帰宅した妹さんも合流して夕飯に出かける。ところが時間はもう午後9時前。予定していた2箇所は貸切と閉店で入れず。3件目の「バロンジャヤ」は「おいしさはバリの風に乗せて。」とパンフに書いてあるとおり無国籍風ながらちょっと贅沢な感じのレストランだった。

従業員はコック風のスタイルで、すべて男性。パンフには「リラクゼーション&エスニックテイスト」とあり、食事も美味。レジの人を見るとコック風スタイルだが、年齢は高かった。

我が家ならば食事後のこの時間にはもう寝ている。ところが夕飯を食べて帰宅してもまだ寝る態勢ではない。しばし話をする。お風呂に入る頃は午後11時すぎ。姉妹の就寝時刻はなんと友人の姉は2,3時頃。妹さんは1時頃とか。もう到底真似のできる時間ではない。皆寝るのが遅いんだ…。

翌日も11月末なのに天気はよくて暖かい。この日は終日3人で車で出かける。妹さんは1ヶ月前、足を骨折したとか。やっと松葉杖がとれたといっていた。だが歩く姿は痛々しい。

翌朝、友人宅で「皇帝ダリア」を見る。はじめて知った名前の花だった。友人宅の屋根まで延びたその木のてっぺんに見事な花をつけていた。気品ある花だ。
知人宅の皇帝ダリア

今日は100キロ離れた鳥取市まで行くという。運転は友人。

朝食は「大山恵の里」で「卵かけご飯」を食べる。何十年ぶりかで食べる味であった。小さい頃、父親がよく作ってくれていた。いつもはアサちゃんのことしか思い出さない。その日は父親のことを思った。子供の頃、朝起きたとき枕元に「めざまし」を置いてくれていた父のことを…。グリコのおまけつきのキャラメルが多かった。人の好すぎる父親だった。その父に性格は似ていると思う。

鳥取に行く途中、倉吉に寄る。昔風の白壁群の町並みを散策。旅行者は多い。その後、倉吉未来中心、鳥取二十世紀梨記念館に行く。未来中心では催し物の絵画を見る。同じ建物内にある梨記念館で鳥取の梨がなぜこのように全国展開していったのかを映像と劇で見る。昭和11年、黒斑病を克服した鳥取が梨娘を動員して日本一を目指して全国展開を成功させたという。その日は「王秋」という一コ300円の大きな梨を買った。

足を怪我している妹さんは友人に車椅子を押してもらって見学。梨館で果物の被り物があった。それを被って写真を撮りたいと思った。だが躊躇する。やはりあきらめきれず、またそこに戻る。それを被って写真に写った。妹さんはその写真を見て大笑いする。

梨はほとんど口にしない。今年はその梨を食べた。美味しかった!

昼食は「ねばりっ娘」でとろろ汁ご飯を食べた。鳥取砂丘でできる長いもを使用した料理である。店の名がねばりっ娘の意味がそれからも分かる。これも美味。

午後は年5日間この日だけに公開される「樗谿(おおちだに)の名庭『啐啄園(そったくえん)』」を見学。その後、隣接する鳥取市歴史博物館(やまびこ館)に入る。ここはこの2日間「関西文化の日」のイベントのため入館料は無料。国宝や重要文化財の梵鐘を見た。

啐啄園
怪我をしている妹さんは車椅子での見学となった。次に国指定重要文化財の「仁風閣」見学。その後ティータイム。その喫茶店で友人の妹さんは人の椅子の横においてある松葉杖に気づく。後で聞くと同じような人がいるんだと思って笑みがでたといっていた。

その日の夕食は「かに汁」を予定していたようだった。ところがお目当てのところは今はしていないという。友人はどうしても私に食べさせてあげるといって、自宅で作ってくれた。これも美味しい。

ところがその日も夕飯の前にお茶タイム。またまた夕飯が遅く10時頃になる。当然寝るのも遅い。

3日目になった。この日も暖かい。朝食は姉妹宅で食べる。その後、足を痛めている妹さんは車を運転して仕事に…。2人でお昼近くまで友人宅で談笑。

旅の話になった。なんとこれまで70回海外に出かけたという。ところが4年前に母親を亡くされてからは海外へ出かけてないとか。友人はブータンへ先に行っている。そのブータンのタクツアン僧院へは歩いて登ったという。そのことがその後の海外トレッキングに行く自信になったといっていた。

友人より遅れてブータンへ行った。そのときタクツアン僧院へはラバで登った。ラバは誰でもすぐに乗ることができる。徒歩とラバでは相当の開きがある。それでなくても軽い高山病になるブータン。徒歩でのそれは大変だったと想像してしまった。

その日の昼食は「蕎麦がき」を食べに連れて行ってもらった。この名の蕎麦料理は、はじめて聞いた。蕎麦を粉にして粘り気を出してもちのようにしたものだった。それを雑煮にいれる餅の代わりに蕎麦で作ったそれを入れる。これも美味。はじめて食べるものなのでデジカメで写真を…と思っているうち、いつの間にかそれは口の中に…。

どこへ行くにも遠くまで車を走らせる。3日間、かなりの距離を車で移動。移動するたび客を気遣ってくれる。逆にこちらは友人の方がくたびれたのではないかと思った。

3日間、お天気に恵まれた。あっという間に3日間は過ぎた。楽しかった!午後3時、広島行きのバスは広島へ向け出発。乗客は10人足らず。行きと同じところで10分休憩。帰りは3時間50分かかった。我が家に着いたときはもうすっかり夜。

留守の間、短大時代の2人の同級生から何度か電話がかかっていた。TELすると「どこかへ飛んで行っていない!」と2人で笑って話したという。「米子へ…」と話した。3人で新春に会おうといって電話をして…。

3日間も米子でお世話になってしまった。感謝しています!次は広島で会いましょう!

0 件のコメント:

コメントを投稿