2011年11月14日月曜日

『嫌われ者の流儀』

堀江貴文 茂木健一郎『嫌われ者の流儀』(小学館、2011年)を読んだ。

最近の本の題名として『〇〇力』などがよく使われる。ところがこの本のようにこれからは『…の流儀』が流行るのだろうか。

本のタイトルどおり、表紙に写る著者の2人はどう贔屓目に見てもいい人に思えない。多分、著者自らそれを見て一番人相の悪い写真と思うのではないだろうか。この本のタイトルにふさわしい写真をわざと選んだとしか思えない。

だが本を読んでいくうち、堀江はそれほど悪事を働いた人に見えなくなるのはなぜだろう。ふとそう思いながら本を読んだ。

プロローグ~空の星を見上げては、茂木がコメントを寄せ、エピローグは堀江がこの本を締めくくっている。

茂木はこの本で世間でいわれる「嫌われ者」を擁護する。その底辺には「決して体制側に無反省には立たない」、「自分の感覚を信じる」ことにある(1p)。

本書は対談形式である。茂木は対談相手の堀江を「インターネットとともにやってきた新しい経済の文法の下では、少数派、異端者こそが次の大きな波を創り出す」と述べる(4p)。

それには「既得権益者や、既成の秩序の側に立つ者から見れば、嫌われ者ぐらいのほうがいい。いや、嫌われ者でなければ、新しいことなどできやしない。だからこそ、若者は、『嫌われ者の流儀』を学ぶべきだ。そして、嫌われても、嫌われても、根拠のない自信と、新しい時代への確信と、無限に尽きることのない愛をもって、どんどん頑張って欲しい。」という(4p)。

その例として堀江がいるという。その堀江に対して「日本の社会には、もう少し辛抱強く、堀江貴文さんの存在を温かく見守って欲しかった。そうしたら、放送と通信の融合など、さまざまなことの展開が、違っていたかもしれない。」という(5p)。そのために「一見『敵』に見える人が、その懐に飛び込んでみれば実は恵の泉だったといういうことは、しばしばあるのである。歴史的な再評価は、どうしても必要だろう。」と(5p)。

そして「塀の向こう」に行く堀江に対してオスカー・ワイルドの『獄中記』を読むことをすすめる(6p)。

茂木は対談の中で自身の一生の課題を「クオリア」の問題とする(17p)。それを「今の脳科学の世界や常識的なやり方について、ものすごく反発しているんです。そこで自分のやり方を通したい。」と(17p)。そのためには勝ち続ける必要があるという。本の注によると「クオリアとは、感覚的、主観的な経験に基づく独特の質感。」とある(15p)。

堀江は勝ち続けるために、新しいことをやり続けていったほうがいい、と。それをすすめると世間は厳しくなる、と(18p)。それを茂木は「新しいことをすると叩かれる」と述べている(20p)。

それは世間からの嫌われ者になるというのだろう。

対談の中で茂木は堀江のいい面を「すごくイヤな人に会っても、『この人は僕にとって悪いやつだけれど、絶対にいいところもあるはずだから、そこを探して褒めよう』って。」話すのを「なんだ…ホリエモン、すごくいい人じゃん」と述べる(42p)。

堀江は昨年夏(注、この対談時点)の選挙特番を見て池上彰を気骨のある人だったからこそNHKを退社せざるを得なかった…という(90p)。それは「要するに嫌われ者がその流儀を通せるような社会じゃなきゃいけないってことなんだよな。」と嫌われ者の流儀を述べる(91p)。

その流儀を通している人として、坂本竜馬、益川敏英、フリージャーナリストの上杉隆などを堀江はあげる(92p)。

堀江は勝ち続けることについて「みんながルールに精通するまでは、僕は当然勝ち続けますよね。みんなが詳しくなって、僕も負けるようになると次のゲームを考えて流行らせてまた勝つ!」という。そのやり方を堀江自ら「ずるい」といわれたという(131p)。

今回の逮捕劇も彼流のやり方が通らなかった。そのことを世間は認めなかったということだろう。

堀江はその上を行く人物を村上ファンドの村上世彰にたとえる。「あの人はすごい。世の中、なんでも自分が勝てるゲームのルールに変えちゃうもん。」と(131p)。

茂木は対談も佳境に入ると堀江をニーチェのいう「超人」にたとえる。「堀江さんが、うらやましいと思った人に勝つために正面から努力するっていうところは、僕は本当に人間としてそれが正しいとよくわかるもの。」だと(133p)。

その底辺を茂木は「僕が尊敬する人、好きな人って、詳しく調べてみるとみんな嫌われ者なんだよ。」とその例としてニーチェをあげて述べている(133p)。

堀江は国家が幻想を与えすぎたことを「安定することなんて不可能なのに、安定しているという幻想のもと、変わることを拒む。新しいことにチャレンジしない。チャレンジする人や成功した人を引き摺り下ろそうとする。そこで安定しているという偽りの安心感を得ている。それが今の日本だと考えて仕方ないんですよ。」と(154p)。

それを打破するために堀江は大きな成功体験を見せつけることが契機になるという。その方法として「民間のロケット打ち上げ事業を成功させることによって実現させたいんです。」と(156p)。

3・11後のテーマのひとつとして堀江は「人間がいかに自意識過剰で、自分の物差しでしか物事を判断できないかという事実を、ひとりでも多くの人に自覚してもらおうっていうのがあるんです。」としてツイッターをあげている(184p)。

堀江が茂木に興味を持ったのはテレビでなくツイッターの書き込みにあるという(188p)。

堀江は震災後の日本を「260年続いた徳川幕府が黒船によってガラガラと崩壊していった幕末と本当に似ている…」という(202p)。だからこそ日本は頑張ろうと…。

茂木は時代の寵児からさらし者になって獄中に送られる境遇の堀江の人生に対する考え方を聞いている。堀江は「ライブドアという会社の社長としての責任は、社員に対しても株主に対しても果たしたと思うので、それらに対しての責務や義務感、オブリゲーションからは解放される。うん、もっと自由に生きられるとは思います。」という(223p)。

世の中を変えるものとして堀江は政治ではなくテクノロジーをあげる(224p)。そしてその理想をグーグルに求める。「俺も就職したい!」と思ったほどだとか(232p)。

それは「グーグル・マーズの火星探地図を映した媒体があって、それがぐるぐる回っていたりする」とか。グーグルの本社には会社の受付から遊び心いっぱいの仕掛けがあって、これは楽しい職場だな…」と(232p)。

堀江は夢としてグーグルみたいな研究機関と会社が一緒になっている戦前の理化学研究所を作りたいという(235p)。そして日本を変えていきたいと…。

エピローグで堀江は茂木に対して「2009年夏、私のブログのコメント欄に『堀江もツイッターくらいやってないのか、終わったな』と書く者がいて、私は“そんなことねーよ。それくらい勿論チェックしてるぞ”と速攻で登録を済ませた。そしたら瞬く間に数千人のフォロワーがついた。現時点で70万人近いフォロワーを抱えることになったが、そのタイムラインの上に茂木健一郎が現われたのだ。」という(252p)。

その茂木との対談について“天下のNHK”の仕事をしている者と刑事被告人との立場の違いを考えた。だが嫌われないことを最優先して空気を読む者が多いのに茂木は違っていたという(251p)。

そして収監を前にした堀江は「この本のタイトルにもある『嫌われ者』というのは、いわゆる本音でズバズバとモノを言うために、時には相手の痛いところを図星で突いて、“嫌なやつ”だと思わせてしまう人間のことである。」とする(252p)。

本音で語って場の空気を乱すことを「ディベート」だとした上でそれが「嫌われ者」になるという。「空気を読まずディベートをガンガンやるような人間はマスメディアが率先して『嫌われ者』のレッテルを貼り、社会からスポイルしてしまう。」と自らを語る(253p)。

最後に読者の皆さんもそう人になっていかないと日本は崩壊してしまう可能性が高いと…(254p)。

何かコトを成し遂げようとする者は人に好かれようとするのでなく、あくまで人と違う「嫌われ者」でなくてはいけないのかもしれない。そして「嫌われ者」こそが社会を変革していく人なのかもしれない。凡人には到底真似のできないことだけれども…。

朝からこのブログを投稿してるともうお昼近くになってしまった。今からプールに行こうと思っている。帰ってからの昼食は2時になりそう。

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