2011年11月25日金曜日

再び喪中ハガキについて

今朝図書館に行った。いつもは予約確保のメールが届いたときだけ図書館に本を借りに行く。ところが3,4日図書館に行けないので出かけることにした。久しぶり書架を見る。目に入ったのは『死なない病気』(渡辺淳一 新潮社、2011年)。

中をめくると「喪中ハガキを考える」があった。昨日思ったばかりのこと。まさか手に取った本に同じようなことが書いてあるとは…。驚くばかり。

その中に書いてあることを引用する。

「年齢をとると、喪中ハガキが増えてくるのは仕方がないが、それにしてもいささか気が滅入る」(64p)。

筆者はいろいろとこの件に触れた後、「ここまで書いてきて、改めて気がつくことは、喪中ハガキが形式的になりすぎていることである。…とにかく、年内に身内の誰かが死んだら喪中ハガキを出すというのは、あまりに形式にとらわれすぎているのではないか。…ただ、みんながやってるから、自分もやる、というだけのこと。そんな形式的なものより、たまには変わった年賀状を出してみたら、どうだろう。『あけまして、おめでとうございます。昨年二月、母が亡くなりましたが、それにもめげず、本年も明るく頑張りますので、よろしくお願いします。』お年玉付きのそんなハガキがきたら、もらったほうも明るくなり、やる気が出てくるだろう。」(66-67p)。こう書いた後、筆者は年賀状と喪中ハガキを分ける手間が省けるだろうと述べている(67p)。

ここまでしようという気持ちはもっていない。だが、筆者のいうように喪中ハガキをもらっていい気持ちになるだろうか。誰も嫌な気持ちになるはず、と思う。

この件に関してはもうこれで終わり。自分流を通すことにしよう。

今日は夕方から広島交響楽団の第314回定期演奏会に出かける。今日の演奏曲目は「巨匠の熱情と俊英 ~オーストリア音楽の神髄」と銘打ち、
モーツアルト;歌劇「魔笛」序曲K.620
ベートーベン;ピアノ協奏曲第5番変ホ長調Op.073「皇帝」
シューベルト;交響曲第5番変ロ長調D.485

の3曲。

指揮者はロッセン・ゲルゴフ、ピアノにイエルク・デームスを迎えるという。

演奏会後は帰りも遅くなる。また明日からは米子へ…。しばらくブログ投稿はお休み。10年ぶり(?)米子の空気を吸ってきます…。

0 件のコメント:

コメントを投稿