2011年11月17日木曜日

『早大院生と考えた文章がうまくなる13の秘訣』

今朝の塀の作業は午前7時45分開始。相変わらず早い。先ほど作業する3人におやつを出した。あとはゆっくり本を読む。

最近よく読む近藤勝重の本についてブログに投稿。なぜこの人のエッセイを読むようになったのかは覚えていない。

近藤勝重のエッセイは文章に人柄が出ている。そのため読むのかもしれない。

今回は『早大院生と考えた文章がうまくなる13の秘訣』(幻冬舎、2010年)を読んだ。

またいつものように気になるところをここにメモしたい。

「文章は『はじめに言葉ありき』ではありません。『はじめに体験ありき』です。体験化が言語化を迫るのです。」(44p)。

筆者は同じことを体験しても人が違えば体験もみな違うという。

「いい文章とは、さんざん考えましたが、結局は自分にしか書けないことを、どんな人でも読めるように書く。これに尽きるんですね。」と井上ひさしの文章を引用して述べている(47p)。

「日記であれ、手紙であれ、人間は文章を書くことをとおして自分を見つめ、考えを深めていくものです。」(59p)。

「『〇〇へ行った』というその〇〇に応じて五感(視、聴、嗅、触、味)の一つひとつ、つまり見たこと、聞いたこと、嗅いだこと、ふれたこと、味わったことをたずねてみるわけです。」、と親が子供に尋ねるそのやり取りで子供は答えを口にするという。この時の親子の言葉の流れが、文章を書くときにもいえると筆者はいう。すなわち「書きたいそのことどう思うかより、そのことを五感がどう受けとめていたかを探ってみる。五感の反応を思い出すことに努めるわけです。」と(84-85p)。

「文章を書くということは脳の長期記憶に蓄えられているおびただしい数の体験情報をどう引き出すか、そのことにおいてはありえない作業のようです。脳科学者はその関係性を『ひらめき』という言葉で説明しています。」(89p)。

ひらめきと文章を書くことがどうかかわっているかを脳科学者の茂木健一郎の言葉「創造性は『体験×意欲』で生まれ、そこには日々の小さなひらめきがかかわっていると話していました。」と引用している(89-90p)。

そのひらめきは外からの働きかけでもたらされるとかで筆者はそのはたらきを
1 エッセイや対談集を手に取る
2 街をぶらぶら歩く
3 誰かと談笑する

この3点挙げて試みるらしい(90p)。

「ひらめき」について深く考えたことはなかった。ただ常に思いつくまま、ひらめくままに行動している。これからもそのように…。

五感を刺激することとして「軽いミーハーになって街を歩けって。」(94p)。

その点は大丈夫。充分ミーハーになれる。ただ好奇心あるのみ。良いも悪いもただそれだけが取柄、と思っている。

「人も歩けば題材に当たる。ひらめきも得られる。そしてそれが文章になる。」ともいう(94p)。

書く文章について「情報伝達型」と「自己伝達型」があるという。後者について「現在ー過去ー未来で書いていってもいいのですが、僕は起・承・転・結で書くことをおすすめします。もとは漢詩から生まれた文章構成ですが、自己表現型の文章には『自分にしか書けないことを、誰が読んでもわかるように書くこと』の『自分にし書けないこと』が不可欠です。それにはやはり『転』で意表をつくことができるこのスタイルがいい。…」と(113p)。

比喩について「直喩」と「暗喩」があるという。この2つの比喩について知らなかった。「直喩とは一つの事物を他の事物にたとえること」で、「・・・・のようだ」、「・・・・に似ている」などの言葉を使う。「暗喩」は「隠喩」ともいわれ、「沈黙は金、雄弁は銀」のように直喩の「・・・・のようだ」の言葉は使わない修辞法だという。これらの比喩は類似のイメージで物事の本質を素早く理解させてくれるという(148-149p)。

筆者は文才ある人といわれる谷崎潤一郎など多くの先人の文章を例に挙げて上手に文章が書けるコツを述べている。

少しはそれを見習って…。

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