2011年11月24日木曜日

年賀状の欠礼葉書きに思う

年賀状の欠礼の葉書が届く季節になった。先日も1通届いた。

今月30日、108歳になる母親をもつ知人がいる。その母親は市内某区の最高齢者である。

その知人とはいつもメールなどで連絡を取り合っている。ところがお盆過ぎからメールを出しても返事が来なくなった。「何か変?」と思い、意識して連絡をせずにいた。

2日前、年賀状の欠礼の挨拶状が届いた。108歳の母親と彼女他の連名の葉書だった。裏をみると彼女のお姉さんの訃報だった。108歳の74歳の娘さんである。

長いこと話していなかったのですぐにTELした。メールを送ったことも話した。彼女はメールどころではなかったようで、TELしたときやっと気づいたようだった。

108歳は長寿の祝いの「茶寿」だと検索で知った。

祝いと不幸の折り合いをどうすればよいかわからず、彼女に電話でざっくばらんにたずねた。それに対して直接お姉さんを知ってはいないから…という。お祝いを優先する旨伝えて、一昨日彼女のお母さんのお祝いを送った。

108歳といえばアサちゃんの一回り上になる。

本来ならば我が家も年賀状の欠礼の葉書を出すことになる。だが、毎年この季節に届くその葉書きをみて決していい気持ちにならなかった。数年前、それにかえて正月明けに寒中見舞いをもらったことがあった。

それを受け取ったとき、こういうやり方もあるんだと知った。受け取ったとき嫌な気持ちにならなかった。

それ以来、それを見習って我が家も何かあれば寒中見舞いにしようと決めていた。

やはりお正月は年賀状が嬉しい!年賀状の来ないお正月は淋しさも増すような気がする。いけないこと…!?

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