2011年10月30日日曜日

『あなたに褒められたくて』

今月初めから始まったドラッグストア建設工事も日曜日とあって今日は休み。それでも雨は一日中降り続く。家の外も中も静かな日曜日だ。

昨日、高倉健の本を読んでブログに投稿。特別その人が気に入ってるわけではない。だが、ずいぶん前、その人の『あなたに褒められたくて』(新潮社、2001年第11版)を読んだことを思い出し、先ほど図書館でその本を借りてくる。

「あなたに褒められたくて」のエッセイはその本の最後に書いてある。大体の内容は覚えていた。そこの箇所を再度読み返してみる。やはり何か感じるモノがある。

女性が母親を思う気持ちと男性のそれとは相当開きがあるかもしれない。だが、書かれている部分は全く同感する。

筆者は小学校に上がる前、肺浸潤に冒され1年間、安静にしていたという。「この間、母は毎日毎日鰻を食べさせた。…肺病の息子に、鰻を食べさせて何とか滋養を付けさせたい、という母の気持ちは子供心にもわかりましたが、毎日の鰻はつらかった。それで僕は鰻は一番苦手なんです。」(195-196p)

「鰻」といって思い出すことがある。同じく覚えていないほど幼い頃、あまり元気でなかったと母から聞かされた。小さい頃、運動しなかったのはその意味もある。だが、そんな頃、母は他の娘たちには食べさせず弱い娘にだけ「八目鰻」を食べさせたと話していた。おかげで今は姉妹の中で一番元気。

高倉健の母は、任侠映画のポスターの肉絆創膏の貼ってあるのを見て、「『アッ、あの子、まだあかぎれ切らして、絆創膏貼っとるばい』って。見つけたのは、おふくろだけでした。全身のポスターで、誰も気がつかない。『あんたがね~可哀想』」といったという(198p)。

さらに「“帰って誰もあなたを迎える人がいない。それを思うと不憫だ”って、毎回書いてありましたよ。『お母さん、あなたが思っているより、僕はずーっともててるんだよ。教えてやりたいよ。本当に。』『バカ』って言ってました。頑固で、優しくて、そして有難い母だったんです。自分が頑張って駆け続けてこられたのは、あの母(ひと)に褒められたい一心だった思います。」とも書いている(200-201p)。

またさらに「お母さん、僕はあなたに褒められたくて、ただ、それだけで、あなたがいやがってた背中に刺青を入れて、返り血を浴びて、さいはての『網走番外地』、『幸福の黄色いハンカチ』の夕張炭鉱、雪の『八甲田山』。北極、南極、アラスカ、アフリカまで、三十数年、駆け続けてこれました。別れって哀しいですね。いつも――。どんな別れでも――。」と述べている(203-204p)。

筆者の映画は「幸福の黄色いハンカチ」しかみていない。だが、筆者ほどではないにせよ、この気持ちはよくわかる。

社会人大学生として学ぶように…と始めにいったのは母だった。NHKのラジオで放送大学の募集案内を聞いた母が入学することをすすめてくれた。結果的には放送大学でなく地元の大学で学んだ。筆者のいうようにその底辺には「母に褒められたくて…」があったかもしれない。頑張らなくては…と。

筆者は文の終わりに「あなたに代わって、褒めてくれる人を誰か見つけなきゃね。」といって締めくくる(205p)。

全くそう思う…。一番の理解者を…。

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