昨夜フルートの発表会を無事終えた。「無事」には疑問符がつくかもしれない。だが、ともかく発表会は終わった。
昨日午後からは発表会のリハーサルなどもあり、予定時刻までに会場に行く。最寄の駅を降りて歩いていると50メートル先に人が歩いている。持っているバッグから発表会に出る人では…と思いながら会場に着く。
到着後、その人らしき人の横に座るとやはりそうであった。
順番にソロ、アンサンブル、全体合奏、ゲストのリハーサルを終えると本番になった。
大人のフルート発表会である。出演する人、ピアノ伴奏の人、司会者、カメラマン、ビデオ係、会場の手配など毎年のことでいつも同じ人のお世話になる。今回はなんと22回目とか。フルートの先生との付き合いは古い人で22年にもなる。今回の出演者もその回に相当する人がいたかもしれない。
まず全体合奏から始まった。続いて先生の演奏だ。演奏では伴奏として旦那様のギターがついた。夫婦揃って仲良くバッハ作曲の「主よ人の望みの喜びを」を演奏された。見ていてほほえましい!先生の旦那様はヤマハの全国大会のポプコンで入賞されたことがある。またアコースティックギターのアマチュア・バンドでギターやボーカルで定期的に演奏活動もされている。本職はある企業の社長さんだが…。
演奏の最後はゲストの人たち。昨夜はピアノ伴奏の先生にもう一人ゲストのピアニストが加わってバーバーの「スーヴェニール 『バレエ組曲』作品28」より4曲演奏された。これも聴き応えのあるすばらしいものであった。
演奏は作曲家の生まれた順に始まった。私の吹くソロは休憩を挟んで始めにあった。ソロを吹き終えると最後にあるアンサンブルのときは気持ちが抜けてしまった。ちょっとまずかったと反省。
フルートを習いだして19年半。本来なら19回は出てるはずだけど、その半分は忙しい日々を過ごしたため、中断を迫られた。ともあれ、これほど長く続くとは思ってもいなかった。肺活量が少ないからフルートに向かないのでは…と。
中学生になるまでほとんど運動をしなかった。そのため肺活量は人より少ない。高校時代計ったとき、2000mlなかった。それがフルートを習って以降、水泳をはじめたり自転車を乗り回すようになると肺活量も500ml位増えた。それでやっと人並みである。今はもう少し増えているかもしれないが…。
時々フルートを習いはじめた頃のことを思い出す。先生はフルートが吹けないと、いつも「人と比較していけない!」と話された。まだその頃20代はじめの先生にそういわれるたび「偉い人だ!」と思った。
というのも中学校まで学校の成績一覧は全員、校舎の廊下に張り出され、競争原理の中で成長した。当時の先生たちが常にいわれたことは「君たちの一生は競争だ!」。今と違い「ゆとり教育」の時代ではなかった。そのためつい人と比較する癖がついて育った。
ところが若いフルートの先生はそれが全くない。きっとそのことがこれほど長く人をひきつけている所以だろう。
「比較」については社会人大学生で入った頃、一番初めに感じたことにもあった。「多様性」である。人でも、国でも何でも「多様性」があると…。人それぞれであると…。それはフルートの先生の話される「人と比べない」ことにも通じるように思う。
多分人と比べていたら上手い人と差がつきすぎて習うのが嫌になったかもしれない。
発表する大半はこれまでのメンバーの人だったが、新しい人もいた。そのため、習う人の年齢も高くなるが、吹く曲のレベルも高い。人の吹く曲を聴きながらその曲を吹いてみたい…と思う。これも刺戟になる。発表会のよさはそこら辺にあるのかも…。
大人の発表会は会場のほとんどは発表する人かその家族である。ところが開演前、入ってきた男性はよそでフルートを習っており、その会場の情報で発表会を知り聴きに来たという。最後までその人たちは熱心に聴いていた。
また昨夜は発表会で着る服をスペインで買ったワンピースにしなかった。知人に会った時、すぐ着てこなかった断りをいった。顔が服のかわいさに負けると…。知人はそういえば服が違うという。
帰りに他の人からなぜ着なかったのか問われ、また着なかったことは買うようにいってくれた知人に対しても悪いという。そういわれて初めてそうかも知れないと気づく。1日前までは着ようと思った。だが、どう見ても顔が服のかわいさに負けてしまう…。着るのを断念した!
またその人はフルートがこれほど長く続くのは先生をはじめ皆仲が良い仲間だからだという。本当にそう思う。
ともあれ発表会は終わった!明日からはまた新たな曲をレッスンする。新たな気持ちで次回を目指して…。
0 件のコメント:
コメントを投稿