『ある運命について』(司馬遼太郎 中央公論社、昭和63年第3刷)を読んだ。この本も30年以上も前に購入して読まずにいた。あと数冊、積読のままにしている司馬遼太郎の本がある。この際、読まずにいた家にある司馬作品をすべて読み終えよう。
以下は『ある運命について』から気になる箇所をメモしたもの。蒸し暑い日が続いている。
ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!
★人間の精神は歴史の産物であることをおもわざるをえない。広瀬は単に存在したのではなく、濃厚に江戸期を背負っていた。江戸期氏族階級は、二百七十年のあいだ、ただひたすら本を読み、しかもその読書の目的は、人間がいかに生死すれば美しいかという一点にしぼられていた。こういうふしぎな数百年を持ったのは、人類の文化史上、稀有なことといわねばならない。それらが発酵し、さらにくだって明治中期までに成人したひとびとのなかでさえしばしばそれが蒸溜されつづけていることを見出す。そのうちの一滴が広瀬であることを思うと、かれの精神のひびきを伝える詩文は、すべて後世においてもはや再生産されることはない。
その意味において、本書(「広瀬武夫全集』)の編纂にあたり、関係者たちはあえて広瀬を軍人として見ることは姑(しばら)く措き、みずからは決して志さなかった文学の徒としてみようとした。このことは『歎異鈔』や『正法眼蔵』をあえて僧侶の著述とみず、鎌倉という時代がもったもっともたかい心の調べを感ずくべく文学の書として見る態度がゆるされていいということと同心円である。あわせて、この場合、文学の場というのはもっとひろげられていいという気分もある。(「文学としての登場」 29-30p)
★兵というのは、最初から兵である者はいない。まず恐怖を与え、規律をあたえ、間断なくその両方をあたえつづけることによって、なまの人間からなにごとかを抜きとってしまうのである。一週間もすれば、頭が茫となり、俗世間にいたことが十年前であるような感じになる。……明治からひきついできた鎮台的な軍隊の最後か、もしくは十五年戦争がはじまろうとしている最初いうきわどい時期に、長沖一という若者が、その社会に嵌め込まれ、かつ書いた。書きあげたときには、十五年戦争のふんいきがはじまっていて、発表されなかった。むしろそのことが後の世を経験しつつある私どもにとって幸いだったかもしれない。文学的価値のほかに、この作品は歴史的な(ひねくれていえば風俗史的な)資料性を大きくもつにいたっている。軍隊内務班について知識や関心のないひとでも、昭和五年における知識青年の精神風俗というものを知る上で、なにごとかを感ずることができるかもしれない。(「昭和五年からの手紙」 61-62p)
★正義という多分に剣と血のにおいのする自己貫徹的精神は、善とか善人とべつの世界に属している。筆者などは善人になれなくてもできるだけ無害な存在として生きたいとねがっているが、正義という電球が脳の中に輝いてしまった人間は、極端に殉教者になるか、極端に加害者にならざるをえない。正義の反対概念は邪義であり、邪義を斃さないかぎりはは、自己の正義が成立しようもないからである。
中国にも朝鮮にも正義という思想は古くからその官僚世界にあり、ひとつの「正義」を共有する者たちが、他の「正義」を共有する者を邪義として打倒すべくたがいに朋党を組み、惨烈な党争の歴史をくりかえしてきた。こんちになお、中国の政治現象をみれば、そのことを十分に理解することができる。西洋ではいうまでもない。 正義の女神は盲信性をあらわすためかどうか、顔は目隠ししている。片手には正邪の判定のための秤をもち、別の手には邪をたおすための剣がにぎられている。政治的正義のおそろしさを、この芽隠しと秤と刃ほど端的に象徴しているものはない。(「奇妙さ」143p)
★政治的正義がすべての人間に対してやさしい微笑でくるんだ歴史などはどこにもない。繰りかえしいうが、政治的正義における正邪は人間の善悪とはべつの場所あるいは次元に属しているようである。私のような者にはどうにも手に負えない。だが、人間がもっている情熱というのは奇妙なものだという感慨は、むかしから根づよく私のなかでつづいている。(「奇妙さ」148-149p)
★ここでは余談のことながら、すでに亡くなった詩人のことを思いだす。かれは自分の死の一週間前に、友人の詩を知り、悼んで、誅(るい)詩をつくった。
死というものは、もう会えないということだ。それ以上のものでもなく、それ以下でもない。
生死とはそれだけのことで、それ以外に何を加えることがあろうか、というすわりこんだ性根の底からこのことばが出ている。忠三郎(右の誅詩における死者)のあらゆる表情、声、あるいは動作など人間としてのすべてが自分のイメージの中にある。それで十分だ、というのである。私における安田章夫(あやお)氏も、そうである。死者という特別な存在ではなく、つねに生きて動き、その名を呼ばれるのを聞くたびに顕れる。(「奈良法蓮時代・仄聞」187-188p)