2022年7月8日金曜日

「『終活』に励む人は今を生きる喜びを犠牲にしている」

 誰が言い始めたのだろうか、この頃になって「終活」という言葉を目にする。この言葉、本当に嫌いだ。そう思っていたらプレジデント・オンラインにこれに関する記事がある。哲学者の岸見一郎は「老後には備えないほうがいい。未来がある保証はどこにもなく、思った通りの死に方ができるとは限らない。『終活』に勤しむよりも、今できることに専念してその喜びを享受したほうがいい」という。

 若い頃、「自分が思い描いている人生になる」との思い込みがあった。そのため思い通りにならないことを悔やむこともあった。しかし、歳を経るにつれて「人生は思い通りに行かない」、との思いが実感として判りだす。何かコトが起きれば「できることをしていけば、人生は必ず変わっていきます」とあるように、ピンチの時はこれをチャンスに変えるようにした。
 
 20年前に会社をリストラされたときがまさにその時だった。同じ道を歩んではダメだと気づいて働くのをやめ、大学に入りなおした。働いて収入を得るのでなく大学に学費を払うという全く逆な経済だった。それでも学び直した6年間は働いて得る喜びよりもさらに大きな学ぶ喜びを味わえた。これは自分にとっては金銭よりも得がたいことである。

 以下は記事からの抜粋。

★そもそも長生きできるという保証はどこにもないのですから、100歳を前提に人生設計をすることは、私にはあまり意味があるとは思えません。

★老後に備えるために「今」生きることの喜びをふいにしては意味がない。

★「終活」に励む人は今を生きる喜びを犠牲にしている。
未来は「未だ来ていない」というより、「ない」のです。未来があるという保証はどこにもありません。少なくとも、自分が思い描いている人生になるという保証はまったくありません。そうであれば、徒にこれから起こることを恐れるよりも、今できることに専念する。これが「今を生きる」ということの意味です。

★何もしないより、できることをしていけば、人生は必ず変わっていきます。たとえ不幸な出来事に遭遇したとしても、悲しみにただうちひしがれているのでなく、悲しみを梃子(てこ)にして人生を生き抜く勇気を持つのと持たないのとでは、大きな違いがあります。

★未来がすべてわかっていたら生きる喜びはない。

★亡くなった人の人生をその最期だけで判断してはいけない。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

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