2022年7月6日水曜日

「心臓が痛んでくるほどに、可愛くて美しすぎる景色」

 朝から岩国基地の飛行機だろうか轟音が響き渡る。これに対して新聞などへの投書はあっても誰も文句が言えない。これが悲しい。時間を経ても激しく轟音は続く。暑い上にこのうるささ。誰か何とかしてほしい。

 気を取り直そう。読み続けている司馬作品のうち、『街道をゆく』(三十一)の「愛蘭土紀行」(Ⅱ)に書き留めておきたいほど美しい文に出会った。

 ★美しい小川のほとりに出た。このあたりには冬も枯れることのない芝生が広がっていて、川岸には、芽ぶきはじめの冬枯れ木がガラス絵の中の景色のように天に突きあげている。ながめていると、心臓が痛んでくるほどに、可愛くて美しすぎる景色である。小川は四車線の道路ほどの幅で、水深は深く、水底はなめらかでない岩盤でできているらしく、このため瀬を早めて流れる川波が陽のなかでこまかくきらめいている。……思いなおすと、アイルランドには英国ふうの豪華な城郭、城館がすくなく、この程度の簡素な防御構造が多い。もしこれが城とすれば、小川は濠になる。胸壁はない。城であれ、単なる物見の塔であれ、小川と石橋と、塔とが構成しているうつくしさは、女性の魅力に対しているキュートというほかない。cuteかわいらしい、という意味に、もとの単語のacuteから想像すると、鋭角的、機敏という語感がくわわった言葉だろう。ついでだが、アイルランド娘は、アキュートもしくはキュートな子が多い。(146-147p)

 「心臓が痛んでくるほどに、可愛くて美しすぎる景色」をいつか自分自身も見に行きたい。というか同じ場所へ行けなくても、もしかしたら旅で見た様々な光景は心臓が傷んでくるほどの美しさであったかもしれない。そう考えると文章の表現如何で旅の醍醐味も変わるようだ。

 話はズレるが、『街道をゆく』のこれまで読んだどの紀行もそれぞれの地で出会った日本人や外国人の話題がある。有名無名にかかわらずどの人との出会いもほぼ名前が出てくる。現地の日本人はその地で研究や勉学に励んでいる人たちが多い。例えば現地のバス運転手さんであっても名前を出している。登場人物のいい面ばかりを羅列しているかのように悪くは書いていない。さらに外国人の登場人物であれば現地の人名辞典などを引いて人物の謂れをわかりやすく書いている。辞書でいえばこんな辞書があるというほどにいろんなジャンルの辞書を引いて解説している。もう、読みながら司馬遼太郎はどんな頭をされていたのだろう、と思ってしまう。調べに調べて多くの本ができていったにちがいない。

 雨が上がって蒸し暑くなりそうだ。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

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