2022年7月4日月曜日

『老いのトリセツ』

  『老いのトリセツ』(石川恭三 河出書房新社、2019年)を読んだ。どんなに立派な人であっても「運動音痴」の人がいる。そう知って自分だけではなかった、と変に納得してしまう。以下は、そのくだりである。

 「私は運動音痴を絵に描いたような無用な人間であることもあって、健康のためにと、ジョギング、縄跳び、フィットネスバイク、ダンベルを使っての筋トレなどを始めても、いつも三日坊主で終わっていた。ところがひょんなことから、自宅近くのスポーツジムでエアロビをするようになってからは、これがどういうわけか私には向いていたようで、五年ほど前までのおよそ二十五年近くも続いたのである。八十歳を越してからは、さすがにエアロビは少しきつくなったので、水泳に切り替え、これを今も続けている。こんなことぐらい、とくに自慢するほどのことでもないのは承知しているが、運動音痴の私が何はともあれ、こんなにも長く続いているということが、私には自慢の大きな種になっているのである」。(131p)

 運動音痴が水泳を続け、これが自慢の大きな種になっているそうだ。まさにこの言葉は自分自身にもあてはまる。運動音痴は劣等感の塊となって育っていく。走れば遅いし、自転車には乗れないし、ましてや泳ぎは……。大人になるまで地元に屋内プールはなかった。そのため同級生の中には運動選手であっても泳げない人がいるかもしれない。

 大人になった時、ふと自転車に乗りたい、と思うようになった。乗れないのに新たな自転車を買って我流で練習していたが一向に乗れない。その時、まだ小さかった姪たちが練習する姿を見て自転車の後ろをもって動かしてくれた。なんと前に動いた。それがきっかけで乗れるようになった。友だちに自転車に乗れるようになったと話すと会員制のジムへ誘われる。仕事終わりに新幹線構内にあるジムへ強引に誘われて一緒に行くようになった。これがきっかけで人生初の気合を入れてジムに通った。屋内プールが目的である。恥を忍んで友だちが言うままに犬かきから練習開始。通い始めてだいぶ経ってやっとプールで浮くようになった。

 友だちはクロールでなく顔をプールにつけないで平泳ぎで泳ぐ。ところが自分は顔を水につけないと浮かばない。我流で顔を水につけてクロールをやっていると前に進むようになった。この時の喜びはいつまで経っても決して忘れない。会う人会う人に泳げるようになった、と話した。聞く側にとっては頭がおかしいのでは、と思われたかもしれない。それくらい嬉しかった。

 それから10数年過ぎて50歳になった。区内に初の屋内プールができた。そこで10回のスイミングスクール生募集との広報紙を見る。勇気を出して申し込んだ。何ごとも先生について習うと習得も早い。10回のコ-スでクロールと背泳ぎが泳げるようになった。それも25mである。もう嬉しくて……。今思い出しても嬉しい思い出だ。10回コースが終わると当時の先生に誘われて大半が日本一周泳ぐ会に入った。50歳を超えてるとはいえ今よりもやはり若かった。土曜日の夜、スポーツセンターまでJRに乗って通った。

 しだいに長い距離も泳げるようになった。1キロを目途に泳いだ。これはコロナ禍まで続けた。そんな矢先のコロナ。人生の楽しみを奪ったコロナ。

 そういえばスポーツセンターへ自転車で行っていたこともある。往復1時間半、行きかえりを自転車に乗って行き、プールで泳いだ。自転車に乗るのが嬉しくてプール以外にも市内のあちこちへ乗って出かけたものである。思えばその頃の元気が今に続いているようだ。病気知らずになった。この本を読んで改めて水泳にのぼせていた頃を懐かしむ。以下はこの本からメモしたもの。なお、水泳はコロナで中断しているがそれでも30数年以上泳いでいる。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

★今、読んでいるのは司馬遼太郎氏の『翔ぶが如く』(全十巻・文春文庫)である。この本を最初に読んだのは三十年以上も前のことで今度が二度目になる。……この本は史実に基づいて丁寧に描かれている部分も多く、史的興味をそそられる面が多々あるのだが、その反面、エンターテイメント的な要素が乏しく、愚豪な私には読み進めていくのにかなりの努力が必要になってくる。しかも、一行四十三文字、一ページが二十行と小さな文字がびっしりと詰まっている文庫本であり、老眼にはかなり難物の読み物である。(31-32p)

★もうそんなに多くの時間が残されていない今こそ、どうにもならないことにくよくよしないで、なりゆきにまかせて、とにもかくにも、、明るく楽しく、振る舞うことだと自分に言い聞かせている。(52p)

★私は孤独の入口のすぐ近くか、それよりちょっと奥に入ったところまでしか行かないことにしている。私は臆病者なので、それより奥へ行くと、もう戻ってこられなくなるかもしれないという不安にかられるのである。それでも浅い孤独に身を置くことは好きで、とくに高齢になってからは、気軽に孤独な時間の中で独り遊びをすることにしている。そんな独り遊びでは、ときどく昔の思い出の中に入り込んで、その当時のいろいろな状況下の自分のすぐそばにいるような気持で、しばし回想の時間を過ごすのである。孤独と上手く付き合うのも高齢者の才覚の一つである。(120p)

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