2022年3月30日水曜日

川沿いの桜

 家から歩いて行かれるところに二級河川が流れている。その川沿いには桜が植えてある。昨日の午前、徒歩でなく自転車に乗って桜を見に行く。あいにく満開とまではいかなくても見事に桜は咲いていた。ただ、花曇りのお天気で2日前に出かけた縮景園に比べて写真の写りはよくない。川向うに菜の花が咲いている。自転車で橋を渡って菜の花が咲くところまで行こうとした。が、国道をひっきりなしに車が通り、怖くて菜の花まで近づけそうにない。あきらめて元の場所に引き返し、そこから菜の花の写真を撮った。 
川の上方面

川の向かいに咲く菜の花

川の下方面
 ここからの写真は3日前の27日に出かけた縮景園での写真。お天気も良くて桜のピンクと空のブルーがよく映えている。


 この祠を日本画教室の人が写していた。何度も縮景園に出かけているがここに祠があるとは知らずにいた。今回やっと祠を見つけた。

 写真に撮った祠を見るといかにも山奥にあるように見える。が、実際は街のど真ん中にある縮景園の祠である。

 話は戻って川沿いの桜を見た後、地元のスーパーに出かける。帰りがけに近所の人に出くわす。しばし、立ち話をする。その人の母親は今年95歳になるとか。元気なお年寄りなのになぜか不満があるようだ。話を聞いた後、「亡くなればもう二度と親と話は出来ない」と話すと、もう親はいなくてもいい、みたいなことを言い始める。これを聞いてびっくり仰天。

 我が家は母が怪我で入院した時点で親娘の立場が逆転した。それほど仲が良い親娘ではなかったが、親の怪我は自分にとっては大変なことだった。それまですべての家事をやってもらっていた。怪我から亡くなるまでの7年間、親を介護していて感じたことはただただ衰えていく親が愛おしくてならなかった。そんな気持ちで介護していたので昨日の友だちの言葉に驚くばかり。

 人それぞれ、というけれど、それでも親を咎めてはいけない、と思う。いざとなればいつも親が子を見守ってくれたはず。その思いがあるから衰え行く親を口に出して咎めてはいけない。そう思うけどどうなんだろう。誰しも皆、いつまでも元気でいられるわけではない。遅かれ早かれ老いはやってくる。その時、どう思って日々を過ごすのだろう。それこそ人それぞれ!?

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

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