2021年12月29日水曜日
これからランチへGO~
2021年12月28日火曜日
プチヴェール
手もとにある「お献立」を見ると先附、お向、煮物椀、八寸、焼肴、進肴、強肴、食事椀止、水菓子、とある。このうちの焼肴に出てきたのは「広島ハーブ鶏レモン麹焼とサラダ」に見たこともないプチヴェールがついている。ネットで早速、プチヴェールを調べると芽キャベツとケールを交配したものらしく静岡県で開発されて誕生していた。そしてこれは世界初の非結球芽キャベツで栄養価も高く甘みがあるそうだ。
年の瀬に2時間以上かけていただくランチは何とも贅沢な気持ちになる。友だちと別れた後は県民割についてくる2000円分のチケットを持って福屋に向かう。お菓子処高木で来年の干支である寅の2種類の「干支菓」を購入する。新年を迎える準備は何もしない。が、先日、煮た黒豆とこの干支の菓子で迎える!?
今日はこれから本年最後の図書館へGO~。お正月休みに読む本を探そう。それにしても予約した本がなかなか手もとに回ってこない。皆、年末年始に本を読むのだろうか。
ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!
2021年12月27日月曜日
『新装版 播磨灘物語』(三)
今朝は薄っすらと雪が降っている。雪が積もるほど降ることはあまりないので雪を見るだけで寒くなる。こんな日は家でおとなしく本を読む、と思いたい。が、今日はこれから友だちとランチを楽しむ。
以前に読んだ『新装版 播磨灘物語』(三)(司馬遼太郎 講談社、2014年第36刷)。以下は気になる箇所を抜粋したもの。
ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!
★官兵衛は少年のころから藤兵衛に仕え、骨を砕いて尽くしてきた。日常、主家のために良かれとのみ思い、強引に説いて織田家に属したのも毛利についていれば亡びを待つのみだと思ったからである。人の主たるものが、人間の情としてそういう家来を殺すということがありうるだろうか。官兵衛はふとそういうことを想いつつも、まさかと打ち消した。官兵衛を殺す者があるとすれば、それは荒木村重である。村重は自分の意志でやる。まさか藤兵衛が村重に、官兵衛があなたの許に行ったらどうか殺してくれ、と要請するとは思えない。官兵衛はこのあたり、小寺藤兵衛という男を見誤っていたであろう。(32-33p)
★「これは摂津守の言葉でござるが」と、加藤が告げたことは、悪く思ってくれるな、御着の小寺藤兵衛どのから、官兵衛を伊丹で殺してくれ、という使者が来た、村重としては殺すに忍びず、このように入牢(じゅろう)してもらった、精一杯の行為と思ってもらいたい、ということであった。……(藤兵衛というお人はそこまでに。……)という思いである。(46p)
★官兵衛は、さとりはじめていた。自然死を村重が待っているとすれば、官兵衛は自分のいのちを励まし励まして、生きつづけてゆかねばならない。堪えがたい環境であったが、(しらみでさえ、生きているのだ)と、官兵衛は思うようになった。……三木城のことも、小寺氏のことも、秀吉のことも、信長のことも考えまい、と思った。生きることのみを思え、と官兵衛は自分に言いきかせた。(108^109p)
★後年、官兵衛はこの時期、藤の花に花占いをしたという話を、家の者に語った。このことはやがて黒田家の草創の神話になり、家臣団の共通の知識になって語り継がれた。けものの檻のようなこの独房にあって、天から降ってきたような藤の蔓に花占いをしている男、という光景は、人間の光景としていかにも凄愴の気がただよう。やがてその藤に鈴のように花房のむれがさがったとき、官兵衛は天が自分を捨てていないことを心から知った。(おれは、生きるるだろう)と、静かにそう思うことができたし、ふたたび娑婆に出て人交わりができることに確信をもった。(135-146p)
★栗山善助にふと洩らして、「自分に似た者が、この世に一人はいる。わしの場合はそれがささえだった」と、いった。竹中半兵衛の才能は、栄達への野心を捨てたところに息づいていた。錯綜した敵味方の物理的状勢や心理状況を考えつづけて、ついに一点の結論を見出すには、水のように澄明(ちょうめい)な心事をつねに持っていなければならない、と官兵衛はつねに考えている。囚われることは物の判断にとって最悪のことであり、さらに囚われることの最大のものは私念といっていい。それを捨ててかかることは、領土慾や栄達欲が活動のばねになっている小領主あがりの武士にはなしがたいことなのである。しかし半兵衛は奇跡のように、その心事をつねに、平然と保っていた。……(こういう変物は、この世で自分だけではない)ということで、ときに淋しさからまぬがれ、また安堵のような気持も持ち、あるいは支えのようなものにもなってきた。半兵衛とは、そういう存在だった。その男が死んだ。(188-189p)
★(天下は、信長を慕うか)慕わないであろう。信長は徳をもって化せねばならない段階にきているのに、逆に満天下の反感を買うようなことをやった。(信長の世は、長くはない)と、官兵衛はおもった。(207p)
★晩年の秀吉は、そのおいの関白秀次の妻子を公開虐殺するというふうに、信長に似た所行をする。もっとも信長の虐殺はかれの思想的もしくは倫理感覚の表現という強烈な側面があったが、秀吉がやった秀次の家族への虐殺は、単に精神の衰弱による物狂いのようなところがあるにすぎない。秀吉においては、そういう晩年の変化があるにせよ、かれは若いころから無用に人を殺すことがきらいで、人間に対して思いやりが深いという定評が、かれを知るひとびとのあいだにあった。(260p)
★播州人としての官兵衛は、秀吉の播州政治をよろこばざるをえない。(さほどの男ではないとも思うが、しかし地下(じげ)の者からよろこばれるという人間は織田家には他にいないのではないか)官兵衛はそう思ったりした。さらにはふと、信長において専制的な苛烈さが前面に出て生きている。そうなれば信長の世はながくつづくはずがないと官兵衛は思い、(あとは、ひょっとするとこの陽気な小男に思わぬ運がめぐってくるのではないか)とも思ったりした。(276-277p)
★平素大声を出さない官兵衛の言動が、黒田家にながく言いつたえられた逸話になり、さらには黒田家の政治哲学になった。官兵衛は盗人に言いわたしたのは罪の量刑だけであり、執行するとはいっていない。また奉行に対して怒ったおは、奉行たる者は赦してやってほしいと頼みにくるのが本筋であるべきなのに、逆に刑の執行をせまるとは何事か、ということであった。戦国期の高名な大名というのは一般に人を殺すことがすくなかったが、人命は尊い、と積極的に、思想として言ったのは官兵衛ぐらいのものかと思える。(304-305p)
2021年12月26日日曜日
「医者が取るか坊主が取るか」
3日間の屋根の修理は終わった。ところが肝心のベランダの鎖樋はまだついていない。一昨日、仕事を請け負った人はベランダの屋根もやり替えるようにと話した。近いうち見積書を持ってくるという。昨日のベランダの床の取り外し・取り付けの業者に鎖樋の話をするとベランダの屋根をやり替える際にそ樋をつけるという。その屋根も今のようなものではなく、もっといいものらしい。
工事を終えて業者が帰った後、義兄に相談するとベランダ全部をやり替えると思ったようだ。屋根だけ替えると告げると費用は掛からないらしく工事をするようにと言ってくれる。
3日間の工事であっても結構、疲れる。今年も残り少なくなった。ベランダの屋根の工事をするにしても今年中でなく来年になる。すべては見積書を見てのことになる。
親がいなくなってからもうすぐ11年になる。この間、屋根の工事を入れて3件の工事をした。ブロックとサッシの塀、水道管の取り換え、そして今回の工事である。一番費用が掛かったのはブロックとサッシの塀。次が今回になる。家に長く住んでいるとあちこちにガタがくる。人間も長く生きているとあちこちが壊れてくる。だが、今のところそれもなく元気だ。家の修理に金銭をつぎ込むので病気と代わってくれるのだろう。母はよく言っていた。お金が貯まるとよくないらしく「医者が取るか坊主が取るか」と。
病気や葬儀でお医者やお坊さんにお金を取られるよりもそれに関わらずにいつまでも元気でいるほうがいい。それには工事にかかる費用も気にしない!?
ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!
2021年12月25日土曜日
『96歳のピアニスト 室生摩耶子』その2
景気づけにリベルタンゴを練習するが曲の最初からいい音が出ない。1オクターブ高いミの音から低いミを出し、つづけてレドシラシー、と吹くがシの音の8拍の息が続かない。人が家を出入りすると笛を吹くどころではなく、ただ本を読んでばかりいる。じっとしていると体に良くないと思うがこれも今日までの辛抱。読むのに時間がかかる司馬遼太郎の本も気合が入るのか楽に読める。
ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!
以下は先日読んだ『96歳のピアニスト 室生摩耶子』(室生摩耶子 小学館、2017年)から気になる箇所を抜粋。とくに「ずだ袋」のキーワードを拾い集めた。
★その兄は帝大に入っていくらも経たないうちに、結核で亡くなりました。……その時の母の悲しみというのはものすごく深刻で、涙を流すのを通り越したような状態だったのです。病院を出て、お茶の水橋から下を流れる神田川をじっと身じろぎもせず眺めていた母が「それでも、世の中は動いている」のひとことに、まだ14歳ぐらいだった私はその悲しみの絶望的な深さを感じました。こんな悲しみは、実際に体験しなければわからない。これが私の「ずだ袋」の原点です。以来、私は自分の経験したありとあらゆるできごと、思いを「ずだ袋」に詰め込んできました。それが私の血肉となってきたのです。 (70-71p)
★自分の経験したこと、考えていること、感情の深さ、そのすべてが奏でる曲に出てしまう。……全部さらけ出されてしまうんです。いくら表面を繕ってみても無駄なのね。ピアニストなんて哀れなものですよ。だから、「ずだ袋」が必要なのです。人生で経験して「ずだ袋」に入れておいた、喜び、怒り、悲しみ、楽しさが熟成、発酵してにじみ出ている。年を経て同じ曲を弾くたびに「なんで今まで、このことに気がつかなかったのだろう」という発見があるのも、「ずだ袋」の中身が古酒のようにこっくりと味わいを増すおかげです。(130p)
★ドイツでも長く独り暮らしをし、今も、ひとりで暮らしていて孤独を感じることはありませんが、「そうか、長生きするとこんな寂しさが待っていたのか」としみじみ思います。でも、それを嘆いてみてもどうしようもないので、こんな寂しさも「ずだ袋」の中に入れるとしましょう。(149p)
2021年12月24日金曜日
慌ただしい年の瀬
昨日は朝から屋根の工事で気ぜわしい。屋根は1階部分だけと思ったら2階もするとのこと。昨日は3名来られた。家の工事となると外へも出られない。毎日、決まった時刻にスーパーに行く癖がついている。正午になった。工事を中断してお昼を食べられるのだろう。静かになったころを見計らって近くのスーパーに出かける。外はお天気も良くて何か解放された気がして気持ちいい。屋根瓦の漆喰の塗り替えは1日で終わらず翌日も来るとのことで3時半過ぎに帰られた。
勝手気ままに生活している。我が家の工事とはいえなんと気を使うことだろう。母が生きていた頃はリフォーム、リフォームでよく工事の人が出入りしていた。今、そのことを想うとなんと母は大変な日々を過ごしていたことか。
家に関することはすべて義兄に頼っていた。ところが義兄がお願いしていた業者は事業をやめられ、頼めなくなった。これからは全部自分でやらなくてはいけない。人が出入りするということはかなりのストレスになる。いかに我がまま、気ままに毎日を過ごしていることか、この期に及んで身にしみてくる。
じっと家で我慢していると友だちがまたも電話してきて別のランチに誘われる。工事は今週で終わる。ランチは来週のことだ。どちらのランチも行くことにした。年末になっての慌ただしい工事も年内ですべて落ち着く。いい年を迎えられそうだ。
ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!
2021年12月23日木曜日
microSDカード
携帯電話の写真はmicroSDカードに保存している。ところが携帯電話からSDカードを取りだそうとするが外せない。以前の携帯からは取り外してプリントアウトができた。おかしい、と思って触っていると電話機が壊れる気がする。取り外しをあきらめてデジカメ持参でまた写しに行けばいいと思った。が、あきらめきれずパソコンでSDカードの取り外し方を探す。が、要領を得ない。
考え直してドコモに電話するとすぐにつながる。(おかしい?)、と思いながら話すと間違ってかけていた。気を取り直してドコモへTELすると以前よりも応対が早い。(なぜ?)と思ったら先に音声通話で問い合わせを録音させておいてその後に係が応対してくれる。
係は同じ機種の携帯をそばに持ってくる、と言って3分後にかけなおしてくれた。その際、SDカードにデータを保存する方法を教えてくれる。そして、言われるとおりに携帯を操作しているとSDカードはすぐに取り外せた。操作中に前の携帯で取り外していたことを思い出す。前の晩、勝手に取り外そうとしたが壊れそうな気がして途中でやめていた。やり方は前の携帯と同じだ。
SDカードを取り外すとその足でプリントアウトしに行く。プリントアウトの料金方法が変わったと係は話す。3枚ほどプリントアウトしようとしたら料金は10枚まで同じだという。10枚にするには年度違いの写真になる。が、その操作がわからず手こずっていると丁寧に教えてくれた。結果、いま必要のない以前に撮った写真もプリントアウトする。
ドコモもといい、プリントアウトのお店といい、いずれも親切だ。感動してしまった。夜になると友だちから電話があり「やっぱ広島じゃ割」を利用してランチをしようと誘われる。久々のランチ、それもディナーと思えるような金額だ。が、「やっぱ広島じゃ割」の利用で半額になるという。さらに、クーポンもつくそうだ。遠くへ遊びに行かれないので近場でのランチは嬉しい限り。
ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!
2021年12月22日水曜日
「歌川広重の東海道五拾三次と雪月花抒情の世界」を見に行く
昨日の新聞に厚労省19年調査による健康寿命が男性72.68歳、女性75.38歳と発表された。これを見て割と短い、と思った。今のところ人に頼らずに生活できている。(この年齢で健康でなくてどうする?)、と思ったりするがこれも人それぞれで外野がとやかく言えない。誰も好んで病気になるわけではない、と。父は30年余り前に亡くなった。その時の年齢は74歳。30年前の男性の平均寿命は75,6歳だった気がするので健康寿命はもっと低かったに違いない。母は95歳で亡くなったが88歳で怪我をするまでは何の病気もなく健康だった。長生きするには当然、健康でいなくてはいけない。
話は変わって昨日は朝から元気を出して県立美術館に向かう。まずは新たになった新幹線口のお店をふらつく。平日にもかかわらず広島駅ビルが解体されて新幹線口界隈はにぎわっている。久々に酔心で食事をと思ったらすでに順番を待つ人の名がずらりと並ぶ。仕方なく諦めて福屋のお店でお昼を食べる。その後、歩いて美術館に向かうがその手前にある縮景園に入る。美術館の友の会会員証にシルバーの押印をしている。それを見せると入園料は無料だ。冬なので花などは咲いていない。目的は冬支度をしている菰を巻いた樹木を写真に写すことにある。お天気も良く携帯写真で思うように写せた。
この写真を絵にしようと思った。家に帰って携帯のSDカードを抜こうとするが外せない。デジカメを持参すればよかった、と思ったが後の祭りだ。SDの外し方を後で考えよう。
縮景園側から美術館に入る。特別展は「歌川広重の東海道五拾三次と雪月花抒情の世界」である。絵の描き方が年代で変化している、と思いながらゆっくり見ていく。司馬作品にこの年代頃の作品が多い。先日読んだ『播磨灘物語』では黒田官兵衛が牢屋に入れられ手足腰を痛めて晩年は板輿に乗って戦いに挑んでいる。その場面を想像しながら広重の絵を見る。
当時の人の姿は裸同然のかっこうだ。事細かにその様子を描いている。絵の押印された落款などを見ると時代によって変化がある。司馬作品にハマっていなければこういった絵を見てもその良さがわからなかったかもしれない。というか興味深く見なかった、という方があてはまりそうだ。
観客は少ないと思って出かけたがかなりの人がいた。絵を堪能した後は美術館ロビーでしばし休憩。どういっても歩き疲れるほど歩いた。昨日の携帯万歩計は12000歩。
ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!
2021年12月21日火曜日
気ぜわしくなった
年内に予定のお墓参り、プールで泳ぐ、県立美術館へ行くの3点のうちプールが怪しくなる。お墓参りは月命日に行かれなかった。昨日は最低気温が低く冷たい朝だったがお昼になって今年最後の墓参りをする。墓地に着くと上着を脱ぐほど暖かくなる。来た道を帰らずにお宮へ向かって鳥居を抜けると家とは反対側の道を歩く。もう何十年もこの道を通っていなかった。山道のすぐそばにある3軒の家は廃屋となっている。家は傾いて今にも崩れそうだ。我が家よりも後に建てられたと思える家だが、山の影になって日も当たらずこの家を去ったのだろう。4軒目からの家から大通りまでは家が建ち並ぶ。
しばし旅気分であちこち見ながら家まで歩く。我が家に着くと携帯万歩計は5000歩近かった。家に入るや否や家の前のドラッグストアに出かける。そして図書館とスーパーへも行く。この合間に屋根の修理に関わる業者がやってくる。修理は瓦屋と瓦棒を新たに取り付ける際にベランダの床を取り外す業者が行うものと思っていた。ところが瓦棒の業者は瓦屋とは異なるそうだ。夕方になって修理の仲介をしてもらう電気屋さんが来られる。その時、ベランダ下の瓦棒と1階の屋根の瓦屋は別の業者と教えられた。瓦棒は板金屋の仕事らしい。
今朝、またも電気屋さんが来られる。工事日が増えて3日ほどかかるとのこと。予定していたプールは工事日と重なって行かれなくなった。残念!来週になれば泳ぐことも可能だが最低気温がマイナスとなっている。気温が低くても日差しがあれば泳ぎに行けるかもしれないが無理は禁物。
予定で残る美術館へは今日、見に行こう。幸い気温も15度と暖かくなりそうだ。
ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!
2021年12月20日月曜日
お笑い番組を見る
昨夜のM-1グランプリはもちろん見た。2019年に王者になったミルクボーイ。この人たちがたまたま出演していた決勝戦まじかのテレビを見て笑い転げて見たことを思い出す。それ以来、M-1を見るようになった。今年の王者は錦鯉。涙を誘う場面もあった。が、優勝して本当に良かった。他に敗者復活戦でのし上がったハライチの漫才を初めて見た。この人たちの漫才は新鮮に写った。
M-1終了後、すぐお風呂に入ってその後にある千鳥の番組を見る。いつもなら寝る時刻なのにM-1でくしくも敗退したアルコ&ピースを慰める、とかで見てしまった。この人たちの漫才は見たことはないが今後が期待される人たちだろう。
2021年12月19日日曜日
本年最後の日本画教室
2021年12月18日土曜日
『96歳のピアニスト 室生摩耶子』その1
今朝は今季一番の冷え込みらしく最低気温は1度、最高気温は8度の予想だ。今日午後は本年最後の日本画教室に出かける。寒くても今日は教室に行こう。
昨日図書館で司馬遼太郎に関する本を探していたら興味惹かれる本を見つけた。それは『96歳のピアニスト 室生摩耶子』(室生摩耶子 小学館、2017年)である。今は100歳になられている。いつも司馬作品を読んでいるのでたまに他の人のエッセイなどを読むと気分が変わる。さらにエッセイは司馬作品と違ってすぐに読める。室生摩耶子は本にブログをやっていると書いている。早速、そのブログを探すと「室生摩耶子のピアニスト生活」だった。
85歳でパソコンに興味を持ち、2006年からブログを始めている。今から15年前だ。今100歳だから85歳をひけば確かに15年前になる。109歳のダグニー・カールソンさんは100歳でブログを始めている。85歳や100歳とかでパソコンを操作するだけでも立派なのにさらにブログを続けている、とはどちらもお見事というほかない。
このお二人を思えば私などはまだまだひよこだ。室生摩耶子もダグニーさん(ホームに入るまで)も一人暮らしだ。室生摩耶子は3食とも自炊し、買い物もされるという。見習うことがまだまだ多い。なお、『96歳のピアニスト 室生摩耶子』を読んでいて「ずだ袋」というキーワードが出てくる。後日この箇所を拾ってブログにアップしよう。
ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!
2021年12月17日金曜日
眼科へGO~
月に一度、眼科に行く。今、べつにどうこうという目ではない。が、生まれてすぐに目を患ったと聞いて育った。そのため目は特に気をつけている。病名は親から聞いて知っている。先生にそう話すと今でもその病名の患者は多いらしい。が、今はいい薬があるそうだ。
目の中に傷跡が残っていても、これから先、新たな傷は出来ないと先生に言われた。ただ、両目を患った人はめずらしい、とも先生に言われる。すべては戦後のどさくさに生まれた栄養不足がそうさせた!?
人一倍体には気をつけている。昨日はプールへ行く予定だった。が、お昼から雨になりプールは後日、改めて行く予定。プールで泳ぐのも本来の目的はただ泳げるようになるだけでよかった。それが歳を経るにつれて健康のために、となってきた。いくら健康、といっても泳ぐのが楽しくなければ長くは続かない。もう40年近く細々と水泳を続けている。泳ぐのが楽しく、それで健康維持となれば自分にとって水泳は最高のスポーツだ。
今夜から冬型の季節になるようだ。今年もあと少しとなったが元気で年を越そう。
ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!
2021年12月16日木曜日
移動販売車
木曜日になると「雪やこんこん~」のメロディを流して車がやってくる。まだ暑かったころに流れる「雪やこんこん」の音に違和感を感じていた。移動販売といえばパン屋の車がある。が、パン屋の移動販売車はこれとは違うメロディを流す。「雪やこんこん」は石油を各家庭に届ける移動販売、と人から聞いて知った。その後、新聞折込に石油移動販売のチラシが入る。
チラシを見ると市内やその近郊に曜日を決めて移動販売している。我が家の辺りは木曜日のようだ。暖房として石油を使わなくなって久しい。以前、石油を使っていた頃は近所の米穀店がお米や石油を運んでくれた。が、石油を使わなくなって以降、お米はスーパーで買っている。自然と米屋さんに行くこともなくなった。何もかも買い物はスーパへ行って済ませるkとが多い。
先日100円ショップに行ってレジを済ませて包装していた。するととなりの人から「靴はどこで売っている?」、と聞かれる。隣町にあった大きなスーパーは建て替えてマックス・バリューになった。大型スーパー時代はデパート並みに大半の商品を売っていた。が、建て替わって以降は食料品のみの販売だ。そのため、先の人のように靴などを買おうとすれば広島駅まで出て行かないと買えない。
家の近所には歩いて行ける場所にスーパーなど8軒近くある。が、いずれも食料品が主である。いざ食品以外の商品を買おうとすれば広島駅辺りまで行かないと買えなくなった。石油の移動販売車が来るのを歓迎する人たちも多いに違いない。
皆、それぞれ年を取る。年々、老いぼれて行けばちょっとやそこらで石油なども持ち運べなくなる。家の郵便受けにはコンビニやスーパーなどの宅配のチラシがしょっちゅう入る。これもすべては高齢化社会を見越してこと!?家に居ながらにしてナニゴトも間に合う、と思いながらも元気なうちは外に出て買い物をしたい。買い物は一番のストレス解消、とも思ったりする。
ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!
2021年12月15日水曜日
電話番号非通知は拒否設定に
毎月1日と15日の2回、新聞のチラシとともに市の広報紙が入る。今朝の広報紙を見ると今年も頻繁に被害が出ている特殊詐欺に注意を、とメインに取り上げる。これを読んでいると詐欺をたくらむ犯人は電話番号を非通知にしてかけて来るそうだ。そこで思い当たる。我が家の固定電話にかかってくる電話にも番号非通知でかかってくることがある。
幸い我が家は詐欺被害の報告がなかった20年余り前から電話を買い替えて非通知番号の電話は拒否設定にしている。非通知設定にするとかかってくる電話は受け取る側には何の音もせず、ただ履歴だけが残る。
これにはナンバーディスプレイ対応が必要だ。国が10万円全国民に給付したとき、詐欺被害を防ぐ意味でこの金額をこれを防ぐ電話機対応にすれば、と思ったりした。いくら呼び掛けても詐欺被害は増え続ける。先日は億の単位で被害が出ていた。お金があるところには多額の被害が出ても困らないくらいのお金がある!?そう思って被害の情報を見ることもある。どういっても騙されないようにするしかなさそうだ。
ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!
2021年12月14日火曜日
レ・ミゼラブルを見る
BS・プレミアムで放映されたレ・ミゼラブルを見た。映画は一生見なくてもいいくらい好きではない。が、名が知れた映画は見てもいいかな、と思った。「レ・ミゼラブル」の本を若い頃に読んだ気もするがそれも怪しい。テレビ映画を見ていて聞き覚えのある曲が流れる。以前、テレビで見たスーザン・ボイルの「夢やぶれて」という曲だ。
ミュージカル映画だが見ていてわかりやすい。昨年、広響の会員を離れた。おのずと音楽を聴く機会が減る。お昼に開催のアフタヌーン・コンサートがあれば聞きに、と思ったりするが寒い間はその気持ちも遠ざかる。
映画のほかに一生見なくてもいいものにアニメや漫画、そしてディズニーやUSJなどもある。これらは個人的に食わず嫌いな面があるかもしれない。一度ハマればすぐに燃え上がる性格はもしかして……、と思ったりする。が、今のところ興味がない。所詮、人工的に作られたモノ・コト・ヒトがその気持ちにさせるのかもしれない。それよりも自然のままがいい。それはやっぱり旅行!?問題のとらえどころが違うと言われそうだが、それもそうかもしれない。
ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!
2021年12月13日月曜日
高島野十郎の画集
先日、ピアソラの楽譜を探していたら楽譜とは関係のない画集2冊とほかにも本があった。本は別の場所に移して保管し、画集2冊は手もとに置く。この2冊は兵庫で開催された堀文子と福岡で開催された高島野十郎の画集である。本は買わないと決めていても好きな画家の画集であれば買わずにおれない。とくに高島野十郎は聞いたこともない画家だった。が、新聞の展覧会記事を見てその絵に惹かれる。この画家を知ったころはあちこちで高島の展覧会が開催された。そのうちの福岡の美術館で開催された高島の展覧会を見る。
それは2017年5月、ポーランドの旅から帰国した日だった。福岡空港から旅の荷物を博多駅のロッカーに預けて展覧会見学となる。高島の絵を見た後で買った画集は分厚い。何しろ文庫本と違って読むのも大変。しかし、改めて読んでいると高島の絵を見てのぼせ上った当時の心境になってくる。その中に描かれている絵は自分自身が風景を描くようになったためか以前に読んだ時よりも少しだけわかってきた。
本を買っても改めて読み返すことはあまりない。が、自分自身が気に入って買った本は高島の本のように何度読んでも、また何度見ても飽きがこない。いつかまた高島の展覧会があれば見に行きたい。が、さてさて……。
ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!
2021年12月12日日曜日
点描写
2021年12月11日土曜日
講演を聞く
隣町で開催された講演を聞きに行った。講師は4歳の時の不注意から大型トラックに巻き込まれて右足を切断。6歳で水泳と出会って以来、たゆまぬ努力と周りのサポートに恵まれてパラリンピック出場を果たす。それは2004年のアテネパラリンピックで競泳400m自由形と100m背泳ぎ日本代表だった。今は県の職員として働き、中四国身体障害者連盟理事長として活躍されている。
その人の名は崎本龍司氏であり、講演のタイトルは「乗り越える、ということ」。会場は織田幹雄スクエアの1階ホール。織田幹雄スクエアへの入場はあるがホールに入るのは今回が初めて。
今回講演を聴こうと思ったのはどういっても「水泳との出会い」がある。この「水泳」というキーワードに惹かれて聞きに行く。講演の終わりごろになって「本気でやっていればいい人と出会える」という風なことを話された。これは誰にでもあると。これに同感する。自分としてはこれまでを振り返って(頑張っていればいつも誰かが助けてくれた)、と思っていた。が、今回、それが人との出会い、と改めて気づかされた。
講演を通して感動したことがある。それは「人生はやり直せないが挑戦は何歳になってもできる」ということ。確かにそうだ。これまでの過去はやり直せないが新たな挑戦は何歳になってもできる。
講演を聞いてあまり涙を流すことはなかったが今回はなぜかしきりに涙が流れる。頑張る人の話に引き込まれたようだ。講師が足を切断して水泳を習おうとスイミングスクールに入ろうとした。その頃は障碍者は排除されて習うことすらできなかったという。ところがしだいに世の中も変化し、本人の努力の甲斐があって27歳でアテネパラリンピックに出場するまでになる。そこにいたるまでには頑張っている姿を見た人からのサポートがあった。
久しぶりに講演会に出かけた。この1,2年はコロナ禍で講演会もZOOMなどを利用した講演会や研究会が多い。が、直接話を聞ける講演会がいい。昨日は本当にいい講演会だった。
水泳との出会いといえば自分自身もいい人に出会っている。プールに行くことをかたくなに拒否し続けたモノを強引に誘ってくれた友である。もう40年近く前のことなのにはっきりとその時のことを覚えている。まさか自分自身が水泳にこれほど長くハマるとは思いもしなかったが……。これまでを振り返って他にもいろいろな人との出会いがある。いつかそれをまとめてみたい。が、そうなったらそれが自分史になりそうだ。これに関してはブログという手段で、との思いもある。
ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!
2021年12月10日金曜日
プールへ
昨日午後はプールで泳ぐ。プールのある会館に着くとロビーがにぎやかだ。椅子に荷物を置いて受付を済ませようとしたとき、見知らぬ人が「この人にもあげて……」と言って展示物のパンフやボールペン2本、メモ用紙などを呉れた。もらったものは今日が世界人権デーとかで人権週間に合わせたパンフなどだった。
昨日も500m泳ぐ。本来ならば1キロを、と思うが無理をせず500mで、と思ったり。というかこのくらいの泳ぎだと泳いだ後、鼻水が出ない。以前は泳ぐとその後は、翌日もそうだが鼻水で悩まされた。だが、半年ぶりに泳ぎを再開してから泳いだ後の鼻水が出なくなった。鼻水も体の調子と関係する!?
泳ぎを再開して1か月くらい経つ。泳ぐ人も水中歩行の人もコロナ禍前の半数にも満たない。泳ぐ者にとっては少ない人数の方が思うように泳げるのでありがたい。利用しているプールは隣町にある。泳いだ後、我が家に向かう途中の道はどこも建設ラッシュだ。そのうちのある建設場所を見ると隣町の庁舎建設とある。令和5年の完成のようだ。そこはプールから数十メートルくらいしか離れていない。我が家と隣町は行政が市と町の違いがあるが隣町の情報はあまり入ってこない。庁舎建て替えとなればこの先もずっと市と合併せずに単独町政を敷くのだろうか。
今日午後は隣町で開催される講演会に出かける。個人的に隣町は我が家から近く、プールも無料で利用させてもらってありがたい。
ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!
2021年12月9日木曜日
再びリベルタンゴ
ピアソラのリベルタンゴを19年ぶりに練習する。なぜ19年か、というと2002年のフルート発表会で吹いている。フルートに関する履歴をWordにまとめている。それを見て19年ぶりと再度認識した。練習していて手もとにある楽譜と先日アップした動画との違いに気づく。楽譜と同じ動画を探しているとあった。その時、フルートの動画検索はYOU TUBE先生の検索画面で行うといいとわかる。ただ、フルートのYOU TUBE先生はまだピアソラの曲のアップがない。ここは他の人の動画を参考にして練習しよう。ともあれ手もとの楽譜と同じ動画のアップがあれば練習もはかどる。
といいながらもこの曲の速度はallegro moderato。そのため速い速度で吹かないといけない。が、今のところはmoderatoで練習している。練習にはICレコーダが欠かせない。パソコンから動画をICに録音する。そしてそれを聞いて練習するのだが、幸いICレコーダは速度調節の機能がある。速度をmoderato並みに変えて練習し、うまく吹ければ速度を楽譜通りにすればよい。
今日もいいお天気だ。午後はプールで泳ごう!
ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!
2021年12月8日水曜日
『新装版 播磨灘物語』(二)
暖かい日が続く。今朝は最低気温9度で最高気温は16度の予想。と、今日も暖かくなりそうだ。広島県ではコロナの新規感染者がここ3週間近くゼロだ。ところが1月になれば新規感染者は1万人になる、との新聞の週刊誌宣伝がある。まるで不安をあおる宣伝見出しだ。この先を思い煩ってもどうにもならない。気にするのはやめて……。
ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!
以下は先日、読み終えた『新装版 播磨灘物語』(二)(司馬遼太郎 講談社、2014年第29刷)から、いつものように気になる箇所を記そう。
★秀吉は、かれが天下を取るまでは別の人格だったとおもわれるほどに人間を愛した。欲得や機略で愛するふりをしたというようなものでは決してなく、心から人間が好きというふうであった。とくに秀吉の場合、その者に器才があれば、まるで宝物をあつかうように遇したが、それがたとえ敵であっても変わらず、生死の危険を冒してでも敵と交歓したいというふしぎな行動をとることが多かった。この無類といっていい秀吉の気分や体温が自然にひとにも知られるようになり、後年、信長が急死したとき、遺された織田勢力の構成員たちは、その大半があらそって秀吉を擁しようとした、秀吉はそれほどひとに対して熱っぽい。(34p)
★官兵衛の家来のほとんどが、もはや百姓のあがりである。それも年少のころに郎党になり、官兵衛の教育を十分に受けた。官兵衛は侍というのは生まれるものでなく作るものだという思想のもちぬしで、すべて手塩にヵけて育てた。その連中がいわゆる黒田武士の祖型をつくってゆくのだが、この未明の突撃のとき、どの男も面(おもて)も振らずに敵陣に突っ込んだ。「打ち捨てにせよ」と、官兵衛は目地てある。討った敵の首を挙げずに手あたり次第に突き捨て斬り捨てにせよ、という意味で、どの男も気が狂ったように敵陣のなかを駆けまわり、やがて引き鉦とともに退く。暗がりながら地の利を心得ているために、官兵衛があらかじめ指定した場所に退却し、息を入れるのである。(72p)
★木下藤吉郎は、この近江長浜城主になってから、姓まで変えてしまった。羽柴と称した。信長の奏請によって朝廷から官位をもらった。従五位下筑前守である。「筑前守」という官称は、秀吉の好みで、信長にそのように頼んだのであろう。陸奥守、信濃守、大和守など、どの国名を称しても自由なのだが、ことさらに北九州の国名を称したのは、秀吉の、ほとんど天才的もいうべきおべっかが入っていたにちがいない。信長の意図は、このころ、すでに明らかである。遠く九州まで制覇するつもりであった。(84p)
★官兵衛が播州において果している役割は、古代中国の戦国期にあらわれる外交弁舌家(縦横家)の蘇秦や張儀の働きに似ているかもしれない。張儀は戦国の諸国を遊説して、あるとき命をおとしかねないはめに遭った。その妻が、もう遊説をやめてほしいというと、張儀は舌をみせ、「この舌のあるかぎり大丈夫だ」といった、という。官兵衛はおそらくこの故事を知っていたであろう。かれは、この当時のこの階層の武士としては、学問があった。少年の日、蘇秦、張儀と言った縦横家の事歴を『史記』か『戦国策』で読み、かれらの、孤独ながらも昴然たる姿に血を沸かしたであろう。(166-167p)
★物を考えるのはすべて頭脳であるとされるのは極端な迷信かもしれない。むしろ人間の感受性であることのほうが、割合としては大きいであろう。人によっては、感受性が日常知能の代用をし、そのほうが、頭脳で物事をとらえるより誤りがすくないということがありうる。羽柴秀吉は、巨大な感受性のもちぬしであった。譬えれば、よく澄んだ池の面のようなものであるかもしれない。感受性が知能の代用をするには、私信の曇りがあってはならず、つねに高い透明度を保っていなければならない。「それではあの男が可哀そうだ」と、秀吉はよくいう。その可哀そうだという感情が、その男への配慮になり、人や物を動かして手をつくすようになる。やがてはその人物は秀吉の計算の中に入って、かれのために働くようになる。(233p)
★――上月城を捨てよ。という信長のやり方は、いかにも信長らしい。かれの思考法は徹頭徹尾、利害計算でできあがっており、計算の実行については苛烈なばかりで、なさけ容赦もない。計算の最終目的は天下布武にあり、かれはどういう計算においてもこの主題を外したことがなかった。天下に武を布くという主題意識において、信長ほど明快であった人物はほかにない。この意識からすれば、上月城は捨てるべきであり、その断において一片の感傷もない。(303-304p)
★官兵衛が、子飼いで育ててきた母里(もり)太兵衛が、その指揮者だった。後年、黒田節という今様でその逸話をうたわれた母里太兵衛が、武名を世間に知られるようになるのは、このときからである。(332p)
★(私情を殺せば、たいていの人の心や物事はよく見えてくるものだ)官兵衛は早くから気づいていた。官兵衛に私情があるとすれば、一つしかない。が、平素は忘れている。……官兵衛はおそらく、みずからそれを思うときでも、ひそかにはにかまざるをえないであろう。つまり、天下を得たいというこことなのである。天下を得て志を万里のそとに伸ばしたいというのはこの時代の男どもがおおかた抱いていた鬱憤であり、当然なことながら官兵衛だけのことではない。官兵衛の場合は含羞(はにかみ)をもってそれを思うだけである。(337p)
2021年12月7日火曜日
まずはリベルタンゴから
ピアソラの曲が好きだ。「天使のミロンガ」だけでなく『フルートレパートリー フルートで吹く ピアソラ曲集』に「リベルタンゴ」「 ビオレンタンゴ」「 オブリビオン」「孤独の歳月」 「アディオス・ノニーノ」の5曲がある。いずれもかなり前にさらった曲だ。このフルート譜を出してみるとピアノ伴奏譜は綺麗でもパート譜はかなり使っている。すぐにコンビニに行ってコピーする。
フルートを習う際、曲集で練習するとそれを持ち歩くだけでも重たくなる。ところがピアソラの曲集は5曲だけなので重くない。曲集をコピーせずに使っていたらかなり楽譜が傷んでいる。家での練習ではコピーした譜面を冷蔵庫にマグネットで留めて練習する。せっかくの譜面台も視力の悪さから使わずにいる。そして冷蔵庫に楽譜を留めて練習している。
以前にさらった曲であってもしばらくその曲を吹かないとすぐにはうまく吹けない。本は司馬作品全読破と同じようにフルートはピアソラの「天使のミロンガ」と先の5曲をうまく吹けるように再度練習しよう。あれこれと頭をよぎるモノ・コト・ヒト。このことに忠実になればなるほど何をし始めるか自分でもわからない。というか、これも変化があって我ながら面白いと思ったり。ピアソラの曲のうち天使のミロンガの後はリベルタンゴから練習を開始しよう。
ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!
2021年12月6日月曜日
『司馬遼太郎 全仕事』
図書館で借りた『司馬遼太郎 全仕事』(文藝春秋、2013年)が気に入って、この本を買おうとした。ところが本屋やネットでの在庫がない。仕方なく、この本の目次をコピーしようとコンビニへ行く。目次があれば司馬遼太郎の全作品を把握できる。目下の目標は司馬作品の全部を読破することだ。司馬遼太郎の作品を読むようにと勧めてくれた人は3年前に出かけた大連の旅で知り合った人たちだ。まさに今のこの時季に大連に出かけた。気温マイナス10数度の雪道を歩いて観光した。とくに203高地の観光は今、思い出しても厳しいものがある。その時、旅の人から『坂の上の雲』を読むようにと言われた。
これがきっかけで歴史小説を読むという楽しさを知るようになる。何が幸いするか本当にわからない。もしも大連のツアーに参加しなければ司馬作品にハマることはなかったかもしれない。その点でもいい旅となった。
ツアーの人のうち、同じ町に住む人がいる。旅から帰った翌年の夏、偶然我が家の前を通る人に声を掛けられた。大連の旅に参加した人だ。立ち話で司馬作品の話題になる。全作品読破のため150歳まで生きるつもりとその人に話す。すると、そこまで生きなくても読めると言って笑われた。
昨日コピーした目次を見ると長編小説から読んでいるので150歳まで生きなくても全作品読破となりそうだ。司馬遼太郎の本のうち「街道をゆく」シリーズは何冊か積読となっている。昨日暇つぶしに全作品を眺めているうち「街道をゆく」の外国編である『愛蘭土紀行』が目に入らない。おかしい、とずっと目次を探していると国内編の左上に外国編が載っていた。全仕事とあるから編集漏れはないと思いながらも疑ってしまった。恥ずかしい。
どうであれ、この「全仕事」にある目次の本をすべて読めば司馬遼太郎全作品の読破になる。150歳いや100歳までも生きなくてもこの調子で読んでいけばもっと早い段階で全作読めそうだ。といいながらもさらに老いぼれて行けばどうなる、と自問自答する。大丈夫、なにかに夢中になれば体も気持ちも元気で過ごせて本も読める。そう信じて……。
以下は「全仕事」の中の司馬遼太郎の講演から。
★私が小説を書く人間になってほんとうによかったと思えたのは『国盗り物語』や「竜馬がゆく』『峠』を書いたときです。人間はいつかは死にますが、そのときの「遺書」のつもりで書きました。日本人とはいったい何者か、というのが一般的なテーマなんですがね。自分が日本人について考えたことを小説にして残しておきたいというはっきりした意図で書いたのが特に『竜馬がゆく』と『峠』です。日本の現状を悲憤慷慨するとか、将来を憂うといったことではなく、幕末以来の短い間にずいぶん激しい変遷を経てきたのは、いったい何事であるか、またその中の日本人とは何者であるか。ということが非常に知りたかっただけです。そして、自分でわかった部分ができ、そのわかった部分で書いたのが、先ほどの二つの作品なんです。これら、「殉死』も入れて、自分で好きだ、といえないくらい自分の気持ちがこもっているんです。(236-237p)(特別収録「わが小説のはじまり」)
ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!
2021年12月5日日曜日
長電話
昨日午後は日本画教室の日。絵を習って家に着くと携帯に着信がある。電話の主は以前勤めていた職場の人だ。この人からは何年かおきに電話がかかる。今は石川県に住んでいるという。帰宅時刻は午後4時半過ぎ。いつもならば5時に夕飯を食べる。だが、昨日は電話が長くなって食事は6時半になった。少々遅い食事はどうでもいいことかもしれない。が、一日のスケジュールを決めているのでこの後のすべての時間配分が狂ってしまった。
会社をリストラになって早くも19年が過ぎた。勤めていた会社は他の企業と合併したため大半はリストラ組だ。長く会っていない人とも会社に勤めていた頃と同じように他愛ない話をする。これはこれで楽しい。電話の主は会社が同じだった人と連絡を取っているらしく、その人たちの情報も入る。電話で話す度、いろいろとあったが勤めていた頃は楽しかったとの話に落ち着く。
話していて面白いことに気づく。しきりにババカーと友だちは話す。それはシルバーカー、と教えてあげる。するとシルバーカーというのは知っているが長くなるのでババカーというそうだ。石川県ではシルバーカーをババカーというのかと思って聞いたら違っていた。
ほかにもいいことを言っていた。70代になれば1人でまっすぐ立って歩ければ御の字、という。これは当然のことと思っていた。が、1人で思うように歩けない人も多くいるらしい。
さて日本画。風景を描いている。膠の量が多いと発色が悪いと先生に教わる。絵が全体に暗い感じなので胡粉を混ぜて明るくする。が、それでも暗い。絵の表面下で膠が濃くなっているようだ。次回は絵具に膠を混ぜず、水だけ溶いて描くようにと教わる。これまで樹木を描いてきたが今回の絵は道がメインになるので難しい。その道も平坦でなくでこぼこ道だ。この描写が難しい。
今年の絵の教室は来週と再来週で終わりになる。来年の教室の日程表をもらった。1年が過ぎるのは早い。とくにこの1,2年は無駄に過ごした気がしてならない。これもすべてはコロナ!?何もかもコロナのせいにしてしまうのもよくない。気持ちを切り替えよう。
ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!
2021年12月4日土曜日
情報あれこれ
2021年12月3日金曜日
今朝の地震
先ほど新聞を読んでいると体が揺れる。(あれっ)と思ってすぐにラジオをつけると緊急地震速報だ。(今から地震?)と思ったら今度は地震が発生したとの情報にかわる。和歌山が震源地で震度5弱らしい。(広島も地震?)と思って聞いていると尾道で震度3だ。広島市内はいまのところわからないが震度1か2、だったに違いない。それにしてもラジオの情報は早い。
寒くなってきた。地震発生となれば火事が怖い。我が家は母の介護から暖房はすべて電気器具にした。それでも地震は怖い。
話は変わって昨日午後は予定通りプールで泳ぐ。コロナ禍の時代、プールに入れば寒くはないがプールから上がってシャワーを浴び、その後の着替えまでが寒い。部屋の換気でコロナ禍前のような温かさはない。1枚でも服を着れば寒くはないが……。昨日は風もなくお天気に恵まれて自転車に乗って帰る足取りは軽い。ただ、いつも思うのは大通りを我が物顔で走る車が怖い。信号に引っかかればすぐに自転車を降りる。昨日、プールまでの往路を変えてみた。が、途中から道が狭い箇所がある。危なくて自転車には乗れない。やはりこれまでの道を通るしかなさそうだ。
それにしてもプールを利用する人が極端に少ない。午後のプールは13時開館。お昼を食べてすぐに家を出る。プール到着時刻は12時45分。受付を済ませると開館10分前にはプールへ。水着に着替えるとちょうど13時ころになる。昨日も前回と同じく500m泳ぐ。泳いだ後はよく寝るものがさらに良く寝る。
ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!
2021年12月2日木曜日
夜来香も覚えた
毎日飽きもせず歌を歌い、そして本を読んでいる。歌は英語歌詞の「ケ・セラ・セラ」、スペイン語歌詞の「その名はフジヤマ」、そして最近覚えた中国語簡体字歌詞の「夜来香」である。本はといえばもちろん司馬作品。先日、司馬遼太郎の「播磨灘物語」(三)を読み終えて今はその四を読んでいる。この本は全4巻。もうすぐ読み終えそうだ。
夜来香の次はロシア語の「ポリュシュカ・ポーレ」を覚えようとした。が、ハングル同様にロシア文字はキリル文字。文字が判らずしてロシアの歌は歌えない。そう思った。カタカナ読みでの動画アップもある。が、たとえカタカナ読みで覚えても面白くない。先の3曲は歌に行き詰まると文字が頭をかすめて思い出せる。カタカナはその点がむつかしい。しばらくは覚えた3つの歌を忘れないように毎日歌うようにしよう。
今朝は急激に最低気温が下がり3度だった。日中は10度の予想最高気温だ。昨日までの強風は吹かないようなので午後はプールで泳ごう。寒くなるとプールへ行くだけでも気合が入る。幸い今日は穏やかな日となりそうだ。自転車に乗ってプールへ行こう。
ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!
2021年12月1日水曜日
鎖樋
なおネットで調べた鎖樋とは「樋は主に雨の多い地域で利用され、雨が軒先から垂れて地面を掘り返すことを防ぐことや、建物自体を雨水の濡れから防ぎダメージや劣化から守る役割があります」とあり、さらに「『鎖樋(くさりとい)』は屋根のすぐ下に横方向に取り付けられた横樋と呼ばれる樋から地面に向かって雨水を導く縦樋の一種です」ともある。