『司馬遼太郎をなぜ読むか』(桂英史 新書館、1999年)を読んだ。司馬遼太郎の小説を読み始めたのは今から2年3か月前になる。年齢を経て人の言葉に左右されて司馬作品を読むようになった。長く生きてきて司馬作品くらいハマった本はない。司馬作品を読む人に出会うと話も弾む。それくらいハマっている。今回読んだ本もそういう類の本と思って読み始めた。ところがどうもそうではないようだ。
この本で引用された以下の尾崎の文が自分に合っている。批判めいた箇所の多い本だったがそれはすべて割愛させてもらおう。
★司馬が導いた「戦後の処世訓」で高度成長を生き抜いた人々が、人生の峠を越し、狂乱のバブル経済の夢から醒めたとき、司馬が日本や日本人を持ち出しながら、その「生き方」を穏やかに諫めていた。「生き方」とはその名の通り生きる方法である。戦後の処世訓、すなわち生き方を学んだ人々は、老後にさしかかった時期に再び司馬と出会い、日本や日本人について考える機会を得たとも言える。その辺りに関しては、尾崎護(国民金融公庫総裁)のコメントを参考にしておこう。
「民族の歴史を知ることから、そしてその歴史が与える感動を知ることから、民族のアイデンティティが成り立っていると思う。司馬遼太郎という作家は、日本の歴史が持つ感動を日本国民に伝える達人だった。実に多くの人が司馬遼太郎の作品で歴史を学び、感動を知った。私もその一人である」。(「三岡八郎という男」『司馬遼太郎の世界』一〇九頁)(42-43p)
相変わらず司馬作品を読んでいる。その合間に旅のカタログが届く。昨日は関西のJ〇Bからだった。久しぶりに届いたカタログは海外旅行こそないが国内旅行に関してはこれまでになかったようなカタログがあった。旅をせよ、と言わんばかりのカタログ。国内の旅をわざわざ関西発で行かねばならない!?疑問に思いながらも頁をめくる。
カタログといえばほかにも大型電気店や地元の電気店から届く。このままコロナも収まってさらに世の中動き出せば気も晴れやかになる!?
ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!
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