今年になって初めて出かけた日帰りバス旅。行先は広島県の中東部に位置する世羅郡世羅町と三原市である。世羅といえば全国高校駅伝、常連の優勝校で有名だ。特に今年は男女ともに全国優勝を果たした。高校駅伝がなぜ世羅の町で盛んになったのか。一昨日、それを世羅町にある修善院というお寺の住職のお話で知る。神田敬州住職はバスがお寺に着くと出迎えてくださる。そして、すぐにお寺にまつわるお話をされた。
修善院に向かうまでの道の駅世羅でしばし休憩。バスから降りると白いモニュメントが見える。これは昨年秋に出かけた瀬戸田の耕三寺「未來心の丘」に似ている。ネットで調べるといずれも彫刻家杭谷一東の作品で杭谷は世羅町の出身だった。道の駅内で買い物はせず、暇つぶしに彫刻の上に上がって周囲を見渡す。
彫刻の説明 |
道の駅世羅にある「天地花」 |
臨済宗広田山修善院 |
樹齢600年の大銀杏の木 |
ほかにも東京オリンピックの最終ランナーを務めた酒井義則氏のお話にも感動する。広島の陸上界は織田幹雄が有名だ。その人は戦争に行かなかった。織田の後輩に世羅高校初代監督内海がいた。かれは地獄の戦火を潜り抜けて奇跡の生還を果たす。戦火を抜けて生還を果たした将兵には3つの共通点があったという。
1つ目 走力・持久力に長けていたこと。
2つ目 思慮深さがあり洞察力に長けていたこと。
3つ目 信仰であれ、肉親であれ、仲間であれ、決して裏切らない。信ずる対象を持っていたこと。
奇蹟的に生還した内海は戦後、生まれ故郷の世羅の地で「何もなくても靴さえあればたたかえる競技」駅伝と長距離走の指導に邁進。逆境を克服する心と生きる力を超えた生き抜く力を培うことを指導理念に幾多の傑出した選手を育成した。内海監督はその後、世羅高校から県北の三次高校に転任。そこでオリンピック最終聖火ランナーとなる酒井を指導する。酒井はくしくもオリンピックの代表にはなれなかった。が、原爆の日に誕生していたことが最終ランナーへとなってゆく。
織田幹雄も内海も酒井もすべて早〇田大学で学んでいる。内海監督は「生き抜く心とヒロシマの記憶を風化させてはならない」という強い願いから愛弟子の酒井を東京オリンピックの聖火台へと押し上げたそうだ。
熱心にこのお話をされる住職。まさか日帰り旅でこれほど感動する場面があろうとは思ってもいなかった。今年のオリンピックも広島のランナーである山縣亮太を、と住職は推薦される。だが、この人は早〇田出身ではなく、慶〇大学だ。さて、どうなる!?
ランナーたちの聖地である修善院 トップアスリートが訪れのて靴が寄贈される |
ランナーの靴が展示されている 年に一度の公開だが、今回は特別に見せてくださった |
寄贈第一号は千日回峰を達成した酒井雄哉の靴 |
屋外にある韋駄尊天 |
お寺の入口にマラソンのスタートとゴール地点があった 世羅高陸上部は毎日このコースを1周するそうだ |
お寺の入口の掲示にいいことが書いてあった |
世羅郡甲山町にある今高野山 |
ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!
追記 住職の話で思い出した。修善院の韋駄天は400m先の世羅高校につながり、そのずっと先には都大路につながっているそうだ。また禅寺の石庭の石は15個あり、なぜ砂模様が渦状なのかは京都に海がなく人は感傷的になると海を見たくなるという。だからお庭に海の渦を模して渦状に描くらしい。お寺を後にするとき、ツアー参加者は住職から韋駄天の御札と東京オリンピックの酒井選手起用のチラシ、そして修善院の沿革と韋駄尊天の由来を記したリーフをいただいた。
去年秋のGO TO、そして今年初めての旅といずれも友だちから旅の誘いを受けて出かけた。ありがたい旅だった。これに勢いがついてこれから1か月の間に3件の旅を予定している。
0 件のコメント:
コメントを投稿