先日の天気予報では、この先1週間は雨の日が続きそうだった。ところが、雨は降らず、真夏の暑さが戻っている。昨日の最高気温は34,5度で今日も34度と気温が上がりそうだ。昨夜は一晩中エアコンをつけて眠る。朝5時半ころ、寒くて目が覚めた。
昨日と言えばお昼ごろから夜9時近くまで携帯電話に迷惑メールが頻繁に入る。これまでなかったことなので、はじめのうちは誰から?と気にしていた。ところが先月末頃にドコモから注意を促すSMSが入る。それを改めてみると、削除するようにとのこと。削除するのはいいが、迷惑メールが入るたびに音が鳴って耳障りになる。寝る前、ふと気づく。マナーモードにして受信時に振動音をさせなければ、安眠障害にならずにすむ、と。そうやって安心して眠る。今のところは何も入ってこない。
こんなことで気を迷わされると携帯電話もいらない、と思ってしまう。これは、パソコンの場合にも感じる。ちょっとでもパソコンの不具合を感じると精神的なダメージが大きい。パソコンや携帯、ほかにも固定電話、電気製品等等、あらゆる機器を自分で処理しようとするから無理があるのかもしれない。
文化や文明が進歩・進化すればするほど便利さは増していく。その反面、いざ壊れたり、アクシデントが起きれば厄介なこと、この上ない。
ともあれ今日も元気で楽しく過ぎ署ましょう!
以下は先日読んだ『西域をゆく』(井上靖 司馬遼太郎 文藝春秋、1998年)の抜粋。
★「写真なんか、何でもありませんよ」と以前の中国旅行のとき、一部玄人筋から素人名人といわれる井上靖氏から伝授された秘伝がある。箇条書きふうにいうと、同行者は写さない、自分が欲する景観のみを写す、距離を無限大に固定しておいて六メートル以内のものを写さない、夕刻、陽がかげるとさっさと写真機を蔵ってしまう、という。自己を見切っているという点でまことに担力に富んだ秘伝で、氏の思想、文学、もしくは人生への態度と重要なかかわりがある。ともかくも私はこの方法に遵(したが)うことにした。(「新疆ウイグル自治区を訪ねて」司馬遼太郎、40p)
★おっしゃる通りだと思います。朝鮮半島はゴールドの文化で、いわば貴金属といというのを大事にしますが、中国の場合は玉(ぎょく)ですね。やはり玉が最高です。漢民族というのは貴金属への感受性というか、関心は薄いですね。(「西域への夢」司馬遼太郎、66p)
★あんな塔を日本で造っても、どうしようもないと思いますが、しかし、中国にはあのようなビルみたいな塔が似合いますね。韓国には石の塔が多いし、日本では木造の塔を置くのが、どうも相応しいように思います。(「西域への夢」井上靖、69-70p)
★……(注:新疆自治区の踊り)さらに踊りを見ていて、私はハッと思ったのは、朝鮮の農民の踊りと似ているんです。みんな三拍子で踊っていましたが、朝鮮も三拍子です。日本や中国は、二拍子、四拍子でしょう。しかし、朝鮮半島だけは三拍子なんです。(「西域をゆく」司馬遼太郎、130-131p)
★旅順には家があったからです。つまり、光瑞さんは京都から放りだされて、出土品を置いていたニ楽壮を久原房之助に売るわけです。そのまえに、自分の蔵書や出土品も旅順へ持っていって、そこに住みつきそうな態勢だった。
ぼくらが昔、聞いたところでは、日本政府が貴重品として輸入税をかけるというので、自由港の大連に持っていった、というのです。しかし、日本で長いこと研究しているんだから、どうも話として落ちつかないところがある。それは、つまり反光瑞系の人から聞いたので、どうも本当ではないようですね。
そして、光瑞さんが旅順にいるときに、ある日突然、中央アジアというか、西域にたいする関心がなくなって、出土品をせんぶ博物館に引き渡して――はじめは寄託のつもりだったらしいけれども――上海へ行ってしまった。どういう事情があったか、よく知らないけれども、ともかく、旅順にあるのは、そんな経緯です。(「西域を語る」藤枝晃、147p)
★二回の旅に於いて、私たちは毎日のように話した。昼も夜も話した。東洋の古い歴史について、民族について、その運命について、自分ながらよく倦きないとおもうほど話した。……本書の内容は、その二回の旅の所産と言えるかも知れない。今になって思うと、話すべきであって、話してないことがたくさんある。そのことのためにも、司馬さんと三回目の旅をしたいものである。東洋なら、どこでもいい。(「あとがき」 井上靖、229p)
★ドイツの地理学者リヒトホーフェンが、「シルクロード」と名付け、以来、日本人にロマンを与えた。新中国建国後、日本人として七十年ぶりにチャンスが訪れた、両先生の千載一遇の喜びが対談に滲み出ている。(「解説」平山郁夫、242p)
★「四十年かけて、ここまで歩いてきたようなものだから、草臥れた」ホータンについた日、二人は昏々と眠った。少年のころからの憧れの地を踏んだ作家達は何を見、何を感じたのか。同行した両氏が旅の興奮さめやらぬままに語った、それぞれの「西域」。東洋の古い歴史から民族、そしてその運命へとて熱論は続く。(「解説」平山郁夫、本の裏表紙から)
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