2019年9月3日火曜日

『手掘り日本史』&プール

 雨も上がって気温も真夏並みに戻りそうだ。昨日午後はプールで泳ぐ。気温は低くても連日の雨で蒸し暑さは半端でない。自転車を降りて更衣室に入ると体中から汗が噴き出る。水着に着替えてプールに入るが水が冷たい。暑いじゃ、冷たいじゃ、と言っても何も変わらないはずなのに、つい口から出てしまう。

 泳いだ後の更衣室。しばらくは涼しさを感じる。それも10数分経過すると元の暑さに戻る。そういえば昨日、雨が上がったにもかかわらず小学校は休校になったそうだ。朝方、警報が発令されたことによるらしい。

 以下は『手掘り日本史』(司馬遼太郎 文藝春秋、2012年新装版)の抜粋。司馬遼太郎が小説を書く理由がこの本からも分かってくる。そして小説に取り上げる人は司馬が人格的にも好みで邪念がない人のようだ。読む側にもそれが伝わる。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

★私は、史観というのは非常に重要なものだが、ときには自分のなかで、史観というものを横に置いてみなければ、対象のすがたがわからなくなることがある、と思っています。史観は、歴史を掘り返す土木機械だと思っていますが、それ以上のものだとは思っていません。土木機械は磨きに磨かねばなりませんが、その奴隷になることはつまらない。歴史を見るとき、ときにはその便利な土木機械を停止させて、手掘りで、掘り返さなければならないことがあります。116p

★私が小説を書く人間になってほんとうによかったと思えたのは『国盗り物語』や『竜馬がゆく』『峠』を書いたときです。人間はいつかは死にますが、そのときの「遺書」のつもりで書きました。日本人とはいったい何者か、というのが一般的テーマなんですがね。自分が日本人について考えたことを小説にして残しておきたいというはっきりとした意図で書いたのが特に『竜馬がゆく』と『峠』です。日本の現状を悲憤慷慨するとか、将来を憂うといったことではなく、幕末以来の短い間にずいぶん激しい変遷をへてきたのは、いったい何事であるか、またその中の日本人とは何者であるか、ということが非常に知りたかっただけです。そして、自分でわかった部分ができ、そのわかった部分で書いたのが、先ほどの二つの作品なんです。これら、『殉死』も入れて、自分で好きだ、といえないくらい自分の気持ちがこもっているんです。212-213p

★「手掘り日本史」では、したがって、司馬氏の個々の作品を手がかりにはしながら、主としてこの作家の”歴史を見る目”について語っていただいた。司馬遼太郎の文学を読む一助になれば、ということからである。何よりも私自身がこの作家との”対話”の機会をもちたいと願い、それをこういう形で実現させたということであろうか。(江藤文夫 解説、227p)

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