昨日の続きになる。白木山は昭和53年に登っている。40年前ではなく41年前に訂正。今朝、ふと思い出す。先ほど2階に上がって確かめる。まさに41年前(1978年)から読んだ本の気に入った個所をノートに記している。その最初の頁は植村直己の『青春を山にかけて』。この歳くらいから自分自身、何かを感じていたのだろう。それ以降、読んだ本の抜粋をノートに書きとり、コピーが普及しだすと気に入った個所をコピーしたり、新聞などは切り抜いて保存した。それも10年前からブログにアップしての保存になった。自分が読んだ本や新聞の抜粋はまるで自分史になりそうだ。アルバムは整理して写真を捨てても読んだ本を抜粋したノートとコピーとブログはほったらかしにできそうにない。
いつの日か、この3か所の保存を1か所にまとめたいとの気持ちは以前から持っている。だが、今は司馬遼太郎の本にはまり、そこまでの心の余裕がない。いつか、きっとまとめよう。そうなるとやっぱり150歳まで生きないと無理かも……。
昨日、清岡卓行の『清岡卓行大連小説全集(上)』の中から「アカシアの大連」、「朝の悲しみ」、「フルートとオーボエ」を読んだ。「アカシアの大連」だけを読もうとしたら「アカシアの大連5部作」となっている。それなら5部作品を全部読もう、となった。あとの2作品は「萌黄の時間」、「鯨もいる秋の空」。今日はこの2作を読もう。
読んだ3部作のうちで驚くことに気づいた。というか音楽好きは誰もがみな知っていることかもしれない。つぎのフルートのレッスンで先生に聞いてみよう。
ここで余談。子供のころは近くの貸本屋に行って本を借り、近所の子供たちが本を回し読みしていた。今は、近くに図書館もできて本当にいい時代になった。それでも図書館で借り始めたのはそれほど前のことではなく、それまでは本を買って増えるのが嬉しかった。ところがそうやって集めた本も10余年前に何百冊かを古本屋に引き取ってもらった。当時の金額でそれは3000円だった。だが、ほかにもたくさん専門書などがある。これらは自分がいなくなれば誰も興味を示さないだろう。
何もかも整理しようと思えば無理がある。すぐに亡くなるわけでもない。生きている、ということはモノがあふれて当然だ。本とアルバム。この2つの整理は多分、生きている間中かかるだろう。
ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!
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