2019年9月28日土曜日

旅の思い出(ソ連)

 まだまだ暑い日が続く。暑くて外に出ない日は2階にほったらかしているアルバムを下に持って降りて写真を取り外す。昨日も1冊、アルバムから写真を外した。旅のアルバムには日程表や旅のパンフを保管したのもある。昨日は1988年8月に出かけたソ連の旅。2回目の海外旅行から1人で参加することが多くなる。ソ連の旅も1人で参加した。31年前は今のロシアは旧ソ連の時代。ソ連の旅は大手旅行社よりもソ連専門の旅行社が旅を主催した。今はその会社ももうないだろう。

 当時はパソコンがない時代。日程表は手書きでコピーされている。その日程表に旅で感じたことをメモしていた。

★クワス(夏の飲み物)
★クラクションを鳴らしてはいけない
★革命家の胸像が多い
★レニングラードは街全体が公園のようにきれいであった
★ハバロフスク、イルクーツクのブラースカヤ(商店)は一つの窓のみ
★寒い(ハバロフスクを除く)
★バイカル湖はとてもきれいで大きい
★独特の匂いがある
★ハードスケジュール(毎日2時着、寝るのは2~4時)
★ホテルは中国のホテル以下で中国に似ている
★自転車を見なかった

 ほかにも旅の初日に名古屋空港19時出発が遅れ、ハバロフスク到着23時30分予定が翌朝2時到着。2日目はハバロフスク空港14時25分発が18時30分発と4時間遅れで初日と同じく翌朝2時着と書いている。イルクーツクの気温は15度。

 4日目イルクーツク空港発✈ブラーツク空港着は2時間遅れて到着し、気温は夏なのに10度。ブラーツクの空港売店は商品売り切れで何もない。この様子はほかの街でも同じだった。ブラーツク✈モスクワ行きに乗り換えて(途中オムスクで給油)18時半にモスクワ着。

 5日目 モスクワの気温15度。午前中はクレムリン武器庫見学。午後、赤の広場に立つ。フリータイムで5カペイカ支払って70m下にある地下鉄に乗る。ほかにも衛兵の交代式を見る。深夜23時40発✈レニングラード行きは翌朝10時発となり、11時15分着が13時着になる。

旅のパンフ
  6日目、スカンジナビアやフィンランドの観光バスを見る。レニングラードの食事はバイキング。気温14度で昼から少し高くなる。レニングラードの夜はサトコで晩餐会キャビアを食べる。この時初めてキャビアを知った。この夜の移動中のツアー専用のバス車内の後部座席に怪しきソ連の女性3人の先客がいた。こういうことってある!?この夜と次の夜は1人部屋。

 最近のツアーは1人部屋料金を取られるが、以前は1人参加であっても取られなかった。というか相部屋だった。時に、1人参加が1人とか奇数だと1人部屋にしてくれた。今はすべてとも言えるくらい1人部屋料金を取られる。

 長々と昔のことを書いている。どういっても31年前のこと。写真を見ると若いし、楽しそうに写っている。今は昔ほどの笑顔で笑うことがあるだろうか。ちょっと疑問符が残る。とはいえ今でも旅に出ると楽しいことに変わりはない。

 なぜ今年になって写真の整理を思いついたのだろう。2階の押入れがアルバムで押しつぶされる?と思った。整理し始めてある面、よかった。そのままにしていたら死ぬまで若い時の写真を見ることがなかったかもしれない。アルバムから外した写真は気にいったものだけを残す。そのはずだったのに捨てるのは外したアルバムで写真は捨てられそうにない。アルバムの整理をしている間は感慨にふけっている。若いころは楽しくなかった、と思っていたがどうも違う。旅に出かけた写真を見る限り心から楽しく映っている。若いということは本当に素晴らしい!そしてやっぱり旅はいい!先日の秋の長州路。思い悩んだけどやっぱり行こうと旅行社に申し込む。これで秋の旅は3か所行くことになる。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

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