2019年9月6日金曜日

楽器&中国語etc.

 昨夜BS11を見ているとジャズ・クラリネット奏者の北村英治が出ていた。何と御年90歳。テレビを見た後、ネットで確認するとやはり90歳だ。他の出演者である菅原洋一や八代亜紀に負けず劣らず、声がはっきり出ている。そして姿勢もよく、どう見てもこの御年には見えない。背広姿で吹くクラリネットはリズム感にあふれ、見るもの、聞くものをひきつけてやまない。ネットでこの人の記事を検索すると「ジャズ・クラリネット奏者の北村英治『100歳まで吹くため、年下のクラシック奏者に基礎を習った』」とある。

 以下はその記事の一部。

★「100歳まで吹き続けるには、基礎から学ぶ必要がある」と、50代の時に年下のクラリネット奏者、村井祐児に弟子入りし、クラシック音楽を学ぶことを決意する。……最初、モーツァルトか何か教えてくれるかと思ったんですけど、それが全然違って、『蝶々(ちょうちょう)』を吹かされました(笑)。アタマの『ソミミ ファレレ』だけですよ。『発音が悪い。音が崩れている』と言われて、次のフレーズの『ドレミファソソソ』までいくのに3カ月以上掛かりました。初めは冗談じゃないと思ったんだけど、この先生を逃したら他にはいないと思ったんですよ(笑)」

 村井先生との出会いによって、クラシックの世界とも交流が生まれ、現在はクラシック音楽をプレイする機会も増えている。

 「クラシックは決められた通りに吹く必要があるので、誤魔化しがきかないんですよ。でも、その中でいかにうまく歌うか……、そこが魅力でもあるんですよね。ジャズの方は楽しみながらできるけれど、クラシックは楽しんでいる余裕がないんですよ(笑)クラシックが楽しんで吹けるようになるには100歳過ぎないとダメかなと思います(笑)」
https://dot.asahi.com/wa/2016051200125.html?page=3(参照)

 この記事、よくわかる。フルートを習う前、いろいろな楽器を習った。ギターを習ったのはクラシックだった。だが、先生は音大で学ばれていない。その後にエレクトーンを習う。これは結構長く習ったが、自分自身が大人になって習い始めたので音楽の基礎がなっていない。いくら習っても音楽の基礎がないと進歩しない。そう思ってやり始めたのがクラシック音楽のフルートだった。まさに北村英治がクラシックの先生について習い始めた時のように、楽器を持つより前に息の仕方から学んだ。ちゃんと音が出るようになるまでに何年かかっただろう。やっとこの頃、いい音が出ている、と先生に言われるとうれしさも半端ではなくなる。

 元来、肺活量が少なく、自分としては大枚をはたいて最初からいい楽器を購入して吹けるようになるのだろうか、と心配した。何事もまずは格好から、との思いがある。惜しまずにそれなりの楽器を買えば習い事も長く続く。そう思って楽器を購入した。そのフルート。27年経過してもまだ習い続け、吹き続けている。

 北村は「クラシックは決められた通りに吹く必要があるので、誤魔化しがきかないんですよ」という。これも全く同感。フルートを習うお陰でクラシックにも目覚めた。

 それにしても北村英治の音楽を生で聞いてみたい。来週もテレビに出るそうなので見るのが楽しみだ。

 話は変わって、連日の暑さは真夏に戻った感じだ。笛を吹いたり、本を読んだり、と家の中で過ごす時間が多い。その暇に、ごついアルバムを2階から1冊ずつ持って降りて写真を取り外す。昨日までに計4冊、アルバムから写真を外した。大半は覚えているけど、意外な写真もある。昨日、アルバムから外した2枚の写真がそうだ。1枚は真理アンヌとのツーショット。この人が好きで撮ったのではなく、某イベントに参加して写った。ほかの1枚は、県庁で4か月、バイトをしたことがあり、その時の御用始めに務めていた課で撮った集合写真。男性ばかりに交じって写っている。今見ると、背広姿のいかつい顔の人たちの中でよくも一緒に写っていると我ながらあきれる。

 そのうちの1人は今も現役で某市長をされている。そしてもう1人はそれから30数年後に某交流学会で会った際、声を聴いて誰だかがわかった。男性の変わりようは眼を見張るものがある。とは言いながらも人から見れば自分自身も老婆になっているのだけれど……。まあ、この際、自分のそれは忘れよう。

 ほかにも写真を見るといろんなことを思い出す。我が家へ人を連れてきては一緒に写真を撮っている。今は交流がない人たちも多い。戦後すぐの生まれなので幼児のころの写真は少ない。それも白黒写真でセピア色になり、破れそうになっているのもある。とりあえず、このうちの数枚をデジカメに撮り直す。小・中学校時代も写真が少ない。高校になると部活動で学校の文化祭に出た、はかま姿の写真がある。これも数少ない貴重写真。とはいっても高校になると写真も進歩したのか保存状態はいい。短大時代は外部の大学生と所属する部の合ハイ(今の合コン?)や専門の資格取得のために4か所で実習した際の写真がある。働き始めると俄然、旅の写真や習い事で写ったのが多い。当時は泳げなかったにも関わらずよく海に出かけている。貴重な水着姿の写真もあった。

 習い事の究極は中国語。1982年に中国語を習い始めた。中国にいた人や帰国者に交じって若者は私ともう1名の女性の2名だけ。ここから自分の人生再スタート、という感じは否めない。海外にも目覚め、知り合えないような人たちとも知り合うようになった。

 人生の岐路、ということばがある。まさに自分のそれは中国語を習い始めたころかもしれない、その1年前に水墨画を習っている。それが中国への関心へとなったのだろう。そういえば、水墨画を習っていた時の写真も1枚ある。このころからよく飲み、よく食べ、よく遊び、になっていく!

 しばらくというか、当分は何十冊かのアルバムから写真を取り外す作業が待っている。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

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