2週間前に出かけた大連では司馬遼太郎の『坂の上の雲』に刺激された。またつい先日出かけた県北の美術館では堀文子の影響を受ける。司馬遼太郎の本は1巻目を終えて2巻目を読んでいる。ところが、図書館の書架を見ると大連や司馬遼太郎関連の本が目につく。それを借りると年末年始は読む本が多くなる。暇人としてはこれも結構なコトだと思ったりする。
年末年始、暇と言っても少しはそれらしき雰囲気を出そうとお正月用のお花を買いに行く。いつもとは違うスーパーへ出かけるとお正月用にとセットになった花がある。自転車で持って帰るにはけっこうかさばる。それでもせめてお花くらいは飾ってお正月らしさを味わうのもいい。ところがレジで購入時、買い物はレジ担当がやってくれても、金銭の支払いは機械。これもスーパーによってやり方が異なる。ともあれ、何とか支払いも済ませた。時代に追いついていくためにも何でも自分でやる癖をつけないといけない。ものひとつさえも買えなくなりそうだ。
年末年始、晴れマークが続く。プールもあと明日を残すのみとなった。今日は本年最後の泳ぎおさめとしようか。さてさて……。
ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!
以下は『ホルトの木の下で』(堀文子 幻戯書房、2007年)からの抜粋。
★関東大震災で奇妙な感受性を植え付けられた女の子が、十余年経ったのち、二・二六事件によって、死への予感と目前に迫り来る戦争の気配を強く感じたのです。この二つの出来事は、その後の私の生き方にも大きな影響をあたえたように思われてなりません。60-61p
★私はメキシコに行って、いくつもの発見をしました。文化や芸術は、その国の生活なり民族が生むものであり、作るものではないということを痛感しました。私が、原初に返って、日本画を学ぼうと決意したのも、メキシコをはじめ三年間の放浪の旅が契機になったと思います。日本人の血を引きながら、自分の国を見ていなかったことに、ようやく気づいたのです。169p
★平面の中に、その奥にあるものまで含めて描く東洋の表現に気づいたのは、西洋を放浪し、その国々の美を見て、表現の優劣はないことを知ったからでした。創造とは自分の血肉の中から湧き出るもので、誰かの真似をするものではない。今後は常に自分の感動を描いていこうと決意することの出来たのも、この旅のお蔭でした。170p
★帰国後、私は絵がかけない時期に、デカルコマニーという手法で絵を作っていたことがありました。その時期は、それまでの自分を壊し、様々な技法を試してみたかった。日本画の世界で師匠を持たずに自己流でやってきた私は、画家として認められるのは難しいことだった。世間で自己流で私の絵が認められ、初めて売れるようになったのは、五十歳を目前にしたその頃からでした。173p
「デカルコマニー」は先の美術館で見た絵にも数枚あった。この意味が解らず携帯の辞書機能で検索しながら絵を見る。言葉では表現しにくい絵の技法だった。
★アマゾン、メキシコ、ネパールの旅に明け暮れ、それぞれの地で見た驚きや感動、七十歳の終わりから八十歳の半ばにかけての冒険に満ちた旅は、思いがけない病気によって中断することになった。僻地の旅を諦めることになった時、不自由な体になっても感動を見つけることができる世界、顕微鏡を覗こうと思い立った。……私は顕微鏡の世界にのめり込んだ。一滴の水の中に、生きて戦い子供を残すミジンコや珪藻の命の営みが繰り広げられていた。この極微の生き物が見せる驚異の世界の虜になり、私は真夜中まで顕微鏡を覗き続けた。原生動物に熱中する館山の野本氏(今は亡き人となられた)や、有名なサックス奏者、坂田明先生のご指導を受けることになったのもこの時からで、海ほたる、ふじつぼ、海老、蟹の幼生、わむし、ケミジンコなど、極微の命の想像を絶する美しさを見せていただいた。178-179p
堀文子展に実際に使ってた大きな顕微鏡が展示されている。また坂田明は来月の13日に展覧会に訪れるようだ。サックスも披露される。
★大正の大震災を皮切りに、戦争の動乱に巻き込まれ、私は一日として安堵することない乱世を生きることになった。無残な日々だったが乱世は、私を志を曲げぬ強靭で複雑な人間に育ててくれた。奢らず、誇らず、羨まず、欲を捨て、時流をよそに脱俗を夢見て、私は一所不住の旅を続けてきた。自分の無能を恥、己との一騎打ちに終始し、知識を退け、経験に頼らず、心を空にして日々の感動を全身で受けたいと心掛けた。肩書を求めず、ただ一度の一生を美にひれ伏す、何者でもない者として送ることを志してきた。今、その旅の終わりにさしかかり、脳や足腰の弱りに反比例して、未知の世界への好奇心が日毎に増えることに驚いている。私の風狂の旅が、長い年月に洗われ、いらぬ迷いを払い落としてくれたのか。少しずつ、生まれた頃の無邪気さを取り戻しているようだ。子供に返って終わりたいと考えた念願を果たすまで、気を抜かず、わくわくしながら最後の旅を終えたいと思う。179-180p
★八十歳代の半ば、イタリーに行き来していたときのことだ。向いの屋敷にあった、樹齢五百年にもなる巨木(名前をホルトの木という)が、ご主人亡きあと売地となり、切り倒されることを知った。……万策尽きて私はこの土地を買った。……私は、この巨木の命を救えたことを喜び、その肌をさすっては末永い長寿を祈った。この為に得た広い土地に建てたアトリエが、私の最後の仕事場となった。ここを買うために背負ったバブルの最盛期の多額の借金は、老後の貯えの全てをなくしたが、木の命を救えた喜びで、悔いはなかった。王者の威厳を持つこの老木の下で、今私は最後の絵を描いている。あとがきにかえて 181p
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