2018年12月13日木曜日

中国東北地方の大連・旅順・金州の旅から帰って その1

 初めて中国へ出かけたのは32年前の夏。今回で中国への旅は12回目となる。32年前の旅から比べると中国の旅も様変わりしている。中国はお茶文化。しかし、今回の旅で一番驚いたのは旅の間じゅうお茶が出なかったこと。じゃ、何が出るのか、と問われれば白湯が出る。これにはびっくり。そうとはつゆ知らず、ある時、お茶を係りに要求すると現地ガイドから白湯が出ると聞かされる。

 どういっても32年間の中国の変容ぶりには目を見張るものがある。初めての頃はホテルとは名ばかりで現地の人が利用する招待所のような宿もあった。水道の栓をひねると赤く濁った水だった。それが時を経て立派なホテルが立ち並び、物価は日本よりも高そうだ。特に今回出かけた中国の東北地方である大連、旅順、金州辺りの高層ビル群。どこまで行ってもそれが続く。大連は海が近いことから海産物の宝庫らしい。あるビル群の周辺は一人前が4,5万円もする海鮮料理の店が並ぶそうだ。

 今回、大連に出かけようと思ったのは中国近代に関心がある割には日本が中国の東北部である旧満州を統治していた場所にこれまで行かなかったことにある。大連は中国の中でも日本に近い。そのことから何時でも行かれる、との思いがあった。ところが初めて中国へ出かけて以降早くも32年が経過している。

 広島空港発着であればたったの2時間しかかからない大連。今年になって大連の旅を探していた。やっとそれが実現。それにしても久々に中国語を習ったときの、また中国にのぼせていた頃の感覚を取り戻す楽しい旅となった。

 参加人員は8名。添乗員はつかず、現地係員が案内してくれる。広島空港に着くとEチケットをもらい、空港の係りに簡単な説明を受けた後は各自で出国。中国へ入国後は現地係員が待っている。ここで旅の一行と顔を合わす。ところが幸いにも広島空港で出国検査を受ける際、同じ旅行社のタグをつけた人に遭遇する。この人は住んでいる町が同じで、それも1丁目違うだけの近さに住んでいる。

 年齢はほぼ同世代の男性でその人の姓を聞くと我が町の小さい頃の町長と同じだ。これはもしかして……と思ったらやはりその人のお孫さんだった。これまで何回も海外に出ても同じ町内の人と出会ったことがなかった。広島発着だから参加者は県内の人ばかり。ローカルの話で盛り上がる。ましてや8人の参加。中華料理のテーブルを囲むにはちょうどいい。短い旅でも同じテーブルを囲むと和気藹々のムードになる。どの人も旅慣れていた。

 今回の旅で気を良くしたことがある。それは旅順の203高地のことだった。中国が好きな割には日露戦争の本を読んでいない。特に『坂の上の雲』。皆さん、よくご存じだ。今日からこの本を読むのが旅の宿題となる。出かける前までは現地の気温ばかりが気になった。しかし、「雪」については気にも留めていなかった。ところが、何ということだろう、大雪が積もっている。幸い、出かける前からトレッキングシューズを履いていく、と決めていた。これは大正解。203高地。名前は聞いていても詳細を知らずにいた。現地についてバスから降りると、本来ならばカートに乗り換えて203高地まで登るらしい。ところが大雪。地面が滑りやすいためカートの出番がない。道は広くても登り坂。203mほどある山の頂上まで歩いて登る、と突然ガイドは話す。地面は雪で凍っているところもある。生まれてこの方、雪道を1時間半も歩いたことがない。ガイドは頂上まで45分かかるという。降りる時間を入れると1時間半ほど雪道を歩く。ましてや気温はかなり低い。

 カートに乗ったとしてもそこで降りてから15分ほど歩かねばならない。8人のうち、この辺りで3人がリタイア。1人は肺の病気のため呼吸が苦しいらしい。後の2人は雪道が滑るのでリタイア。ガイドの身長は180㎝。残る5人は私を除いて皆さん男性で背が高い。ましてやそのうち1人はスーパーボランティアとあだ名をつくようなごっつい感じの人だ。この人は旅の間中、半袖で通した。赤銅色の顔と腕は見るからに野性味がある。この人たちに交じって1人老婆は後れを取るまいと必死になって歩く。そうはいっても「行きはよいよい帰りは怖い」となってはいけない。雪道を滑らないようにトレッキングシューズを時々、カタ、カタと鳴らして雪を払いのけながら歩く。203高地の標識があるところで、いつもは写さない自分を入れての写真を撮る。この時の「やった~!」という達成感。リタイア組3人は私のことをバスの中で元気だと褒めてくれたらしい。どういってもここは水泳で鍛えた体(?)、とバスに乗り込む際にその言葉が出る。そしてまだまだ外国に行くぞ、という気になる。

 他にもいろいろと楽しいことがあった。ホテルの朝食のバイキングでは三菱マ〇リアルの社員に声をかけられる。日本語で話すと「中国人」と中国語で返答された。会社名を知らされて「日本では有名な企業」と告げる。いろいろと中国語と日本語で話していると広州の人で出張で大連に来ており、それもその日までだとか。椅子に座って食事をしていると帰り際に名刺をくれた。感じがいい若者で自分の名前を書いて教えるとそれをスマホに写していた。これが若い時分であれば対応も今より異なるかと思う。とはいえ、いろんな人と知り合えて話が聞けることはいいこと。これも外国に出かける楽しさかもしれない。

 家では枕を使用しない。これは旅先も同じこと。バスタオルを枕がわりにする。旅の2日目、観光を終えて部屋に戻ると服務員がベルを鳴らす。部屋の外に出ると硬い枕を持っている。柔らかい枕が嫌なのだろうと思ったらしい。すぐに意味が解り、日本にいても枕は不要、と中国語で話す。しかし女性の若い服務員は困った様子で電話で他の係りに聞いている。何度か「不要」と告げるとやっとわかってくれた。大連の日航ホテルは五つ星ホテルでネットにもいいホテルになっている。親切心が枕にも当てはまり、こちらとしては逆効果になったりする。

 他にも旅の終わりの朝、モーニングコールを聞かずに早めに朝食に出かける。部屋に戻ると今度は男性の服務員が部屋をノックする。これには困った。中国語で「何の用ですか?」と聞いてもまだ立っている。後でツアーの人に聞くと旅の最終日なのでその確認に部屋に来たらしい。いずれにしてもいいホテルなので親切心がこういう時は仇になるコトもある。

 楽しかった旅の模様は後日アップしよう!それにしても今回の中国行きは初めて中国語を習い、中国にのぼせていた頃の感覚を呼び戻してくれる旅となった。今日から気合を入れなおして再度中国語の学び直しと司馬遼太郎の本を読む宿題が待っている。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

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