2018年12月29日土曜日

『幻の大連』

 『幻の大連』(松原一枝 2008年、新潮社)を読んだ。著者はこの本で初めて知る。大連で育った人なので日本の旧満州国の様子がこの本でわかってくる。短い旅ながらも大連に出かけて『坂の上の雲』を読み始め、司馬遼太郎に関心を抱く。また大連にも関心が向く。この本に、司馬遼太郎は人を取材しても取材されることはなかったとある。以下はその件の抜粋から。
 
 ★この結論に至るまでの経緯を纏めて、「藤田大佐の最後」を書き上げた。これが「別冊文藝春秋」に分載された。この私の「藤田大佐の最後」に司馬遼太郎さんが偶然、目を止められた。実は、司馬さんは、大佐が戦車第一連隊の連隊長だったときの部下だった。私が石頭の官舎で一泊したとき、司馬さんもあの官舎の一つにおられた。「松原さんにわたしが何かお手伝いできることはないだろうか」と編集部に電話をかけてこられたという。編集部から司馬さんの電話の件を聞いた私は、早速、東大阪の司馬さんのお宅へ駆けつけた。私がメモ帳を取り出すと司馬さんは、「わたしは取材したことはありますが、歴史の証人として取材されるのは初めてで、わくわくします」といわれた。204p
 
 他にも大連の大通りで目にしたスチーム。ホテルを出た大通りからまるで温泉のようにあちこちから湯気が出ている。これはオンドルの湯気か、それともペチカか。この本によると以前はオンドルだったが、次第にスチームになっている。噴出しているのスチームの湯気かもしれない。ともあれ、この時季、♪ペチカ🎵の歌がよく似合う。動画をアップしよう。
 
 松原によると「ペチカ」について以下のように書いている。
 
 ★「ペチカ」は北原白秋作詞の童謡で有名である。白秋は昭和五年、満鉄の招きで来連した。満鉄は関東州と満州に居住する日本人の児童のために、満州色豊かな歌曲を与えたいとの趣旨で、白秋の他にも内地の詩人や作曲家を招いた。そして、多くの唱歌を依頼したという。「ペチカ」もそのひとつである。実際に来連する前に依頼はあったのだろう。「満州唱歌集」(一九二四年、南満州教育会)には、白秋の「ペチカ」が掲載されている。この「ペチカ」に、山田耕作が作曲した。耕作の曲譜は「ペチカ」ではなく「ペティカ」と表記されていた。168-169p
 
 近場の旅であっても大連に出かけて本当に良かった。出かけたことでいろんなことを知り、また興味・関心が増していく。これがいい。大連は満州国の中でも南満州に位置する。北満州の瀋陽や長春へもいつか行く機会を持とう。
 
 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

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