2018年12月20日木曜日

大連の旅の余韻

 毎年この時季になると広響からのクリスマスカードが届く。今年はチェロ奏者からだった。それにしてもなぜ年賀状でなくクリスマスカードなのだろう。これは多分に西洋音楽がキリスト教と関連があるからかもしれない。いわゆる日本の仏教徒としては、というか別に何の宗教も信じていないモノにとってはクリスマスよりも新年の方がめでたい。いただいたクリスマスカードにケチをつけるつもりはない。とは言いながら、もらって嬉しいものでもない。これも個人的な知り合いであればもらった感覚もまた違うかもしれない。

 今日は本来ならば県北の美術館へ行く予定だった。ところが昨夕、日本画の先生からのメールと電話で後日一緒に美術館へ行くことになった。それで今日はプールに、と思ったが雨が降るので明日にしよう。

 時間があれば『坂の上の雲』(1)を読んでいる。今回の大連行きでこの本を知ったことは大きな収穫。ツアーの2人が教えてくれた司馬遼太郎の本。司馬遼太郎、と言えば『街道を行く』シリーズがある。これはほとんど家にある。だが、他の書物は読んでいない。井上靖は中国のシルクロード関係の著書が多いが、司馬遼太郎は日本人とは何かを追求した歴史小説が多い。今回の旅の別の意味の収穫は司馬遼太郎の本を読むことがある。著作数が多いのでこれは自分が生きているうちはもしかして大きな楽しみとなるかもしれない。それくらい今回の旅で司馬遼太郎にハマってしまった。『坂の上の雲』1巻目はもうすぐ読み終えるので2巻目を借りよう。この調子で行くと割合早く全8巻を読めるかもしれない。

 ネットで「坂の上の雲」を検索するとNHKの3時間半の動画があった。動画を見るといきなりの日露戦争になる。やはりある程度は本を読んで、後で動画を見ることにしよう。

 元来、小説を読むという習慣があまりない。それでもシルクロードにのぼせると井上靖の小説をかなり購入して読んだ。何かにのぼせると一気にのめり込むタイプ。その点、自分がこれっ、と思わないと人がいくらよいといっても心は動かない。これはナニゴトにも当てはまる。ところが今回の司馬遼太郎の本は人がすすめてくれてかなりツボにはまった。というか教えてくれた人たちがいい人だったことにもあるだろう。

 読んでいる『坂の上の雲』の中に「帰省中の秋山真之は、毎日ふたつの事柄しかないようであった。ひとつは子規宅へ行ってその枕頭(ちんとう)に寝そべることと、一つは水泳であった」(278-279p)がある。大連で「枕」の中国語が理解できなかった。調べると中国語もこの本にあるように「枕頭」で簡体字が使われる。中国語がわからないのではなく、自分自身の日本語理解も足りないようだ。

 大連の旅の模様をブログに下書きしている。その時、思った。旅の最後の晩餐は海鮮料理だった。中国で動いているヒラメのお刺身を食べる。これは後で考えるとぞっとする。というのは刺身は魚を水で洗って調理する。中国は水が飲めない国。1度煮沸した水を飲む。それなのに刺身はどうやって調理したのだろう。これが気になる。生ものは食べたり飲んだりするな、と知りながら生の魚を食べた。円卓に座って最初にお刺身を食べた隣の人はたった1切れしか食さなかった。自分自身は3切れと後に残っているのも食べた。日本で刺身を食べなれているのでそのときは何の違和感も抱かなかった。よく考えると中国で刺身を食べる、これは危ない、危ない!また、ワサビもなかった。

 何やかや言っても今回の旅はこれまで出かけた海外旅行のうちで最低の旅費だった。一けた台での海外旅行は初めての経験。日数が少なく、近場にもよるのかもしれない。というか10万円台の旅もほぼなく、1回の海外旅行の費用は最低でも20万円以上する。金額や日数とは関係なく楽しい旅もある。今回はこれに味を占めそうだ。
 
 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう! 

 ブログ投稿後に気付く。大連の旅で寒さ対策ともうひとつ気になるコトがあった。それは大連の空気。マスクを数枚用意した割には全く空気汚染は感じられなかった。ガイドが言うには雪が降った後は空気がきれいになるそうだ。

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