2018年12月14日金曜日

中国東北地方の大連・旅順・金州の旅から帰って その2

 大連に出かける前日の現地の気温は最高気温マイナス6度、最低気温マイナス10度だった。広島空港から大連の空港に到着後、前日の広島✈大連便は大連が雪のため欠航と知らされる。幸い出発した日はお天気も良くて前日の「欠航」を聞いて驚くばかり。先ほど出かけた日の気温をネットで調べると
12月9日最高 1度、最低 マイナス8度
12月10日最高 2度、最低 マイナス3度
12月11日最高 0度、最低 マイナス 6度
12月12日最高 2度、最低 マイナス 6度 となっている。

 ということで203高地に登った日は最高気温0度の中を歩いたことになる。ガイドは確かにその日の気温を0度と話した。203高地がどんなところかも全く知らずに出かけた。まさか雪道の雪山を登るとは知らず、突如歩いて登ると聞かされた日には意地でも登る、と覚悟した。普段、雪に慣れておらず、ましてや登山をしているわけではない。ただ、よかったのはトレッキングシューズを履いていたことだ。大股の男性陣に交じってよく登った、と我ながら驚く。また、持参した裾まであるズボン下や長袖の肌着は着なかった。割と暑がりなので寒さに強いのかもしれない。

 大雪にもかかわらず車道は両脇に雪をかき分け、旅の間中、車に雪対策はされずに普通タイヤのままの運転だった。

 何度も中国に出かけているが、変わらない中国もある。それはトイレ。いくら立派な建物であってもトイレは相変わらず旧式で当然トイレットペーパーもない。紙があるのはホテルのみ。大きな立派なレストランでも備える設備はあっても紙はない。大連の空港に着いた日、バスに乗る前に空港のトイレに行くとやはりなくて慌てた。自分のバッグから取り出すのだが、日本ではその必要がない。バッグのどこにあるか探す始末。初日のペーパーの洗礼を受けて以降、常にティッシュは欠かせなくなる。

 これまで出かけた中では今回の旅の行き先はきれいな街の印象が強い。どういっても大連は中国何千年の歴史とは比べられない程の100年の歴史しかない。建物はロシア風の建物が残り、中国にいるというイメージがわかない。すべてとも言えるくらい高層ビル群は新たに建設されている。そのため、街がきれいなのかもしれない。

 それにしても物価の高さはどうよ、と思えるくらい高い。旅費が安いためなのかやたらと夜のオプションをすすめる。ナイト・ツアーは出かけたけど車内で販売するお土産品は買わず仕舞い。

 他にも気づいたことがある。それは車内から見える電光掲示板の国のスローガン。これは日本にはない光景だ。10数億の民をまとめるにはこういったスローガンを掲げる必要があるのだろう。ましてや今回の旅順は街そのものが軍の関係者しか住んでいないらしく、人口30万人と言っていた。旅順で勝手に写真を撮って逮捕されたとの報道を聞くことがある。自分勝手なことは許されない国なのでどこを観光していてもガイドに写真OK?を確認する。

 昨日、図書館で予約した『坂の上の雲』の1巻目を借りる。数巻あるらしく、気を長くしてすべてを読もう。今回の旅の収穫の中に旅の参加者から教えてもらった本がある。皆さん、よくご存知だった。他にも教えてもらったのでしばらくというか当分は本から目が離せない。それにしてもやっぱり旅はいい!何がいいと言ってマンネリ気味の毎日が旅から帰るとスイッチがやる気モードに切り替わる。これがいい!国内の旅ではこれほどのスイッチ切り替えは不可能だ。やっぱり近場であっても海外の旅がいい!旅のアンケートに広島発着の旅を増やしてほしい旨、書いたけど、さてさて……。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

 追記 203高地のテーマ曲の動画をアップした。が、再生できなくて削除する。削除した歌は「防人の歌」で母が救急搬送されてから亡くなるまでの3週間、何度聞いたことだろう。この歌詞の意味について何十回も何百回も聞いて知ろうとした。この歌がそういう曲とはつゆ知らず、ただ母が亡くなるということのみが頭にあり、涙を流して聞いた3週間を思い出す。今はいくら聞いてもさすがにもう涙は出ない。それでも今、聞いてもこの歌詞の意味は深すぎる!

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