2015年10月30日金曜日

「典型的な高齢者」は存在しない

今朝の地元紙によると「典型的な高齢者」は存在しないという。世界保健機構(WHO)は高齢者の多様性を理解した政策をと訴える。たとえば「高齢者は他人に頼る」「か弱い」というイメージ。介護が必要な人もいれば若者にも匹敵するほどの体力の持ち主もいる。何かと悪い面だけをとらえるのでなく多様さが現実の姿だという。

確かにそう思う。自分の両親を見ても父と母とでは年齢を経て極度に異なっていた。父は70代半ばで亡くなった。同年齢の母は父なき後、まるで我が青春到来というようにそれまでできなかった旅行を開始。生き生きと生活して父よりも20年以上も長生きした。

自分自身を振り返ってみても若いころよりも今のほうが体力はある。何はともあれ、30代半ばまで自転車にも乗れず、泳ぐこともできなかった。国内はともかく海外旅行は40歳から開始。途中、母の介護などでいけない時期もあった。しかし、母が亡くなって再開するや年齢は経ても行くのが楽しくて仕方ない。そのためか年齢を区切って話をする人とは話が合わない。どういっても今が元気!人それぞれ、ナニゴトも多様性がある。

昨日はお昼過ぎから泳ぎに行く。元気よく1キロ泳ぐ。

画像は先日の日本画展に出した本画1号と2号の作品。今年になって初めて挑戦した本画。記念にブログにアップしよう。まだまだ初心者。年を増すごとに絵も上手く描けるようになりたい。今日も元気を出して頑張る!?旅の無事を願ってこれから墓参りをしよう!
「トルコギキョウ」6F

「夏野菜いろいろ」8P

2015年10月29日木曜日

『洞窟おじさん 荒野の43年』

『洞窟おじさん 荒野の43年』、サブタイトルは「平成最強のホームレス、驚愕の全サバイバルを語る」(加村一馬 小学館、2004年)を読んだ。

2,3か月前にBSで見てこの話を知った。本を読むと2004年の出版。ということは世に知れ渡って10年以上にもなる。両親からの虐待を受け、13歳で家出。一人ぽっちで野獣のごとく生きていく。本で読んでも凄い。ましてや実際の生活はいうほど簡単ではないだろう。

読み進めていくと、日本の戦後の文化というか文明の発達ぶりがよくわかる。この人が世に知れ渡ってからと言うもの何もかも初めてのことばかりを経験。トイレ事情ひとつでも洞窟おじさんの驚きぶりがよくわかる。同時代を生きている。これを読むと戦後の日本の発展ぶりもわかってくる。その一方で、人を怖れて世間から取り残されてひっそりと生きてきた人もいた。

現在の洞窟おじさんをネットで調べると顔つきが優しい。身内はもちろん、世間の人を避けて生きてきた人の顔とは思えないほど柔和な顔つき。もともと罪を犯して世の中から隔離されていた人ではない。人の優しさを知って人間らしさを取り戻した本来のこの人の顔だろう。

昨日は旅に出るので姉に電話する。だが出てこない。仕方なくメールで連絡。ついでに姪にも知らせる。夜、2人と電話で話す。姪曰く「今年は旅行強化年。来年は普通に戻って年に3回行くことにする!」。今年は来月も再来月も行く予定らしい。それにしても「強化年」とは良い言い方。

旅好きの姪から旅に関するアドバイスを受ける。持参する着替えの服は風呂敷に包むと便利だと。前回の旅に風呂敷を持参。確かに風呂敷に包んだ服を広げると何があるかよくわかる。

姪を海外に最初に連れ出したのは叔母である私。それがいつの間にか何もかも追い越されてしまった。旅にも出かける時期(気運?)があるという。うまく言い当てていると思いながら電話で話す。それにしても旅の荷物が少なすぎる。大丈夫!?

ここで余談。全く知らない人のツイッターのプロフィールに「人生の旅の荷物は夢ひとつ」とある。誰の言葉か知らないが素晴らしい!旅の荷物は少なくていい!

今日午後はプールへ行こう。今日も元気で!

2015年10月28日水曜日

『団塊69(ロック)臨床医のつぶやき』

長年わが家で飲み続けているビタミン剤はB,C,E。Bは母が脚気の気があるといって若いころから飲んでいる。Eは血管の掃除をしてくれると妹が教えてくれて飲むようになった。CはEと一緒に摂るとさらに効果があると何かで教わり飲んでいる。このうちのCは武田薬品のもの。

一昨日夜、空になったので新たな瓶を開けようとする。ところがどうやってもあかない。他の新たなひとつもあかない。仕方なく隣のいとこに空けてもらう。相変わらず開かない。その家にお客として来ていた人にやっと開けてもらえた。ありがたかった。

これはメーカーに連絡すべきと思い、昨日朝電話する。その件を話すと他にも苦情が来ているとのこと。現在調査中とか。応対は親切だった。ゴム手袋をして開けてみるようにともいう。それもダメなら返却するようにとのこと。あと一つ開けていない。これも人に空けてもらうしかない。

自分で歳を感じる時は瓶やペットボトルの蓋を開ける時。まだまだ力は衰えていないと思う。それでもジャムなどの瓶を開ける時、てこずる。

超高齢化社会到来と言われる。どっぷりと高齢化につかっている。瓶や缶、ペットボトルは今やこれらなくして生きていけない。幸い、今回の件は調査中、とのこと。改善策が見られるのを期待しよう。

高齢化と言えば最近読んだ『団塊69(ロック)臨床医のつぶやき』(徳永進 佼成出版社、2015年)。この中の「団塊世代プロダクションに所属する身」の箇所が妙に可笑しい。今やどこにも所属せずフリーの身。これから人に聞かれた時、「プロダクションに所属しています」と言ってみる!?

※「団塊世代が日本をダメにした」。週刊誌だから、売れればいいと思って、ハデに見出しで勝負して、ちょっとオーバーなタイトル、と思ったものの、団塊世代プロダクションに所属する身としては、何やら気になるところがあった。そもそも、人は一人ひとり違うのに、それをさて置き、世代を一色で捕らえ論じるという大雑把な考えって間違ってるわ、と思った。…167p

話は変わって昨日のフルート。来月合唱で吹くフルート。その個所を中心にさらっていただく。先生が歌のパートを吹いてくださる。それに合わせてフルートを吹く。ところが、先生の音に引き付けられて「ポカン!」として自分のフルートが吹けない。これが何回か続く。もっと自分の音に集中しないと本番でとんでもないことになりそう。

雨も上がって今朝はすがすがしい!今日も元気で!

2015年10月27日火曜日

『音楽という<真実>』

『音楽という<真実>』(新垣隆 小学館、2015年)を読んだ。これは世間を騒がせたあのゴーストライターの著書。本を読み進めてゴーストライター云々よりもこの人の小さいころからの音楽に対する意気込みに惹かれる。地方に住んでいる人たちには到底、この人の環境には逆らえない。それくらい音楽を学ぶ環境で育っている。

18万枚のクラシックとしては異例のCD販売実績を誇った作曲家。ところがそうなればなるほどモノゴトがややこしくなる。だが、その権利もすべてご破算にする。音楽家として恵まれた家庭環境で育っている。小さいころからピアノはもちろん、それよりも作曲する訓練を受ける。大きくなるにつれて著者の周りになんと多くの著名人がいることか。地方で育ったならばこうはいかない。

読むにつれてゴーストよりもこの人の音楽家になっていく過程を垣間見るほうに興味が湧く。そして、ところどころ女性に絡むお話もほほえましい。

今日は午前中、フルートのレッスンへ。終わると市内をうろついて帰ろう。ふと気づく。日の出日の入りの時刻。今日の日の出は6時25分、日の入り17時23分。日の出のころはまだ寝ている。今回の旅も集合が早い。暗いうちに家を出ることになる。リムジンまではタクシーになりそう。ともあれ今日も元気で!

ブログのおまけとして中崎どん。ほんまにかわいい!
カープ中崎翔太、来年も守護神!「防御率0点台」狙う! / 広島東洋カープまとめブログ | かーぷぶーん

2015年10月26日月曜日

「新・映像の世紀」を見る

予報では今朝の最低気温は10度。一気に秋も深まってきた感がある。今朝の新聞折り込みチラシに日帰りバスツアーの募集がある。募集する会社や行先にもよるのか、集合時間が7時や7時半となっている。1つだけ参加したいと思った。だが朝が早い。こうなったらまたもや「おとなび」を利用していくしかない。

昨日は午後から急きょ、知人が出る演奏会へ行く。そして夜はNHKの「新・映像の世紀」100年の悲劇はここから始まった、を見る。流れる音楽は美しくて悲しい。世界で初めて映像という手段を使った国はイギリス。それは戦争を映し出す。そのイギリスはパレスチナとユダヤ問題に大きく関与していた。この問題、なかなか理解しにくい。ところが昨夜は端的に言い表す。すべては100年前のイギリスの戦略に翻弄される。

2年前から美術講座を受講。そのはじめのころ、イディッシュ文化について学んだ。この言葉さえも知らず、かなり衝撃を受ける。自分なりにイディッシュを調べた。イディッシュはユダヤのこと。神の子、イディッシュは頭が良く、商売に長けていた。イギリスは金持ちのユダヤ人を戦略としてパレスチナの地域に送り込む。今のイスラエル。ここからパレスチナ問題になる。

こうはっきりと放送で教えられるとモノゴトの成り行きが良くわかる。もう目から鱗。

100年前に起きた第一次世界大戦。その模様が映し出される。ドラマでなく実際に起きたお話。吸い込まれるようにしてテレビを見る。一度見たくらいではちゃんと理解していないところもある。

世の中に名を知られたレーニンなど、他にも多数の映像が流れる。名声があればあるほどその裏で同じ程度悪いことをしている。毒ガスを作ったドイツのハーバー夫妻。その妻は夫の目の前で拳銃自殺。その夫が作った毒ガスはユダヤの大量虐殺に使用される。だが、その前にドイツから追放される。

参考としてNHK「新・映像の世紀」http://www.nhk.or.jp/special/eizo/

母が生まれたのも100年前。これを見て両親たちは激動の時代を生きてきたんだ、と改めて思う。

今、穏やかに毎日を過ごしている。この穏やかさが時に物足りなくなり、刺激を求めて外へ飛び出す。何と我ままな生活だろう。

2015年10月25日日曜日

すだちの葉っぱ

葉っぱのついたすだち
みかん、レモンの区別はついてもすだちとカボスの違いは難しい。日本画教室に入ると目の前には3種類に分けられたすだちと葉っぱのついた柿がテーブルに鎮座している。先日、美術講座でお願いしてもらった落花生のついた枝も持参。先生は葉っぱを剪定したすだちの実が3つのもの、2つのもの、1つのものと分けてくださる。それを1枚のスケッチ帳に配置して描く。

3種類とも枝には葉っぱがついている。真ん中に3つの実がついたものを置き、2つと1つのついたものを左右に置く。先日来から描いている樹木の葉っぱは写真を見てのデッサン。先生はそれは枯れないから後にして先にすだちを描くようにとのこと。描こうじゃない、と気合を入れてスケッチしていく。結構手が動く。1時間スケッチ。何とか形になる。これに水彩絵の具で色を施す。スケッチよりも色付けが難しい。

ティータイム後、柿も描くようにと先生。以前だとすだちのどれか1点だけで時間を要していた。それが昨日は柿も2種類ほど描く。さすがに落花生は枝が難しくて描けそうにない。これは落花生だけもいで描く予定。落花生のお礼が遅くなった。持ってきていただき感謝、感謝!

話は戻ってすだちとカボスの違い。スケッチしていて気づいたのはすだちの葉っぱは先に小さく葉っぱが出て後で大きな葉っぱがついている。絵を描いて初めて知った。画像は1つの実をつけたすだち。葉っぱが珍しいのでブログにアップしよう。

このすだち、午前の生徒さんがくださったと思っていた。ところがそうではなかった。先生は人からのいただきものを絵のモチーフに、と持ってきてくださった。有難いお話。なんとか、すべてデッサンできた。

昨日の収穫は少しづつながらデッサンも早く描けるようになったこと。また先日の日本画展の画集と絵ハガキも出来てきた。持ち物は増やさないようにとは思っても、やはりこういう記念すべきものは増えてくる。これもまあ、いいかと思ったり。

お天気がいい!旅支度を、と思って荷物をまとめると少ない。今回は一番小さいキャリーバッグで間に合いそう。先ほど知人から出演するコンサートの知らせが入る。午後は急きょコンサートへ。今日も元気で!

2015年10月24日土曜日

カンディンスキーと共感覚

カンディンスキーの共感覚。初めて知るキーワードは昨日の美術講座で学ぶ。フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』によると以下のように書いてある。
        
「共感覚(きょうかんかく、シナスタジア、synesthesia, synæsthesia)は、ある刺激に対して通常の感覚だけでなく異なる種類の感覚をも生じさせる一部の人にみられる特殊な知覚現象をいう。 例えば、共感覚を持つ人には文字に色を感じたり、音に色を感じたり、形に味を感じたりする。 英語名 synesthesia は、ギリシア語で共同を意味する接頭辞 syn- と感覚を意味する aesthesis から名づけられた。感性間知覚。」

この特筆すべき人物にランボーがいる。

母音

A (アー)は黒、E (ウー)は白、I (イー)は赤、U(ユー) は緑、O (オー)は青、母音たちよ、おれはいつかお前たちの秘められた誕生を語ろう、


A、無残な悪臭のまわりを唸り飛ぶ
きらめき光る蠅どもの毛むくじゃらの黒いコルセット


陰った入江。E、靄と天幕の白々とした無垢、
誇らかな氷河の槍、白い王たち、繖形花(さんけいか)のおののき。


I、緋の衣、吐かれた血、怒りに狂った、
あるいは悔悛の思いに酔った美しい唇の笑い。


U、循環期、緑の海の神々しいゆらぎ、
家畜の散らばる放牧場の平和、
学究の広い額に錬金の術が刻む小皺の平和


O、甲高い奇妙な響きに満ちた至高の喇叭、
諸世界と天使たちがよぎる沈黙、


― おおオメガ、あの人の眼の紫の光線!


(訳:粟津則雄 )http://d.hatena.ne.jp/hhoshiba/touch/20140813より引用

 これを知っても難しすぎる。共感覚の持ち主とされる人物にカンディンスキーがいた。ともあれ、メモとしてブログにアップ。

西条に出かける前、フルートの先生から合唱で吹くフルートの入った楽譜をメールで送付していただく。帰宅後、譜面の添付ファイルを印刷。ところが、瞬間には開けられない。タブレットであけられてもパソコンでできない。おかしいと思い再度パソコンに挑戦。大丈夫だった。この間、先生に何度も電話し迷惑をおかけする。

作っていただいた楽譜は本当に素晴らしい!譜面の作成方法はわからない。だが、かなりお手数をおかけしたのでは、と頭が下がる。本当に感謝!感謝!

どういっても歌の譜面に加えてフルートのパート譜が入ったもの。またフルートと合唱のパート譜。そしてフルートのパート譜と3種類のパターンで作成してくださっている。この苦労を合唱の人はわかってくれるだろうか。ここまでしていただくと失敗は許されない。

昨夜はその譜面を印刷して自分なりにわかりやすく編集。後は練習が待っている。

2015年10月23日金曜日

「選ばれし若鯉は濁った水に染まらず、まっすぐ滝を登ってほしい」

長年見慣れた自分の顔。ブスはブスなりに時によってその表情も変わって見える。今朝の顔は自分で見ても活きがいい。くすぶったくすんだ日には顔の表情もくすんで見える。元気が一番を実感する。

昨日は元気を出して泳ぎに行く。午後は1時からプールが開く。以前は2時半ごろ到着するように家を出ていた。最近は1時に家を出る。これから1時になると泳ぐように家を出よう。早い方が人も少ない。泳いでいない日があるので1キロでなく500メートルのつもりが700メートルくらい泳ぐ。泳いだ後は気持ちがいい。家に帰ってもやる気が起こる。これが泳ぐ一番の収穫。借りてきた本もすぐに読める。全身の血の巡りが良くなるのか心身ともにすっきりする。

夜はドラフト会議を見る。その中で母親をガンで亡くした選手のドキュメント仕立てのドラマもある。原選手。何とすがすがしい若者と思って見てしまう。カープ入団でなくても応援したくなる。頑張れ!

その後は、「洞窟おじさん」最終回を見る。最後に「人生っていいな」みたいな言葉が出る。自分のためでなく、人が喜ぶ顔を見て初めてそう気づく洞窟おじさん。親切に接してくれる人からブルーベリーをもらって食べる。その味に魅せられ、こつこつとブルーベリーを栽培。収穫したブルーベリーのジャムをお祭り会場で販売。喜んで買っていく人々の姿。

世の中、不正や悪に手を染めて若くして人生を台無しにする人もいる。昨夜のドラフトで選ばれた7人の若鯉。今朝の地元紙ではないが「選ばれし若鯉は濁った水に染まらず、まっすぐ滝を登ってほしい」。

今朝はこれから西条へ。今日も元気で!

2015年10月22日木曜日

文学青年、大谷!

FMを聞きながら朝食。そして新聞を読む。一日予定のない朝のこのひととき。至福の時間!くすぶっていたこの1週間余り。今日はプールへ行く気になる。元気出せよ!と思わずわが身に気合を入れて次に見るのはネットの出番。

【日本ハム】大谷、文学青年になる「1年で一番時間がある時」知識と教養蓄えるとの見出し。中を読むと「基本的に頭が良くないので、本を読んだ後に手帳に書くようにしています。大事なことだけ。…」。大谷はパリーグの野球選手。人気者だけあって顔は知っていても詳しいことは知らない。ところが今朝のこの記事を読んで親近感がわく。何が、と言えば読んだ後手帳に書くという件。

世間では野球賭博の記事が賑わいを見せる。その中で読むこの記事。何とすがすがしい!応援したくなる。

ともあれ、元気が出てきた。来週は外へ出かける。その準備をしていても鼻水がひっきりなしに流れる。ほんまにどうかいの?大丈夫!今朝はそれも止まった!泳ぎは半分の500メートルにして…。元気を出そう!

2015年10月21日水曜日

体育「1」

現役を引退した山本昌投手。何とネットで見ると高校時代の体育は「『プールの授業が7月にあるので』体育の成績はいつも『3』だった」とか。身体を冷やすな、との思いからプールで泳がなかったという。丈夫な体で50歳まで現役を続ける。それも手術などの怪我も一切ないとは素晴らしい!

朝青龍が現役のころ怪我をしなかった。当時の相撲解説者は怪我をしないことも強さだと話していた。そういう意味でも山本昌も強い人だ。

この体育「3」。妙に親近感を覚える。小学校時代、体育は「1」だった。中学・高校は「3」。最近、近くに住む同級生にそのことを話すと信じてもらえない。とはいっても、どう見ても運動に優れていると思った人もいないはず。「1」があるということさえ知らない人もいる。

それでも今、元気に過ごしているし、運動もしている。もちろんそれは水泳。週1回1キロ泳ぐ。この話をした同級生曰く「それは名誉挽回のためにも話したほうがいいよ」。話をした人は頭も良いが、何でもできる人だ。ところが水泳はできないという。これを聞いて少し誇らしくなる。

小さい時に何もできなかった(しなかった?)エネルギーが今になって爆発している。おかげで元気。その元気、1週間くすぶっている。明日は泳ぎに行こう、と気持ちだけは焦る。さてさて…。

昨日午前はフルートのレッスンを受ける。合唱で吹く曲を中心にさらう。合唱では途中からフルートが入る。いつでも吹ける状態でスタンバイが必要。これはかなりのプレッシャー。ともあれ合唱当日までは「音出し」を集中して頑張るしかない。大分いい音が出るようになった。頑張れ!

レッスン後、以前、発表会でピアノ伴奏をしてくださっていた先生と10数年ぶりに遭遇。変わっておられなかった。

川沿いの並木道を歩いて駅まで帰る。ちょうどお昼休みの時間。近くで勤務する人たちの憩いの場所か、お昼を食べている人もいる。季節は秋、外は気持ちがいい!

ここで余談。フルートの先生は合唱で吹く曲の譜面をパソコンで作成してくださるとのお話。本当にありがたい。歌の譜面でフルートを吹くのとフルートの楽譜でフルートを吹くのとではその違いは大きい。ところが楽器を吹かない人はそのあたりをわかっておられない。

2015年10月20日火曜日

ああ言葉!

挨拶の言葉が「元気がないね」。これは言われたくない!人に会えば一般的には「お元気?」と声をかけるはず。それが開口一番不愉快にさせる話し方。困った人がいる。

気にしながら合唱の練習を終える。元気がどうこういうよりも慣れぬ合唱でのフルートを吹く方に気を取られる。フルートの音域は3オクターブ。フルート発表会でフルートを吹くのと合唱の伴奏とではその役割がだいぶ異なる。こうなるとフルートの先生のアドバイス優先で吹くしかない!

今朝はこれからフルートのレッスンへ。しっかりさらってもらおう!人前での演奏も外へ出かけるので一度練習に参加できない。他の人も行楽の季節で練習の参加者が少ない。いろいろと気にしていても仕方がない。そんな矢先の「元気がない!」発言。言葉には気を付けよう!

今朝の地元紙に中崎投手のお父さんの記事がある。中崎の兄は西武ライオンズにドラ1で入団。弟の翔太はカープへドラ6で入る。生まれたときは1900グラムの未熟児が小学校6年生で181センチの身長。だが、器用な兄と比べず、成長を見極めて焦らず指導したという。また兄は甲子園出場するも弟はしていない。何かと脚光を浴びる兄に代わって入団後は3軍で過ごしたこともある。「打ち込まれた時の罵声やため息をよく乗り越えた」と野球の恩師である父は語る。今やカープに欠かせない守護神中崎翔太。

その成長の裏にはまたもや黒田投手の言葉があった!ああ、言葉!人には励ます言葉を使おう!
【カープ】黒田の助言により明確な目標と自信を手に入れた中崎「目の前の目標を一つずつ積み重ねていけと」

2015年10月19日月曜日

秋!

地元の秋祭りも終わり、静かな月曜日が始まる。大型ドラッグストア、コンビニと相次いでわが家の周りにお店ができた。小学校も隣接している。行事があれば何かと賑わいを増す。

昨日は母の月命日。いつも行く墓地までの道は大回りして出かける。しかし、どこを通っても祭りの人たちに出くわす。さすがに墓地ではにぎやかさは届かない。

行くまでに気付くのは家の建て替わり。何といっても更地はすべてと言っていいくらい30年借り上げ住宅に建て替わる。ここに住む人たちは多分、町内会にも入らないだろう。単身入居者が大半を占める。それに伴いあふれ出す車。当然コンビニは栄える。

繁栄するのはいいこと。しかし、借り上げ住宅もひとたび古くなれば誰も住まなくなり、古いアパートは空き家と化す。

朝からどうでもいいことを書いている。大事なことはこれから出かける合唱のこと。フルートの出番となる。先ほど音出しをする。頑張って吹きに行こう!

2015年10月18日日曜日

展覧会&懇親会へ行く

昨日の携帯万歩計は10767歩。県立美術館で浮世絵師歌川国芳展を見る。会場入り口で美学の先生と遭遇。今日で展覧会も終わるため観覧者も半端でなく多い。今から150年前の作品が展示してある。自分の年齢を差し引くと150年前はそれほどの昔ではない。中学高校で歴史を学ぶ頃、「本当の話?」と何を教えられても疑ってばかりいた。ところが、年月を経て50年前のこともそれほど過去のお話とは思えなくなる。

自分が生まれる100年も満たないころの生活が絵で見て取れる。やっと歴史は生きている、と思えるようになった。

特別展を見終えるころ、休んでいる人から声をかけられる。夕方の懇親会に?と尋ねると今回は不参加だった。それにしてもいつものことながらどこへ出かけても知り合いに出会うことが多い。

所蔵展の会場に移る。昨年美術館が所蔵した作品が展示されている。この中に日本画3点もある。この2か所の展示を見るだけでもかなり歩いている。その後、県民文化センターへ移動して某日本画展を見る。ここで大失敗をする。受付を済ませると入り口に立つ親切な人から声をかけられる。先日の展覧会で受付当番をしていて一人一人に近づいて声をかけることはしなかった。

偉い親切、と思い、その人に「お宅の絵はどれですか?」と質問した。何と親切な人はその絵画展の先生だった。思わず先生のところへ出向いて先ほどの失礼を詫びる。名前は知っていても顔までは知らずにいた。申し訳ない!

土曜日の夕方、街中の人出は多い。どこから人が湧いて出るのか、と思えるほど多い。懇親会まで時間があるのでデパート内のカフェに入る。しばらく休んで懇親会場へ。

旅の参加者は15名だった。懇親会はうち2名欠席。参加名簿を見ると3名は初対面。他の人たちは2度の旅で一緒だった。この団体の旅は人の好さもそうだが、宿や食事がいい!当然費用もいい!今年の夏を再度体験してこよう!暑い夏を!

2015年10月17日土曜日

元気が戻った!

メディアを賑わして一躍時の人となった五郎丸。ラグビーを知らなくてもこれだけ騒がれるとおのずとテレビを見てしまう。今夜はその特番もあるらしい。

一週間近くくすぶった生活をしていた。喉も治ってきて今日から行動再開。元気を出さないといけない。今夜は月末に出かける旅の懇親会。もしかしてビールが飲めないかも…。というのもビールは喉に良くないらしい。今日はその前に県立美術館の特別展にも行く予定。

来月開催されるハープ奏者のルームコンサートの案内が届く。前回終了後、カッチーニのアヴェマリアをハープの演奏で、とお願いした。フルートとのデュエットはお願いしていなかったはずなのに、ゲスト演奏者にフルート奏者とある。曲名にもアヴェマリアがある。すぐに、お礼のメールを送信。そしてこのフルート奏者。もしかして知っている人?ともあれ来月の楽しみとなった!

今朝のFMはアメリカのカントリーミュージック。アメリカ大陸はペルーに行ったときに立ち寄ったロスだけ。どうしてアメリカとは縁遠いのか。考えてしまう。動けるうちにメキシコへ、との気持ちが強い。と、その前にまだまだ元気じゃ、足も大丈夫じゃ。そうはいっても高山病はもう無理じゃ、といろんな思いが頭をかすめる。メキシコ以外では南米がいい!でも、どういっても南米は遠い!

来春3月の行き先は申し込み済み。ここも遠い。今年は人に誘われて出かける旅。来年は前々から行きたいと思っていた国。やっと実現できそう。その意味でもメキシコへ…。今夜の団体では来年インドネシアや中国の話もでている。

やっと元気が出てきた!

2015年10月16日金曜日

「何故鼻水は止まらないのか?」

数日ぐずぐずした日を送る。喉は痛いし、鼻水は出るしでお風呂にも入らず。昨日思い切ってお風呂に入る。やっぱりお風呂は気持ちがいい!喉は楽でも鼻水は相変わらず止まらない。ここでネットの出番。「何故鼻水は止まらないのか?」。

人も自然の子。ナニゴトにもそのわけがある。ほこりなどの外敵や体内のウイルスをやっつけるためにと働く白血球。これがその仕事をやり終えるとそれは鼻水となって出るらしい。そう知るとなるほど、と妙に納得。むやみやたらに薬を飲まず、ここは自然に任せるのも由!?

とはいってもひっきりなしに流れる鼻水。集中力も何もありゃしない。これはこれで何もするなという合図?すべてをそう割り切ればもうこの世ともおさらばする、偉い人になりそう。そこまで悟らず、適当に悟って、自然に任せて生きるのもいいかもしれない。

昨夜のお風呂上りに「洞窟おじさん」第3話を見る。ほぼ実話、と出るテロップ。作り話ならばこれほど人を魅了しないかもしれない。リリー・フランキーなる人もこのテレビで知る。まるで本人が演じているようで素晴らしい。実際の人物とほぼ同世代。同時代をこういう風に生きている人もいる。いろんなことを思いながらテレビを見る。

人はどうあっても生きていけるもの。そう思った。鼻水が出る、のどが痛いくらいで何を怖れる?元気を出そう。それにしても予定がない日が良くない。気が緩んでしまうのか。とはいいながらも、だいぶ元気が出てきた!だが、まだ泳ぎにはいけない…。

2015年10月15日木曜日

「頑張れよ 自分」

3時間前の某選手のツイッター、「頑張れよ 自分」。昨年フルに試合に出て肩を壊す。今年はほとんど試合に出ず、肩のリハビリに明け暮れる。脚光を浴びても一歩間違えば活躍する選手とは一線を引かれる。これがプロの厳しさ!?頑張れ!ここはマネして「風邪に負けるな!」、「頑張れよ 自分」。

今朝の新聞を見ると公務員などの年金も10月から厚生年金などに一元して加入する記事。これは当然のお話。奥さんがなくなっても子や孫まで年金が支給されているとは…。優遇されすぎ、と思わず叫びたくなる。どういっても我が生活費は厚生年金と企業年金、そして個人的に掛けていた個人年金。個人年金は貯金と同じようなもの。ところが、この期に及んで貯金することもない。その思いがあるので年に何度か出かける海外もそれを利用。

生きてさえいればもらえる年金。その意味では働かなくて生活できる制度はありがたい!

話は変わって、電話に関するポイント。近くに住む大手通信社に勤務する人から電話の請求を一括にするように依頼される。自社のクレジットから一括して引き落とされる。携帯、タブレット、固定電話、ADSLの4つをまとめる。毎月の請求は多い。そのためかポイントもたまる。年明けにはそのやり方も変わる。それならばとポイントをグルメと交換。ところが簡単には操作できない。携帯会社に電話すると親切に教えてくれた。

なんといってもどこもかしこもネットワーク暗証番号が多すぎる。ここは携帯の暗証番号だった。先日来から切らしている蜂蜜。のどが痛いので早速スーパーで小さいのを購入。このときグルメの交換を蜂蜜に決める。これは国産品らしい。

便利な世の中になったとはいえ、どんな手続きも手間がかかる。それにしても年金一元化はいい制度。皆に公平な社会であってほしい。

ここで余談。先ほどの選手、今ネットで見ると昨日付で秋季練習にマエケンと登場している。更に本人のツイッター・プロフィールにも「みなさん、完了しました。」とある。元気になって一軍に合流した様子。よかった!よかった!

2015年10月14日水曜日

日本画の先生、院展ダブル入選!

前回、日本画教室を出る時、先生とのお話で気になることがあった。聞き流せば済むお話。ところがこれにこだわる。昨日、フルートに出かける前、ネットで検索。気になっていたことが判明。

習っている日本画の先生は何と今年の春の院展と再興第100回院展で共に入選されていた。ダブル入選とはおめでたい!夏に1か月近く日本画教室を休んでいた。その際、この話題が持ち上がったのだろうか。昨日まで何も知らずにいた。早速先生宅におめでとうコールをする。

フルートを終えると、街中の金融機関が保有する日本画展に出かける。ビル10階にある画廊での日本文化勲章受章者の日本画展。眺めているとなんとまたもや先日某寺で出会った人と遭遇。これはどういうことじゃ。今回は娘さんも同行。先日ばったり出会ったお話も知っておられ、再度の出会いに驚くことしきり。こうなると「愛があるとしか思えん!」と互いに笑う。先生のお話をするとやはりご存じだった。

教室の日本画展の初日、準備を終えた私たちを集められて先生は来年に向けての決意をプリントして渡される。去年とは違う、気合が入っていると気後れしそうになって話を聞く。それも今となってはよくわかる。絵を描く人は一般的に長生きされている。先生もこれから…と言いたいのだろうか。17日の教室が月末に変更になる。それも足立美術館でのオープニングセレモニーに出席されるためのようだ。

いずれにせよ、自分が習っている先生のダブル入選という快挙は素晴らしい。

さてフルート。かなり喉の調子が悪い。それなのにマスクもせず街中に出歩く。合唱で吹くフルート。その個所をさらっていただく。長年習っていてもそれだけの年数、悪い吹き方が身についている。これを徐々に直す訓練も必要。弘法は筆を選ばなかった。フルートも楽器の良しあしよりも吹き方にその良さがでる。むきになって吹いて息の量が足りず…。これを直さなくてはいけない。

1音ずつ意識して吹けば十分に息も足りる。ともあれ頑張って吹くしかない。

その後画廊によって画用紙を買おうとする。F6に決めて購入しようとするが、どれも分厚い表紙がついている。適当な紙質の厚さの画用紙がない。再度考えることにして画材屋を出る。駅前のジュンク堂によっても画用紙の種類がない。

喉が痛いにもかかわらず、デパート内をふらつく。夜になるとさらに喉が変になる。土曜日は旅するメンバーとの懇親会。喉が痛くてはビールも飲めそうにない。これでは楽しみも半減しそう。それまでに元気を取り戻して…。この調子だと今週はプールも行かれそうにない。ああ、家でじっとせよとの知らせか。これもしんどいお話。我慢、我慢!?

2015年10月13日火曜日

気の緩み!?

ハチミツを切らして3,4日食べなかったためか、それとも先日のプールで水着のまま係りの人としゃべりすぎたためか。2,3日喉が痛い原因を探る。他にも先週の忙しかった日々の疲れもある。いろいろ思いを巡らせて気が抜けたことが原因では…と思ったりする。

本来の調子でないと思うことは親のこと。あと1週間で母も生きていれば百歳になるはずだった。食べられず、話もできない母なのにここは身内のひいき目。あと5年は生きる、と思っていた。それも束の間、救急車で運ばれて3週間であっけなく亡くなる。この間が一人に慣れる執行猶予期間かのように時間を少し置いてくれた母。

母のいなくなっての5年近くの間、いろんなところへも出かけたし、いろんなことも習い始めた。そしていろんな人とも知り合った。もしも5年後の今、母を亡くしたとしたら同じようなモノ・コト・ヒトと出会うだろうか。そう思えば、母の最期は「あれはあれで良かった!」との姉の言葉が当てはまる。

中崎翔太抑え譲らん
広島中崎、来季も抑え譲らん 休日返上で体力強化 http://www.nikkansports.com/baseball/news/1551758.html
いつまでも思い出に浸っていてはいけない。「そういうことでどうするん?」と言われる気がする。元気を出さんといけん!週末には月末に出かける旅の決起集会がある。元気でなければどこへも行かれん!今日はお昼前からフルートのレッスンへ。来月初めにある合唱で吹くフルート。ミスは許されない。その練習も待っている!

画像はかわいい中崎どん!頑張っている記事を見ると応援したくなる!

2015年10月12日月曜日

「敏敏學姐」

季節の変わり目と動きすぎでさすがの「敏敏學姐」もダウン。昨日は寝て過ごす。朝、スーパーへ自転車で出かける。だが、異常に寒い。熱が出ていたようだ。こうなると寝るに限る。寝ると言っても何時間寝ていたのか。夜になっても熟睡する。

夕方、寝ているとメールが入る。10月から学び始めた人だった。それによると「敏敏學姐」とメールにある。「小姐」は知っていたが「學姐」はメールで知る。この言葉、かなり気に入る。送り主は台湾の人。中国語も簡体字でなく繁体字の台湾。日本人にはなじみにくい。

1週間大学に通い、体重が3キロ減少と書いている。元来、痩せている人なのにさらに減少とは…。無理もない。片道1時間半かけての通学。かなり体力も消耗しそう。気にされていた大学生活も楽しいとのこと、一安心する。

ゆっくり寝ていたので今朝は元気。それでも喉が変。今月から来月にかけていろいろと予定も入る。ダウンしないように元気でいなくては…。今日は一日家でおとなしく!

2015年10月11日日曜日

トルコ桔梗の絵

2年前、日本画展に誘われて日本画を習い始めた。昨日からそれも3年目に入る。展示会前に梨狩りに出かける。その際、八千代の丘美術館で目にした樹木。葉っぱの色づき具合に興味を惹かれ、長年習っていた人と写真に収める。この葉っぱを日本画で描こうと思いつく。先生に描きたい旨、告げるとOKとのこと。早速昨日からデッサンに取り掛かる。

これまでは実物を目の前に置いてデッサンしていた。今回はそれを教室に運べず、かといってその場所まで簡単には出かけられそうにない。ということで写真を参考にしてデッサンしていく。それもやり始めて気づくことがある。ある一部分しか写真に収めていない。早速デッサンを描きながら写真の撮り方を先生から教わる。

こうして絵を描けばこれから国内外に旅に出かけたところの絵も描けそう。その際は、まず全体写真、それから部分写真を撮る。他にもA4サイズにカラーコピーするのもいいらしい。絵心皆無でもちょっとずつ描こうじゃないの、という気になっていく。これは不思議。

画に誘ってくれた人によるとこれまで習っていない白紙の状態が強みらしい。そしてこの年になると知らないことを知らないと言えない人が多いとか。ところが何も知らないので偉そうなことは言わないし、すべてごもっともですと言われるとおりのことをする。これが強みだと言いたいらしい。そう言われて妙に納得する。この気持ちがあるから何でも長続きするのかもしれない。

今回の展示会の芳名録をみせてもらうと、他にも見に来てくださっている。芳名録にない人からも直接見たとの報告を受ける。中には先生と懇意な方もおられる。先生にその旨話すと、某大学に先生の絵が寄贈されているという。そう教えてもらった人と何故知り合いかを先生に聞かれる。

どこへ行っても知り合い同士の話が結びつく。昨夜も日本画を習うように誘ってくれた人から電話がある。なんと2か所出かけた先で思いがけない人に遭遇したと驚いて電話を掛けてくる。本当に世間は狭い!

電話をくれた人や教室で我が日本画第一号を欲しがる人がいる話をする。その人は体調が悪く入院している。欲しい人がいればあげるようにとのこと。自分の絵はまた描けばいいと先生に言われる。そうか、と目から鱗。トルコ桔梗の絵をその人にあげよう!そして元気になってもらおう!

2015年10月10日土曜日

趣味(Gschmack)とは?

展示会が終わって、絵が戻ってきた。箱に入った2枚の絵。段ボールから出す作業も大変。額縁の表面を飾るガラス。これは展覧会では反射するためか額の裏に収める。それを取り出して再度、絵を額にセットする。額に入った絵を床に2枚立てかける。去年2枚、今年2枚の額に入った絵。わが家に来て誰が見てくれる!?ここは自己満足の世界。

今日午後からは展示会以後始めてある教室。色々と話も弾みそう。今日から来年に向けての絵の修行(?)が始まる。

話は変わって昨日の美術講座。先生のご専門は哲学美学。一昨日夜、BSで「洞窟おじさん」の放送がある。あと2回あるらしい。以前にも見てかなり感動する。

「経験からすべての認識は始まる(anfangen )のである。」(カント『純粋理性批判』)

これを聞いて「洞窟おじさん」を思った。この人、学校もほとんど行かず、小さいころから自分の経験だけで生きている。当然人を見てもその経験から人を判断する。まさにこの言葉は洞窟おじさんに当てはまる。受講後、思わず口から出たのはこのお話。

このほかにも関心があったのは以下の文。

「趣味(Gschmack)とは、目の前の対象あるいは思い浮かべた表象を、気に入ったあるいは気に入らない(好きあるいはきらい)によって判断する能力のことであって、その際利害得失の気持ちを一切持ち込んではならない。このようにして気に入った対象が美しいと言われる。」(カント『判断力批判』)おなじ内容のドイツ語文もいただく。だがドイツ語は解らない。

モノ・コト・ヒトは難しく考えず、好き嫌いで選べばいい!?

ここで余談。先日届いた広響のCD。昨日届いた広響の情報誌に送り主不明で送った断りが書いてある。ブログにも載せたけどクレームがあったのかもしれない。情報誌にフルート奏者の文がある。高校の先生などを経て、フルート奏者になっている。ストレートになったわけでなく遠回りをされて広響入団。これはこれで良かったとか。いい記事だった!

2015年10月9日金曜日

「よう泳ぐね!」

修了した大学からホームカミングデーの案内が届く。それを見ると講演会など多数の催し物がある。だが、絵とぶつかるため行かれそうにない。土曜日の習い物は毎日が日曜日だからいいようなもののそうでもない。結構、世の中、土曜日の催し物は多い。

気を取り直して泳ぎに行く。午後のプールは早めに行くと人も少ない。泳いでいると見知らぬおっさんが「よう泳ぐね!」と声をかけてくる。話した人は隣の浅いコースで休んでいる様子。「まだ下手、下手!」と返答して泳ぎを再開。我ながらよく泳いでいると思う。泳ぎ治めに何メートル息継ぎなしで蹴伸びできるか試してみる。プールの真ん中あたりまでできた。

某アナウンサーは25メートルを息継ぎせず潜れることを特技にしている。これも特技になるのか、と思って練習する。結構大変。プールを出る時係りの人のところに行って話をする。質問するとそれに応えてくれる。プールの底にひいてある線の長さを知りたかった。よくわからない様子ながら他の話もする。ちょっとだけよく泳ぐといってもらう。こういわれるといつもながら「猿も…」になる。本当に単純すぎる!

今朝はこれから西条へGO~。美術講座が待っている。メールで届いた先生からのレジュメを見るとカントの話などある。今日も元気を出して行動開始!そういえばレジュメの先生にこの間の現地美術講座の帰りの車の中で「何が楽しみですか?」と質問した。するとドイツ語のカントの本を自分なりに訳すのが楽しみと話された…。

2015年10月8日木曜日

Tchaikovsky ♪Waltz♪(from sleeping beauty)

月に一度定期的に診察を受ける眼科。生まれつき(?)視力が悪い。かといって視力以外は今のところ目のどこも悪くない。昨日も出かける。眼圧を計った後、椅子に座っているとおっさんがやってきて右横に座る。何やら出してみている。スマホと思ったらなんと財布の中身を見ている。何気なく目をやると、財布の中の万円札を数えだす。どうみてもお札が固まってあるのが見える。しばらく眺めていると、思わず声になる。

「1千万円ある!」。おっさんはこちらを向いて「それほどありゃせんよ」。「あるよ」というと席の前の人も驚いた様子で笑っている。「あったよね!」と前の女性に念を押すと「ある、ある!」。おっさんは2人の話を否定する。「じゃ、それは壱円札で千枚ですね」というと「ほうよ、ほうよ」と笑って話す。最後におっさんは「これは一年間の生活費じゃ」と言い出す始末。一年間に一千万円の生活費は多すぎる。

薬局で目薬を受け取る際、そばにいた女性と話をする。見知らぬおっさんに気安く冗談を言ってしまった。もしも怖い人だったら、と話すとその人曰く「優しそうな顔だったよ」。

視力が悪いためか、人の良しあしをその場の雰囲気でとっさに判断する。それは普段の日でも旅行に出ても同じこと。これまでひどく判断を誤ることはなかった。嫌な人には話をしない。というか話そうという気が起こらない。大人げないといえばそうだけど、これも仕方がない。ところがひとたび気を許すとなんでも口から出てくる。まるで子供のように何でも話す。これも性格。由としよう!

話は変わって次にさらうフルートのレッスン曲は発表会の練習前にさらっていたTchaikovsky曲集から♪Waltz♪(from sleeping beauty)。速い曲のwaltzのリズム。気合を入れて練習しよう。そして午後はプールへGO~。

2015年10月7日水曜日

爽やかな空…

雲一つない真っ青な空、まさにスカイブルー。これは何を意味(予想)する?わかる人は広島大好き人間。わからない人は…。

先月末、ふと頭をかすめた人の記事。あった!火曜日はフルートレッスン日。ところが発表会の振り替えでレッスンはお休み。明日までゆっくりした日が続く。とはいっても、泳ぎに行ったりするので家でじっとすることはない。外に出る前、気になる記事を探す。見つかった!なぜかこの記事には日付を入れていない。ファイルの前後から判断して1998年1月ごろの記事と思われる。

約18年前の新聞記事。当時88歳の人だから存命ならば106歳。一度でいいから会ってお話が聞きたかった!18年前と言えば個人的には水泳教室に入って泳げるようになった時期かもしれない。それから5年後、再度学ぼうと決意。今思えばこの記事の影響大な気がする。ざーとファイルを見てもそれに絡むモノコトが多い。

吾郷哲夫氏。ネットで検索すると研究された著書があり、CINIにも登録がある。

刺激のない毎日。たまにはこういう記事を読み返して気を引き締める。いいかもしれない。とはいっても、今は外へと目が行く。これはこれでいい!ままならない日がいつかやってくる。それまではとにかく目を外へ向けて…。それにしてもなんと爽やか。これが意味するコトとはさてさて…。

2015年10月6日火曜日

ノーベル賞受賞記事を読んで

今朝の新聞記事を読んで、何故か涙があふれ出る。今年のノーベル賞受賞者大村智氏の記事。本当に素晴らしい!定時制高校で教えていた時、手に油が付いたままで授業を受けに来る生徒たち。その姿を見て発奮し、大学で学びなおして今に至る。

何もかも満たされてストレートに歩む人生もこれはこれでいい。それよりももっといいのは紆余曲折を経て歩む人生。当時教えてもらった生徒たちもきっとそうだろう。この受賞を聞いて自分たちがそのきっかけを作ったと誇っていい!

毎日読む新聞。いい記事はほとんどない。どちらかというと目をそむけたくなる記事。目をつむってそういうモノコトは見ないようにしている。そんな矢先の今朝の記事。写真を見ても優しさがにじみ出ている。何度も読み返す。本当におめでたい!

元気が出てきたところで昨日の話題。合唱に行った。フルートを持参した旨、合唱の先生に告げると何とハモる個所のソプラノのパートをフルートだけで通すと話される。歌が入るのはアルト。どこを吹いても吹くのは同じ。しかし、そうなるとソロと同じこと。気合を入れて練習するしかない。その練習のうち一回は外に出かけるので参加できない。ともあれ練習、練習!

昨日と言えば、合唱から帰ると電話がかかっている。短大時代の同級生ですぐに掛けなおす。市内のど真ん中で開催された日本画展。偶然人と通りかかった際、その会場に入ったらしい。展示した絵を見て驚いて電話を掛けたという。

驚かれるのも無理はない。運動と絵は自分の人生で関係ないモノとしてずっと生きてきた。それがひょんなきっかけで泳いだり絵を描いたりしている。フルートの先生ご夫妻も見てくださっていた。他にも一人だけ案内状を出した人がいる。その人は年賀状で知らせるようにと書いてくださった。展示会の最後の日、見に来てくださる。

若いころ1年だけ一緒に水墨画を習ったことがある。この人は某大手通信会社に勤務されていた。当時から絵がうまく、会社(当時は公社)の絵画部門でよく入賞されていた。その後、木版画に転じておられる。昨夜の電話で「版画はもう何百枚とあるでしょ?」と尋ねると「白寿までには至ってません」と笑って話される。「そうでした。二百歳ですね」というと「百二十歳にもなっていません」と面白い返答が続く。年賀状の版画は一年に一度だけ。百枚には到底至らない!

悶々としていた若い日。山を愛するこの人に山へ連れて行ってもらったことがある。性格を見抜いておられるのか、何かを元気でやっていると必ず「頑張っているね!」と励ましてくださる。昨夜も電話でそう言ってもらった。本当に優しい!また有難い!多分、この水墨画がきっかけで中国語へと入っていた気がする。それが広がって日本画になる…。もしかして水墨画を習うきっかけもこの人によるのかもしれない。

いずれにせよ、20数名の知り合いの方が画を見に来てくださっている。もっとうまく描けるようになるといいけど…。改めて、遠いところ、お忙しいところを見に来てくださって感謝、感謝!
フルート発表会で参加者全員がいただいたお花

2015年10月5日月曜日

秋、スタート!

昨日で日本画展は終わった。画材屋さんと出品者が入り乱れて無事搬出も終わる。この搬出作業、けっこう疲れる。何といっても額が重すぎる。先日習っている人から絵を描く大きさを決めるように教えてもらう。F6に決めて描くようにしよう。この大きさの絵で額にいれたのを2つ手に持って運ぶのは大変。とはいっても50号以上の人もたくさんおられる。一人ではしまいきれないのでは、と思ったりする。

ともあれ、展示会を知らせていない人も来てくださる。展示会のことをブログにアップしたので見てくださったのだろう。有難い!そしてコメントも謝謝!

メールで知らせた人からはワインをいただく。それも好きな黄色のラッピングで有難い!

この1週間、ハードな日々を過ごす。日本画展に始まり、その同じ日に合唱の先生の旦那さんたちが所属する写真展が同じフロアで開催。その先生たちの大学卒業生のコンサートと同じ日、同じ場所でフルートの発表会があった。何故、自分と関わりあることが3つも重なる?

半端でなく疲れた気がする。今朝は合唱の練習日。ハモる個所をフルートで、とのこと。昨日練習していると音が高すぎる。頑張って吹こう。

話は戻って日本画展。額の大きさを教えてくれた人は親切にも絵のポストカードの枚数を知らせてくださる。枚数によってさらに安くなるとの配慮だった。この人、話し方に笑顔は見られない。しかし、話し方が本当に優しい。色々とこれからもアドバイス、願いたい。

ともあれ、いろんな行事は終わった!今日から新たな気持ちで秋がスタートする。元気を出そう!

2015年10月4日日曜日

思いっきり吹いた!?

長~い一日は終わった。リハーサル12時半開始、打ち上げが終わったのは???遠くの人と一緒に午後10時のJRに乗って皆より早めに帰る。最初から最後まで発表会を仕切ってくださる先生の疲労は半端ではないだろう。本当にありがたい!

打ち上げは新幹線口近くの感じがいいお店。発表会が終わったのは午後7時過ぎ。皆で歩いて打ち上げ会場へ。途中、ケーキ屋に立ち寄ったため、遅れて会場到着。座った席はピアノ伴奏者とその夫であるオーボエ奏者、そして昨日のゲストのファゴット奏者と中3になるフルートの先生の息子さん。

この息子さん、なんと♪熊蜂の飛行♪を暗譜で吹いた。たった1年半のこの成長はなんじゃ、と言わんばかりのうまい吹き方。フルートの神様であるゴールウェイが吹いた曲を難なく吹きこなす。将来が頼もしい!

横に座っている人たちはゲスト以外はどの方ともなじみ深い。特にオーボエ奏者。まるで自分の子供の感覚で話をする。「席はここ!」と言ってもらって隣に座る。思わず買ってきたモノをあげる。フルートを習い始めて20年以上経過。当時はどの人も皆若かった。独身の人も家族が増えて…。年数がたっても何の違和感もなく当時のままで話ができる。楽しい人たちだ。

肝心のフルート演奏。思うように…とまでは行かなくても今回は思いっきり吹けた。途中、アップアップしたところもある。ピアノ伴奏をしてくださった先生から音が伸びるようになった、と言われる。嬉しかった!なお、ソロの曲は♪カッチーのアヴェマリア♪。全体合奏曲は♪花は咲く♪(パート2)。

最後のあいさつで先生曰く「自分の吹いたDVDを見て…」。昨年の発表会の自分の吹いた曲だけをDVDで聴いて、これじゃいけないと思った。それからというもの始めの音出しをきれいに出すことに集中して練習してきた。これは自分にとっての練習に役立った。何も振り返らずただ先だけ進むより、時には原点に戻って演奏している姿を見る。いいかもしれない。

今日一日、日本画展がある。夕方その搬出に出かける。とはいっても絵は業者の人が各家に運んでくださるので会場の後片付けが待っている。展示会の打ち上げは後日とのこと。この1週間、連日出かけていてかなり草臥れた。


明日からは新たな曲と新たな絵に入る。時には意地を出して頑張ろう!

ここで余談。ゴールウェイの動画を見ていて気づく。来年はプーランクのフルートソナタ第二楽章はどうかな!?吹けるといいけど。

2015年10月3日土曜日

日本画展で

日本画展の当番で午後2時まで会場に出向く。2時前に病院から抜け出してやってくるとの情報も入る。それまでにお昼を、と思って近くの讃岐うどんに入る。食事後、会場に着くと予定より早く所要を済ませた高校時代の同級生がやってくる。再度、1階上にあるレストランで軽めのランチをいただく。ここで話が弾み、1時に約束していたバイト時代の人に失礼してしまった。遠路はるばる来ていただき本当に申し訳ない。また、美学講座の人も遠くから来てくださる。何の気遣いもせず本当に申し訳ない。

そのころ、病院からやってきた人と遭遇。見た目はお元気そう。詳しい病名は伝えてもらっていない。ただ、日本画を習うようにと促してくれた友だちによると、絵を見たいと話してくれたとか。そして、昨夜のメールにも「花の絵は予約しましたよ」と言ってもらう。これは我が日本画第一号の作で手元に置いておきたい。

そういってくれるこの人とは今月出かける旅の同行者だった。ところが検査入院でそれもままならず。次に来たメールにも旅のことが書いてある。どういっても楽しい旅のメンバー。行かれないとわかると気の毒で仕方ない。

わあわあしゃべりながら3人で会場を後にする。なんと目の前に人が現れる。その人曰く「誰かわかりますか?」「いいえ」「〇〇です」「声でわかりました」。一緒に旅行するメンバーだった。これからねんりんピックに行くという。結婚後、姓が変わり、誰が聞いてもおかしい名前に読める。これがこの方の売り。思わず「〇〇〇まりさん」と言ってしまった。

ここでまた「どうかいの~」が出てしまう。この言葉は女性は使用しない。思わぬ出来事に驚いたり、喜んだりするときにおっさんが使う言葉で「ほんまにどうかいの~」と出る。「昨日もカープは勝ったよの~。ほんまにどうかいの~。このまま最後まで勝ちゃ~、カープは…」と、続く。カープのことをブログにアップするとどうもよろしゅうない。このへんでやめとこう。

方言はいい。この独特の言い回しは広島人でないと盛り上がりが足りない。

話は絵に戻る。展示会場で見知らぬ人が「この展示会では絵を売ってないんですか」、と聞いてこられる。売り物でない、と話すと気に入った絵があるという。それは県美展入選常連者が描かれている。思わず「本人と交渉します。百万円でいかがでしょう?」と言ってしまった。ノリがいい人で話が弾む。

この勢いで絵がほしいと言ってくれた友にも「百万円」を連発する。絵を見るどころか話に花が咲く。最後は高校の同級生が我が絵と一緒に写真を、とのことで写真に納まる。ところが、笑いすぎたかどうかとってもらった写真はどれもボケボケ。これもまたご愛嬌!?

遠いところから来ていただき、何の心遣いもせず申し訳ない。次回はバージョンアップして頑張ろう。感謝、感謝!

2015年10月2日金曜日

日本画展の合間に

雨が降る荒れ模様の一日も明けて、今朝は秋らしいお天気。昨日は雨の中、フルートやエレクトーンなど楽器仲間に日本画展に来ていただく。いつもはなかなか会えない人たち。話も盛り上がる。絵を見る合間には女子会の話に行きつく。来月の再会、本当に楽しみ!謝謝!

展示会に出かける前、合唱の先生から電話がある。家にかかってくることがない電話。誰からと思い電話に出る。話を聞くとこれまた来月に歌う曲のハモル個所にフルートを入れたいらしい。発表会の場所よりも更に広いホール。少しだけためらった後、OKする。とはいってもフルートの先生にさらってもらってからのこと。ピアノも歌も入るのでフルートのソロとはまた趣も違うだろう。できることをできる範囲でやるしかない、と居直る!?

今日は朝からお昼過ぎまで展示会の当番がある。合唱もそうだけどフルートの発表会、それが終わると海外が待っている。この振り込みもしないといけない。先日は早くも来春に出かける旅の申込金を払ってきた。手元から羽が生えて飛んでいく。これも気にしていると何もできないし、動けない。

日本画展の打ち上げは後日忘年会を兼ねてするらしい。その日が女子会予定の日と重なりそう。先生にそう話すと「ちょうどいい!」。冗談のようで一安心。

当番の間、古くからの人と話をする。15年20年選手の人たちが多い。まだ2年とは大違い。習い始めは年数の長い人に圧倒されていたとか。だが、その域に達すると、思っていたほどではないといいたいらしい。そうはいっても絵を見てもその違いは如実に出る。それと描く絵の大きさをある程度統一するようにとのこと。そうしないと家に額がたまりすぎる。

今回額を購入してこれに気付いた。重くて大きい額。移動さえままならない。大きな絵を描く気はない。今回はF6号とP8号。これも何もわからず先生に頂いたパネルがそうだったため、この大きさになった。次に描くパネルもF6。様子を見ながら先生と相談して描くようにしよう。

今日も一日が始まる。元気を出して!

ここで余談。一昨日聞いた尼僧様のこと。早速教えてくださったお坊様にメールで報告。その返信を読んで今の時代にあってもお坊さまの世界もまだまだ女性の地位が低いと知る。それはお坊様も残念に思われていた。

2015年10月1日木曜日

講演会へ行く

「ほんまにどうかいの」、昨日もそうだった。朝9時半集合で始まった日本画展の開催準備。額に入った絵が並ぶ。絵の出品者と業者の人たち。会場は熱い雰囲気に包まれる。開場前、とりあえず解散。お昼を食べた後、目指す講演会場に向かう。ところが初めての場所で緊張してバスに乗る。30分でバス停終点に到着。同じように降りた人に話をすると途中まで同じ道だった。

「下に降りずにまっすぐ行くんよ。そうしたら階段があるけえそれをあがりんさい。」と教えてもらった通り歩く。ところが途中の階段を上がると墓地に出る。また降りて人の気配を待つ。夫婦の人に尋ねると耳が不自由みたい。旦那さんに…と話すと同じくそのようだった。仕方なく元の道を歩くと階段が見えてきた。そこを上がるとお寺だった。ここから見下ろすと市内が一望できそうなくらい見晴らしがいい。

大きなお寺で人の気配がない。中に入っていくとお寺らしくない建物がある。廊下を歩いている人に入り口を聞くと親切に教えてくれる。受付を済ませるとなんということ。ほんまにどうかいの?

午前中の準備に来られない人が数名おられた。椅子に座っていると「〇〇さん!」と声をかけられる。欠席されたうちの一人だった。互いに「何故ここに?」、と言葉を交わす。どこへ出かけても知っている人と出会うことが多い。それにしてもメジャーな場所ならまだしも昨日の場所はかなりマイナーなところ。それなのに…。この人は日本画教室の人。習う曜日や場所は異なるけれども、昨年出かけた八ヶ岳の旅で知り合う。絵に関しても昨日も何もわからないモノに対して親切にしていただく。有難い!

昨日の講演者は曹洞宗の青山俊董尼僧様。インドネシアの旅で某お坊様から冗談交じりにこの方に修行するように、と聞かされていた。何気なく聞いていたお話がこれほど早く実現するとは…。お寺といっても畳でなく、フローリング。かなりの人数収容できる講堂のような雰囲気。もしかしたらここで合宿できる施設もあるのかもしれない。大きなお寺で建物も多い。ゆっくりと寺院内を見ていないので定かでないが長い廊下が続いていた。

お話もいわゆる説教臭くなく、仏教の経典を現代風に転じて話される。

どうこういっても、好奇心はある。走るのは遅いが行動するのは早い。キョロキョロ、ウロウロ見ているとはじめの儀式から興味深い。まるでチベットの五体投地を思わせるお坊様たちと尼僧様のご挨拶が3度ある。私たちはそのようにはせず、隣の人に教えてもらったやり方、というか普通に頭を下げる。

講演後は一般的には拍手で終わるはず。ところがそれはなく静かに終わる。手を叩かずにいて幸いだった。終わりも始まりと同じく五体投地のような挨拶が3度交わされる。

参加者はいわゆる爺婆ではなさそうに思えた。講演前に隣の人と話をする。ここに来たわけを説明していると、なんと同じようなことをされている。思わず「B型でしょ?」と聞くとそうだった。その人は宮島にある有名な神社仏閣のお坊様たちとチベットへ旅行したという。行先は違えどやっていることが何と似ていることか。びっくり!

ここで偶然出会った日本画の人に聞くとこの人もB型。これもどうかいの?B型は出べそ!?血液型信者ではないが何かありそう。

さて昨日のお話。年に2度、この方の講演会があるという。この場に行くだけでも足腰が悪い人は行かれそうにない。そのためか爺婆と言ってもちょっと違う人に思えた。ともあれ、話の内容は難しくてここに書けそうにない。気になったのは「間違いのない師を選ぶのが縁で間違った縁は苦となる。」とか。この「師」は「友」にも当てはまりそう。

ちょっとした人との話からいろんな「縁」へと広がりを見せる。この広がりは驚かざるを得ない。昨日お昼を一緒に食べた人によると「同じテーブルに着く」や「同じ土俵に上がる」が当てはまるという。せいぜい間違いのない「縁」にしたいもの。

今日は午後から日本画展の当番。外は大雨で寒い!今日も一日、無理しない程度に頑張ろう!