「ほんまにどうかいの」、昨日もそうだった。朝9時半集合で始まった日本画展の開催準備。額に入った絵が並ぶ。絵の出品者と業者の人たち。会場は熱い雰囲気に包まれる。開場前、とりあえず解散。お昼を食べた後、目指す講演会場に向かう。ところが初めての場所で緊張してバスに乗る。30分でバス停終点に到着。同じように降りた人に話をすると途中まで同じ道だった。
「下に降りずにまっすぐ行くんよ。そうしたら階段があるけえそれをあがりんさい。」と教えてもらった通り歩く。ところが途中の階段を上がると墓地に出る。また降りて人の気配を待つ。夫婦の人に尋ねると耳が不自由みたい。旦那さんに…と話すと同じくそのようだった。仕方なく元の道を歩くと階段が見えてきた。そこを上がるとお寺だった。ここから見下ろすと市内が一望できそうなくらい見晴らしがいい。
大きなお寺で人の気配がない。中に入っていくとお寺らしくない建物がある。廊下を歩いている人に入り口を聞くと親切に教えてくれる。受付を済ませるとなんということ。ほんまにどうかいの?
午前中の準備に来られない人が数名おられた。椅子に座っていると「〇〇さん!」と声をかけられる。欠席されたうちの一人だった。互いに「何故ここに?」、と言葉を交わす。どこへ出かけても知っている人と出会うことが多い。それにしてもメジャーな場所ならまだしも昨日の場所はかなりマイナーなところ。それなのに…。この人は日本画教室の人。習う曜日や場所は異なるけれども、昨年出かけた八ヶ岳の旅で知り合う。絵に関しても昨日も何もわからないモノに対して親切にしていただく。有難い!
昨日の講演者は曹洞宗の青山俊董尼僧様。インドネシアの旅で某お坊様から冗談交じりにこの方に修行するように、と聞かされていた。何気なく聞いていたお話がこれほど早く実現するとは…。お寺といっても畳でなく、フローリング。かなりの人数収容できる講堂のような雰囲気。もしかしたらここで合宿できる施設もあるのかもしれない。大きなお寺で建物も多い。ゆっくりと寺院内を見ていないので定かでないが長い廊下が続いていた。
お話もいわゆる説教臭くなく、仏教の経典を現代風に転じて話される。
どうこういっても、好奇心はある。走るのは遅いが行動するのは早い。キョロキョロ、ウロウロ見ているとはじめの儀式から興味深い。まるでチベットの五体投地を思わせるお坊様たちと尼僧様のご挨拶が3度ある。私たちはそのようにはせず、隣の人に教えてもらったやり方、というか普通に頭を下げる。
講演後は一般的には拍手で終わるはず。ところがそれはなく静かに終わる。手を叩かずにいて幸いだった。終わりも始まりと同じく五体投地のような挨拶が3度交わされる。
参加者はいわゆる爺婆ではなさそうに思えた。講演前に隣の人と話をする。ここに来たわけを説明していると、なんと同じようなことをされている。思わず「B型でしょ?」と聞くとそうだった。その人は宮島にある有名な神社仏閣のお坊様たちとチベットへ旅行したという。行先は違えどやっていることが何と似ていることか。びっくり!
ここで偶然出会った日本画の人に聞くとこの人もB型。これもどうかいの?B型は出べそ!?血液型信者ではないが何かありそう。
さて昨日のお話。年に2度、この方の講演会があるという。この場に行くだけでも足腰が悪い人は行かれそうにない。そのためか爺婆と言ってもちょっと違う人に思えた。ともあれ、話の内容は難しくてここに書けそうにない。気になったのは「間違いのない師を選ぶのが縁で間違った縁は苦となる。」とか。この「師」は「友」にも当てはまりそう。
ちょっとした人との話からいろんな「縁」へと広がりを見せる。この広がりは驚かざるを得ない。昨日お昼を一緒に食べた人によると「同じテーブルに着く」や「同じ土俵に上がる」が当てはまるという。せいぜい間違いのない「縁」にしたいもの。
今日は午後から日本画展の当番。外は大雨で寒い!今日も一日、無理しない程度に頑張ろう!
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