2013年3月15日金曜日

「インド洋の光り輝く島 スリランカ」の旅

2013年2月16日(土)から2月21日(木)までインド洋に浮かぶ“光り輝く島”スリランカへ行った。旅の集合場所は福岡国際空港、集合時間は午前10時20分と早い。博多のホテルで前泊する。

前泊 2月15日(金)

お昼を食べて午後2時過ぎの「のぞみ」に乗車し、1時間あまりで博多駅到着。予約のホテルは博多駅筑紫口徒歩1分にある。人に尋ねながらもホテルへ到着。

ホテルに荷物を置いて、地下のデパートに行く。夕食と翌朝の朝食を調達後、デパート内を2時間うろついて宿に帰る。翌朝の予定が早い。早めに就寝する。だがホテルがJR駅に隣接しているため騒々しくて寝付かれず。

第1日目 2月16日(土)

午前5時45分 起床。軽く朝食を済ませ午前7時過ぎホテルを出て福岡空港へ向かう。
午前7時40分 空港到着。少し早めに到着したので添乗員が来るまで待機。
午前8時20分 待っていると係りが呼びに来る。コロンボまでの出国手続きを個人でするようにとのこと。Eチケットを受取ると、航空券を発券してもらい、手荷物等検査を終えて中に入る。出発ロビー53番ゲートを確認。出発手続きを無事終えることができたと気をよくする。そして前から欲しかったワールド対応のソーラーエコ時計を免税店で購入。

午前10時過ぎ、飛行機は定刻に飛び立つ。座席は3列の通路側。各自出国手続きをしているので誰がツアーの人かさっぱりわからず。隣の若い男性に話すと休暇を利用してマニラへ遊びに行くという。窓側は後でわかったことだが宮崎の方丈様。

午前11時15分 機内食が出る。牛肉、クッキー、焼き飯などいずれも美味。ビールも飲む。キャセイ・パシフィックは機内も清潔であり、食事も美味。それになんといってもトイレが広い。

だが、福岡空港発 午前10時25分キャセイ・パシフィック航空で香港→台湾でトランジット→香港空港、午後2時55分着。その後乗り継いで、午後4時出発→シンガポールでトランジット→午後10時15分コロンボ到着まで乗り継ぎ、乗換えが何度もあり、その都度機内食と軽食が出る。(すべて現地時間)

飛行時間はなんと日本を出て16,7時間もかかる。ちなみに成田からのコロンボ直行便は約9時間の飛行。福岡からだとヨーロッパへ行くよりも時間がかかる、遠い道程。

日本→台湾 時差1時間。台湾→香港 時差2時間半。日本→コロンボ 時差 3時間半。

午前10時55分 台北にトランジットで到着。だがここで大ミスをする。飛行機のトランジットの際、緑のトランジットカードを受取らずに再入国の検査をする。誰もがそれを係りに見せている。だが持っていない。それを人に告げると一人参加の福岡の男性(後で同じツアーの一人参加者と知る)が「僕がついて行ってあげよう」と言ってくれる。そしてその人は添乗員を見つけて、状況を話す。添乗員に付き添われてカードを受取りに行き、来た道を引き返す。

その後しばらく、何故、皆と同じように前に進んでいたのに一人だけカードを受取らなかったのだろう、とそればかりが頭を掠める。そして旅の初日早々から「親切」な人に助けらてもらう。あり難い。

香港到着。気温18度。

香港から同じキャセイ航空に乗り換えシンガポールでトランジット。その後のコロンボまで3列の通路側に座る。真ん中は空席で窓側はまたも宮崎の方丈様。

その時も誰がツアーの人かほとんどわからず。コロンボ到着までの時間、方丈様と話す。

話していてお坊さんのことを禅宗ではその呼称を方丈様と教わる。禅宗の開祖の道元は道元禅師様。

一般的には御住職様や和尚様で呼称するらしい。方丈とは一丈四方が一坪でサンスクリット語の老師からきている。

方丈様はいろんなコトを話された。
・九十九島(九十九とは百に一つ足りない、百を超えると人間世界ではない)
・お清め(気を強める意)
・手を洗う(手水鉢で手を洗うのはつややかな水を手にしっとりさせて生気を強める意)
この「生気」はどんな文字?と確認したので良く覚えている。よく「生気」を口にされた。

・道元(山は山を愛する人のものなのだ)
この言葉も何度も話される。 

・水、塩、米(お結びができる。この3つは大事なもののの意?)
水は「死に水」も水で、アクアともいう。仏壇にお供えする水は「アカ」でアクアから来ている。
・幸せ(じわじわと来るもので急に来るものではない)
・欠伸 座禅ではじめにする行為。欠伸によって肺機能がリセットされて元気になり、他と順応する。よく欠伸をすると疲れているからでは?と人から言われる。だがそれは間違いらしい。

他にも方丈様は京都で過ごされた大学時代のこと、奥さんが広島市内の公立高校を卒業されていること、子供さんのこと、両親の結婚のこと、自身の結婚のこと、誕生時のこと、著書のこと、弟さんのことなどいろいろと話される。

その際、2日後に母が亡くなって丸2年になると話す。飛行中、話に花が咲く頃、方丈様から立派な水晶の腕輪念珠を戴く。それには方丈様のお寺にちなんだ金色の竜が珠を持っている姿が一つ施されている。話をしながらいつしか涙が溢れ出る。

よく話されていた「生気」を辞書で引くと「いきいきとした気力」とある。宮崎の方丈様は「元気で頑張れよ」と励まして水晶の念珠をくださったのだろう。ありがたく戴く。

午後7時45分 シンガポール着、気温26度。
午後10時 コロンボ着、気温28度。携帯電話の時刻を見るとコロンボ時間と日本時間の両方の表示があり、感激する。

第2日目 2月17日(日)

ホテルの部屋を見ると虫除けの器具がコンセントにさしてある。それでも虫が飛んでいるので持参した虫除けスプレーを部屋に散布して眠る。だが部屋は暑い。何度も目が覚める。

午前1時40分就寝。掛け布団は掛けシーツのみ。滞在中、どのホテルも掛けシーツだけだった。暑い国なので掛け布団はいらないのだろう。だが、ベッドメーキングの掛けシーツはいかにも布団のように趣向を凝らしてある。時には葉っぱをモチーフにした“wel come”の文字が刻まれている。朝方寒いときはバスタオルを縦に広げてタオルケット代わりにする。

午前5時40分起床。いつもの如く、就寝時間の短い旅が始まる。
今日もお天気はよい。

枕銭は100ルピーor1ドル。
到着時、バスの中で現地のガイドに現地通貨6000ルピー=5000円両替する。

朝食前、ホテル前に広がる浜辺を散策する。浜辺はインド洋につながる。インド洋の水に浸かろうと浜辺のぎりぎりまで行こうとする。だが、打ち寄せる波は荒い。スマトラ島の地震で甚大な被害をもたらされたスリランカの実情がこの海を見ていてわかる。

♪海は荒海、向こうは佐渡よ~♪ならぬ、向こうはインド洋。

午前7時 朝食。
ホテル前の浜辺。向こうはインド洋。
午前8時 ホテルをバスは出発。バスからはインド製の三輪タクシーが目に付く。1キロ=50ルピー。

ここでスリランカの概略を『地球の歩き方』から引用しよう。

国名のスリランカの意味は“スリ”は光り輝く、“ランカ”は島。1972年に共和国としてイギリス連邦から独立を果たす。その際、元々国民になじみある「スリランカ」を1978年に正式国名とする。正式にはスリランカ民主社会主義共和国。

首都はジャヤワルナルダプダ。1985年コロンボより国会議事堂が移転。だがコロンボの中心部から13キロしか離れておらず、政府機関の多くは現在もコロンボにあるため事実上の首都はいまだにコロンボ。

日本からは成田空港からの直行便で約9時間。だが今回の旅はトランジットと乗換えで16,7時間と遠い。スリランカの面積は北海道の約8割の大きさ。

民族はインド北部のアーリア系のシンハラ人が7割を占め、インド南部から移住したタミル人が約2割を占める。人口の8%を第3の民族のムーア人が占める。

宗教はシンハラ人のほとんどが仏教徒でタミル人はヒンドウー教徒が多い。ムーア人はイスラム教徒。

2009年5月「タミル・イーラム解放の虎LTTE」との戦争が終結し、北・東部地域にも平和が戻りつつある。

産業として、スリランカの輸出3大商品は紅茶、天然ゴム、ココナッツで、鉱産物は宝石が有名。

食事は1日の3食はほとんどがカリー。

そして何といってもスリランカに残された世界遺産に登録された史跡や自然保護区が8つもある。

現地ガイドは以上のようなことを述べるとともにスリランカの医療制度と教育制度の素晴らしさを述べる。それはどちらも無料という。スリランカに滞在する人々は国の内外を問わず、入院時も無料。

教育制度も充実しており文盲率も5%と低く、英語もほとんどの子供たちは話せる。留学も無料。だがひとたびイギリスなどに留学しても国へは戻らないと嘆く。

医療と教育が充実しているため税金は22.5%と高い。

年間を通しての観光客は80万人で大半はヨーロッパ人。野生の象は7000頭で、452種類の鳥がいる。国花は睡蓮で、湖はすべて人造湖。国民の給料は4万ルピー(3万5千円)。ガイドの話を聞いていても、どこまでも椰子の森が続く。椰子の木の下にはカシューナッツが植えてある。

午前9時45分から10時10分 市場見学。とれたての海産物やバナナなどが並ぶ。現地ガイドは市場でバナナと殻付きのピーナッツと茹でたとうもろこしを購入。バスの中でバナナとピーナッツの配給あり。スリランカのバナナは酸っぱさがあり、味も濃厚でとても美味。3食ほとんどバナナを食べる。

バスの中で、添乗員はトイレなど利用する際のチップをまとめてガイドにしてもらうよう一人1000ルピーを徴収。

バスからは湾が見える。そこではタイガー海老を養殖。これが日本へ輸出される!?
市場見学
午前10時 トイレ休憩。バスの通る道は内戦のため道はなかったが2年前に道ができる。周りは国立公園。象がいたり蝶々が飛び交う。途中にはトカゲが道を堂々と渡る姿も見られる。

午後0時半 世界遺産アヌラーダプラ遺跡地区到着。
午後0時50分 レストランで昼食。
午後1時40分 バスは出発。出発して10分後、一日に5便走る列車が通過する。
午後2時 イスルムニヤ精舎到着。本堂の天井絵は日本の浅草寺からの寄付による。

この寺院見学から境内を裸足になって歩く。だが地面などが熱くて歩けない。皆、熱!熱い!靴を脱いだとき靴下はバッグに収める。その靴下を取り出して穿き、寺院内を歩く。それでも足の裏が熱いし、痛い。バスに降りる時から裸足になっている人もいた。熱さ対策を教訓に次回からは靴下を穿く人もいる。

寺院内でガイドはお経を唱えてお布施を100ルピー出し、ピリット・ヌーラをしてもらっている。右手の手首に白い糸か布のようなものを巻いてもらう。ミサンガのようなもの!旅の安全を願って糸が切れるまでしておくらしい。皆に混じって右手を出して巻いてもらう。1週間くらい切れずにいるとか。帰国後、はさみで切る。
イスルムニア精舎本堂内に横たわる仏像

イスルムニア精舎からみるアヌラーダプラの遺跡地区

ルワンウエリ・サーヤ大塔を目指して歩く
午後2時40分 バスは出発。
午後3時 スリーマハ菩提樹到着。これはタマリンドの樹で実はカレーに使う。菩提樹の樹は2400年前、インドからもたらされる。その際、カースト制度も同時に入る。


見えるはルワンウエリ・サーヤ大塔



白銀に輝いて見えるルワンウエリ・サーヤ大塔
バスで移動中、遺跡地区の公園内にはいろいろな動物がいる。中でもハイイロオナガザルが多い。歩いてルワンウリサーヤ大塔へ行く。これは仏舎利塔で時計回りに3回廻るといいらしい。だが皆、1回だけ廻る。

午後4時半 バスは出発。
午後4時40分 トウーパーラーマ・ダーガバ到着。どこに参ってもとにか蒸し暑い!汗が体中から吹き出る。蒸し暑いはず。お参りで移動中スコールに遇う。

午後5時 バスは70キロ先のボワンナルワを目指して進む。途中、野生の孔雀を見る。

午後6時55分 バスの前を野生の象が通る。バスで移動中、水浴びに行く象を続けて4,5頭見る。外は真っ暗。象が通るたび、ガイドはバスを止めてくれる。

午後9時 夕食。ホテル内のレストランではビートルズの歌や日本の歌謡曲、「オブラディオブラダ」などの曲を歌ったり演奏している。

午後10時半 ボロンナルワのホテルで宿泊、就寝。

第3日目 2月18日(月)

午前7時半 バスは世界遺産シギリヤへ向けて出発。

スリランカの湖はすべて人造湖。それは3000年前からあるといわれる。移動中、マングースを見る。ガイドはバスの中から遠くに見える動物を見つけては教えてくれる。スリランカの人たちは視力がいいらしく、アイバンクはスリランカが発祥の地。日本の桐生市もその恩恵を受けている。

バスで移動中、象に出くわす。その象と人間との戦いは優しいものではないらしい。人が象によって殺された場合、25000ルピー、国から支給される。だが、人が象を殺した場合、1年間の懲役に伏す。こうして象は国により守られている。

象は午後4時から午後5時半の間に水浴びに行く。そして象は一日に30キロ歩いて350キログラムの餌を食べるという。

午前8時35分 道中象の糞をたくさん見る。それは象2,30頭分らしい。

さらに途中には象の見張り小屋が点在している。これは象が食べ物を食い荒らすのを人々が見守るためのものらしい。

午前9時 シギリヤ到着。他のパンフでゴムつきの軍手がシギリヤ・ロック登山に欠かせないと書いてあり、それを持参。滑り止めがついているので手すりを持ちながら登るには重宝する。

シギリヤ・ロック頂上まではたかだか1200段の階段を登るだけ。だが、これが至難の業。『地球の歩き方』を読んでも、「ここまで登るにはなかなか体力がいる」とわざわざ書いてあるほどだ。
前方の四角い山が目指すシギリヤ・ロック

シギリヤ・ロックの中間地点から見る下界


シギリヤ・ロック頂上までの険しい、狭い鉄板の道を登る
ボルトが一つでも外れたら・・・と思いながら登る
途中は垂直な狭い螺旋階段で登る人、降りる人が同じ階段を利用する

頂上を目指して混雑する人々
ジャングルの中に聳え立つ高さ195メートルの巨大な岩山シギリヤ・ロック。今からおよそ1500年前に、この頂上に王宮を築いた王がいた。今でもその頂上にはそのあとが残っている。だが、ここが王都として使われたのはたった11年間だった。

イギリス統治下にあった1875年、この岩山を望遠鏡で眺めていたイギリス人が、目を奪うような鮮やかな色彩を見つけた。それが“シギリヤ・レディ”。今日、スリランカを代表する芸術として広く世界に知れ渡る壁画となる。
岩肌に描かれた美女のフレスコ画
シギリヤ・レディといわれる
岩山の中腹壁一面に描かれた美女たちの絵
頂上まで残り半分辺り
シギリヤ・ロック頂上
四角いモノは王都の跡
ここに立って天に向かって万歳をする
頂上までの道のりは確かに険しい。右ワキを抱えに来る現地の人。途中、それに関わる人は自己責任と現地ガイドから説明を受けたことを思い出す。しばらくして腕を振り払いその人から逃げる。他の人もそうされた人もいる。お金を要求されたが支払わず。

シギリヤ・ロックにある王都跡の頂上に立つと汗は吹き出る。だがその素晴らしさに思わず感激する。そして天に向かって万歳!写真に収まる。

頂上からの下り道は別の道を通る。

午前11時50分 バスは世界遺産ボロンナルワへ向けて出発。

さきほどの美女たちの壁画はミラー・ウオール(鏡の回廊)と呼ばれる鏡のような壁が美女たちを映すという。その壁には壁画の乙女たちの姿や岩山の雄大さを称える詩が彫られている。これはシギリヤ・ロックを降りてバスに乗った際、添乗員がその詩を詠み始める。はっきりとは覚えていない。『地球の歩き方』に掲載されているものを引用しよう。

「この黄金の宮殿、あの豪華な広間
贅沢に造られた調度類を並べ
この荘厳なる中庭、あの空に面した壁
すべては空行く霧のように消えていった」

「あの姿の輝かしさは白々とし冷気が漂う
つきが乙女を引き寄せている
いや もとの位置にいるではないか」

バスで移動中、西洋人観光客が乗った牛の乗り物や象の乗り物を見る。

午後0時10分 生地を売るお店到着。トイレ休憩を兼ねる。

午後1時 昼食。
午後1時45分 バスは出発。途中鹿に出会う。1時間バスに揺られてボロンナルワの観光。観光後、現地ガイドは「お金さえあれば仏像でも頭を下げる」と話して皆を笑わせる。今の時代、仏様さえもお金に執着!?

この頃、仏像が安置されている寺院にお尻を向けて写真を撮ってはいけないと教えてもらう。寺院や神社に参拝するたび、その前に立って記念写真を撮っていた。これは良くないことだった、と改めて知る。

古代都市であるボロンナルワは1982年に世界遺産に登録。

ボロンナルワ遺跡跡を見て歩く。アタダーゲ、ワタダーゲ、ハタダーゲ、トウーパラーマなどの遺跡を留めている。
ボロンナルワにある修復中の寺院
午後3時50分 バスは出発。 午後4時25分 ボロンナルワ随一の大きさを誇るダーガバ(水泡型仏塔)のランコトウ・ヴィハーラ到着。高さ55m、直径55mでボロンナルワ一番の大きさを誇る。この寺院の周りを右回りで歩いていると、どこが歩きはじめだかわからなくなる。脱いだ靴をやっと探し出し集合場所へ戻る。それほど大きい円形の塔の建物だった。
ボロンナルワ随一の巨大なダーガバ(仏塔)であるランコトウ・ヴィハーラ
午後4時45分 ランカティラカ到着。巨大な寺院だ。観光中スコールにあう。アシスタントの現地ガイドは駆け足でバスに戻り、大きな傘を持ってくる。その動きは素早い。

スコールの後は虹が出る。その虹は二重だった。
スコール後の虹
バスで移動してガル・ヴィハーラで涅槃像、立像、坐像の3体の仏像を見に行く。この仏像は『地球の歩き方』によると人生の辛さを哀れむ仏陀の像だとか。

午後5時半 バスは出発。バスの中で誰かが「彩雲」と大きな声を出す。前方を見ると虹の雲だった。この言葉、この旅で始めて知る。その声を出されたのは長崎の方丈様と後で知る。この方は、タブレット端末で写真に収められていた。きっと彩雲も収められていることだろう。

午後5時40分 ボロンナルワのホテル着。午後の観光中、宮崎の方丈様から戴いた腕輪念珠をせずに観光していた。それを見て、念珠をするように諭される。スコールと汗まみれの体を夕飯前に入浴して流す。その後、念珠をして夕飯に向かう。方丈様に腕輪念珠をしてみてもらうと「それでいい!」。それ以降、旅の間中無事を願って念珠をする。ホテルでポストカードを購入。30ルピー。

午後10時就寝。ぐっすり眠る。
ガル・ヴィハーラの坐像、立像、涅槃像の3像
第4日目 2月19日(火)

外は雨。夜中も降り続く。そう思って朝目を覚ます。外では鳥の声も鳴り響く。ところが、この雨、雨樋の故障で水が一晩中流れていたらしく、雨は降っていなかった。天気は晴れ。

午前5時15分 起床。
午前6時半 毎朝、朝食はオムレツを食べる。だが、卵の黄身が黄色でない。オムレツは美味だけど黄身が黄色くないので色合いは今一歩。また、バナナは3食いただく。この旅のハイライトはバナナ。何といっても美味!

ホテルの前はボロンナルワ湖。
午前8時半 バスはダンブッラへ向けて出発。

午前9時半 大きな洞窟が石窟寺院となっている世界遺産ダンラップ石窟寺院観光。5つの石窟からなっている黄金寺院。これらの石窟すべては自然の洞窟を利用し、シンハラ王朝が構造、修復したもの。全長14mの涅槃仏も安置されている。それは今でも祈りの場として人々に崇められている。ダンブッラとは「聖なる水」の意。世界遺産へは1991年登録される。

この日は朝から蒸し暑い。扇子で顔を仰いでいるとオランダ人に声をかけられる。
ダンブッラ石窟寺院内のあでやかな涅槃像

ダンブッラ石窟寺院内の涅槃仏
全長14mもある
午前10時40分 マタレーのスパイスガーデンを観光。沖縄の観光で見られるような自然原始林といった感じで各種スパイスの樹木がある。椰子畑の木の下には胡椒畑となっている。

ナタデココ(黄色い椰子)、バニラビーンズ、ワイドパイナップル、胡椒(蔓性)、カレーの原料や糖尿病などに効く木も植えられている。

この植物園内でいろいろな薬草のデモンストレーションを聞く。長崎の方丈様はスネにあるモノを塗られると、15分後くらいで脱毛完了。これには皆で吃驚。日本でエステの人がこのことを知ったらどう思うだろう、そればかり気になる。

午後1時 植物園内のレストランで昼食。
午後1時45分 バスはキャンディーに向けて出発。
午後2時45分 横を流れる川はスリランカで一番長い川。黄河の水のように黄色い水が流れている。
午後3時 キャンディーの街へ入る。
午後3時10分 宝石店へ行く。この辺りで持参したデジカメの電池がなくなり始める。宝石店でバスから何度も目にした“HUTCH”をお店の人に聞く。それはドイツの電話だった。

午後4時15分 スコールが降り始める。
午後4時20分 宝石店を出る。

午後5時 雨が次第にひどくなる。バスはキャンディ湖畔前のホテルに到着。ホテルロビーでチェックイン時、日本人の新婚さんに出会う。小倉の方丈様はこの2人を植物園で見かけて顔なじみ。ロビーで名刺を渡し、2人に話しかける。その際、名刺をいただく。2人がチェックインで席を外すと、すかさず方丈様曰く「2人は近いうち別れる!?」。なんとお気の毒!

バスでキャディアン・ダンスのショーを観に行く。見物客の大半は西洋人の観光客。クライマックスは火を用いたダンス。この模様はご一緒した参加者の方がyou tubeに詳しく収めてくださる。(3月8日のブログに動画でアップ)

ダンスを観に行くバスの通りは女子校、私立病院、ノリタケの工場、ブティックなどがある繁華街。

午後7時半 ホテルにて夕食。ホテル前はスーパーなどある繁華街に位置する。ここの夕食はこの旅で一番の美味!ケーキ類なども食べる。

夕食後、部屋に入るといきなりの停電。日中、デジカメの電池がなくなる。充電したい気持が焦る。だが何度も停電を繰り返す。一つ先の部屋の若い男性に変換プラグを借りて充電する。この男性から、後日、YOU YUBEで旅の模様をアップしたとのコメントを戴く。ありがたい!

午後9時15分 停電がやっと落ち着く。

第5日目 2月20日(水)

午前5時 ホテル目の前の仏歯寺のマイクで流されるお経で目を覚ます。

午前5時半から7時まで 仏歯寺で開帳法要。この法要は午前9時半からもある。ホテルは街中にあり、朝からクラクション、法要の読経の音、鳥の鳴き声でけたたましい。

午前6時半 ホテル界隈を散策。仏歯寺の前の通りに置かれてあるお賽銭箱(?)にお祈りする人の姿が後を絶たない。散策していると、眩いばかりの日の出を見る。思わず太陽を拝む。
ホテル前の通り、というより仏歯寺境内のお賽銭箱(?)
朝早くから道行く人がお祈りしている

眩いばかりの日の出
今日もいい一日でありますよう・・・
午前7時 ホテルで朝食。このとき長崎の方丈様から「人情は紙風船」と教えてもらう。どうも映画の題名らしい。紙風船は軽くてフワフワとして浮いている。そのように人情も移ろいやすいということ!?

朝食後、ホテルの目の前に位置する仏歯寺の午前9時からの開帳法要に参列。参列といっても地元の人たちや観光客などで寺院内は人でごった返す。

地元の人たちはお供えの花などを各自手に持参して参列する。この仏歯寺、2004年まで今回の現地ガイドの代々の所有物だったとか。日本でいえば西本願寺などの所有者に当たる!?だが、それも個人から国の所有物になる。その時、手にしたお金で日本へ行ったとガイドは言う。留学資金になったのだろうか。

午前10時15分 バスは仏歯寺出発。

午前11時半 紅茶店到着。ここにはノリタケの製品なども販売されている。お土産として紅茶を購入。

午後0時半 ここから250m下山してバスは象の孤児院到着。
午後2時20分 ここで中国の杭州から一人で旅行中の28歳の女性に出会う。見掛けが日本人と違うと思い、中国語で声をかけるとそうだった。

この女性、コロンボで出国手続き中、ひょいと姿を現す。もう吃驚!その後も、出国ぎりぎりまで姿を現す。だが連絡先は聞かずじまい。ただ姓は「田」さんだった。

ここで現地通貨ルピーを使い切るため象のマグネットを2ヶ購入。
象の孤児院で遊ぶ象

象の孤児院で水浴びする象たち
午後3時50分 藤の村へ到着。トイレ休憩も兼ねる。トイレを借りたお店はカシューナッツを売っている。

午後4時40分 パイナップルの村を通る。焼いてあるパイナップルを食べる。ここ以外でもホテルの食事で焼いたパイナップルを良く食べた。火を通しているため食べても安心。

午後5時15分 コロンボ市内へ入る。スラム街は新しい建造物に変わりつつある。

午後7時 民芸品店到着。ここで今回の旅で旅友となった人は絵葉書を2枚購入。急遽葉書を書き始める。日本への切手代は30ルピー(日本円25円くらい)と安い。ここでもお土産となりそうなものはない。

コロンボ市内をバスで移動しながら車内観光。観光後、ホテルレストランでスリランカ最後の晩餐のシーフード料理を食べる。その後、空港へ。

第6日目 2月21日(木)

朝早く起床して最後の日となるスリランカを観光。復路は往路と逆にしてスリランカから乗り継ぎ、乗り換えをして、翌日の午後9時に福岡国際空港到着。その間、なんと35、6時間も寝ずに移動している。それでも無事に帰国する。

途中、飛行機のトランジットや乗換えの際、時間があればトイレで歯を磨く。その際、光市から2人で参加の人から、「このリュックサック、〇〇さんのですね」と言われる。大事なものを入れているのに人様のものだとは・・・と怪訝そうにすると、テレビの「世界不思議発見」で使っているバッグと同じといいたかったらしい。

聴いた瞬間、行きはトランジットカードを受取らないミスをして、帰りはバッグを人のものと間違えた?と悔やむ。そうではなかった。帰国間際で、その人たちとも仲良くなる。

香港の乗換えでツアー参加者の一人は航空チケットの半券を機内に置き忘れる。当然手荷物をひっくり返して探すも見当たらず。控えのEチケットで無事搭乗。

旅の終わり頃、ある人から聞いた。小倉の方丈様が話されたとか。「街に電器店があれば必ずキャバクラがある」。その人に確認すると「知らない!」。

皆、てんで勝手に面白いことを言っては談笑する。これも旅の楽しみ。皆に「親切」にしてもらい、いい旅をした。やはり旅は止められそうにない!?

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