2013年3月30日土曜日

『かわいい自分には旅をさせよ』

今日の最高気温17度、最低気温7度と春らしい陽気になりそう。

昨日は久しぶりにプールへ行く。春休みとあって親子連れも何組かいる。いつものように先ずはビート板を持って泳ぐ。このビート板を使うと如何に足を使わず、手だけで泳いでいたかがすぐにわかる。前に進まない。

片道だけビート板を練習した後はいつものようにクロールと背泳ぎで1キロ泳ぐ。途中、子供が泳いでいるので顔見知りの女の人から「こちらへ泳ぎにおいで!」と声をかけられる。すぐに移動する。

これから暖かくなると次第に泳ぐ人も増えるだろう。増えるのはいいのだが人とぶつかるのが怖い。泳いだ後は相変わらず鼻水と格闘する。

先ほど福岡から旅の情報誌が送られてくる。中を見ていると行きたい国もある。イギリスは英国航空で出掛けた際、立寄っただけ。そのイギリスの湖水地方、他にはベトナムのフエ、カムチャッカ、それに国内の尾瀬。この場所へはいつか行こう!

最近読んだ本に『かわいい自分には旅をさせよ』(浅田次郎 文藝春秋、2013年)がある。この本は図書館の新刊検索で本の題名に惹かれて借りたもの。この本のタオトルどおり、かわいい自分には旅をさせてあげたい(旅をしたい)。

以下はいつものように気になる箇所を抜粋したもの。

「『かわいい子には旅をさせよ』という格言は、今や死語であろう。かつては苦労の代名詞であった旅行も、世の中がすっかり便利になった今日では娯楽の王者となってしまった。・・・旅は苦労ではなくなった。ただし、経験としての価値が損なわれたわけではない。人間は経験によってたゆまぬ成長をとげるものであるから、苦労を伴わずに経験を得ることのできる今日の旅は、子供よりもむしろ大人にとっての好ましい形になったと言える。この復員に甘んじぬ手はないだろう。『かわいい自分には旅をさせよ』である。・・・私は感動を求めて旅に出る。いや、あえて求めずとも旅は感動をもたらしてくれる。感動に出会ったとき、日ごろ金や時間や手間を惜しんで旅せぬ自分を愚かしく思う。誰のためでもなく、かわいい自分のために旅をするのである。」(27p)

「いつであれ、どこであれ、思い立ったとたん旅に出ても、この国はけっして私たちを裏切らない。日本の旅にはシーズンオフも、ベストシーズンもないのである。四季折々の風物がことごとく季語となるように、私たちの生まれ育ったこの国は、いつもどこも美しい。日本に母国や祖国という言葉がなぜかそぐわぬのは、父母とも祖先とも呼べぬ、あえて言うなら絶世の美女だからであろう。そして私たちは、類まれなるその美貌を、いまだ良くは知らない。」(29p)

「美しいものを美しいままに表現するのが芸術。それを『言葉』でなそうとするものが文学。そして、それを『物語』という形式で表そうとするものこそ、小説です。」(48p)

「自然は美しい。もちろんその自然の中の人間の営みも、僕はそれを小説として表現するにあたり、最も直截的な感情表現である『ユーモア』と『ペーソス』を用います。…僕には夢があります。バチカンで、ルーブルで、フィレンツエで、僕は奇蹟を見ました。ミケランジェロ・ヴォナローティは明らかに、古代の芸術家を超えた。文明の進化とともに衰弱する芸術の宿命の中の、これは奇蹟です。彼が一本の鑿で、一個の大理石の魂にうがち出した奇蹟を、僕もいつか一本の筆で、一枚の紙に書き表したい。限りない感動を。かけがえのない美を。」(49p)

「元の後を受けた明は純潔の漢族王朝と言えるが、それに続く清はまたしても北方の女真族王朝である。つまりこの先年の間に中国を支配した王朝のうち、漢民族王朝は宋と明だけで、ほかはすべて異民族による征服民族国家であった。トーマス・バートンが言う北京の魅力とはこれであろう。そもそも定住地を持たぬ遊牧民族や狩猟民族が、不毛の砂漠のただなかに築き上げた都ーそれが北京の正体である。」(62-63p)

「順治帝が見えざる何ものかに導かれるように乾清門の九龍壁の前に立つと、ふいに一頭の龍の口から七彩に輝くダイヤモンドが吐き出され、幼い帝の掌に転がり込んだ。天命が下ったのである。『蒼穹の昴』において私は、神の定めた運命に抗わんとする人間の姿を描いた。人間は神すなわち天然の所産のひとつにちがいないけれでも、鳥獣草木と異なるところは、その天然の仕打ちに抗う権利と実力とを有する点にあると信ずるからである。人類の歴史はそうした先人たちの努力の集積であり、その結果としての世界であると思えばこそ、人類の歴史は輝かしい。」(65p)

「私は愛国心もナショナリズムも、さほど必要なものだとは思わない。しかし、主義主張とは関係なく、日本という国、日本人という民族について知らなければなるまい。憲法の条文にはない国民の義務であろうと思う。したがって、国史を学ばずして世界史を学ぶ資格はなく、京都を知らずにパリに行く理由はない。そう考えても、海外旅行に行くべき人物といえば、長く日本人であり、この国のかたちを知る人々でなければならぬ、と私は思うのだが。」(89p)

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