今朝も寒い!今日も朝からエアコンと加湿器の大合奏でにぎやか、にぎやか。
昨日の講義では先日のテストを返してもらう。前回よりもちょっとよくない結果だ。後期の期末テストを重視するとのコト。期末は頑張ろう!
その後はいつもの通りフルートのレッスンに移動する。早めの教室到着。昨日は、前のレッスンの人と急遽入れ替わって早めにレッスンを受ける。
ソノリテとは別に基本的なレッスンも受ける。次回からそのレッスンは右手の小指を使う練習になる。だが小指に力が入らないので早い動きは難しい。その意味でも丁度よい練習になる。
小指はヒトの体の一部。その一部でさえも思うようにできないとフルートも上手く吹けない。
それなのに、今朝はもっと大変なヒトをテレビで見る。
昨日の朝刊でその人の放送があると知った。今朝、朝刊を読むとNHK「あさイチ」の2部で「Jポップを圧倒した交響曲」と掲載がある。すぐにTVをみる。その人は佐村河内守氏。アメリカの「TIME」誌にも「現代のヴェートーベン」と取り上げている。
それもそのはず、1963年に広島市で被爆2世として誕生するも30代で突然聴覚を失う。その人の夢は”交響曲の作曲家”。それなのに耳が全く聞こえない。
子ども時代、英才教育を受けて育つ。耳が聞こえていたとき、ノートに浮かんでくるメロディーをすべて書いて暮らす。だが誰も彼の作る曲を相手にしない。ところが28歳で転機がおとづれる。テレビ番組の音楽作曲の依頼が来るようになる。それは映画、ゲーム音楽である。
さらに35歳で再度チャンス到来。ゲーム音楽からオーケストラの作曲依頼がある。夢が叶う、と思われた頃、全く耳が聞こえなくなる。聞こえるのは耳鳴りのみ。音がなく
て作曲できなくなると思われた頃、五線譜に音の再現を試みる。
その人には絶対音感が残っていた。そう感じるとこれで作曲ができると思い涙が溢れ出たという。その時ゲーム音楽を100曲作曲。そして202名で編成されたオーケストラの25分の作曲を数秒で完成させる。
その曲を大ホールでオーケストラが演奏するのを聴く。だが、本人は聞こえず、ただ惨めで笑えない。それがあって引きこもりとなり、それ以降皆の前から姿を消す。
その後、障害のある子どもたちと触れ合う。その中に12歳の少女がいた。その子は右手がない。だが、義手をつけてヴァイオリンを弾きこなす。その子から励ましのメールを受取ったとき、自身の境遇を受け入れるようになっていく。そして頭に浮かんだメロディーを、これこそが”真実の音”と感じ始める。
その後、200枚(メモしながらTVを見ていたが、数字は怪しい)の譜面を書き、2003年3月、ついに交響曲を完成。
昨年は震災で障害のある孤児などにその曲を演奏して聞かせる。それを聞いた人たちから1ヵ月後、「最も希望をもたらす曲」として多くのメールを受取る。
先日、広島に帰省して被爆地に暮らす障害の子どもたちと遊ぶ。彼は言う。「交響曲を書く夢がついに叶いました」。軌跡の作曲家佐村河内守氏。こうして「交響曲第一番”HIROSHIMA”」は誕生する。
今、全国のCDショップでの売り上げはクラシックなのにJポップの売り上げを抜いて第一位。クラシックファンでなくても買っていく。5万枚の売り上げ達成らしい。
朝から元気の出るいい番組を見た。テレビに出ているコメンテータも涙を流していたけど。見るほうも涙、涙。朝から感動的だった。今朝この人のテレビを見たヒトは皆元気になる!素晴らしい!
幸い今のところ体のどこにも異常なし。どんなヒトも皆頑張っている。見習わなきゃいけない。それにしても寒い!
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