2012年12月21日金曜日

今年の講義を終えて

今日の最高気温7度、最低気温3度。先ほどから雨も降り出し、寒い一日となりそうだ。

2コマ目の講義を終えて帰宅。講義終了後、先生から「〇〇さんはお正月、スペインヘ行かれますか?」と尋ねられる。「スペイン語が話せるようになってから行きます・・・」といえばいいモノをポカン、としていた。すると「別にお正月に行かなくてもいいですよね」と先生は話される。それを聞いて笑いながら咄嗟に「先生、HPを更新してください!」といってしまった。「忙しくて出来ないんですよ。もしかして閉鎖になるかも・・・。更新は大変なんですよね。」と先生。

さらに「旅行の模様を見たいんです!」というと、「見たい人もいるだろうなあ・・・」と教室を見渡して話される。

先生とのちょっとしたこういう会話。だが何歳になっても生徒なのだろう、嬉しかった!来春もこの先生の講義を受けよう!

その後、若い学生と教室を後にしながら「2年生になってもスペイン語を受講する?」と聞いてみた。すると彼女は「受けてもいい!」という。習い始めた頃、彼女に愚痴ったことがあるのだろう。「はじめの頃、手こずった、と話されていたでしょ?」と聞かれる。

愚痴ったモノは全く記憶にない。ただ、入学手続きや教室がわかりにくかったことを話したことがある。そのことかも知れない。だが来春はそれも大丈夫!

彼女と別れて、バスの時間まで図書館に寄る。4冊本を借りた。

明日から正月明けの8日まで20日間弱、休みがある。今日、1月末の火曜日が期末のテスト日と聞いた。2月には予定がいろいろとある。この日付を聞いて予定通りモノゴトがすすめそうで一安心。

年末年始、まだ遊ぶ予定も残っている。それでも、休みは気を緩めず、本を読んで、スペイン語をまとめておこう。

昨夜、NHKの「ゆうどきネット」で伊集院静が出ていた。伊集院は最近『別れる力』を出版している。昨夜もそれに当てはめた話題だった。今朝朝刊を見ると20センチ四方の大きさでその本の新聞広告が載っている。

それには、こう書いてある。

「人は別れる。そして本物の大人になる。」
「二十歳の時、十六歳の弟を喪くした。
三十五歳の時、愛する妻を喪くした。
理不尽な別れに神を呪ったこともある。
酒に溺れ、無気力な日々を過ごした。
だが、いまならわかる。
出会えば必ず別れはやってくる。
それでも出会ったことが、
生きてきた証であるならば、
別れることも生きた証なのだろう、と。」

最初のヒトとの「別れ」は同い年の従弟だった。中学1年の体育の授業でバスケットのドリブルの練習中に、クラスメートと衝突して亡くなった。初めてヒトの死を知った。学校葬で親族の一人として生まれて初めてそういう式に参列した。その後の大きな「別れ」は父母のときである。

筆者のような酒に溺れたり、無気力な日々を過ごさなかった。だけど、それとは反対に、ガムシャラに淋しさを跳ね除けようと動いていた。その淋しさは経験して初めてわかること。ヒトとの「別れ」は筆者のいうように「いまならわかる」。この本もいつか読もう!

湿った話はこれくらいにして来年はもっと明るく元気に過ごそう!そしてスペイン語圏の旅行も視野に入れて・・・。

そう、今夜はフルートの忘年会。楽しい会にしよう!

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