2012年3月16日金曜日

『大人の流儀』から

毎日気温の変化が激しい。今日は昨日の温かさと比べ、かなり気温は低そう。お昼過ぎ、昼食を食べずに予約してある歯科に行く。2日続けて・・・。楽しいところならば良いけどそうではない。歯を良くしようと思えばそれも仕方ない。

昨日から口の中へ何か検査の管のようなものを垂らして歯科医はそれを見ながら治療をしている。終わったとき思わずその器具について聞く。どうも検査していることがわかるモニターのようなものらしい。

昨秋から久しぶり歯科に通っている。それまでの検査とか治療法が違うのか何をされてもためらってしまう。衛生士による歯磨きの仕方も歯科によって違う。新しい技術なのだろう。

こうなったらとことん歯を治してもらうしかない。言われるままに治療を受けよう。

そう思いながら自転車で帰る途中、いつも最寄り駅の線路脇に座っている人を見る。どう見ても浮浪者風の人。ダンボールに果物を入れて売っている。売っているといっても近づくのさえためらわれるような人。その人も生きるのに一生懸命なのだろうか、あまり出ない声で通る人に声をかける。いつも見る光景。今まで買っている人を見かけたことはない。自転車に売り物の果物を積んでいる。それも気候のいいときではない。もう何年見るだろうか。その人が気になる。だが、いくら物好きでもその人には未だに声をかけることができない。買ってあげればよいとも思うけど、それさえもできない。通るたび、そう思う。

気分を入れ替えてスーパーに出かける。帰宅すると遅いお昼を済ませ、図書館で借りてきた『続 大人の流儀』(伊集院静 講談社,2011年)を一気に読む。その本の表紙には「他人が困っているときに優しくできるか。幸福のすぐ隣に哀しみがあると知れ。大人になるとは、そういうことだ。」。さらに他にも「あなたの心の奥にある勇気と覚悟に出会える。・・・」とある。

これを読んで、さっき会った果物を売る男の人を思う。世の中、働き盛りで生活保護を受けている人も増えている。その反面、果物を売る人のように自分で生活の糧を得る人もいる。どちらの人に対しても何もいえる立場にない。しかし、この人たちの「生活」について考えさせられるものがある。

今の世の中、「生活」といえばお金が付きまとう。お金といえば、本の著者である伊集院は東北の震災で寄付をした人の金額をマスコミが公表したことに触れている。お金に余裕がない人の5千円と、お金のある人の数億円は同価値だという。とはいってもむしろ買いたいものを我慢して寄付した少ない金額の人の方がたしかな救援金に思えると・・・。そしてそのことよりもその金額の多寡を公表するマスコミが卑しく思える、と(146p)。

いつも出会う果物を売る人に対して、その人の身なり、恰好で毛嫌いしている。その人自身はきっと大変な生活からそうなっているかも知れない。それを理解するのが、伊集院のいう「大人の流儀」だろう。明日からは、見方を変えよう、と思うけどさてさて・・・。

今日は夕方から雨になりそう。それでも広島交響楽団の第317回定期演奏会に出かける。今日のテーマは「秋山和慶&小林愛実~華麗なる共演~」。演奏曲目は以下のよう。

ハチャトリアン:バレエ音楽「スパルタクス」組曲より
グリーグ:ピアノ協奏曲イ短調Op16
ボロディン:交響曲第2番ロ短調

せめて音楽を聴くときくらいは優しい気持になって聴こう。「大人の流儀」で・・・。

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