この言葉、ネットで検索すると、もともとは開高の言葉ではなくパリ市の標語だとか。
パリ市の紋章が掲載されていて、
そこには川に浮かぶ船と共に
FLUCTUAT NEC MERGITURと書かれているのです。
「たゆたえども沈まず」という意味のラテン語で
パリ市の標語なのだそう。
水運の中心地だったパリでは歴史的に水上商人組合が
一番勢力があって、この組合の代表が事実上のパリ市長
として機能していた時代があり、その名残の絵と文章。
さらには、セーヌ川が氾濫しても、どんな強風が吹こうが、
船と俺たちは沈まないという心意気の表れでもあるそう。
開高健さんの「漂えど沈まず」と同じ意味。
開高さんの著書『風に訊け』(集英社)を
開いてみると、やはりラテン語でありパリの歴史と
深いかかわりのある言葉だと書いてありました。
開高さんの著書『風に訊け』(集英社)を
開いてみると、やはりラテン語でありパリの歴史と
深いかかわりのある言葉だと書いてありました。
この言葉に関連する開高の本『花終わる闇』『風に訊け』の2冊を図書館に予約。
この番組を見て久々に旅心に誘われる。外モンゴルはまだ行ったことがない。食べ物云々をいっていてはいつまでたっても行かれない。開高の好きだった外モンゴルのモンゴル人民共和国に行きたくなってきた。
開高の本は今ほど図書館を利用しない頃、買ったままにしてある。少しずつ読もう!
旅心といえば中国九寨溝が待っている。今朝、ネットで検索。とりあえずパンフを請求。だが、人数は今のところ4人しか集まっていない。一緒に行く予定の女朋友にメールで知らせる。さてどうなるやら・・・。
「漂えど沈まず」ではないが、この世の荒波に「漂っても沈まない」で流されないようにしなければと思いつつ、プールに出かける。今日も1キロ泳ぐ。泳ぐのは海でなくプール。「漂うことも沈むこと」もない。
今日もおっさんが声をかけてくる。バタフライで泳げるのかと聞く。平泳ぎ、バタフライは泳げない。たとえ泳げたとしても、この2泳法は「腰」を痛める。
もっぱらクロールと背泳を交互に泳ぐ。これでもう十分。泳げるようになればきっともう夢中になる。それが怖い!なんでも適当に・・・。それでいい!「漂えど沈まず」に・・・。
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