昨日の春らしいお天気とは違って今日は下り坂。今にも雨が降りそう。
最近は図書館で借りた『流転の子』を読んでいる。この本は満州国の皇帝、溥儀の弟である溥傑の娘、愛新覚羅嫮生の物語。まだほとんど読んでいない。この時代に関心があるので早く読み終えよう。
昨日、お寺へ塔婆を取りに行った。その塔婆をもって墓参りに行く途中、3人に出会う。3人目の人の墓は我が家の隣。昨日、その人の家の前を通る途中で出会う。年齢83歳、女性。墓地はその人の家からさらに山道を登る。毎日、不自由な足でお墓に参るらしい。
家の外に出ていたその人に近づくといろいろと話し始める。なんと、15歳のとき単身で満州に行ったという。それを聞いてさらに話が聞きたくなる。さらに近づくと、その人も外に出てきた。道路に出る際の踏み石に座って話し始める。
親が満州から引き上げたという人たちの話は聞くことがある。しかし、実際に満州にいた人の話しは聞かない。なぜ満州に・・・と聞くと、親を楽にさせてあげたかった、と。広島県の県北の出身の人。兄弟姉妹は5人。そのうちその人だけが満州に行く。どういうことから満州へ、と聞くと人づてに話が来たらしい。そこで奉公していて、戦争後1年して引き上げる。満州時代は生活も良かったが、戦争に負けてから引き上げるまではかなり苦労だった、と。
今では息子2人を大学院にまで行かせ、電力会社に勤務している、と誇らしげに話す。満州の話の後はその2人の息子がよくしてくれると話す。今は88歳の夫と2人暮らし。
山のふもとにその人の家はある。なぜ満州の話になったのか定かでない。しかし、貴重な話が聞けた。いつかさらに突っ込んだ話を聞こう。
これまで満州に行ってた人は満鉄関係の人が多い。その人たちはいわゆるエリート。昨日の人は逆の立場。余計関心がある。
その本を読むのを中断して今日はお昼前、短大時代の友達と3人で会う。1年ぶりの再会。ランチを食べながら話す。2人はそれぞれの夫と年齢差が7、8歳ある。昨年親を亡くしたモノにとって、自分自身の老後はサラサラ考えず、毎日遊び呆けている。2人とはおかれた環境がかなり違う。
短大時代の話は出ない。その2人からすれば、一番変化のない人生を送っているモノが考えや行動が一番変化していると見えるかもしれない。それもそうかも。何ごとも相談する人がおらず、自分で決めないといけない。そのためか考える前に行動する癖がついてしまった。暇さえあれば動き回っている。
今日は楽しかったね。また会いましょう!
昨日2番目に会った人からは「自由でいいね」といわれる。80歳前後の女性で夫婦2人暮らし。会うたび「もう顔を見飽きた!」とその夫に対する言葉を話す。
1人で暮らしているモノに対するこれらの言葉は「褒め言葉!?」。聞くほうにとってはそうとも思えない。これじゃ『婦人公論』の記事と「おんなじじゃ!」。
同じ話をするなら満州に行ってた人のように誇らしげに話せばいい!同じ生きるならもっと楽しく生きればいい!
なぜ愚痴るのだろう。その辺が1人暮らしには「ようわからん!」。
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