2023年8月31日木曜日

青空文庫の『福翁自伝』

 『街道をゆく』の「中津・宇佐のみち」を読んでいる。だいぶ読んだころにミスタードーナツとも思える箇所がある。そのお店に入ったはいいが注文の仕方がわからないというくだりである。この個所を読みながら(もしかしてこの本は前に読んだことがある?)、と思って調べると1年前に読んでいた。読んだとはいえ、他の個所の読んだ記憶が消えている。これでは読んだことにはならない。気を取り直して読み進めると福沢諭吉の子供の頃の話題になる。福沢の母の生まれたところが中津だ。そのためか中津と福沢諭吉について頁を割いている。中津に出かけたならば是非とも福沢諭吉の旧居を訪ねよう、と思った。

 本によると福沢諭吉についての描写は『福翁自伝』から引用している。青空文庫で『福翁自伝』を探すと掲載がある。スマホで読むと読みやすい。しかし、全部を一気には読めない。紙の本ならば読んでいる途中に付箋紙でしるしをつけられる。が、スマホではそれができない。というか、できるのかもしれないが自分では今のところそのやりかたが分からない。

 古い本は大概、青空文庫に収められている。これは本当にありがたい。また青空文庫でなくても電子辞書にも日本の文学作品として1000冊収めてある。しかし、電子辞書には福沢諭吉の作品はあるが『福翁自伝』はない。

 司馬遼太郎によると福沢諭吉は人間ができた人のように思えた。それはすべて福沢の母の偉さにあるようだ。秋になると大分県に出かえようと思っている。この本の影響を受けて是非とも中津に行きたくなった。そして福沢諭吉の旧居を訪ねよう。

 幾分涼しい一日の予報に思えたが予報を裏切って暑くなりそうだ。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2023年8月30日水曜日

『人斬り以蔵』

 連日35度近い気温が続く。この暑さは9月になっても続きそうだ。せめて30度くらいになれば、と思うがこればかりは自分の思うようにはならない。8月はプールを休みにしたがこの暑さが続けば9月もプールで泳ぐのはあきらめよう。一年は四季から夏と冬の二季になりつつある!?

 以下は『人斬り以蔵』 (司馬遼太郎 講談社、2007年第1刷 『王城の護衛者』に収録)から気になる箇所をメモした。なお、人斬り以蔵とは岡田以蔵のことである。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

★以蔵は武市の指導に従順だった。この矯激(きょうげき)な性格の男にすれば、その従順さは気味がわるいほどであった。(強くなりたい)というだけではなかったであろう。以蔵の心情はもっとちがったものだった。犬に似ている。犬というのは、不幸な性格をもっている。犬仲間に対しては獰猛に牙をむきあうくせに、飼いぬしという別の生物にに対してだけは、哀れなほど従順である。以蔵は自分を門人にしてくれた武市に、犬のような心情をもった。(先祖は家来だったのだ)そういう感情もある。(354-355p)

★――あれは狂犬(やまいぬ)じゃ。と、みな以蔵とけいこすることを怖れた。やまいぬは、武市にだけは馴犬だった。……武市は、以蔵を連れて行ってやろう、と思った。……以蔵は、狂喜した。半平太のためなら命も要らぬ、と思った。「た、たしかに、それがしを江戸で修業させてくださるのでござりまするか」泣いた。(356-357p)

★「この以蔵めを、最後まであなたのご都合だけで利用し、支配なさりたいおつもりですか」以蔵は、ついに首領以下、勤王党の幹部を最後に支配したことになる。かれらはつぎつぎに断罪され、首領武市半平太は、切腹。が、その因を作った以蔵は、知らない。(401p)

2023年8月29日火曜日

ワッシー

 毎年この時季にスーパーへ行くと果物売り場でネクタリンを購入する。数日前に探すと冷蔵の陳列棚にネクタリンがあった。家に帰ってよく見ると買ったのはネクタリンの一種でワッシーという名がついている。ワッシーはネクタリンと桃のあいの子のようだ。色もネクタリンほど赤くなくピンクがかっている。1パック4個入りで@780円。

 今年は春から値上がり続きで果物も高くなっている。特に桃が高い。桃は値段に拠るのか買って食べる際、桃本来の味がないものがある。リンゴやバナナなどはどれを買っても同じように美味しいが桃は当たりはずれがある。その点、同じ桃の種類でもネクタリンはどれも味は同じ。ワッシー、という名前はパックされたメモ書きで知る。

 ネットでワッシーについて調べると長野県が産地らしく、県外に出回っていないとか。今年初めて買ったが、県外にも出回りだしたのかもしれない。

 ネクタリンの一種のワッシーだが、ネクタリンといって思い出す。それは12年前に出かけたスペインでの旅の朝食時に見たネクタリンだ。朝早い食事だった。旅の疲れもあったのか大きなネクタリン1個を取って朝食にした。日本で食べるのと同じ味で、ネクタリンといえばスペインを思いだす。

 ネクタリンとスペインはどんなつながりがあるのか、とまたも調べる。スペインは中国に次いで世界第2位のネクタリンの産地だ。どうりで大きなネクタリンだったがとてもおいしかったはずである。

 これからしばらくはスーパーにネクタリンが並ぶはず。ネクタリンの成分表示を調べるとこれまたいいこと尽くめだ。ネクタリンを食べてこの猛暑を乗り切る!?

 話は変わって、昨日は暑い中、友だちと街中でランチ。友だちと別れた後、三越や福屋へよるも人がいない。店内を歩くのが悪いような気持になる。すぐに広島駅に移動すると駅の中は、八丁堀とは打って変わって人の波だ。如何に街中が廃れているかがよくわかる。というか、そごうはもうすこしで新館が閉館となり、福屋駅前店も6階から9階まで中央図書館が入る予定のため売り場がなくなる。これではお客も来ないはずだ。

 家に着くと旅行社から11月末の旅の日程表と請求書が届いていた。この頃は大手旅行社が昨年、広島から撤退したので地元の旅行社ばかり何回も利用している。そのためか申し込みをしていない旅のパンフが「さあ、出かけよう!」とばかりに同封されてくる。今のところは元気なのでなるべく行きたい所へは行くつもり。といいながらもさらに個人で司馬遼太郎記念館行きと大分県の旅も予定している。何とネット記事によると大分県は全国で一番の人気旅行先とある。先日、臼杵へ旅をしてその人気県ぶりもわかる!?

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2023年8月28日月曜日

村上海賊を訪ねて~能島上陸~

 2023年8月26日(土)、日帰りバスツアーに参加した。前夜、寝ていると午後10時半ごろ地震で目が覚める。明け方までは雷が鳴って雨が降る。しかし、朝になると雨も止み、蒸し暑い中、広島駅のべデストリアンデッキに集合する。バスは小谷SAで一度休憩後、因島北ICを通って因島水軍城に向かう。

因島水軍城
 
 因島水軍城は城とは名ばかりで1983年に因島村上氏が残した武具や遺品・古文書などの歴史資料を展示した資料館となっている。因島水軍城以外に隣接して水軍に関する建物が建っている。しかし水軍城以外の建物はエアコンがなく、暑すぎてすぐに見学を終えて周辺の景色を見て歩く。歴史を感じさせる樹木もあった。
館内の展示物
館内の展示物
城とは名ばかりの因島水軍城
因島水軍城周辺
 次に向かうは大三島にある料理旅館の富〇見園で懐石料理をいただく。食事時間は1時間もあるが次々と出るはずの料理がゆっくり過ぎてなかなか出てこない。その時、誰かが「段取りが悪い」と係に告げた。食事時間にこの声はいただけない。今、世間で言われているようにここも人出不足なのかもしれない。
 
今治市村上海賊【日本遺産)ミュージアム

 これまでは村上水軍といわれていたが水軍よりも海賊が適しているとのことで村上海賊と表示するようになったそうだ。理不尽に船を奪い、金品を略奪する海賊とは違って、村上海賊はおきてに従って航海の安全を保障し、瀬戸内海の公益・流通の秩序を支える海上活動を生業としていた。ミュージアムに入ると10数分間、ビデオを見るがその前に係から水軍から海賊へと名称変更の謂れを聞いている。村上海賊は悪い海賊ではないと理解した。
今治市村上海賊ミュージアム
ミュージアム周辺のモニュメント

漂流体験&野島城跡(国指定史跡)上陸

 国指定史跡である能島城跡にクルーズ船に乗って上陸する。片道20分弱のクルーズ船に50人余りが乗船する。船は屋根があっても窓はない。夏の猛暑の中、船上は涼しいが城跡に上陸すると狂うほど暑い。城跡の桟橋は近年作られたのだろう。テレビで見たときは潮の急激な流れを利用し、またこの島が誰もが上陸できないことを見越して城を作った、と言っていた。

 能島へ上陸すると本丸、二の丸、三の丸とだんだん高くなる。今は本丸の跡にだけ樹木が茂り、二の丸、三の丸は草原となっている。そのため直射日光を浴びて暑さも半端ではない。ましてや下船して上陸後もライフジャケットをつけたままで観光していた。それも狭い急な坂道と階段を上っての観光だ。本丸跡でライフジャケットを外すようにと指示されたがそのまま身につけて観光していた人もいた。

 城跡の観光は45分間。暑かったにもかかわらず興味惹かれる話題が満載だった。豊臣秀吉に拠って能島城も1587年にあっけなく落城。能島には水がなく因島から水を甕に入れて船で運んでいたとか。ここに城があったとは思えないほど小さい島だった。
クルーズ船で上陸
野島城址の船着き場
岩礁にあけられた柱穴
4時間ごと潮の流れが変わるそうだ
野島城跡に上陸
野島城跡の碑
野島城跡
下から本丸、二の丸、三の丸になる
本丸にあるあずま屋
野島城跡から見下ろす
野島城跡に植えられていた桜の伐採跡
伐採後の桜は草原の腰掛けになっている
野島城跡から見渡す因島大橋
会場祈願なのか左側中ごろに仏像が見える
亀老山展望公園

 この日の最後の観光は以前にも来たことがある亀老山公園。隈研吾の設計らしく階段だらけの公園だ。ここから見る瀬戸内海は小島が多い。
亀老山展望公園から見下ろす瀬戸の小島
隈研吾設計の階段だらけの亀老山公園
亀老山展望公園から見下ろす瀬戸の小島
 暑~い一日は終わった。今日も暑い!

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2023年8月27日日曜日

日帰りバスツアー

 「しまなみ海道を素通りしないで!~村上海賊を訪ねて、能島上陸~」と銘打った日帰りバスツアーに参加する。このツアーは今月になって、テレビをつけた時にたまたま目にした「能島」に魅せられて急遽、バスツアーに参加した。NHKのテレビで目にした翌日のツアー申込とあってバスの席は一番後ろ。テレビの影響で申込者が殺到?と思いきや参加者は20名と少なく、いい旅だった。

 ただ、どういっても連日の猛暑とあっては島への上陸も覚悟がいる。クルーズ船に乗船の際、ライフジャケットを身につける。暑い上にライフジャケット着用とあってさらに暑さは増す。ましてやかつて村上海賊がいた能島城址は小さな島で、近年まで桜が植えられていたが遺跡保存の邪魔(?)になるとかで伐採されている。そのため城址の本丸、二の丸、三の丸のうち二の丸と三の丸には全く樹木がない。樹木がないということは木陰がないということで直射日光をじかに浴びる。

 二の丸跡ででガイドはライフジャケットを外すようにという。すぐに外すと幾分涼しい。しかし、それは束の間で45分間、能島上陸でガイドから説明を聴きながら観光すると帽子をかぶって日傘をさしていても頭から汗がしたたり落ちる。2回ぐらい頭から水をかぶった感覚になる。

 出かける前はまさかこんな状況になるとはつゆ知らず、勇んで出かけた。島へ上陸後、クルーズ船から下船してバスに乗るとまるで天国ように涼しい。一仕事終えた感覚に陥る。この暑さの中、途中、まるで海外旅行に来たような気持になる。それは適当な疲れが頭を麻痺させて何も考えなくさせる、あの感じが海外に来たような気持ちにさせてくれる。

 こんな気持ちを味わうとやっぱり海外へ行きたくなる。すべての現実から逃れるような感覚に陥る海外の旅。行きたい!

 昨日のツアーは今年出かけたどのツアーよりも暑かった。まるで東南アジアに出かけたような暑さだ。というかそれ以上かもしれない。しかし、この暑さの中に出かけたのがよかったのかもしれないと思ったり。というのもクルーズ船は窓がない。海を航行するクルーズ船に乗船していると風は爽やかだが、時に冷たさも感じる。これが涼しい季節だと寒いに違いない。

 近場であってもまだまだ知らないところがたくさんある。そういえば昨日の参加者の中に春に出かけた際に話をした人が参加していた。ツアー中の休憩時に皆で話をした際、一緒に出かけた人だと気づいた。ツアーに参加してもまず同じ人と出会うことはない。こういうこともある!?ツアーの写真は後日、アップしよう。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2023年8月25日金曜日

甲子園優勝監督の言葉から

 今朝のネット記事に感動する。それは甲子園優勝監督である森林監督が宿舎を出る前に語ったことばである。「甲子園優勝を人生最高の思い出にしないように、という話をしたい。現時点では一番かもしれないけど、そこにしかすがれない人生にはしないでほしい。これから何十年も生きるんだから、もっと素晴らしい経験をできるようにしよう、と話したい」。

 全国制覇は誰にもできる快挙ではない。その辺りのことを有頂天にならず、人生まだ先は長い、と。これは優勝した選手だけでなく誰にでも当てはまる。若い頃、人生のどん底を味わって過ごした(?)モノとしてはその当時よりも今の方が比べられないくらい楽しく過ごしている。いっときのことに左右されず長い目でモノゴトをとらえればこれから起こるかもしれないどんなことも乗り越えられるに違いない。こういうことが言える監督の下でプレーする選手たちは幸せものだ。

 いやなニュースばかりが飛び込んでくるがこういう清々しい話題を目にするとこちらまで元気をもらったような気持になる。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2023年8月24日木曜日

気象病!?

 今朝のネット記事によると昨日、札幌で36.3度、北見で37.1度とある。北海道でこの暑さは狂っているとしか言いようがない。昨日の広島は一日中雨のため最高気温が35度越えはないにしても蒸し暑さは半端ではなかった。しかし、一雨ごとにこれから涼しくなるのか久しぶりにエアコンをつけずに寝た。今朝もこれまでよりも幾分気温は低いようだ。

 お天気に関するネット記事を見ていると「気象病」というキーワードが目に入る。これは天気病ともいうらしい。いつこんな言葉ができた!?記事によると「気象病は、気象や天気の変化が原因でおこる体の不調の総称で、頭痛やめまい、疲労感、関節痛、気持ちの落ち込み(うつ)、吐き気、喘息などのさまざまな症状が出るのが特徴です。気候変化の激しい、季節の変わり目や梅雨の時期、また台風が多い時期などに特に起こりやすいと言われています」とある。

 何でもかんでも「病」をつければいい!?ちょっと変、と思うけどもしかしてそれもあり、と思ったり。どういってもこの暑さは異常!

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2023年8月23日水曜日

「台湾紀行」

  司馬遼太郎の『街道をゆく』「台湾紀行」を読んでいる。「台湾紀行」をなぜ今、読んでいるのか、なぜもっと早く読まなかったのかと思いながら読んでいる。中国へは11,2回出かけているが台湾は2回ほどしか行っていない。ただ、東南アジアへ行く際のトランジットとしては何度かある。

 台湾へ初めて出かけたのは9年半前で中国と比べると最近のことになる。台湾と韓国へは日本から近い国、ということでいつでも行かれるとの思いがあった。ところが10年余り前に知り合った友だちから某会に誘われ、その会から台湾への旅に出かけた。それから後、4年前にも一人でツアーに参加した。

 その台湾が中国の脅威にさらされている!?司馬遼太郎の「台湾紀行」に以下のことが記されている。

★嘉義の小さなホテルの食堂で、台湾史の一端を考えつつ、この国の行くすえを思った。ゆくすえが、めでたくないはずがない。この小さな島で、おおぜいのひとびとが懸命に働いていて世界有数の富を築いているというのに、良からぬことがあっては、良からぬ因(もと)をつくるほうに天罰がくだるにちがいない。太陽が桃の花の蕾をひらかせるように、ごく自然に、台湾における”空想”の部分が消え、現実の島と住民に根ざした国が、生物学的なおだやかかさで再誕生する時代が来るのに相違ない。その再誕生にあたっては、海外のいかなる勢力も容喙(ようかい)しない、というのが自然というもののめでたさである。清朝は、政治の力で”古代”を人工的に再生産してアジアに停滞をもたらした王朝である。清史はおもしろいが、現代の幸福のためには、あまり役立たない。今からの台湾は、アジア的な先例にこだわらずに、住民がつくってゆくにちがいないのである。(『街道をゆく』「台湾紀行」朝日新聞社、1999年第15刷、345-346p)

 この辺のくだりは司馬遼太郎が今から30年前に台湾へ出かけたころのことだが、当時から台湾の行く末を案じている。自分自身、初めて台湾へ出かけた際、広島に住む台湾の人もツアーに参加した。広島空港に着いた際、その人から問われたことがある。それは「台湾と中国は同じ国ですか」、と。「NO」、と返答すると「安心した」 と話された。その時はあまり両国の関係を気にも留めていなかった。しかし、最近の中国の情勢をみていると訝る面も多い。

 「台湾紀行」には、多くの引用や参考文献が記されている。小説なのでその一覧の記載はないが本文に記されている情報量は半端なく多い。これらの文献を全部読めば、相当賢くなる!?

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2023年8月22日火曜日

『鬼謀の人』

 連日36、7度の暑さが続いている。この暑さの表現をただ暑いだけでは済まされない。暑さを表す言葉を調べると酷暑や炎暑がある。炎暑は真夏の焼けつくような暑さとある。しかし暦の上では立秋も過ぎて今は処暑。処暑とは暑さがおさまって日中は暑くても朝晩の涼しさが初秋の息遣いを感じさせるころとある。これは今年のこの夏の暑さで全くその意味をなさない。やはり焼けつくような暑さの炎暑があてはまる!?

 以下は『鬼謀の人』(司馬遼太郎 講談社、2007年第1刷 『王城の護衛者』に収録)から気になる箇所をメモした。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

★「あなたは戦を知らぬのだ」……益次郎にとっては、海江田観をごく科学的に表現したにすぎない。このいわば失言が、のちのちまで海江田に恨みをのこし、益次郎の寿命をちぢめるはめになった。(大村益次郎の暗殺の背後には、当時の弾正大忠海江田信義――武次改め――がいた、という風評は、ほとんど疑いのない事実性を帯びて今日までのこっている)(248p)

★益次郎は、歴史がかれを必要としたとき忽然としてあらわれ、その使命が終わると大急ぎで去った。神秘的でさえある。(273p)

2023年8月21日月曜日

『有隣は悪形にて』

 司馬作品を読み始めて4年半になる。その間、漢字をはじめとして人名、地名などたくさん知らないことを知った。とりわけ人名は一般人かもしれないのにウイキペディアで検索すると記載がある人が多い。書かれた当時は大学生であった人でも調べていると著名人になっている。富永有隣もこの本で初めて知った。

 以下、『有隣は悪形にて』(司馬遼太郎 文藝春秋、2011年新装版第11刷『木曜島の夜会』に収録)から気になる箇所を記そう。今日も朝から暑く最高気温は36度になるとか。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

★要するに野山獄は、終身刑である。……寅次郎の言葉によれば「野山屋敷(野山獄)中、学問起り立ち」という現状になり、底抜けの楽天家であるこの若者は「もし自分が一生ここに居るなら、数十人のうち、この獄中からかならず一ニ(いちに)の傑物を出すことになるかもしれない」と期待するようになった。が、寅次郎は一年二ヶ月で獄を出されて、実家の杉家に居らしめられることになった。(150p)

★寅次郎は博覧強記の若者で、おどろくべきことにアメリカの囚人教育(上海あたりで漢訳されたもの)を読み、富永は知らなかったが、野山の獄中で「福堂策」というあたらしい刑務所制度を藩当局に上申していたのである。福堂とは、善人をつくりだす幸福の殿堂だという意味で、獄中は囚人の自治たるべきこと、学問を楽しませること、月に三、四度は医者に健康診断させることなどであった。……藩はむろんこれを取りあげなかったために、寅次郎は自力で富永を善人にしようとおもい、松下村塾の教師にしたのである。(165-166p)

★寅次郎は、偽善者ではなかった。衝撃をうけたあとぼつ然と忿(いか)りを出し、「老狡(ろうこう)、憎むべし」と叫んだひとことは、寅次郎の死後もその門人たちにながく伝えられた。手紙も書いた。(170p)

★安政六年五月二十五日、寅次郎を収監した駕籠(かご)が江戸にむかうべく野山獄を発った。高須久が贈った惜別の句に対し、寅次郎は、「一声をいかで忘れんほととぎす」と書き、久に贈った。これが高須久のためには寅次郎の辞世の句になった。この年の十月二十七日、寅次郎は江戸伝馬町の獄舎において死刑に処せられた。(171-172p)

★「アイツか」と、山県有朋などはいったという。伊藤博文は元来長州閥に興味がうすく、まして富永には冷淡でとりあわなかった。ただ品川弥次郎だけが奔走した。品川は山県有朋を訪ね、「あの人はいまにして思えば単に悪形(あくがた)というだけの人だから」と、同じ言葉をくりかえした。そのせいかどうか、富永は結局、死刑にならなかった。これも松陰のかげといえばいえぬこともない。(181p)

★富永の人生の可笑しさ、かれが歴史的な場所にいるということをまったく気づかなかったことであった。……富永には反骨といえるほどの骨もなかった。しかしそれでもなお富永有隣を無視しがたいのは、彼がその意志とはかかわりなく歴所の大舞台の上に存在したということであり、松下村塾にあって久坂玄瑞や高杉晋作などに対し、師匠として睥睨(へいげい)したことがあったということである。(184p)

★大楽源太郎の活動履歴は、幕末の志士としては古参のほうに属する。安政四(一八五七)年に京にのぼった。日本史上空前の思想弾圧とされる安政ノ大獄の前年である。このころ、京はすでに論壇が形成され、反骨気分が充満していたが、のちに革命の主導勢力になる長州藩は京では凡々としたただの藩にすぎず、この藩がにわかに革命化するのは吉田松陰が萩城下の東郊で松下村塾をひらいてからのことであり、安政四年の、段階で京でいわゆる志士として知られた長州人は大楽源太郎ただひとりであった。(196-197p)

★長州第一党等の俊才をもって自任していた大楽には不満かもしれないが、有志――志士であることは激しい表現で認めてくれた。以後、大楽の生涯はこの有志で貫かれる。絵師冷泉為恭を駕籠からひきずり出して殺したのも、この有志としての行動である。(199p)

★――あの男は、おかしいのではあるまいか。と、重役たちは疑いはじめたのである。大楽という男が、長州藩にとっては脱隊騒動の煽動者であること、新政府にとっては大村兵部大輔殺しの教唆人であることが、久留米藩重役にもわかってきた。利用するどころではなかった。大楽を置いておくこと自体、長州と新政府への反逆になり、新国家そのものから久留米藩は討伐されおそれがある。「殺すべし」という案は、ひそかに出ていたらしい。(238p)

2023年8月20日日曜日

「人の振り見て我が振り直せ」

 昨日は日本画教室の日。教室へはJRで出かける。広島駅から乗車の外国人が子供連れの親子に席を譲っている。それを見ていたので次の駅でその外国人に席を譲ると、日本語で「ありがとう」と言われる。2人連れの外国人の話す言葉はスペイン語。その時、とっさに「どこから?」「どういたしまして」のスペイン語が出てこない。JR降車後にやっと思いだす。

 教室では相変わらず桜を描いている。点描写で桜の花を描く際、桜の枝まで色を付けてしまって枝が見えなくなった。見えなくなった枝に再度、色を施す。が、枝の先の方は細くする。この細くするのにかなり手間取る。

 教室が終わると近くのカフェに入る。この頃の話題は病気の話が多い。何年か前、姪が海外旅行でツアーに参加した際、ジジババが集まると病気自慢になる、と聞いたことがある。その時初めて「病気自慢」を知った。コロナ禍前のことだが、姪からその話を聞いたとき話題にしてはいけない話題があると気づく。

 自分自身は弱く生まれたと親から聞いて育った。そのためか健康には人一倍気をつけている。お陰で今のところは病気知らず。ところが周りを見ると10,20歳かそれ以上若いにもかかわらず足腰の痛さからはじまって病院通いの話題になる。一人話せば次の人も負けじと病気の話をし始める。聞く側としては聞いていても決して楽しい話ではない。それなのになぜ病気の話を自慢げに言うのだろう。姪が話した意味がわかってくる。

 ほかにも眠れない話題も多い。睡眠についても昼間よく動くようにしているためか眠れないことがない。なぜ眠れないのかよくわからない。頭と体の疲れのバランスが睡眠と関係するとか。眠れない人は頭を使いすぎ!?

 「人の振り見て我が振り直せ」、気をつけよう。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2023年8月19日土曜日

10月の旅は!?

 11月まで旅の予定を4件、入れている。が、10月の計画がない。昨夕、何を思ったのか急に10月に司馬遼太郎記念館へ行こう、となった。思いつくと行動は早い。すぐにネットで宿を予約。それも「司馬遼太郎記念館周辺のホテル」で探すと近くにいい宿がある。ネットで予約するが条件の所で喫煙の部屋になっている。この訂正ができず初めからやり直すと禁煙で予約できた。

 以前、京都の宿を検索中、どうしても宿からのメールでの返信が届かない。昨夕、その時の届かない理由がやっとわかる。それは、スマホの迷惑メール対策の設定で「パソコンから」の送信をシャットアウトしていた。その後も携帯へはパソコンからのメールをシャットアウトで設定。昨夕、これでは宿からのメールが届かないと気づき、その設定を解除した。お陰で宿の予約はスムーズにできた。次はJRの新幹線の予約になる。これは1か月前からなので9月になってから予約しよう。

 新幹線は「おとなび」利用で新大阪までを利用する。しかし、「おとなび」も「こだま」は割引率が高いが「のぞみ」などは片道でも1000円くらいしか割引がない。それでもコロナ禍前までは「おとなび」利用の「のぞみ」などには割引がなかった。そう思えばのぞみの割引率が低くても「まあ、いいか」となる。

 新大阪から司馬遼太郎記念館へは春に奈良に行った際に利用した「おおさか東線」に乗る。スマホで出発地と目的地を検索すればすぐに乗換案内が表示される。スマホひとつで何でもできると改めてその良さにびっくりする。「のぞみ」を利用すれば司馬遼太郎記念館までは2時間10分で行ける。先日の臼杵は新幹線と特急、また特急と乗り継いで4時間近くかかった。しかし、関西方面へは交通網が発達しているので早く着く。

 あとは記念館以外に行くところを探そう。ちょっとした旅になりそうだ。楽しみ!?

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2023年8月18日金曜日

ランチの後は!?

 旅友だちでランチ友だちでもある人とランチをする。お店はイタリアンで何か月か前に広島じゃ割を使ってランチを愉しんだお店である。友だちはその時、そのお店を初めて利用して気に入ったらしくその後も何度か別の人と出かけたそうだ。予定ではお店で合流だった。ところが、急遽、友だちの息子さんが車でお店まで送ってくれるとのこと。広島駅で合流する。暑い日の広島駅構内は何処から人が押し寄せるのかと思えるほどごった返している。先日のサミットの影響か原爆資料館への入場は1時間待ちとの報道もある。

 駅の表口は大規模な工事中。市内電車とJRを駅の3階でドッキングさせる工事真っ盛りで工事の途中経過を見学することも行われているとか。そのため表口では人との合流もままならないので新幹線口で車を待つ。友だちと合流後、車でお店に向かう。久しぶりに街中でのランチとなった。食事をしながら豪華列車のエトセトラに乗る話になる。まだ乗車したことはないが友だちは何度か乗っている。しかし、この暑さの中、乗車の話もすぐにはまとまらない。涼しくなって、と先延ばしになる。

 せっかく街中に出たのだから、と友だちと別れた後、県立美術館へ電車で行く。先週、招待券を送ってもらったのに暑さを言い訳にして美術館へ行くのをやめた。先日、今週、開催中の職美展の一枚の絵が新聞に掲載された。この絵を見ようと美術館に行く。目的の絵を見た後、ロビーで展覧会の目録を見ていると数人の名前が目に入る。これを見ないで帰るわけにはいかない、と受付にもどって絵を探してもらう。受付の人が一緒について来てくれて絵を探して歩く。が、なかなかすぐには探す絵に辿り着けない。一人の絵は見つかった。「オコジョ」のタイトルだ。この意味もすぐには分からず家に帰って知った。まるで犬のように思えたがイタチ科の動物らしい。それにしても本物の動物の如く可愛く描かれている。

 ほかの人の絵が探せず、その人は別の人を誘って探してくれる。やっと他の人の絵もあった。先週、招待券を送ってくれた人の別の絵もあった。一度は会場を出たが舞い戻って数点の絵を探していると時間も大分経過する。案内してくれた人の絵を教えてもらうとあるグループの先生と生徒で共に風景画だった。それにしても絵を見るのに人を巻き込んでしまった。

 美術館を出ると外は半端なく暑い。暑さにくたびれそうでバスに乗ろうとする。が、ひとすじ道を間違えてバス停から離れている。次の停留所が広島駅なので暑い中、とりあえず福屋まで歩く。が、暑くてたまらない。バス停を引き返してバスに乗ればよかった、と思ったのも後の祭り。どうにか福屋に着いた。福屋からは工事中の地下道を通って駅に向かう。ところが昨日はカープと阪神との試合がある日で夕方なのに溢れんばかりの人がいる。次々と列車からユニフォーム姿で降りてくる。平日なのに、と思ったが夏休みとお盆休みも関係あるのかもしれない。それにしても駅の表も裏も混んでいる。コロナ禍は何処へ行った!?自分自身、いつの間にかどこへ行くにも気づけばマスクを外している。コロナは大丈夫!?

 家に帰ってしみじみ思う。やっぱり暑くても外へ出ると元気が出る、と。夜にはランチの人から次の遊びを考えよう、と電話がある。行けるうちは外に目を向けよう!

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2023年8月17日木曜日

『木曜島の夜会』

 今朝の地元紙に司馬遼太郎に関する記事がある。それは司馬が『街道をゆく』で広島や長崎に立ち寄っているがなぜ原爆について書かなかったのか、である。そのへんのことは後の世代に任せる!?今年は司馬遼太郎生誕百年とあって司馬に関する記事が毎日のようにネットにアップされる。それらの記事を読むにつれて司馬遼太郎記念館に行きたくなる。今は暑くてどうにもならないがそのうち涼しくなれば行く気になるに違いない。

 以下は『木曜島の夜会』(司馬遼太郎 文藝春秋、2011年新装版第11刷)から気になる箇所をメモした。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

★(自分も若い衆になれば、木曜島へつれてゆかれて、あれをさせられてしまう)という怖れは、人攫(さら)いに攫われてゆく感じと酷似していた。甥は、多くのおじを持っていた。そのうちの四人までが南半球へ行ってダイヴァーになった。ダイヴァーというのはばはん(倭寇)の頭みたいなもので容易になれるものではない、ときいていたが、ともかくも、湊千松、吉川百次、吉川嘉右衛門、それにこの宮座鞍蔵という四人のおじは、あの海域のひとびとの間でも名うての者であった。甥の幼少のころは、それら英雄的なおじを持ったことよりも、そのおじたちがいつ帰ってきて、「この子を貰うてゆく」といって連れてゆきはしないかという不安がつきまとった。(12-13p)

★私が、にわかに木曜島へ行こうと思い立ったのは、気まぐれにすぎない。早くから一九七六年の五月には三週間ほど余暇を作って旅行したい、ということを自分勝手に決めていて、そのつもりで仕事の繰り合わせをしてきた。当初は、パプア・ニューギニアに行くつもりだった。……やはり行くにしても独立早々より、物事が安定してから行く方がいいと思い、やめてしまった。このため、予定していた日数が、空白になった。毎日、散歩のときに寄るコーヒー屋には「セカイノコーヒー産地」という大きな地図がガラスに描かれている。ある日、そのニューギニアのあたりをぼんやり見ているうちに、ニューギニアよりもちょっと南に木曜島がある――と気づき行くことに決めた。(49-50p)

★木曜島という、元来が無人島だったこの島の名を世間に印象づけたのは、明治十年代から太平洋戦争がはじまるまでこの島にきて海にもぐっては金を本国に送りつづけていた日本人たちであった。……「そういうふうにいえば、藤井富三郎さんなどは、生きた記念碑かもしれませんね」と狩野さんはいった。この島で、白人たちから「トミー」とよばれて、どういう理由ということなしに尊敬を受けている老熊野人がいて、それが狩野さんの言う藤井富三郎氏だった。かれは、もとダイヴァーであった。木曜島を生産的な島にしていたのはダイヴァーたちであったが、かれらの職業そのものが、島に数百の墓碑を遺したまま世間から消えてしまったこんにち、藤井老人の存在は、たしかに生きた記念碑というべきものであるかもしれず、島にいる濠洲人たちも、「トミーは、昔、潜っていた」というだけで、一種、畏(おそれ)を帯びた思いを持っていた。(76p)

★私が招かれた最初の夜会は、主催は日本人会で――といっても実際には牟婁口(むろぐち)氏と狩野氏のことだが――島じゅうの名士が招待されているというもので、しかも晴れがましいことに私が主賓だった。(81p)

★招待された顔ぶれは、前夜の夜会とはちがっていた。牟婁口氏と狩野氏は当然ながら招かれていた。しかし他の島の有力者の顔は見えず、ほとんど日本人だった。(115p)

★私は、若い神父が帰ったころに、台湾の三青年が見えなくなっていることに気づいた。物干し台の藤井さんのほうに行って、台湾の青年について、二、三問いかけてみた。……藤井さんはごくさりげなく、かれらも元は日本人だったから、といった。台湾は、本来、清国領で、清国人の雑居地であった。その後の変転で日本領になったこともある。しかしそのときでもなお、かれらにすれば本来の漢民族であることにかわりはなかったが、しかし明治四十年の生まれの藤井さんにすればそのことをそういう風に理解するよりも、元の日本国籍人として理解するほうが感情のなかでなだらかであるに相違なく、この藤井さんの次元においては余計な抗弁などは無用のことだった。(120-121p)

★富三郎は日本人が好きでたまらないのだ。日本人とみればこのように招待してその癖自分はバルコニーにすわってぼんやりしている。しかし私には富三郎の気持ちがわかる。……彼女(注:富三郎の奥さん)が最後にいった言葉は、ほとんど詩句のような響きで、私の胸に残った。”Japanese is a Japanese.”(122-123p)

2023年8月16日水曜日

ブログあれこれ

  歌手のクミコのブログに「峠のわが家」についてのアップがある。クミコの両親は共に95歳で父は施設に母は自宅に一人で住んでいる。この両親の介護を母の近くに住むクミコが一人世話をする。ほぼ毎日アップされるブログを見ていると大変さが伝わってくる。両親も娘であるクミコも毎日必死で生きている。自分自身、母を7年間介護した経験がある。しかし我が家の場合は自宅で一緒に住んでいた。

 クミコは毎日の大変さを嘆くでもなく両親の住む場所にせっせと通って介護している。昨日のブログに「峠のわが家」が話題になる。終戦記念日が近づくとクミコの母は子供だった頃の友だちが吹く口笛の「峠のわが家」が聞こえてくるようだとか。

 この歌のタイトルは知っているがさてその歌は?とYOU TUBEを探す。日本語歌詞は歌う人によって違うが自分が知っている同じ歌詞もある。アメリカ民謡らしい。のどかな風景が広がる歌だ。

 クミコのブログを見るたびに思う。自分自身、以前のブログに母を介護していた「アサちゃん日記」をアップしていた。しかし、母亡きあと、ブログのタイトルを変えて「敏々日記」にした。(いつか古いブログを思いだして……)、と思ううちに月日だけが経過した。そして親が日々衰えていく介護日記に目を通すこともなくなった。自分がアップしたブログなのにそれを改めて読むのはつらい。必死でアップしたブログなのに、いつしかそんな思いに至る。

 古い日記は、今はブログ開始時と途中とエピローグだけを公開し、他は非公開にしている。大変な日々のことは後から読み返す勇気も気力もない。そのこともあって今の「敏々日記」はなるべく自分にとって元気が出る話題に、と日々アップする。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2023年8月15日火曜日

塔婆

 今年初、台風は日本列島に上陸するようだ。広島はいつもの朝とは違ってどんよりしている。情報によるとお盆というのに帰省を急いだり取りやめる人もいる。我が家はお盆らしさはまったくなくいつもと何ら変わらない日常である。ただ、先日お寺でお経をあげてもらった塔婆を家に持って帰ったのはいいが、いまだにお墓に立てていない。

 お寺で塔婆を受け取る際、お寺の情報などが置いてあった。それを貰って帰り、家で見ると塔婆について書いてある。「追善供養と塔婆建立」と題して3点あり、①卒塔婆を立てる②卒塔婆の意味③塔婆法要の功徳である。卒塔婆または塔婆とは墓地の周りに建てられた細長い板のこととある。それでお墓の周りに塔婆を立てる、の意味を知った。塔婆には戒名、お題目、施主名などが書いてある。お釈迦様を追慕してその教えを伝えるために仏塔などが建てられる。それにならってなのか、塔は簡単に立てられないので代わりに塔婆を建てて供養するようだ。さらに塔婆を立てて先祖供養することで敬い、尊び、報恩という心が先祖供養になるらしい。

 塔婆を建てる意味を知ってお墓に、とはならない。連日の暑さと台風の影響で今一歩気が進まない。気がのらないと怪我になる。日を改めてお墓参りをしよう。ただいつもは開かずの仏壇を昨日から灯りをともして開けている。これがせめてもの先祖供養!?しかし、父が亡くなって買った盆提灯はもう何年も開けずにいる。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2023年8月14日月曜日

国際ローミング!?

 姪から届いたメールを見ると「国際(海外)ローミング……」、と書いてある。が、このキーワードが理解できない。前後の内容からして外国に行っても日本で契約していると同じようにスマホが利用できることのようだ。電話でその旨を聞くと来月、台湾へ行くそうだ。そのためスマホの契約先を国際ローミング対応に変更したという。

 先日、日本画の人が台湾へ旅した際、海外でも対応できるようにとSIMやその他、対策を練って出かけたそうだ。しかし、台湾でいざ使おうとするとうまくできなかったらしい。仕方なく無料WIFIの場所を探して対応となったようだ。

 先日、ドコモの料金変更をした。姪によると変更した料金体系のスマホは国際ローミングに適っていると教えてもらう。まだ海外への予定はないがもし行くなら海外対応も可能と知って本当によかった。

 姪との話で気になっていた「非アクティブなGoogleアカウント」について問うと「大丈夫」、と言ってくれた。それは2年間、利用しないとGmail が削除云々の件である。昨年秋に機種変更した際、係はGmaiを作成してくれた。それはアプリと関係あるようだ。その辺のことが今一歩わからずにいた。そしてドコモが作ってくれたGmail を使わずにいた。それを(2年間使わないと削除?)と知って気になりだす。これも姪の話によるとアンドロイドを利用していると関係ないという。(なぜアンドロイドは……)、とまた気になる。調べるとアンドロイドのスマホはGoogleが開発した汎用品であり、スマホを使い続けている間はGmalは削除されないらしい。

 昨日は姪に電話やメールでいろいろと教えを請うた。感謝、感謝!

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2023年8月13日日曜日

塔婆を取りに行く

 昨日の午前中、お寺へ塔婆を取りに行くとお上人の奥さんがおられた。朝から暑い日だったが本堂に入ると涼しい。寺院や神社は扇風機があってもエアコンはない、と勝手に思っていた。しかし、そうでもなさそうだ。住んでいる地域は安芸門徒が大半だが、我が家は父が福山の人なので日蓮宗。安芸門徒のお盆といえば安芸門徒特有の盆灯篭をお墓の周囲に立てる。我が家は母が亡くなって少し経って盆灯篭を立てるのをやめた。その代わり盆灯篭と同じくらいの高さがある塔婆を立てる。

 本来ならば塔婆を持ってお墓に持参する。が、こう暑くてはお墓に行く前にダウンしそうだ。お墓参りは母が亡くなって毎月欠かさず参っている。この暑さの中、ダウンするのが怖い。この辺も両親は大目に見てくれるはずと自分を甘やかし、涼しくなってから参ることにした。とはいえ、お寺から持って帰った塔婆を見る度、(早くお墓へ参れ)、と何かに急かされている気もする。

 以前は寒いより暑い方がいい、と思ったこともあった。しかし、モノゴトはナニゴトも程度がある。こう暑くてはお墓参りも無理は禁物!?

 ほかにも昨日は日本画教室に出かけた。お昼過ぎに家を出てJRで教室に向かう。この時間帯は一日のうちでも一番暑い。教室に着くと涼しさでホッとする。が、昨日は絵の先生が風邪をひかれたそうでマスク姿だ。コロナ禍になって以降、「風邪?」と聞いてもなぜか安心できず風邪がうつらないようにと気をつける。今朝も元気なのでその辺は大丈夫のようだ。

 いくら暑くても寒くても年中、よく眠る。眠れない人が多いようだがこれだけは人に自慢できる唯一の取柄かもしれない。教室では木に桜が咲いてるように点描写する。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう! 

2023年8月12日土曜日

一枚の絵

 昨日の地元紙に職美展の案内がある。眼に着いたのは一枚の絵。大きな樹木が描いてある。自分が描く絵は新聞で見た絵の良さとはほど遠い。が、見ていてこの絵を実際に見たくなる。先日、日本水彩展の招待券が送られてきた。見に行くつもりでいたがこの暑さの中、よほどの用事でないとわざわざ出向くこともない、と行くのをあきらめた。とはいえ、まだ展覧会は開催中。

 送付された招待券に書かれた名前に職美展の記事で見た絵と同じ人の記載がある。職美展は水彩展が終わった後の週の開催だ。友だちから電話があり、街に出てランチを、と誘われる。曜日を聞くと職美展が開催される期間だ。友だちとランチの前後に職美展を見に行こう。

 新聞で知った気に入った一枚の絵。インターネット美術館で調べるとその人の絵がたくさん掲載されている。そして何度かいろんな賞を受賞されている。どの絵を見ても繊細な絵だ。

 今朝は気休め程度に気温が低い。お寺へ塔婆を受け取りに行く!?

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2023年8月11日金曜日

「數(数)」は「サク」!?

 3日間エアコンを点けっぱなしにしていたが、なんとその間の最低気温は30度近くあったらしい。また最低気温が30度近い記録は過去最高だったとか。暑いはずである。

 司馬遼太郎の『街道をゆく』の「台湾紀行」を読んでいる。その初めころに「数寄」が出てくる。「すき」である。

★数寄はあるいは司馬遷の造語だったかもしれず、「李将軍列伝」は、このことばが、主題になっている。司馬遷は、人間とその人生をまるごと計量器にかけることの名手である。数奇は計量の結果としての数値といっていい。ついでながら、日本の漢文学習ではこの場合、数(すう)をサクとよむのがならわしだが、諸橋轍次の『大漢和辞典』では「サクと読むのは非」とある。(35p)
 
 これを読んで父が使っていた古い『新撰漢和辭典』(宇野哲人・長澤規矩也編 三省堂、昭和13年第23刷)を見ると司馬遼太郎が書いているように「数」⇒「サク」とある。なお「数」の古い字体は「數」。父は生きていれば107歳になる。司馬遼太郎は生誕100年だからほぼ同時代を生きている。古いこの辞書も既に85年、我が家にいた!?父が形として残したものは何もないがもしかしたらこの辞書だけがそうかもしれない。今となっては古書!?大事にしたい。

 司馬遷の「史記」に関しては武田泰淳の『司馬遷』を読み『史記1』を読んだ。さらに『史記列伝』(上)を読み始めて権力闘争に明け暮れるさまを読むと途中で読むのをやめた。その時に上記に記した「李将軍列伝」を目にしてこれだけは読もうと思った。「李将軍列伝」に関しては昨年の10月19日にアップした亀井郁夫の『人生百年の教養』にも書いている。 

★私がイメージする理想の教養人もまた、人格の理念と深く結びついています。司馬遷の『史記』(「李将軍列伝」)に引用された「桃李不言下自成渓」がモデルとしては理想的です。桃や李(すもも)の木は、じぶんから言葉を発することはない、しかし、そのかぐわしい香りを求めて、自然と人が集まってくる。その結果、木の下には、みちができる。つまり、徳のある人は、じぶんから声を発さなくても、おのずと人が集い、いつしか道ができてしまうものだ、というのです。

中段の左にある「數(数)」は確かに「サク」とある
父が使っていた『新撰漢和辭典』
昭和13年第23刷発行で2圓70銭とある

 そう知って「史記」の「李将軍列伝」を読むことにした。その意味でも今、「台湾紀行」を読むのは正解だった。それは途中で投げ出していた「史記」を再度読もうと思ったことにもある。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2023年8月10日木曜日

台風の影響は?

 3日間ほど点けっぱなしにしていたエアコンを今朝7時に切った。ネットで何日間、点けっぱなしにしていいかを調べると2週間くらい、とある。2週間ならば絵を習いに行く日に切ればいい?と思った。今朝、7時にいったんOFFにしたがそのうちすぐに暑くなってエアコンが欠かせなくなるにちがいない。ただ、今日は台風の影響なのか最高気温が32度と猛暑日の35,6度と比べると幾分低い。

 連日の暑さにも関わらず、お盆の塔婆の季節がやって来る。明日、お寺でその法要があるが塔婆を受け取りに行くのは明後日にしよう。塔婆を受け取ればそれをお墓に持って参る。この連日の暑さでお墓に参るのをためらう。毎月ほぼ欠かさずお墓に参っているがこの暑さの中、坂道を歩くのは大変。べつにお盆に参らなくてもいいか、と言い訳したり。

 今日の深夜もBSで「街道をゆく」の放送がある。見たいけど深夜の放送は無理がある。昨日『街道をゆく』の「台湾紀行」をやっと図書館で借りた。なぜ台湾編を読まずにいたのか自分でもわからない。が、読み始めると鄭成功についての記述がある。鄭成功の母は平戸の武士の娘である。鄭成功はその母と中国の明末・清初の武将との間に生まれている。

 今、台湾を取り巻く状況がメディアを賑わしている。しばらくはこの「台湾紀行」を読んで台湾をより深く理解しよう。台湾へのちゃんとした観光は2度あるが東南アジアへ行く際に何度かトランジットで台北を経由している。最近、広島空港発着の台湾便が再開した。これからも出かける機会はありそうだ。さてそれはいつ!?

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2023年8月9日水曜日

「ひよってないで……」

  Eテレの「100分de名著」を見逃し配信で見ていると8月7日は司馬遼太郎の生誕百年の日、と知った。それでこの2、3日、「街道をゆく」など司馬遼太郎に関する放送が多いのだろう。今日もBSで午前中に「新・街道をゆく」の放送があり、深夜には「街道をゆく」がいくつか放送されるようだ。いくら司馬作品のファンと言えども深夜の番組は見る気がなくて残念。

 昨日、『街道をゆく』の「台湾紀行」を図書館で借りようとしたが、スーパに立ち寄ってるうちに雨が降り出して借りに行かなかった。今日も台風の影響なのか朝から半端でなく蒸し暑い。エアコンも3日間点けっぱなしである。少しだけでもエアコンを切ろうとするがこう暑くてはそれもできない。

 最近、お笑い芸人の動画を見ていると「ひょってないで……」、と相方に話している。それも何度か言っている。この「ひよって」の意味が分からない。それでなくてもこの頃テレビを見ていてわからない言葉を聞くことがある。が、この「ひょって」はまったく意味がつかめない。もしかしてこれは「ひよる」と思って電子辞書で調べると「日和る」とある。さらに「日和り」の動詞化とあり、「日和見をする」また一般に、「積極的にかかわらないで傍観する」とある。その例として「ひょってないで少しは手伝え」などの例を挙げている。

 「ひよって」は知らなかったが「日和り」や「日和見主義」などは使うことがある。言葉は生きている!?外が暗くなってきた!

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2023年8月8日火曜日

またも「街道をゆく」を見る

 「街道をゆく」や「新・街道をゆく」の再放送がBSである。この2つを比べても何の価値もないが個人的な感想は「新」でなく以前の「街道をゆく」が何となく重々しく思える。これには登場人物やナレータが関係あるかもしれない。コロナが落ち着けば近場なのにまだ出かけていない韓国、それも済州島に行きたいと思っている。昨日午後に見た「韓のくに紀行」を再度見ると済州島だけでなく韓国本土にも、と思ったり。韓国には日本から連れていかれた「沙也可」の子孫がいる。今、その子孫は400年前と同じく農業で生計を立てている。顔つきや建物、そして田んぼの景色などは何ら日本と変わらない。年に一度韓国全土から集まって「沙也可」を弔っているそうだ。

 反対に韓国から日本にやってきた人たちも多い。渡来人である。日本が韓国を統治していた頃、創氏改名で戸籍名を変えらた。このシーンを見るとなんとひどいことをしたことか、と思わされる。昨年の再放送を見ているにもかかわらず同じ場面ばかりを覚えている。司馬遼太郎は「街道を行く」を「近江散歩」と「韓のくに紀行」から開始した。渡来人の地と沙也可の地である。他にも「モンゴル紀行」も再放送された。モンゴルといえばツエベクマさんが外せない。この人は司馬遼太郎の葬儀に参列している。司馬遼太郎とツエベクマさん、というか司馬遼太郎とモンゴルは切っても切り離せない関係だ。この人が出るとなぜか涙を誘われる。

 モンゴルの中国領である内モンゴルへは出かけているが外モンゴルには出かけていない。モンゴルの土はセメントのように固いらしい。一度でもその土を耕すと元の土には戻らないそうだ。しかし、中国領の内モンゴルは農業のために土地を耕す。そのために耕した土から草は生えず砂漠化する。モンゴルでは決して土を耕さないという。この違いは大きい。

 「街道をゆく」の再放送は今日深夜からもある。しかし、深夜まで起きてテレビを見る勇気がない。それにBSはNHKの見逃し配信が見られない。またの機会に見る!?司馬作品の読書一覧表をメモしている。「街道をゆく」はほとんど読んでいる。しかし読んでいないのもある。今朝はこれから図書館に出かけて「台湾紀行」を借りよう。

 暑い日は続く。この暑さは9月末まで続くとか。一年の四季は春、秋の中間がなくなって暑い時季と寒い時季の二季になりつつあるのだろうか。いずれにしても春と秋がなくなるとしたら過ごしやすいとは思えない。近くの小学校では避難所となる講堂のトイレ改修作業が行われている。昨日は一日中、重機のブーン、ブーンとうなる音がする。(うるさい)、と一瞬思ったが工事の人は暑い中でされている。それも暗くなるまでされている。今朝も工事は始まった。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2023年8月7日月曜日

半端でない蒸し暑さ

 暑さも半端でなく昨日からエアコンを点けっぱなしにする。人間が壊れるよりもエアコンが壊れるほうがいい。冷蔵庫は何年も電源を入れたままだ。そう考えるとエアコンもつけっぱなしで使用しても大丈夫、と思えるようになる。

 地元紙を見るとNHKのBSで「街道をゆく」の再放送がある。夜の欄を見ると総合で「100分で名著」に司馬遼太郎の作品を取り上げている。総合の方は夜なので放送時刻には多分寝ているはずなのでNHKプラスで見ることにしよう。

 こう暑くてはパソコンの操作をしていても頭が回らない。今日は何処へも行かずに家でおとなしくする!?

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2023年8月6日日曜日

2週間ぶりの日本画教室

 8時15分、t隣町のサイレンが鳴る。今日は78回目の原爆の日。サイレンを合図に黙祷を捧げるように知らせる。母は元気だったころ毎年この日、朝早く起きて平和公園の式典に出席していた。そして寺町に眠る母の兄弟のお墓に参っていた。自分の代になると原爆の日に一度も参ったことがない。徐々にこの日が遠くなる。

 昨日は日本画教室の日。教室の一人は台湾旅行に出かけてお休み。連日の猛暑日の広島だが暑さでは台湾も負けてはいない。もしかしたら台湾の方が広島よりも涼しい!?それくらい日本列島は何処も暑い。その上に台風が加わって人間の限界を超えるような暑さである。今朝は起きてすぐにエアコンを止めたが1時間もしないうちにエアコンをつける。買い物も午前中に、と思ったが朝からこう暑くては行くのも考えてしまう。

 さて日本画教室。瀬野川の土手の桜を描いている。これまでの樹木と違って土手の桜を描くのは難しい。3時間の教室も思うように描けず手よりも口ばかり動く。教室への行きかえりだけでよく働いた気になる。まだまだ暑さもこれからが本番!?それなのに絵を習いに行くだけで草臥れそうだ。と言いながらもこれが遊びとなると暑くても勇んで出かけるに違いない!

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2023年8月5日土曜日

暑い日に

 ドコモの料金契約を変更して早くも1か月が過ぎた。料金を変更するにあたって変更に伴う気になる数件をメモしてドコモに出かけた。特に気になったことは「自動更新なし」。この意味が分からず変更時に店頭でその旨告げると「2年縛りがなくなった」という。その際、その意味がわからないと言えばよかったのに言わずに帰った。後でネットで調べてその意味を確認する。他にも変更に伴うこれまでとの違いがネットで話題になった。それはドコモの無料相談窓口である「151」が利用できないとか「mydaiz」も観られなくなる、といったようなことだ。

 1か月過ぎてこれらの気になることはすべて契約変更前と何ら変わりないとわかった。そして変更後の料金は3Gで月880円。変更前の1G が3465円は何だったのか、というくらい安くなった。というか、機種変更前のガラケーよりも安い。貧乏人にとっては安いことがありがたい。

 話は変わって昨日、この秋の講演会の案内ハガキが届く。講師は奈良興福寺の多川俊英氏。この人の講演会が先日、某旅行社からハガキで届いた。しかし、これは昨日届いた知らせとは開催日も主催者もことなる。おまけに旅行社の方は無料でなく費用が掛かる。もちろん出かけるのは昨日届いた講演会である。年に一度の定例講演会だが面白い講演会なので楽しみ!

 今日も暑くなりそうだ。この暑さはいつまで続く!?先日、新聞に小学校のプールは31度を越えたら利用できなくなるとか。屋外でのプールだから熱中症対策で使えなくするのだろう。夏休みに31度以下になる日がある!?

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2023年8月4日金曜日

「笠岡100万本のひまわりと倉敷美観地区散策」の日帰り旅

 連日、猛暑日が続いている。その暑さの中、「笠岡100万本のひまわりと倉敷美観地区散策」と銘打ったバス旅に参加する。その目的はひまわり畑にあり倉敷の美観地区にはそれほど興味がなかった。が、出かける前日、美観地区に阿智神社があると知る。この頃のツアーは目的地まで添乗員の案内があるがその後はフリータイムになることが多い。美観地区でのフリータイムは1時間半ある。この間、まだ行ったことがない阿智神社へ行こう、と思った。

 ネットで阿智神社に出かけた人のコメントを見るとどの人も階段の多さを書いている。作られたお店などの観光よりも自然にあふれた神社がいい。暑くても階段を登ろう、との意気込みでフリータイムの出番を待つ。

 出かけたのは2023年8月2日(水)。この日帰り旅も申し込んで旅費を支払った後に全国旅行支援があると知らされる。バスが広島駅を発車後、添乗員から旅行支援の旅費とクーポン券を受け取る。旅費は現金での返金。クーポン券は今回は岡山県だが、利用期限を見るととっくに期限を過ぎている。(おかしい?)と思いながらも受け取る。後で添乗員の説明によると岡山県は残ったクーポン券を再利用とかでこんなことになったとか。それにしてもいいかげんな県!

 広島からだと笠岡までは近い。お笑いの千鳥の2人は笠岡出身だ。その2人は広島のローカル番組に出ていた頃、買い物や遊びに出かけるのは岡山でなく福山と話していた。JRの路線図を見ても笠岡は福山に近い。笠岡のひまわりベイファームは干拓地を利用している。ひまわり畑に到着するまで干拓地にはトウモロコシ畑が延々と広がる。こういった広々とした大自然を見ると本当に出かけてよかったとの思いが募る。

 ひまわり畑に着いた。ここも見渡す限りひまわり畑だ。しかし、ひまわりを見るのはいいがどういっても暑すぎる。ひまわりと太陽は切っても切り離せない関係だからそれも致し方ない。カメラを向ける方向にひまわりは顔をだす。というか一斉に同じ方向に顔を向けるひまわり。何と行儀がいい事か。可愛すぎる。

 1時間のフリータイムの半分は屋内のベイファームですごす。ここでクーポンを利用しようとすると適用外だった。このひまわり畑は季節ごとに花が入れ替わるとか。秋はコスモス畑となるようだ。
笠岡干拓地のトウモロコシ畑(車窓から) 

笠岡ベイファームのひまわり畑

ブロックごとにひまわりの咲く時季が異なる 右側は花も終わり!?


どのひまわりも顔を太陽に向けている

広いひまわり畑
 笠岡ベイファームのひまわり畑を堪能後、バスは移動してせとうち児島ホテルで岐備御膳をいただく。レストランからのロケーションは抜群で瀬戸大橋も目の前に見える。またここで頂くお昼も美味しかった。クーポン券はこのホテルの売店で使い切る。
せとうち児島ホテルのレストランからの眺め
 お昼を済ませてホテルのバルコニーに出ると暑くてたまらない。その後は日本遺産である下津井の町を散策。ここの下津井回船問屋を見学するが冷房がなく、中に入るもすぐに外に出る始末。本来ならば当時の回船問屋の暮らしが判るはずなのにそこまで頭が働かず暑さに負ける。ただ、この近くにあるお土産屋の奥さんはとても威勢がいい人でお土産を買ってくれたお礼にとバスに入りこんで講談を一席ぶって出て行かれた。後で聞くと元高校教師をされていたとか。それにしてもこの暑さの中、元気がいい!
  
 回船問屋を後にしてバスは倉敷に向かう。バス駐車場から大原美術館前までは添乗員が案内する。が、その後はフリータイム。この1時間半を利用して阿智神社へ一人向かう。途中、暑い中、建物の影に座って絵を描いている2人の中学生に阿智神社への行き方を尋ねる。さらに1時間半で行って帰れるかどうかも聴く。「大丈夫」とのことで目的地へ向かう。しかし暑い!少し歩いてさらに親子連れに神社の場所を尋ねるとすぐ近くにあった。

 神社拝殿へは3つの階段である米寿坂88段、還暦坂61段、厄除け坂の33段があるという。参道入り口に着くとだいぶ前を人が歩いている。その人たちにつられるようにして階段を上がる。が、ちょっと階段を上るだけで汗びっしょりになる。今回の旅も修行!?この感触が好きなので暑くても足はどんどん進む。やっと神社に着いた!この3つの階段は長寿の御利益がある階段らしく計182段ある。
阿智神社への石段
阿智神社拝殿

  神社の一番上の石段でしばし休憩。しかし、この石段は太陽にさらされていたためか腰掛けるとお尻が丸焼けになりそうなくらい熱い。どういっても座れるところは階段くらいしかない。階段下に大きな樹木がある。先客はここに何かを敷いて休憩していた。しばし休んで境内を散策する。なぜか一人旅らしき人達が数人参っている。一生懸命参っている人もいる。自分自身、神社仏閣に興味があるモノのそれほど信心深くはない。ただ、自分にとって少々、きつめのことをやる時の感覚が好き!これに興味があって参る。

 神社を参拝後、帰りの石段で外国人に出くわす。声をかけると「バルセロナ」からだ。道理ですぐに英語が通じなかった。次に石段の真ん中あたりでまたも外国人に出くわす。親子3人連れだ。声をかけると「オーストリア」からだ。どこから来たかと英語で聞かれたので「広島」と答える。さすがに広島はある意味で世界に名高い。その人たちは明日広島へ行くとのこと。何か食べものは?と聞かれる。「お好み焼き」と答えると「それは大阪では?」みたいに訝られる。そして「大阪はたこ焼き?」と娘は自問自答する。どうも親子連れは覚えたらしい片言の日本語を並べて話したいらしい。こちらも英語は片言だ。が、何であれ、ちょっぴり通じた。ただ、オーストリアへは出かけたことがない。行ってみたくなった
 
 バスにもどると皆さん暑さでぐったりのようだ。もちろん自分自身も暑くてたまらない。自販機でミカンジュースを購入。のどに沁みとおる心地よさ。暑かったけれど神社までよく参った、と達成感に浸る。この感覚がどういっても好きだ。

 バスは広島へ向かう。最後のサービスエリアでまたも自販機でミカンジュースを購入。乾いた体に沁みとおる。生きている実感がわく。途中、事故などで高速バスに渋滞情報が入る。予定よりも30分遅れて広島に無事到着。

 暑い旅だった。が、気持ちはとてもスッキリと涼やかで充実した旅となった。どんな状況でも暇があればなるべく外へ目を向けよう。先日、姉と電話で話した際、出かけられるときに出かけるようにと発破をかけられた。全くその通り、いつか出かけたい気力も体力もなくなるかもしれない。後悔しないためにも今のうちに惜しまずに何でもやる!?楽しい旅は終わった。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

倉敷美観地区にもどると若者であふれていた

2023年8月3日木曜日

暑い日の日帰り旅?

 ひまわりの花は向日葵と書くように一斉に太陽の方に顔を向けて咲いている。これは見ていても圧巻過ぎる。昨日はこの暑い中、(本当にご苦労さん)とひとり呟いてしまうほど暑い旅だった。タオルハンカチを4枚持参。3枚ほど汗で濡れたハンカチの4枚目を探すがすぐに見当たらず。仕方なく最後のドライブインでハンカチを水で洗って顔を冷やす。バスに乗ってゆっくり探すと4枚目のタオルハンカチがあった。

 夏の旅は主に海外に出かけていた。その頃は今のような遊び人ではなく会社に勤めていた。そのため海外の旅は大体、1週間前後の期間になる。凡そ8日間ぐらいが標準で少し長くなると10日間以上出かけた。長期の休みはお盆、GW、お正月をはさんで休みを取る旅となる。父が亡くなって以降、母からの要望でお正月は家にいた。出かけるのは主に暑い夏。ところが北半球の旅は夏だが南半球は冬になる。旅といえば暑い時季か寒い時季に限られた。どんな時季でも海外に行くことが楽しかった。これはコロナ禍で行かれなくなる前までそうだった。とはいえ、母が亡くなって以降は仕事もやめていたので行こうと思えばいつでも行かれた。

 まさかコロナ禍で海外に行かれなくなる日が来ると誰が予想しただろう。幸い、それまでは行きたいところへは行っていた。これは今となってはとてもよかったと自画自賛している。

 そんな暑い日の日帰り旅。今回も出かける3,4日か前に旅行社から全国旅行支援が適用となった旨、知らせがある。バス出発後、添乗員からその旨聞いて返金とクーポン券を受け取る。この適用で旅も安い旅となった。その割にはとても充実した旅でお昼のランチも豪華だった。楽しかった旅の模様は後日のブログにアップしよう。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2023年8月2日水曜日

『花咲ける上方(ぜえろく)武士道』(下)

 「茄子の料理」「きゅうりの料理」とスマホに向かって話すとすぐにレシピが出る。携帯を機種変更後、毎日のようにこの機能を利用している。この夏はじめて茄子を買った。茄子は豚肉との相性がいい。また味噌とも相性がいい。昨日は味噌でなくスマホに表示されたポン酢で料理する。そしてショウガも加えた。自分の中では久々のヒット作。美味しくいただいた。今年の夏はなるべく火を使わない料理に挑戦している。が、昨夜のポン酢を使った料理は火を使う価値があった。

 以下は先日読んだ(上)に続く『花咲ける上方(ぜえろく)武士道』(下)(司馬遼太郎 春陽堂書店、2022年新版改訂版第1刷)である。いつものように気になる箇所をメモしよう。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

★ひとり京から遠くはなれた暗い潮騒のなかで走りながら、公家密偵使高野少将は、ふと心に臆するものをおぼえた。(このぶんでは、無事命があって江戸へ着けるだろうか)走った。ひょっとすると、このまま地獄に走っていくような気がした。(148p)

★鳥追いというのは、常人ではない。非人なのである。道を追い越すときには、武士はおろか、百姓町人にさえも腰をかがめて通らねばならなかった。鳥追いだけではない。能役者をのぞいた諸芸人は、すべて常人の籍からはずされていた。歌舞伎役者でさえも、京の堂上方や将軍などに召されたことのある者とその周辺の者のほかは、非人頭の支配を受けさせられていた時代なのである。少将は、代々京に閉じこめられたまま三百年を送り暮らさせられてきた公家だから、徳川氏が私製した上下のしきたりには、ほとんど無知だった。……富士がみえた。名にしおう薩埵(さった)富士なのである。(222P )

★志士たちは、腕力だけを資本にこの運動に参加している者を卑しんだ。そういう者に対しては、志士たちは、常人のやりたがらない仕事をあたえた。人斬りである。勤皇攘夷運動をはばむとみられる公武合体主義者や、開国論者、幕府の諜者などを暗殺する役だった。かれらは、志士の間でひそかに「隠亡(おんぼう)」といわれた。「隠亡」の中で、知名な者には薩摩の田中新兵衛、肥後の河上彦斎、土佐の岡田以蔵などがいた。舘林千十郎は、それら「隠亡」の群れの中にはいった。人を斬れば、どこからともなく、報酬が出る。若いかれらは、酒色を覚えた。人を斬るときは、かならず酒気をおぼていた。(234p)

★お坊主というのは、江戸城内での給仕、接待などに任ずる文官のことで、ご家人格でありながら武士ではなく、頭をそりこぼっているが僧侶ではない。通称、お茶道と言われているのがそれだ。(280p)

★このとき島津軍が用いた独特の殿軍(しんがり)戦術が「捨屈(すてかまり)」だった。本体が退いた後、未知の両わき十数間ごとに、点々と狙撃兵を捨てておく。敵が迫ってきたとき、最後の後端の狙撃兵が射撃をおえると、すぐ最先端に走っていって再び伏せる。それを繰りかえすことによって敵の追撃を遅らせるのだが、かれらはむろん、生還は期しがたい。いずれは敵の怒涛の中に姿を没し、しかも、武士としての功名さえ、味方の主将に知られることがない。個人の功名にすべてをかけた戦国の武士のなかで、自軍の組織のために犠牲になる精神は、薩摩のきわだった家風といえた。こういうささいな事件にも、一見他人からみれば無気味と言える薩摩の組織精神をみたとき、少将則近は、幕府を倒すものはだれかという答えが、おのずから出るような気がした。(328-329p)

★少将はふきだした。「そちとは、上方にもどってからゆっくり会おう。そのときの気持ちしだいで、ひょっとすると、官位を捨てて小西屋仙女円本舗の養子にもどりたい、というかもしれぬ。それまでは、右近衛少将高野則近は、小西屋のものでもなければ、薩摩藩のものでもない」……「わからぬか。――そこにいる」「あ、お悠どの」……「そうさ」少将が笑った。(362-363p)

2023年8月1日火曜日

急いては事を仕損ずる!?

 先日、新たなルータを申し込んだ。昨日、宅急便で早くも届く。段ボールを開封するとさらに段ボールがある。最初に開けた時、書類を見ると「工事……」の文字が見える。工事までは中にある段ボールを開封しないよう、にとの注意書きがある。これを読んで「工事?」、と疑念を抱く。すぐに問い合わせ先へ電話するとフリーダイヤルにもかかわらずすぐに電話がつながった。「工事……」と問うとこちらの情報を聞かれる。その後、しきりと「メールが届いて……」となんどか「メール」云々と言われる。その時は舞い上がってしまってただ「ネットでルータを申し込んだ」旨、何度か話す。後で気づく。先方の話したようにメールが届いてそれに拠って新たなルータを申し込んだ、と。

 先方は家にルーターが、その上にWIFIが付いていないかと聞かれる。「付いている」「WIFIを使っている」旨を話すと新たなWIFIはそれに接続して利用するという。そしてこのまま今のWIFIで使える、とも言う。自分ではこれまでのルータに代わって新たなルータを利用するものと思っていた。いろいろと教えてもらって新たなルータを使用しなくてもよいとわかる。そう理解して送られた品を運賃こちら持ちで返却する旨を伝えた。すると親切にもその必要性がないことをわかりやすく教えてくれた。

 自分の早とちりがこの度の失敗だと気づく。「急いては事を仕損ずる」の諺通りもっと気を長く持って行動しなくてはいけない。興奮冷めやらぬままに姉に電話する。IT機器に関しては義兄が詳しい。スマホをWIFIで使用する際にも義兄に教えてもらって接続できた。新たなWIFIのルータのことを話すと「業者のいう通り!」と。これを聞いて気分も落ち着いてきて姉とも久しぶりに長話をする。姉が言うには義兄は閑さえあれば何か知らないけど研究している、とのこと。

 夜、義兄の娘である東京の姪に昼間のことを話す。その姪もITに詳しい。皆に話してこの数日の新たなルータの件は一件落着となった。それにしても「急いては事を仕損ずる」。肝に銘じよう。

 昨日は他にも日本水彩展のチケットが送られてくる。いつもご丁寧に送ってくださる。絵でも見て気持ちを落ち着かせる!?

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!