「街道をゆく」や「新・街道をゆく」の再放送がBSである。この2つを比べても何の価値もないが個人的な感想は「新」でなく以前の「街道をゆく」が何となく重々しく思える。これには登場人物やナレータが関係あるかもしれない。コロナが落ち着けば近場なのにまだ出かけていない韓国、それも済州島に行きたいと思っている。昨日午後に見た「韓のくに紀行」を再度見ると済州島だけでなく韓国本土にも、と思ったり。韓国には日本から連れていかれた「沙也可」の子孫がいる。今、その子孫は400年前と同じく農業で生計を立てている。顔つきや建物、そして田んぼの景色などは何ら日本と変わらない。年に一度韓国全土から集まって「沙也可」を弔っているそうだ。
反対に韓国から日本にやってきた人たちも多い。渡来人である。日本が韓国を統治していた頃、創氏改名で戸籍名を変えらた。このシーンを見るとなんとひどいことをしたことか、と思わされる。昨年の再放送を見ているにもかかわらず同じ場面ばかりを覚えている。司馬遼太郎は「街道を行く」を「近江散歩」と「韓のくに紀行」から開始した。渡来人の地と沙也可の地である。他にも「モンゴル紀行」も再放送された。モンゴルといえばツエベクマさんが外せない。この人は司馬遼太郎の葬儀に参列している。司馬遼太郎とツエベクマさん、というか司馬遼太郎とモンゴルは切っても切り離せない関係だ。この人が出るとなぜか涙を誘われる。
モンゴルの中国領である内モンゴルへは出かけているが外モンゴルには出かけていない。モンゴルの土はセメントのように固いらしい。一度でもその土を耕すと元の土には戻らないそうだ。しかし、中国領の内モンゴルは農業のために土地を耕す。そのために耕した土から草は生えず砂漠化する。モンゴルでは決して土を耕さないという。この違いは大きい。
「街道をゆく」の再放送は今日深夜からもある。しかし、深夜まで起きてテレビを見る勇気がない。それにBSはNHKの見逃し配信が見られない。またの機会に見る!?司馬作品の読書一覧表をメモしている。「街道をゆく」はほとんど読んでいる。しかし読んでいないのもある。今朝はこれから図書館に出かけて「台湾紀行」を借りよう。
暑い日は続く。この暑さは9月末まで続くとか。一年の四季は春、秋の中間がなくなって暑い時季と寒い時季の二季になりつつあるのだろうか。いずれにしても春と秋がなくなるとしたら過ごしやすいとは思えない。近くの小学校では避難所となる講堂のトイレ改修作業が行われている。昨日は一日中、重機のブーン、ブーンとうなる音がする。(うるさい)、と一瞬思ったが工事の人は暑い中でされている。それも暗くなるまでされている。今朝も工事は始まった。
ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!
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